JINKI 142 アンヘルのお正月三番勝負

「明けまして……? ねー、ルイー。何だっけ、それって」

 まさか通じないのか、と思っているとルイが肩を竦める。

「南、去年も一昨年もこの時期には一番残骸が取れるからって忘れたの? こっちのアンヘルのお祭りでしょ」

「あー、そうだっけ。いやー、現地人的には馴染みないのよねー。カナイマに合流するのも一年に数回程度だし」

「えっ、そうなんですか?」

「うん。まぁこちとら年がら年中回収作業の旅がらすってね。こっちで改修受けるよりもそこいらのジャングルで年を跨ぐことのほうが多いのよ。だから、こうしてカナイマの本拠地にゆっくりするのは久しぶりねぇ」

「……じゃあ、ルイも?」

「私は南とは違うわ。カナイマの連中の通例行事くらいは分かってる。これってあれでしょ? 酒盛りって奴なんでしょ?」

「さ、酒盛り……? あのー、南さん? やっぱりお酒はよくないんじゃ……」

「いやー、私もルイも酒だけには強いから。どうしたってそういう方向性になっちゃうもんなのよ。……んで、結局これって何? 新年……の上に何て書いてあるのか読めないんだけれど」

 まさか南までそのレベルだとは思うまい。若干、肩透かしを食らった気分でいると、ルイが余裕ありげに応じる。

「南は学がないから。そんなのなのよ」

「何をぅ、この悪ガキがぁー。これでも直感と戦場の冴えだけならあんたなんかには負けないんだから。……んで、青葉。これってどう読むの?」

 言っておいて聞くのか、と青葉は感じつつも、読み方を南に教える。

「きんがしんねんって読むんですよ。お正月……って概念はありますよね? さすがに……」

「馬鹿にしないでって。あれでしょ? カナイマじゃ、オモチとか言うの食べる時期でしょ?」

 分かっているのだかいないのだか不明な語感に、青葉は問い返す。

「お餅が何なのか、分かってます……?」

「……んー、何か白いので、んで、モチモチしてる、あれでしょー? あれって食べたことないのよねぇ。こっちじゃ高級品らしくってさ。整備班の連中はケチだから恵んでくれないのよ」

「よく言うわ、南。前もらった時に食べ方が分からなからって腐らせちゃって捨てたじゃないの」

「あっ! ルイ! それは言わないお約束でしょ!」

 どうやら正月と言うものをまるで理解していないらしい。青葉は額を押さえつつ、でも、と考え直す。

「……ここってベネズエラですよね? お正月ってやるんだ……」

「あー、それってやっぱり日本人だからじゃないの? ホラ、日本ってこの時期って寒くなるらしいじゃないの。でもこっちじゃ真逆だから、日本に居た頃のことを忘れないようにだとは思うんだけれどね」

 そう言われて青葉は日本に居た頃のことを回顧する。

 よく祖母がお雑煮を作ってくれたものだ。

「……おばあちゃん、お雑煮とおせち作るの、すごい大好きだったなぁ……」

「オゾウニ? オセチ……? うーん……、ルイ、分かる?」

「さぁ。化け物みたいな言葉だけれど」

「ば、化け物じゃないよ! お正月にはみんな食べるんだから!」

 いきり立って反発したのをルイは冷笑で流す。

「どうせ大したものじゃないわよ。日本の文化なんて」

「……そ、そんなことないもん!」

「じゃあそのオゾウニだとかオセチだとかを私たちに説明してみなさいよ」

 高圧的に攻めて来るルイに、青葉は言葉をなくしていると、不意に怒声が突き抜けていた。

「おい、ヒンシ! てめぇらばっかモチ食いやがって! オレにも残しとけって言ったろうが!」

「しょうがないだろ。整備班だってこの時期くらいはゆっくりしたいんだから。それに、お餅だって日持ちしないし、食べられる人間から食べておかないと」

「……納得いかねーぜ。どうせあの古屋谷のデブが全部食っちまったんだろ?」

「古屋谷はあれで何だかんだお雑煮大好きだからねぇ。そりゃ食べるんじゃないか」

 その結論に両兵はケッと毒づいて格納庫から歩み出していた。

「デブの胃袋に収まるんじゃ、モチも浮かばれねぇよ。……って、てめぇら雁首揃えて何してンだ? モチ食いたけりゃ、とっとと食ったほうがいいぜ。カナイマじゃ速い者勝ちのルールだからな」

