「何か問題があったかい? ないはずだ。八将陣に関しては、何も」
「マージャに関してのブラックボックスと言い、あなたは秘密主義が過ぎるのよ。それでいて黒将の意思を引き継いだんだとか抜かされたら、離反者が出るのは目に見えている」
「それは君かい? それともバルクス・ウォーゲイルに関して?」
「……多くは問うつもりはないわ。これ、どういうことなの?」
一瞥を振り向けるとジュリは鋭い双眸を湛え、写真を翳していた。
映し出されたのはシバが処置に当たった個体である。漆黒の髪に、黒いコートをはためかせ、与えた《モリビト1号》を滞りなく稼働させたようだ。
「……どうも何も、それが最新鋭の個体だ」
「あの子の気持ちを考えたことがないのね。どういう心積もりで……八将陣をやっているのか……」
「考えたことなんてないとも。八将陣は常に駒だ。駒の気持ちを考える打ち手がいるかい?」
「……そういう考え方だって言うんなら」
引き金に指をかけたジュリにセシルは肩を竦める。
「……入れ込むのはいい。だが、八将陣がいざ壊滅に追い込まれるとすれば、そういう情なのだと思ったほうがいいとも。何を考えてそんなことをしている? 僕たちは、この世界を動かす側だ。動かされる側じゃない。人形に、下手な感情移入は邪魔なだけだとも」
「そりゃここに居るゾールたちはね。こいつらは意図的に人格を削ぎ落されているもの。でも、この子は違う……そうでしょう?」
問い返すと、セシルはナンセンスだと応じる。
「ゾールとの違いなんて些末なものさ。グリム協会がキョムへと提出した遺伝子サンプルの中にあった、人格のない戦闘人形の個体。それを増殖させ、そして培養している。自然の摂理からしてみれば少しは人為的なものも感じるだろうが、ほぼ彼らの製造工程は母親の胎内に居るようなものだと思ってくれていい。何も違わない。そのシバと、そして君たちのよく知る、統率者としてのシバはね」
「……率直に、よどみなく言いなさい。……何でこんなことをしたの」
「まったくもって、ナンセンスだな、君も。シバは……三年前に下腹部に大きな傷を負った。キョムの持ち得る再生技術でも癒せないほどの大怪我だ。何せ、人機の刃で腹腔を引き裂かれたのだからね。想像に余りある激痛だっただろう」
「……それを知っていて……!」
攻撃的になりかけたジュリの瞳にセシルは落ち着き払って言葉を継ぐ。
「だが、元々用意されていた席を彼女は全うしている。八将陣の統率者、そして血続としての優れた素質……どれもこれも、一個体として終わらせるのには惜しい。それに何よりも――柊赤緒と同じ、器としては完璧と言ってもいいほどの血続だ。後続が造れるのならば造る。それは別段、変な帰結でもないだろう」
セシルの額へと銃口が押し当てられる。ジュリの眼差しに浮かんだのは侮蔑と嫌悪であった。
「……あの子がどんな気持ちで……今日まで生きて来たんだと思って……」
「それは自分を重ねているのかい、八将陣ジュリ。真っ当に生きることを許されなかった、我が子への贖罪とでも――」
そこから先を銃声が劈いていた。
セシルは視線を寄越し、ショートしたコンソールを目に留める。
「……私を馬鹿にするだけならまだいいわ。でも坊ちゃん、あなたは触れちゃいけないところにまで触れた」
「何だ、案外人間臭いじゃないか。八将陣は心を抑圧した戦闘集団のはずだろう? それにしたところで、人形に思い入れるとは、実に君らしい」
「今度は当てる……。言いなさい。何のつもりで、あの子を複製したのか」
ジュリから発せられる殺気にセシルは嘆息をついて、コンソールを弄り始めた。
ウィンドウに映し出されたのは遺伝子配列である。
「この間、とてもいいサンプルが手に入ったんだ。天才科学者、立花博士の解析結果。彼女の遺伝子は十二分に、僕の研究を進めるのには役立った。血続でもある彼女の組成は人形たちに足りなかった一を補ったんだ。何だと思う?」
「……謎かけは、趣味じゃないわよ」
残念、とセシルは頭を振る。
「正解はね、知性だよ。ゾールは本能のまま、相手を蹂躙する。獣と同じだ。そしてこれまでの血続のデータは、どれも表層上の代物だった。男性血続、カリス・ノウマン。彼の素質でさえも、それは表面なんだ。それに、彼には悪いけれどそこまで血続操主としての適性は高くなくってね。所詮はベネズエラ軍部が揃えた出来合いの操主候補。黒将も彼の暴力性は買っていたが、操主としてはイマイチだと分かっていたんだろう。三年前の時点で《バーゴイルシザー》を当てているのはそのためだと考えられる」
