元手にしようと思っていた廃品同然の《ナナツーウェイ》は街に着いた途端に砂のように融けてしまった。あれでは使い物にならないだろう。
如何に人機が一般人にとっては物珍しくっても、耳目を引くのにはポンコツでは足りない。
「……しかし、どれもこれも……バイトってやったことなかったな、そういや」
頭を使う仕事は苦手なので、必然、肉体労働へとシフトしていくのだが、そうなってくると、今度は経験がないのも問題だ。
「フォークリフト……動かしたことねぇけれど、何とかなっか。人機動かしていたくらいだし。後は、道路工事に、資材運び……どれもこれも、なかなかにハードな仕事ばっかだぜ。その割にゃ、日系の人間ができることなんて知れてるからな。国籍不問じゃねぇと……」
むぅ、と何度も何度も求人票と睨めっこをしていると、不意に呼び止められる。
「もし、そこの……」
「あン? オレか?」
呼びかけてきたのは民族衣装を身に纏った老婆である。老婆は薄い笑みを浮かべながら手招く。
「面白い相をお持ちだ。占ってあげよう」
「辻占かよ。生憎、そんな余裕はねぇンだ。とっとと失せな、ババァ」
「まぁそう言わずに。あんた、職に困ってるんだろう?」
見抜かれて両兵は老婆へと向き直るが、よくよく考えてみれば、求人票をずっと見ているのだからそれくらいは分かって当然。
「……金は出さねぇぞ」
「そんなのはよい。占うに値する人間が大概、こういう仕事をしていると一人や二人は一生のうちに出て来るものさ。いいから占わせておくれ」
「……しつけぇ、婆さんだな。んじゃ、占ってくれよ。仕事運とか」
老婆に招かれて路地裏へと歩んでいった両兵は手相を見られた後に、何度か虫眼鏡で人相を覗かれる。
睨み返していると、なるほど、と老婆が口にしていた。
「お前さん、連れが大変なようじゃないか。そのせいで金が要るのだね」
「言っとくが、その程度じゃ驚かねぇぜ? 適当なことでも言っときゃ誤魔化しなんて後でいくらでも利くからな」
「慎重なのはいい。とてもいい証拠だ。しかし、仕事がなく困っている、と」
「ああ、まぁな。単純な肉体労働なら日銭も稼げるんだが、やっぱり長持ちしねぇ。かと言って、時間はかけられねぇんだ。ここに居るのも数日程度さ。できるなら旅費が完璧に稼げるくらいの仕事が欲しい。そういうの……あんたに言っても無駄か」
やはりこれまで通り、地道な努力を続けるほかないのだろう。
そう思って踵を返しかけて、老婆の声が遮る。
「まぁ待つといい。いい仕事ならばある。西の三丁目の五番路地に行くといい。そこで仕事を請け負っている」
思わぬ言葉であったが、両兵は訝しむ。
「……嵌めようったってそうはいかねぇぜ。日本人は珍しいんだろ。オレから巻き上げようったってンな金なんて――」
「そうではないとも。お前さんの役に立ちたいんだよ。やっていることは今までで一番真っ当だ。下手な仕事を掴ませようって言うんじゃない。むしろ、逆だ。今逆風の中に居るお前さんたちを助けてあげたいんだよ」
老婆の言葉は怪しいが、確かに逆風には違いない。
医者に払う金も滞納しつつある。如何に日銭稼ぎに自信が出始めたとはいえ、ここいらで一発当てたいのは本音だった。
「……婆さん。あんた、その仕事の斡旋者か?」
「そんなご大層な代物じゃないよ。お前さんの眼がどうしても、その連れを助けたいと言っておるのが分かってな。なら手助けをするのもやぶさかではないと思っただけだとも」
「変わってるぜ。こんな南米の片隅で日系人助けたって得なんてしねぇはずだ」
「なに、年寄りの道楽だと思ってくれて構わんよ。仕事が要るのは確かなはずだろう?」
それは今さら問い返すまでもない。ここで仕事を手に入れなければ青葉に合わせる顔もないのだから。
「……いいぜ。行ってやる。ただし、オレが従うかどうかまではその時次第だ。あと、本当に占いの金はねぇよ」
「なに、金銭にこだわりはしないとも。何ならそのポケットに入っている青い石の欠片でもいい」
両兵はその言葉でポケットに入れておいた血塊の欠片を意識する。
循環路に詰まっていた血塊の石の一欠片を老婆に向かって指で弾いていた。
老婆はキャッチして喉の奥で笑う。
「ひっひっ……毎度あり……」
「気味の悪ぃ婆さんだ。……ったく、オレみたいな人間に声をかける時点で趣味が悪いにも程があンだろ」