 そう説明する両兵に青葉は問いかけていた。

「ねぇ、両兵。お正月って分かるよね?」

「あン? 馬鹿にしてんのか。それくれぇ分かるっての」

「……じゃあどんなのだってのよ、両」

 むすっとした南に両兵は指折り数えて説明し出す。

「えーっと、確かあれだろ? 明けましてだか何だとか言って、んでモチを食ってみかんやらを食べてごろごろすンだよ。そうしておくと御利益があるらしいぜ」

「ち、違うよ! そんなんじゃないってば!」

 反発すると両兵は胡乱そうにこちらを見やる。

「じゃあどんなのだってンだよ。言っとくが、こっちでまともに正月の催事だとかやってンのってジジィ連中ばっかだぜ? 山野のジジィなんてこの時期ばっかりは普段は信じもしねぇ神様ってのに拝みやがる。ったく、んなもんに縋るくらいならモリビトを万全にしてくれってんだ」

「しょうがないだろ。親方は形式をしっかりとする人なんだ。今も多分、本国から呼んだお正月の関連行事をしてくれる人にお祓いを頼んでいるところなんだから」

「……お祓い……? 人機の、ですか?」

「青葉さん? うん、まぁ……。何だかんだで物にも人にも神様って宿るって言うのは日本人の信仰心だから。親方はこの時期には出払っちゃって、人機のお祓いを済ませているんだ。もちろん、今回はヘブンズの《ナナツーウェイ》も合わせてね」

「えーっ! 私たちのナナツーを変に弄らないでよ!」

 南の悲鳴めいた声に川本は諌める。

「まぁまぁ。何もどこか弄るってわけじゃないよ。ちょっと神様に頼むだけなんだから」

「……それって、ヘブンズを信用してないってこと?」

 むっとして恨めし気な視線を送る南に、川本は言葉を濁す。

「いやいや、そうじゃないんだってば。むしろ信用しているからこそのお祓いで……」

 南はどこか得心がいかないように腕を組んで憮然としていた。

「……私らのナナツーを勝手にオハライとかされたんじゃ、困るってもんなんだけれど……」

「困るのは南だけでしょ。私はどうとも思わないし」

 澄ました様子のルイに南が地団駄を踏む。

「クールにしちゃってまぁ! ……ったく、あんたも何か言いなさいよ、両。日本の行事なんでしょ? 納得のいく説明をしてよ」

「……ンなこと言われても、オレだってこっちに居るほうが長いんだよ。てめぇらと一緒さ。日本が故郷って言われてもどうもピンと来ないもんがあるンだよなぁ……」

 しかし、南も両兵も同じ日系なら、何か感じるものがあるはずだ、と青葉はルイの手を引いていた。

「ルイ! お正月ならあれしないと! 書初め!」

「……ちょ、ちょっと待ちなさいよ、青葉。……何? カキゾメって?」

 まさか、それすらも知らないのかと呆然としていると、ルイは南へと視線を振る。彼女も同じようで首を横に振っていた。

「……知らないんですか? その……書道みたいなもので……」

「あー、書道? それなら分かるわ。ルイ、あれしましょ。たまにしかやらないものねぇ」

 そう言って南が取り出したのはバトミントンの羽根とラケットで、お互いにラリーを交わしてから、ミスした南の頬っぺたへとルイが墨汁を浸した筆でバツ印を書く。

「これでしょ?」

「南、ワンミスだから両方の頬っぺたに一回ずつね」

「……いや、それって羽子板……。しかもバトミントンですし、色んな意味で間違ってるんですけれど……」

「んー……? これじゃないの?」

「毎年やっているわよ、私たちは」

 二人は第二ゲームに入っていく中で、ため息を大仰につくと、両兵が目ざとく察知する。

「……何だ、青葉。お前、正月とか、そんなもんにこだわってんのか」

「こ、こだわっているって言うか……これ見て何にも思わないの? 両兵は」

「はぁー? キンガシンネンだろ。毎年ジジィ共のやらかす道楽だし、何とも思わねぇよ。……ったく、何がそんなにめでてぇのかねぇ……。まぁ、こちとら貴重な食料であるモチだけは食えるからいいがな。あれ、腹持ちもいいし」

