ゲーマーたちが興奮に湧く一方で、両兵は筐体を叩く。
「くそっ! 負けるわきゃねぇのに何でだか負ける! 柊、百円だ、百円。勝つまでやる」
諦めの悪い両兵へと、赤緒は慎重に百円玉を差し出す。
「小河原さん? お金ももうないんですけれど……」
「じゃあどっかで崩してこい。ここまでやってきたンだ。相手の手も少しは見えてきたはずさ。なら、次は勝つ」
力強く言い放つものだから赤緒も止める言葉を持たず、そのままゲームセンターの中をとぼとぼと歩く。
「えっと……両替えって言ったって、元のお金がなくなっちゃう。もうっ、何でこんなことに、なっちゃったんだろ……」
思い出そうとして赤緒は白昼の憎々しい晴天を仰いでいた。
「――柊。ちぃとばかし、外に出ねぇか? 用事があンのなら後にするけれどよ」
あまりにも物珍しいことに赤緒はきょとんとしてしまう。
「……どうした? ハトが豆鉄砲食らったみたいな顔しやがって」
「えーっと……勘違い、とかじゃないですよね。私の後ろに誰も居ませんし……」
いつものパターンを想定したのだが、自分のほかには誰も居ない。今一度、両兵へと向き直って確認する。
「私、ですか……?」
「おう。他に誰が居る。時間あるかって聞いてんだよ」
「そ、それってその……で、デー――」
「デ? 何言ってんのか分かンねぇけれど、外に出るんなら時間はあんのかと聞いてるんだ。何だ、用でもあるのか?」
「い、いえっ! 今は休み時間ですし……神社の祭事もないので……」
「じゃあ好都合じゃねぇの。ちょっくらついて来い。……どうした? やっぱり用事が、ならやめとくが」
「い、いえいえっ! その……お出かけの準備をしますね!」
大慌てで部屋に取って帰すと両兵がその背中に呼びかける。
「できるだけ時間かけんなよー」
早鐘を打つ鼓動を抑えながら、赤緒は鏡の前で身支度を整えていた。
「ど、どうしよう……。これってデート……だよね?」
しかし両兵が自分を誘うなどかつてない事態だ。これは慎重に行かなければ、と赤緒は服を選ぼうとして両兵が呼びかけたのを耳にしていた。
「おーい! 時間かけんなってば! すぐ行かなきゃいけねぇんだ」
「……もうっ、小河原さんってば……。女の子にはそれなりに時間がかかるんですー! ちょっとは待ってくださいよー!」
「待てねぇんだっての。……ったく、今日はてめぇが必要なんだ。来てくれねぇと困るんだよ」
これほどまでの剥き出しの好意を向けられることも珍しく、赤緒は天地がひっくり返ったのではないかと危惧してしまう。
「どどど……どうしよう……。こんなの聞いてないよぉ……」
だが時間をかけているような余裕はない。どういう風の吹き回しかは知らないが千載一遇のチャンスには違いないのだから。
「……えっと……恥ずかしくない格好は……。私ってば、駄目だなぁ……こういう時の服、全然持ってない……。五郎さんに……ううん! 私だけで何とかしなくっちゃ!」
いつもならば五郎に相談するのだが、今は誰かを頼ってはいけないのだろう。
赤緒は考えに考えた末に、いつもの巫女服のもしもの時の替えである一張羅を羽織って、両兵の前へと駆け出していた。
「その……お待たせしました……」
「遅ぇンだよ。ったく、女は時間がかかっていけねぇな。ま、それでも早いほうか。とっとと行くぞ」
「あっ! 待ってください! ……その、腕……」
「腕ェ? 腕がどうかしたかよ?」
「いえ、その……こういう時は腕を、その組んだりとか……ごにょごにょ……」
「何言ってんだか聞こえねぇぞ。ハッキリ喋れ。……あー、言い忘れていたが柊。金はあるな?」
突拍子もない質問に面食らってしまう。
「あ、はい……まぁまぁ……」
「まぁまぁじゃ駄目だ。それなりに持ってこい。今日行く場所は特別だからな」
「わ、分かりました……。それなりに、ですよね」
慌てて部屋に戻って財布にお金を入れている途中で疑問に感じる。