とはいえ、本当に仕事の斡旋ならばこれに勝る助けはない。両兵は老婆の言葉通りの場所に行き着き、そこで取引を待っているらしい黒服を発見する。
相手はこちらへと歩み寄り、胸ポケットから煙草のパッケージを取り出していた。ライターを探っていたので、二日前の工事現場で手に入れたライターを差し出してやる。
「すまんな」
「……仕事があるってのは、マジなのか」
目線を振り向けずに言葉をかけた両兵に黒服は応じて、写真を翳す。
そこに映し出されているシルエットに両兵は息を呑んでいた。
「そいつは……新しい人機か?」
限りなく人型に近い新型人機の威容が少しぶれたカメラで写されている。黒服は声を潜めていた。
「名称までは詳しくは知らないが、明朝までにこれが国外へと運び出されるという見方が強い。でき得るならばこれを破壊……いいや奪取が望ましい」
「……何だよ、ったく。結局は人機に関わっちまう仕事じゃねぇか……。いや、この国じゃ、もうその辺は下手な隠し立ても通用しねぇってわけかよ。……で? 流通ルートだとか、阻止に使う武器だとかは調達してくれるんだろうな?」
「二丁目の七番通路に行けば仲間が居る。彼らと合流した後、阻止に向かえ。入金はもちろん、それなりの額を用意するとも」
「そりゃ当然だろうぜ。人機の密約なんざ、この国のパワーバランスを覆しかねない。……だが、高い買い物だ。それなりのお偉方が関わっていると思うべきなんだろうな」
「下手な勘繰りはおすすめできないな。寿命を縮めるぞ」
「そりゃどうも。だがこちとら寿命なんていくらあっても足りない身分でな。明日だって生きていけるかイマイチなんだ。今日を生きるための金はたんまり貰うぜ」
「……この国を出て、目的地まで行けるくらいには用意しよう。なに、皆、優秀な人員ばかりだ。さほど時間も手間もかからないはずだ」
「そうかい。……そう信じたいね」
黒服はすっと懐から紙切れを差し出す。それは通行手形のようであった。
「符丁だ。これを作戦の要とする」
「……要はオレだって信用しているわけじゃねぇってこったろ?」
「念には念を入れておく。それが必要ならば、だ」
その言葉を潮にして黒服は立ち去っていく。両兵は写真の人機のタイプを思い返していた。
「……トウジャみてぇな仕様の人機だったが、あれなんかよりよっぽどオーソドックスな人型の人機……。前線に持ち込むにしちゃ、あの写真の下に記された日時は……」
一瞬であったが、両兵は見逃さない。
日時はつい一週間前のものであった。
「……もうこの国に持ち込まれていると思っても間違いじゃなさそうだな。あの婆さん、とんでもねぇ案件を持ってきやがったもんだぜ」
ぼやきながら両兵は指定された場所へと赴くとそこには数名の日系人が集っていた。
一人がおっ、とこちらに気づく。
「あんたもかい? えらく若いな」
「……まぁな。符丁ってのはこれでいいのか?」
差し出した紙切れに三人組は頷く。
「ああ、間違いねぇ。しかし、巨人をどうこうするってのはどうにも……嘘めいてはいるがな」
「鋼鉄の人形なんて本当に居るのかよ。まぁこうして四人揃ったってことは、あながち嘘でもないってことか」
どうやら三人中、二人は人機の存在を架空の物事だと捉えているようだ。髪を角刈りにした一人は三人の纏め役のようで、そんな二人を諌める。
「とにかく、だ。下手を打つとどうなるのか分からん以上、作戦には私情を挟まないのが吉だろうな。何を知っていようとも、口を割らないのがいいのと同じように」
角刈りはこの一件のことを少しばかりは知っている風でもあった。両兵は全員の風貌を見渡す。
さほど裕福でもなさそうな日系人三名――それも数年単位でこの国に居るような感じではない。
この仕事のために適当に寄せ集められた、偶発的な頭数と言った具合だ。
「あんたは? 名前を聞いておきたい」
自己紹介に入っていたらしいことを気づいた両兵は、少し悩んだ後に、短く応じる。
「小河原、だ。下の名前は言わねぇよ」
「それは賢明だ。私はヒサモト。他の二人は……」
二人とも名乗ったが、特に記憶に留めるほどではなさそうであった。
「しかし、デカい案件だ。巨人の足を止めろって言うのは、何かの暗喩か?」
「分からん。だが、何か大きなものが動いているのだけは窺える。この国で何かが起こるのか?」
「さぁ、そこまでは……。なぁ、ヒサモト。あんたは聞いてるのか?」
