【4】「たった一つの間違い」
『――……何だったんだろ、あいつら。結局目的は……やっぱり八将陣の……』
言葉を濁したエルニィに赤緒はぎゅっと拳を強く握り締めていた。
「……ジュリ先生。私の、信じるものって……一体何なんですか……」
「惑わすつもりかもしれねぇ。だがいずれにしたって、おかしなことだらけだろ。相手の無人の機体を……あいつがジャックしたってのか? ……エクステンド機ってのは」
――圧倒的な力の差として屹立する《キリビトコア》を一時的とは言えコントロールを奪った。
その一事だけでも充分に驚異的なシバへと、ルイとメルJの二人の人機が刃を向けていた。
『……貴様、やはり八将陣側の……! ここで討ち取るか』
『同感ね。《キリビトコア》を動かしたのがその証拠でしょ』
「ま、待ってください! 二人とも……。こっちのシバさんはその……単純な敵じゃないと、そう思うんです」
割って入った赤緒の声にしかし二人は警戒を走らせたまま応じる。
『だが、いつの間に格納庫から出ていた? それに関しても疑問だ。私たちはしっかりと見張っていた』
『要は信用できないのよ。その黒いモリビトもそう。信じろって言うほうが無理な話』
「そ、それでも……。今は敵じゃない。そうでしょう? シバさん……」
『赤緒はよく分かってくれているみたい。でも、あたしが邪魔だって言うのなら、ここで叩いておく? 多分、有益じゃないと思うけれど』
挑発的にも聞こえるシバの声音に制したのは《ブロッケントウジャ》を駆るエルニィであった。
『まぁ待って。今は、ひとまず刃を収めて。思ったよりもボクらは言葉を交わさなければならない。そうだろう? 八将陣、シバ』
『そうね。誤解が多いみたいだし、その解消から行こうかしら』
シバも応じるつもりではあるらしい。赤緒は一触即発の空気を感じつつも、その提言に乗っていた。
「……今は、話を聞きましょう。分からないことが多過ぎる気がしますし、何よりも……」
あのシバでさえも、こちらのシバの動きに関してはうろたえているようであった。
その一事がどうにも引っかかって仕方がない。
『じゃあとにかくモリビトから降りてもらえる? そうじゃないと一斉攻撃だよ』
対人機ライフルを向けたエルニィにシバは素直に対応していた。
《モリビト1号》を停止させ、その頸部のコックピットから這い出る。
「……これでいい?」
何でもないかのようににこやかに微笑むシバは、まだ自分の窺い知らぬ秘密を抱えている風でもあった。
エルニィが促し、シバを誘導していく。
「……小河原さん。この戦い、どうなっちゃうんでしょう……」
「分からん。分からんが、一個だけはハッキリしてんな。あいつを抱えておくとこっちの分も悪い。……あいつのことはよく分からんが、あのシバを恨んでいるのだけは明瞭ってヤツだ。まぁ、この世に二人も三人も同じ人間が居たら気味が悪いってのはそりゃあそうだろうな」
「……本当に、それだけなんでしょうか? あのシバさんも、あっちのシバさんも……」
「難しく考えんなよ、柊。そうじゃなくってもお前、頭使うの苦手だろ?」
思わぬ返答に赤緒はまごついてしまう。
「おっ……小河原さんにだけは言われたくないですよぉ……、もうっ。……でも、シバさんは何を考えて……いいえ、この場合、どう思っているのか、ですよね」
依然として存在するもう一人の自分。
消し去れない汚点のような相手に、彼女は何を見ているのか。
推し量るのには随分と余りある。シバはいつだって余裕を持って自分たちに仕掛けてきた相手だ。
だと言うのに彼女でも、もう一人の自分に対しては持て余しているようであった。
――それも当然なのかもしれない。
翻弄するような声。その超然たる佇まい。
どれもこれも、自分そのものに違いない対象が居たとして、心穏やかで居られるだろうか。
赤緒は、自分にはそんな資格もないのだと痛感する。
「……シバさん。あなたは何を思って……こんなことを……」
その問いかけは虚しく霧散していった。
「――シバ。あれはどういうことなのですか? 《キリビトコア》が暴走したように見えましたが」
空中庭園でハマドが白テーブルについて尋ねる。その問いかけにシバは憮然と応じていた。
「……ハマド、お前に聞く権利はない」