「……お金の要る場所って、どこだろ……。高級レストランとか、かな……。でも、小河原さんだし。入ったところで追い返されちゃいそう」
そう考えると少しだけ可笑しかったが、あの万年守銭奴の両兵が金のかかる場所だと言うのだから、きっとそれなりの場所なのだろう。
赤緒はとっておきの貯金箱からいくらか財布に入れて両兵の待つ石段へと走っていく。
「お待たせしました……」
「おう。それなりに持ったな?」
何度も確認するということはよほどなのか。勘繰るのも少し憚られて、赤緒は曖昧に頷く。
「み、巫女服でいいんでしょうか……? そういう場所って……」
「あー、構わんだろ、別に。追い返されたりはしねぇから安心しろよ」
それには胸をなで下ろしつつ、赤緒は両兵の後ろをほぼ三歩分だけ離れて付いていく。
「あのー、小河原さん? やっぱり駄目とか言われないですよね?」
「……何の心配してンだ? まぁ分からんでもないが、慣れない場所だろ、てめぇは」
「ええ、はい……。怒られたりとかしないですかね……」
「……誰が怒るんだ?」
「……お店の人とか」
「巫女禁止って店はねぇだろ」
「そ、そうですかね……あはは……」
乾いた笑いを浮かべても慰めにもならない。もし高級料理店であった場合は即座に浮くであろうことは確定である。
「……しかし、てめぇが居てよかったぜ。他の連中を連れ回すには気が引けてよ」
「そ、そうですか? ……他のメンバーでもよかったんですかね……」
「いや、お前が適任だ。その点じゃ、ある意味幸運だったな」
そこまで持ち上げられるとむずむずと背中がかゆくなってしまう。
「そ、そんなに言われるほどじゃ……」
「おー、ここだ。ここ。ホレ、近かったろ?」
「えっ、もう高級料理店に……って、ここって……」
視界の中にあったのは高級料理店の想定とは正反対な、さびれたゲームセンターであった。
「あのぉ……小河原さん? ここってゲームセンター……ですよね?」
「ああ、そうだが?」
「……私を連れて来たかったのって、ここですか?」
「それ以外にどこがある? まぁ入れって」
もしかすると、見た目がゲームセンターなだけで、中身は高級料理店――そんな淡い幻想を抱きつつ、赤緒は両兵の背中に続くと、思った通りのゲームの喧騒と滞留したタバコの臭気が漂ってきてむせてしまう。
「何やってんだ。まだ入って数歩目だろ」
「だ、だって……。ヤニくさい……」
「そう言う場所だ。何だ、分かって来たわけじゃねぇのかよ」
「おっ……小河原さんが来いって言うから――!」
「ん? オレは来いって言ったか? 時間があるか、暇じゃねぇなら別にいいとは言ったが」
「……そう言えば来いとは言われてない……」
今さらの事実と、そして自分の期待が見事に裏切られたことに落胆のため息をついていると、両兵は目ざとく渋面を作る。
「何だ、そのツラ……。期待外れって顔すんなよ、分かりやすい奴め。まぁ、でも、そこまで期待外れでもねぇかもしれないぜ。面白ぇもんが見れるからよ」
「面白いもの……。い、いえっ! でも五郎さん言ってました! ゲームセンターは不良の溜まり場だって!」
「……半分当たりだから言い返せねぇが、ま、そんなつまんねーもんを見せるつもりはねぇっての。こっちだ、こっち。格ゲーコーナーだな。いつもの奴が居るはずだぜ」
「……いつもの……?」
その時、一際大きくゲームセンター内の群衆が湧いていた。
格闘ゲームコーナーを中心にして人垣ができており、彼らは一様に熱狂しているようである。
「すげぇ! あんな空中連撃見たことねぇ!」
「あのコンボは新技だ! まだ誰も編み出してないはずだぜ……!」
様子を窺っている間にも、その反対側に居た対戦相手は大慌てでレバーとボタンを弾いていくが、すぐさまノックアウトされてしまう。
「やっぱり違うぜ! このゲーセンの神は!」
「……神? ゲームセンターの?」
人垣の中心を覗き見ようとするが、熱狂が強過ぎてまともには見えない。