「……血続としての適性。優れた血続の選出の一環として、彼女を生み出したと?」
「それじゃいけないかい? 僕の研究はね、一つの夢の到達点なんだ。一個の身体に二つの魂を入れればどうなるのか。あるいは、人形の肉体に魂は定着するのか。今回の実験はそのテストケースでもある。正直に言うと、二人のシバに特段、変化はないはずなんだ。操主としての能力も、血続としての潜在的なものもね。ただ、違うのはこれまで歩んできた過程だ。僕はあまり好きな響きじゃないんだが、人生と呼べるものだろう。君たちのよく知る統率者としてのシバは強くあろうとしている。誰よりも強く、そして気高くね。それが彼女を孤高の頂へと誘っている。だが、他方で、ではその側面を消した、血続としてただ優れているだけのシバを生めばどうなるのか。僕のデータだけではこの研究には着手できなかったんだが、Jハーンの置き土産が幸いしたよ。メシェイル・イ・ハーンとの兄妹を超えた関係性、そしてグリム協会の蓄積した人体改造技術。血続が血続に惹かれ合うと言うのならば、出会うはずだ。このシバは、出会うべき相手に。同じ運命を辿る個体へと」
「……それが赤緒だって? 命を何だと……」
「おや、講釈かい? だが待ってくれよ。命をどう思っているか? そんな論理、最早通り越した代物だろう。それに、目論見通り、こちらのシバは柊赤緒と接触した。後は、覚醒するかどうかをモニターするだけだ」
「……赤緒の覚醒……。でもそれは……赤緒がもう、一端の人間として、生きていられなくなる道じゃ……」
「その時こそ、願いは成就する。僕の長年の研究理論の一つだ。一つの肉体に、二つの魂があればどうなるのか。……統率者としてのシバが願いの導き手たる同一個体を憎めば憎むほどに、それは果たされやすくなる。柊赤緒と八将陣シバの禁じられた融合……その帰結する先は……」
エンターキーが押され、モニターに拡大表示されたのは既存の人機のスケールをまるで無視した大型人機であった。
爪のような四肢を有し、赤く染まった機体は与えられるべき操主を待ち望んでいるかのようですらある。
「……《キリビトザイ》。赤緒のための……人機……」
「分かっているのなら、もう余計な勘繰りはやめることだ。君しかここに来ないと言うことは、他の八将陣は黙認したんだろう。彼らにとっては有益ですらあっても、不利益にはならない」
納得させる言葉を吐いたつもりはなかったが、ジュリは拳銃を下げる。
「その挙動は理解を得られたと思っても?」
「……勘違いをしないことね、坊ちゃん。あなたの思うような最悪の未来にはならない」
「それは何の根拠もない言葉だ。アンヘル相手に負ける気はないが、しかし……不確定要素を一つでも潰すのが僕たちの役目でね」
「そのためのシバのクローン? ……馬鹿げている」
「どうかな。あの時、あの場所で傷つかなかったシバが居たとして、ではどのように動くのか。立花博士の頭脳も持ち合わせている。あのシバは、ただのクローン体じゃない。最早、別次元の領域へとその手を伸ばしている」
確信じみた声音にジュリは舌打ちを滲ませていた。
「……思う通りになるとは、考えないことね。この世は、そう簡単じゃないのよ」
そう言い置いて消えていくジュリ相手に、セシルはコンソールへと向かい合う。克明に映し出された柊神社に、黒点のように映る《モリビト1号》をセシルは目にしていた。
「……それは愉しみの一つだとも。予定外のことは起こるものだともね」
――漆黒の《モリビト1号》相手に、まず尋問を、と申し出たのは南であった。
シバの身柄共々、まさか無傷で手に入るとは思っても見ない。それは全員の眼差しに浮かんだ困惑からも明らかであったが、それよりも顔を合わせたシバ相手に両兵はどこか苦味を噛み潰したような面持ちになる。
「……お前……」
「ああ、小河原両兵だっけ?」
手を振るっただけのシバに、赤緒はかつてシバが両兵の唇を奪ったことを思い返して胸がちくりと痛んでいた。
両兵は南へと顎をしゃくる。
「……捕虜だと、思えばいいのか?」
「扱い的にはね。でも、相手は八将陣のリーダーでしょ? ……そう簡単にこっちに情報をくれてやるものかどうかも……」