「確かに。私は敗残の兵ですとも。ですが未だに八将陣ではあると思ってはいるのですがね。それに、《キリビトコア》ほどの戦力がともすれば相手の物になるかもしれないと言う時に、無頼漢を決め込めますか?」
厄介な審議の種を持ち込んだものだ。そう胸中に毒づいたその時には、ハマドの論調に乗っかったカリスが声に喜色を宿らせる。
「おいおい! マジかよ、シバ! こいつぁ傑作だな! 八将陣のリーダーを気取っておいて、その実は一番にヤバいのはお前じゃねぇのか?」
顔を覗き込んできたカリスにシバは怒りを押え込めなかった。
その首を引っ掴み、膂力に任せて押し倒す。袖口から小太刀を取り出して喉笛を掻っ切るまでの迷いのない動作を、止めたのはジュリの手であった。
彼女はこちらと視線を合わせて頭を振る。
「駄目よ、駄目。シバ、あなたらしくない」
「……私らしい? 私らしいとは何だ? あの紛い物と私の、明確に分けるものは……」
「考えたって仕方ないじゃない。今はあのお坊ちゃんに問い質す。《キリビトコア》へのアクセス権は明らかな越権行為よ。それを証拠にあの個体の生命活動の停止を求めればいい。シバ、あなたが真正面から立ち向かうことはない」
ジュリの言葉は確かに正鵠を射ている。
分身を倒すよりも随分と楽な方法だろう。造物主を咎めれば、それで被造物はどうにでもなる。
――だが、それで自分の気持ちに折り合いが付けられるものか。
カリスが呼吸困難に陥ったのを認め、シバは手を離していた。
咳き込みながら彼は悪態をつく。
「クソがぁッ! シバ、てめぇ……!」
「カリス、駄目ですよ。今のはあなたも……」
制そうとしたハマドを振り切り、カリスは鎌を大きく引く。
「うっせぇぞ、ハマド! オレに触るな……! ここでぶち殺す……ッ!」
「やれるのか、カリス。お前程度に、この私が」
「ああ、ヤってやる……。チクショウが、女狐のクセにオレより優位なつもりかよ。滑稽だろうぜ! てめぇの力の象徴であるエクステンド機に欠陥があったなんてな!」
「……何だと。ここで死にたいらしいな」
刀の柄へと手をかけたシバにジュリは割って入っていた。
「……退けよ、ジュリ。その女ァ、ヤれねぇだろ」
「退かない。二人とも冷静になりなさい。ここで潰し合って、誰が得をすると言うの? これ以上八将陣が減ってどうするの?」
「そうですよ。私たちが減ればその分、アンヘルに優位になる。落ち着くんです、カリス。我々の戦力を殺してどうすると言うのです」
ハマドの説得にカリスは舌打ちを滲ませ、鎌を仕舞っていた。
「……命拾いしたな、シバ。だがオレも気が長いほうじゃねぇ。とっととここから失せろ」
「……言われなくとも。ただの猛獣相手に私の剣を血で濡らすのも馬鹿馬鹿しい」
それで互いの了承は取れたらしい。シバは空中庭園から離れ間際にハマドの声を聞く。
「……しかし、《キリビトコア》を奪われるとなれば充分な失態ですよ。ともすれば、八将陣の再編に関わるのでは?」
「……お前たちが心配することではない。気を揉むのならもっと別のことにしろ。……それに、八将陣の再編か。言っておこう。――それはあり得ない」
断言したシバにハマドは満足げに頷いていた。
「安心しましたよ。ここに来て支障が出るのなら、アンヘルには勝てませんからね」
その言葉を背に受けつつ、シバは複雑に入り組んだ構造を抜けて、セシルの実験棟へと入っていた。
「……気にすることはないわ。あいつらは何も知らないのだもの」
「……何も知らない、か。ある意味ではそっちのほうが楽なのかもしれないな。無知ならば、何も成さなくても済む。何かに……囚われずにも済むのにな」
「……シバ、あなたは……」
自分の手は自ずと下腹部へと触れていた。
――決して消えない自分の証。自分と言う存在の因果の赴くところ。
セシルの実験施設はいつも据えたようなにおいが充満している。人造人間を精製しては廃棄しているせいだ。
死臭の漂う実験施設に押し入った自分たちに、幼い天才は一顧だにしない。
「何かな。今、少し込み入っていてね。新しい人造人間のモデルケースの製造途中なんだ。だから余計な意見なら後で――」
その後頭部へとジュリが迷いのない銃口を向ける。彼も感知したのだろう。キーを叩く手を止める。
「……何かな。時間をかけないで欲しいのだけれど」
「とぼけないで。お坊ちゃん。やっていいことと悪いことの区別もつかないのなら、その賢い脳髄をぶちまけたって構わない」