 どうにもアンヘルの者たちは少し正月を間違った感性で受け止めているらしい。

 そう思っているうちにルイと南のゲームが進んでいくので、余計に何か物悲しかった。

「……あの、青葉さん? 両兵も馬鹿だからさ。お正月をきっちりしていないのは、……何だかちょっとだけ申し訳ないんだけれどでも、しょうがないと言えばそうなんだ。僕もお正月の行事ってこっちに来てからおざなりだったし、こうして唐松を置いてくれるのはいつも親方たちだからね」

「誰が馬鹿だ。……ったく、つまんねーことにこだわり過ぎなんだよ、てめぇも。正月に何か、辛ぇものでもあんのか?」

「……別に辛いものはないけれど……。誰も祝わないお正月ってちょっと……ううん、かなり寂しいんじゃないかな……」

「そうか? オレはこれに慣れちまってるからよ。誰かが祝う必要のあるものってのも納得いかんが……」

「それは両兵がこっちに来ちゃったからじゃない。……あのまま日本に居たら、もしかしたら……」

 もしかしたら、なんていう未来予想図。そうはならなかったから、こうして再会できたのもあるが。

「もしかしたら、何だよ」

「……何でもない。両兵のばーか」

「な――ッ! 馬鹿とは何だ、馬鹿とは! 操主として中途半端なくせに口ばっか達者になりやがって! ……よぉーし、こうなりゃヒンシ! オレらでこいつにこっちの正月ってもんを教えてやろうじゃねぇの」

 腕まくりした両兵に川本は辟易する。

「教えてやるって言っても、親方たちはお払いに出払っているし、あんまり勝手なことはできないよ?」

「なに、要はカナイマ流ってのを教えてやりゃいいのさ。来やがれ、青葉。てめぇの言う正月とこっちの正月、どっちがいいのか勝負しようじゃねぇか」

「ど、どっちがいいって……別に私は勝負なんて……」

「ンだよ、逃げんのか?」

 そこで青葉はガラにもなくカチンと来てしまう。別に勝負を吹っ掛けられたからではない。

 何だか日本に居た頃の正月まで馬鹿にされたようで悔しかったからだ。

「……分かった。でも、両兵の言うお正月って絶対に間違ってるから」

「吼えんじゃねぇの。じゃあヒンシ、審判やれ、審判。お前、日本に居た歴長いだろ? ならどっちの正月が正しいのかくれぇは分かるはずだ」

「えー……後で親方にこっぴどく怒られるの僕なんだからね……。まぁ、でも青葉さんの納得いくお正月をしてあげたいのは事実だし、三本勝負くらいでどう?」

「……はい。私も日本のお正月で負けたくないですから……!」

「……へぇ、瞳にいっぱしの闘志だけは浮かべやがる。じゃあ一本目だ! ヒンシ、勝負を決めろ」

「もう、身勝手だなぁ。じゃあ、ちょうど南さんとルイちゃんもやってるし、羽子板でどう?」

「羽子板ぁ? ……って言うのか、これ」

「いやまぁ……厳密にはバトミントンになっちゃうけれど」

「ちょっと、ルイ! あんたさっきからネット際攻め過ぎよ! ズルいじゃないの!」

「弱いのが悪いのよ」

 南の顔はほとんど真っ黒けなので青葉は思わず吹き出してしまう。両兵がラケットを受け取って勝負の場に躍り出ていた。

「よぉーし、じゃあオレは黄坂のガキとチーム組むぜ」

「あっ……ズルい! ルイが強いからって……」

「ズルいもクソもあるか、アホ。オレは負ける気はねぇからな」

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