問いかけにヒサモトは応じる。
「……いいや、みんな似たような情報を掴まされているらしい。誰かが抜きん出る心配はなさそうだな」
ここで憂慮すべきなのは、情報の共有化の深度だ。
自分が人機に関して少しだけ有利だということを悟られてはならない。かと言って、いざ事態に飛び込んで見て、そこで何もできないでは不自然だろう。
下手なことは言わないに限る。両兵は言葉少なに語っていた。
「巨人相手にどうしろってのがまず無理な話だろ。武器とかはあンのかよ」
「全員分が現地で調達予定らしい。作戦時刻の三十分前には行き渡るはずだ」
「間に合うのか? 言っとくが、いざ銃を持ってみてそれで使い物になりませんでした、は御免だぜ」
「心配には及ばないとも。巨人の足止めに拳銃程度が使えるかどうかの問題は別としてもね」
確かに人機の数がたとえ一機だとしても、実銃程度では足止めにもならないだろう。
かといって派手なドンパチがあるとも思えない。国から運び出す予定の人機を前にして、要らない人死には避けたい方針のはずだ。
「……相手方の理由も分かんねーし、こっちはその作戦実行待ちってわけか」
「その通りだ。オガワラと私、それに二人はその時間までには準備を済ませておこう。もたらされるミッション次第では、ともすると激戦になる可能性も否めない」
両兵はヒサモトの一挙手一投足を観察しながら、街中を飛んでいくカラスの影を目で追っていた。
「――いいか? オガワラ。武装はこれだけらしい。準備はできているな?」
ヒサモトより問われて両兵はつい数分前に手に入った銃器を手で持て余す。
何の変哲もない、役に立つのかは限りなく微妙な装備である。
「……マジにただの銃だけとはな。本当に押さえられると思ってんのかよ。相手は新型機だろ?」
「国から持ち出されるのを阻止するのがあくまで目的の一つだ。誰も人機に勝てとは言われてはいないさ」
「……そりゃそうだろうが……」
『こちらB班、配置についた』
通信がもたらされる中で、ヒサモトは道の脇に入って弾倉を込める。
「ああ、こっちも準備完了だ。オガワラ、大丈夫だな?」
「ンなもん、とっくに覚悟してるっての。トレーラー車か? 何かで運び出されるんだとすりゃ……」
「相手もデカブツだ。それなりに気を遣っていでも難しいところはあるはずだとも。要は押さえられればいい。その機に乗じて、トレーラー車を奪取、ブツさえ押さえられれば何の文句もないはずだ」
「……ホントかよ。言っとくがな、オレは唾ぁつけられたくねぇんだ。こんな危ねぇ仕事、必要ないならやらない主義なんだよ」
「……言いたいことは分かるとも。秘密に触れる以上はその深淵まで覗き込む覚悟があるのかと言う……。だが今回は一回きりだ。我々もこの一回だけのチームだろうさ。いくら日系人の集まりと言ったところで、もう二度と顔も合わせないのが流儀のはず」
「……その通りなら、助かるんだがな」
視界の隅で恐らく新型人機を乗せたトレーラー車がゆっくりと動き出す。
「来るぞ。まずB班が足止めする。私たちはその隙を突いて、人機へとどちらかが搭乗。奪った後のルートは頭に入っているな?」
「誰に言ってんだよ」
人機の操縦ならば朝飯前だ。他の肉体労働よりかは遥かにマシ。
その感情が面持ちで伝わったのか、ヒサモトはにっと笑う。
「……頼りになりそうだ。では行くぞ」
B班に当たる二人がトレーラー車のタイヤをパンクさせ、そのまま固めた武装で行く手を遮る。
その機に乗じ、自分とヒサモトは新型人機を奪い取る――その手はずのつもりであったのだが――。
『お、おい……あれは何だ! 話が違う!』
悲鳴じみた通信の声にヒサモトが問い返す。
「どうした? B班、応答しろ!」
両兵は野生の本能で感覚する。
この臭気、独特の機械油と入り混じった身に染みた香りは――。
「……人機、か?」
宵闇に沈んだ街中で屹立したのは《ナナツーウェイ》の改造型であった。
腹腔に積層アーマーを取り付けられており、血塊炉を堅牢に守っている。
その部位へとB班が銃撃を見舞うも、相手の人機はろくに応戦もせず、足踏みだけで圧倒する。
「これは……まずいことになってきたようだ。このままでは全滅する! オガワラ、私は目標に乗ってから、この事態を打開――」
ヒサモトが言い切る前に、両兵はその銃口をヒサモトの背中にすっと向けていた。