「な、何だ、ヒヒイロ。しっかり聞いていたぞ」
「……嘘が下手じゃのう。何を気にして……ああ、あれか」
軒先に飾られていたのはきゅうりとナスに棒を突き刺した精霊馬である。この時期ならではの風物詩だ。
「……ひ、ヒヒイロ。オリハルコン以外にも、まさかアーマーハウルが構築できるのか? あれはどう見ても創主様が食べているような野菜にしか見えないんだが……何であんな妙な形をしているんだ?」
どうやらレイカルの疑問はそこらしい。確かに馬を模した形状の見たことのない代物ならばアーマーハウルに映っても仕方ないのかもしれない。
「あれは精霊馬と言って、お盆の時期に見られるもので……」
「お盆? お盆って創主様がずっとため息をついていたあれじゃないのか? 何だかこの時期は帰らなくっちゃいけないような気がして、憂鬱だって言っていたぞ!」
「……作木殿はそんなことを。まぁ、しかし帰省シーズンには違いないからのう。作木殿は実家に何か遠慮でも?」
カリクムへと目線を配るが、当然彼女が知っているはずもない。
ならば、とヒヒイロは扇風機の前で涼んでいる小夜とナナ子へと話題を振っていた。
「お二人はご存知で?」
「……うーん、それが作木君、実家に関しては何にも言わないのよねぇ。私も挨拶したいくらいなんだけれど……」
「実家が遠いって言っていたような気がするわね。そのお家とのいざこざがあるのかも」
小夜もナナ子もよく知らないらしい。その上レイカルも知り得ないということは、この場で知っている人間は居ないということだろう。
「ふぅーむ……当の作木殿は? 今日は来られてはいないようではあるが」
「創主様は何だか次のイベントだとかのために家にこもり切っていて……。ヒヒイロ! やっぱり心配だ! 帰って、いいか……?」
「作木殿が心配と言うのは、どういう意味でじゃ?」
「だっておかしいじゃないか! 創主様は普段なら食べ物に困っていらっしゃるのに、あんな……似非アーマーハウルみたいなのを作っちゃうなんて……!」
どうやら精霊馬をアーマーハウルの疑似的なものだと勘違いしているらしい。
その間違いからか、とヒヒイロは額を抱える。
「よいか? レイカルよ。人の世には、祖先の霊が帰ってくる時期と言うものが存在する。それがお盆と呼ばれていてのう。供養のために、故人の魂があの世とこの世を行き来するための乗り物が、あのようなきゅうりやナスであるとされておる」
「……何できゅうりとナスを飾るんだ? 食べたほうが美味しいだろ?」
「……お主の結論は食欲に帰結するのう……。諸説あるがきゅうりは足の速い馬に見立てられ、幽世から早く帰ってこられるように、ナスは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世へと戻るのが少しでも遅くなるように、と言われておる。またそれぞれが食べ物なのは供物の意味もあると言うが……」
「……じゃああれは、アーマーハウルじゃないのか?」
「最初に言ったであろう。あれはそういう類の人間の文化なのじゃと。そう言えば、ラクレス。お主は欧州の出なれば、こういう日本の文化は不慣れじゃったか?」
レイカルとカリクムの鍛錬を横目で眺めていたラクレスは妖艶な笑みを浮かべてみせる。
「いいえ。私も日本が長いわけではないから、戸惑うところはあったけれど……そういうものなのだと割り切ればいいだけの話よ」
「そうか。まぁある意味では賢い見方じゃのう」
下手に文化に対して斜めに見るよりかはいいはずだ。そう感じたヒヒイロは、レイカルの視線が相変わらず精霊馬に固定されていることにため息をつく。
「……乗ってみるか?」
「いいのか! ヒヒイロ! ……あっ、でもやっぱり駄目だ。創主様に、あれには触っちゃ駄目って言われてるんだった……」
憂鬱の原因はそれか、とヒヒイロは察する。
「要はお前、アーマーハウルもどきみたいなものを創主が大切にするのが解せないんだろ? 子供だなー、レイカルは」