「やられたら席を譲りな。オレがやる」
歩み出た両兵に対戦席側の人々がどっとどよめいていた。
「お、おい……あれは――ゲーセン破りの小河原両兵じゃねぇか!」
「……ゲ、ゲーセン破りの小河原両兵?」
思わぬ異名に赤緒がたじろいでいると、両兵はちら、とこちらを見やってから席に座り込む。
「柊、バックアップは任せたぜ」
「ふぇっ……? バックアップって……?」
こちらが理解できないでいると、ゲームセンターの人々が口々に声にする。
「……なるほど。今回の相手は如何にゲーセン破りの小河原両兵とは言え、このゲーセンの神……。お財布を用意してきたわけか……」
仔細にこちらを分析する人々の眼に、赤緒は困惑する一方だ。
「お、お財布……? ……小河原さん?」
「だから金持って来いって言っただろ? 一発二発で勝てるとは思っちゃいねぇ」
「し、勝利宣言だ――ッ! ゲーセン破りが神相手に勝利宣言をかましたぞ!」
盛り上がる群衆とは対照的に赤緒はこんなことに呼ばれてしまったのか、とがっくし肩を落とす。
「……あの、小河原さん? 無駄遣いは駄目ですってば」
「無駄じゃねぇ。ここで神とやら相手にかましておけば、このゲーセンもオレの勝利した陣営のうちだ。……ここ最近、まことしやかに聞くようになって来て気になってたンだよ……。このさびれたゲーセンの神とやらの噂をな」
「……で、でもたかがゲームじゃないですかぁ……」
「たかが、だと? ……おい、柊。言葉にゃ気を付けろ。この場所で、次にたかがゲームなんて言った日には命の保証はできねぇ」
思いも寄らぬ真剣な声音にまさかと一笑に付そうとして、張り詰めた緊張の空気に口を噤んでいた。
「……でも、小河原さん、ゲーム得意じゃないですか。なら勝てるんじゃ……?」
「いや、オレもそいつの噂ばかりで実際に手合せ願うのは初めてでな。男か女かも分からねぇが、強いのは確か。なら、勝負するに限るぜ」
どうやら両兵の闘争心に火が点いたらしい。なら、ここでいくら声をかけても野暮と言うものだろう。
「……じゃあ、その、私は最初からお財布代わりってことですか?」
「……他に何がある?」
全く悪びれもしないで言うものだから、赤緒は怒りを通り越して呆れ返ってしまう。
「もうっ! ……小河原さん、しばらくはご飯質素にしますからね!」
「あっ、それはねぇだろ……って、やべぇ、始まっちまった! ……なろっ! 先制はやるかよ……ッ!」
両兵がボタンとレバーさばきで瞬時に相手の間合いに入る。
だが敵も心得ているのか、すぐさま距離を取って遠距離戦法に入っていた。
両兵の使うキャラクターはパワータイプのいかにもな風貌なのに対して、相手の使うのは女性キャラでなおかつ、足技メインの技巧タイプである。
足から巻き起こした旋風で両兵のキャラを遠ざけつつ、機会を窺っているのが分かった。
「……距離を取らせて時間いっぱいってやり口か。……ならオレは負けねぇな。そんなへっぴり腰なやり方で!」
両兵のキャラがガードを繰り返して敵の攻撃を掻い潜って射線に潜り込む。
拳が咲く前に敵のキャラが跳躍していた。
だが、素人の赤緒でも分かる。
ジャンプは最大の隙だ。
「もらったぜ! そのまま一撃をかまして――!」
両兵のキャラがパワーを武器にして上昇の拳を見舞おうとして、不意に相手のキャラが姿勢を崩していた。
「……わざとジャンプ中の姿勢を崩した?」
「ンなこと可能なのか?」
驚愕する両兵に対して、敵が拳を潜り抜けてそのまま踵落としを見舞う。
入ったその一撃を嚆矢として続けざまの連撃が咲き、両兵は反撃すらも儘ならないようであった。
「なろっ! このっ……!」
立て直そうとすればするほどに、逆に相手の攻撃のるつぼに入っていく。
パワーキャラが押され、そのままKOに持ち込まれていた。
「……負けた……」
信じられないように画面を見つめる両兵に比して、ゲームセンターはより熱く熱狂の渦に巻き込まれる。