シバの身柄は今、格納庫にある。自分たちの作戦が割れるよりかはマシだとして、ルイとメルJに監視を頼み、居間で渋面を突き合わせているのは残りのメンバーであった。
「……どうすんの? あんなのが転がり込んでくるなんて聞いてない」
「どうするったって……。相手の人機を、今は解析するしかできないわよ。どう見ても《モリビト2号》にしか見えないけれどね。両……だって一号機は……」
重々しい南の声音に両兵は刀を担いで憮然とする。
「……分かってンよ。一号機のガワも守っちゃいねぇ。……強いて言うのなら、《モリビト2号》のコピーか? まぁ、あちらさんは、模造品造らせりゃそれなりなのは《ダークシュナイガー》が証明してるからな。《モリビト2号》を黒くして、武装を真似るくらいは朝飯前だろ?」
「……でも、それが可能だとして、どうして操主までコピーしたの? その回答が出ないと……」
どうにもならない。その証明のように沈黙が重く降り立つ。
赤緒は静寂に沈んだ中で声を発していた。
「……あの……っ、私、何度かシバさんとは、会ったことがあるんです。多分、皆さんより多く……」
「じゃあ赤緒、あれって八将陣、シバだと思う? なーんか、ボクには引っ掛かりを覚えるんだよねー」
「引っ掛かりって何よ、エルニィ。あんたの意見も聞きたいわ」
「……《キリビトコア》を操縦していた操主と同じとは、どこか思えないんだよ。あの操主はストイックで、そして自分の力への自負が強い。それは人機越しでもよく分かった。多分……今回の相手人機に乗っていたのは間違いなく同一人物だと思う」
「じゃあこっちに居るシバは別人だって言うの?」
南の問いかけにエルニィは難しそうに呻っていた。
「それなんだけれど……何て言うのかな。他人とも思えないんだよね……何だか。ちょっと間が抜けていると言うか、何て言うかさ……。上手く言語化できないのがもどかしいけれど」
「それは血続としての勘?」
「いや、これは……どうかな。分かんないや」
エルニィが答えを保留にするのは珍しい。南たちの視線は自ずと、赤緒へと向けられていた。
「柊、てめぇはどう思う? あの時……シャンデリアでやり合った操主と、同じだと思うか?」
「私……私は……。まったくの別人とも、思えないんです。何だか不思議な感覚ですけれど……ああいうシバさんももしかしたら、居たんじゃないかなって思えて……」
「それは八将陣シバの別側面ってこと?」
「いや……そうだと、断言もできない感じなんです。シバさんは確かに、ちょっと他者を軽んじるところもあるし、ロストライフを賭けたゲームみたいに……遊ぶことの延長線上に考えてはいそうなんですけれど……」
この東京を舞台とした「ゲーム」。八将陣を見つけ出し、そして全滅させればアンヘルの勝ち――。一見すれば好条件のようではあるが、元々衛星軌道を完全に牛耳られているのだ。ここまで譲歩されなければ勝ちの目さえも見えない戦い。
むしろ、相手はわざと自分たちへと条件のいい戦いをちらつかせている節もある。
そこに食い付いた愚かしいアンヘルを弄ぶかのように。
「……アンヘルの今後を考えるんなら、絶対にシバさんの身柄は確保しないといけないと思うんですけれど、でもそれって結局、あのシバさんなのかって言う疑問は……」
煮え切らない言葉を繰り返していると、両兵が大きく伸びをする。
「よぉーく、分かったぜ。……柊、お前、あいつに、どこかで躊躇ってンだろ? そうじゃなきゃ、こうもどこか右往左往する言葉を吐くわけがねぇ。見極めを誰もできねぇんだ。今のところはお前の考えもあるし、すぐには判断も下せん。だがな、八将陣やキョムが敵だってのは間違いねぇンだからな。そこんところで間違うな」
そう言い置いて両兵は自分の脇を通り抜けていく。
「ちょっ! どこ行くのよ、両!」
「上で将棋の続きやってくるわ。賭けにはまだ負けちゃいねぇからな」
「呆れた! あんたってばこんな事態に……!」
南の言葉がかかる前に両兵は屋根の上へと跳躍する。残されたメンバーの中でさつきがどこかうろたえ気味に声にしていた。
「あの……私はシバさんに、会ったことはありませんし、多分、見たのも今回が初めてで……。でもその……本当に悪い人なのかな、とは思いました。今までの八将陣って、その……とても怖かったから」