カリクムの言葉にレイカルはむっとして応戦する。
「な――ッ! じゃあカリクム! お前の創主はどうなんだ! あのアーマーハウルもどきを作ってもくれないだろうに!」
「それは……」
潤んだ視線を向けられた小夜は、しょがないわねぇ、とすくっと立ち上がる。
「……カグヤの、でしょ。あんたの思っていることは分かりやすいんだから。えーっと、削里さん? きゅうりありましたっけ?」
「いや、今は切らしていてね。この時間帯なら涼しいだろう。買いに行ってもらえるかな」
「買いにって……精霊馬をわざわざ作るために、ですか?」
「余ったら冷やし中華の材料に使えるだろ? ナスもきゅうりも。今日の晩飯は決まったな、ヒヒイロ」
削里は詰め将棋の本を眺めたまま、こちらに意見を投げる。
「それはよろしいですが、真次郎殿。作るのは私ばかりということにはならないように」
「ああ、分かっているとも。今日は俺が振る舞おう。二人とも、それにレイカルたちにもね」
削里がいつになくやる気なのは、ここ数日間続いた鬱陶しい雨模様の天気が、今日ばかりは晴れていたからだろう。
この時期の雷雨は激しくなりやすい。
その鬱陶しさを紛らわせるのならば、自分が厨房に立つくらいはわけないという意味だ。
「……削里さん、料理作れるの?」
ナナ子の疑問に削里は詰め将棋の本を捲りつつ応じる。
「俺はこれでも一人の時期が長いんだ。ヒヒイロが何でもしてくれるわけでもないからね。できる限りは身体を動かさないと何もかもなまってしまう」
「へぇー、意外……。削里さんって何でもかんでもヒヒイロ任せなんだと思っていたわ」
「……俺、そんな風に見えていたのか……。まぁいいけれど。二人とも、それじゃ材料調達はよろしく」
そう言ってすごすごと退散した削里に、小夜とナナ子はすっかり体よく任せられたのだと実感する。
「……この暑さの中出るのー? 小夜ー、バイクで一気にかっ飛ばしちゃいましょうよ。そうすればちょっとは涼しいかも」
「……いいけれど、あんたサイドカーよ? またおちょくられない?」
サイドカーを取り付けたバイクを窓越しに見やると、ナナ子はふんと腕を組んで憮然とする。
「失礼しちゃうわよね! この間、私が乗っているのを見た子供が、妖精って本当に居たんだ、ですって! これでも大人のレディなのよ!」
「はいはい。大人のレディはそんなことで怒らないのよ。にしたって、レイカル。作木君の家にも精霊馬ってあるんだ?」
ようやく本題に戻るとレイカルは少しだけ目線を伏せて、不思議そうに首をひねっていた。
「そうなんだ……。創主様、何であんなアーマーハウルもどきなんて作るんだろう? ヒヒイロ、何でだと思う?」
その質問にヒヒイロは腕を組み、「憶測で物事を語るものではないが」と前置きする。
「作木殿は何か……故郷に帰れない事情があって、その事情を汲んで精霊馬だけでも作っているのではないか? やましい何かが作木殿にあるとは思えんのだが……」
「あ、あるわけないだろッ! 創主様だぞ!」
いきり立って反発するレイカルに、ヒヒイロはなだめる。
「まぁまぁ。だからないとは思うが、と言ったじゃろう。それに、ワシの言っていることも推測に過ぎん。何でもかんでも分かっておるわけじゃない」
「……ヒヒイロでも分からないのか……?」
「作木殿のオリハルコンはお主じゃろう? なら、お主が聞けばいいのではないのか?」
「でも……何だか難しいんだ……。創主様、あれを玄関前に置いて……それで何だか、申し訳なさそうな顔をしているし……。私が聞いちゃ駄目なことなのかもしれないだろ……」
「意外ね、レイカル。あんたでもそういう空気になることあるんだ?」
小夜の言葉にレイカルはぶんぶんと首を横に振る。
「こんな気持ち、本当は嫌だ! でも……創主様のことを考えないのは……もっと嫌なんだ……」
沈んだ調子のレイカルにヒヒイロは小夜たちと視線を交わす。