「すげぇ! ゲーセン破りに一発すら与えないなんて!」
「やっぱり神は違うぜ!」
その言葉に、カチンと来たのが空気で伝わる。
両兵は無言でこちらに手を差し出していた。
「……柊、コインだ」
「あのー……大きめのお金しか持ってないんですけれど……」
「何ィ? ……なら崩して来い。どこのゲームでもいいからやって崩して来い。どうせお前じゃすぐ負けンだろ。クレーンゲームでも構わねぇ」
「そ、そういう問題……? もうっ、横暴なんですから……」
「いいからッ! ……要は最終的に勝ちゃいいんだ、勝ちゃ。それならどれだけ汚名を被ったって取り返せる」
「も、もう……。じゃあちょっと崩してきますから、それまでは自分のお金で何とかしてくださいよ……」
「おう。とっとと負けて来い」
負けて来いと言われるのは癪で言い返したかったが、両兵は既に次の戦いへと臨戦態勢に入っているので言えないまま、赤緒は大仰にため息をつく。
「……でも、ゲーセンの神、か。……どんな人なんだろ……?」
「――とか何とか言っている間に、もう十五連敗ですけれど……」
「うっせぇ。柊。コイン」
「……もうないですよ。また崩してこないと……」
「何ィ! ……じゃあどっかのゲームで負けて来い。このままじゃ……退けねぇ……」
すっかり勝負にのめり込んでいる両兵を他所にして赤緒は嘆息混じりにクレーンゲームへと向かい合う。
能天気な音楽と共にクレーンゲームが開始されるので、赤緒はレバーをひねってぬいぐるみを取ろうとすると、そこで声がかかっていた。
「あれ? 赤緒じゃん」
「た、立花さん……に、ルイさんも……。えっ、何で……?」
「何でってこっちの台詞。ボクとルイはここは馴染みなんだ。よく来るんだけれど……あれー、赤緒。もしかして不良になっちゃった?」
「な、なってませんよ! なってません! 私はクレーンゲームをしているだけですので!」
大慌てで弁明すると、エルニィは面白がって肩を叩く。
「まぁまぁ。こっちだって赤緒が不良になるなんて信じちゃいないってば。……でも、純粋に何で? だってクレーンゲームとかわざわざやりに来たわけじゃないでしょ?」
「そ、それは……そのぅ……」
両兵に騙されておめおめとついて来たとは言い出せずにいると、ルイが自分の掴んでいるレバーを上から手で押さえて咄嗟に持ち堪えさせる。
「あっ……すいません、ルイさん……」
「こんな反射神経の人間がゲームに向いているとは思えない。赤緒、何か隠してる?」
目ざといルイに赤緒は思わず首を横に振ってしまう。
「い、いえっ! その……何も……」
「……本当に?」
じーっとこちらを見据えてくるので赤緒は根負けして奥でまだ勝負に明け暮れている両兵へと案内していた。
「実はそのー……かくかくしかじかで……」
「何だ、両兵も来てたんだ」
「あン? 何だ、立花か。……っと、今話しかけんなよ。このコンボさえ決まれば……あとはパワーで押せば……っと……」
舌打ち混じりに両兵のキャラが連撃を繋いでいくが、それを相手のキャラは華麗に回避して回り込み、そのまま逆に連撃を浴びせ込んで一気にヒットポイントを削っていく。
三秒もしない間に両兵のキャラはまたしてもボコボコにされていた。
「だぁーッ! 何で勝てねぇ……。柊! 連コインだ」
「は、はい……。とまぁ、こんな感じで……」
「なるほどねー。赤緒はお財布ってわけだ」
分かってはいたことだが、いざ言葉にされると何だか情けなさが勝ってしまう。
「うぅー……それは言わないでくださいよぉ……。でも、本当に勝てないんだ……。一回くらいは勝っていいものなんじゃ……?」
「甘いね、赤緒。格ゲーで一回でも、何ていうのは相手が手を抜いた時以外は成立しないんだ。見たところ、コンボも、それに回避も凄腕じゃん。こんな使い手が居るんだねぇ。いやぁ世界は広いや」
感嘆するエルニィに赤緒はじとっと言葉を振り向ける。