「それはやめてくれ。この実験施設は僕の第二の頭脳のようなもの。汚すと正常稼働しない精密機械の塊だ。だからあまり地上の禍根をここに持ち込まれても困るのだけれど」
「……もう一人のシバについて、知っていることを洗いざらい言いなさい」
詰問にセシルはふぅと嘆息をついてから応じる。
「彼女に関して? それは君のほうがよく知っているんじゃ? 八将陣、シバ」
「……セシル。お父様より、独自権限を与えられた研究者。その権限は確かに、一戦闘員のそれを上回るのかもしれない。でも、お前は、やってはいけないことをやった。それだけは咎められなければならない」
「咎める? それは誰が? 神だって僕を咎められはしないさ。僕は神をも超えた超越の徒。だと言うのに、今さら裁きに対する恐れが必要かい?」
「……ここで誰にも見受けられずに死ぬか、それとも少しは栄光のある死か……どちらかを選びなさい、お坊ちゃん。その減らず口を利けるうちにね」
ジュリの徹底抗戦の声音にようやくと言った具合でセシルは肩を落とす。
「……やれやれ。話を聞かないと言う選択肢はなさそうだな。だが、本当に僕はさほどあれには詳しくないんだ。何ならそちらのシバのほうが詳しいくらいだろう」
「……何を言っているの。造ったのだからあんたが一番に詳しいはず」
「嗅ぎ回っているようだから言っておこう。僕は確かに絶対者だが、完全なる存在としてはまだ随分と足りない。だから叡智のほとんどはここに居た者たちから引き継いだ。人形の術もそうだ。元々は黒将が得意だった分野であった」
「……あんたは黒将の残した技術からシバを精製した」
「違うな。――再生だよ、正しくは。本来のシバ、それは君が一番によく分かっているんじゃないのか? 感情の波をほとんど知らず、そして恐れも、何もかも封殺した次世代血続の母、それが二体の血続の母体に与えられた役割だ。感情などない。君ともう一つの血続の母は産み落とすためだけに存在していた。悪夢を孕んで、欲望を注ぎ……だが君は、あの南米で傷を負った。決して癒えない傷痕だ」
銃弾がセシルのすぐ傍の空間を射抜く。精密機械に食い込んだ銃弾に一瞥を振り向けた彼は、何の感慨もないように声にする。
「……聞こえなかったのか? ジュリ。壊すと元も子もない」
「……この子を侮辱する言葉を吐くからよ。お坊ちゃん。私は八将陣、ジュリ。だから今はこの子に従っている。だって、彼女は八将陣のリーダーたる存在、シバ。それに付き従うことに、疑問はない」
「……やれやれ。戦闘狂か、あるいは別種の? まぁいい。しかしこの話題は避けては通れないんだ。シバ、今の君は不完全だ。だからこそ、完璧な個体に興味があった。恐れも、あるいは恋慕も、怒りも、何もかもを知らないまるで無辜の結晶たる存在。可笑しくはないか? 君はあまりにも人間味が過ぎる。その胸にあるのは恩讐か、それとも因果の最果てかい? いずれにしたって、黒将の提唱した感情の消滅した理想の世界とは相反する。彼の求めたのは何もない、それこそ“虚無”だ。だと言うのに、キョムの八将陣のリーダーは因果と復讐心に駆られた、間違いだらけの個体。なら、それを正すまでだ」
セシルは振り向かずに片手を握り締める。まるでその手にはこの世の叡智の全てが込められているかのように。ぎゅっと確信を得た感覚と共に。
ジュリは確信する。
――この少年は狂っている。否、既に狂気の沙汰を超え、最早ヒトの理の外側へと外れたか。
だが、それは文字通り「外道」と言う。
「……お生憎様ね、お坊ちゃん。道楽も過ぎれば毒となる。あんたの言う完璧なリーダーに、こちとら興味はないの」
「何故だ? 八将陣を総べる新たなる存在を祝福せずして何とする?」
「私は、この子に仕えている。八将陣シバと言う、一個人に。そりゃ、大局的には、私もキョムの八将陣。命じられればどこへなりとも行くし、誰でも殺すわ。……でもね、主義主張を昨日今日の奴に曲げられるほど、腐ってもいないつもりなのよ」
今度こそ、ジュリはその銃口をセシルの額へと照準していた。
しかし、狂気に堕ちた少年はせせら笑うのみ。
「誰を信じる、か。飯事の代物だね、ジュリ。なにせ、僕たちの決着は、言ってしまえばもう、あのテーブルダストポイントゼロ、その地点で、その実既に決しているじゃないか。あの時――」
セシルの背に映し出されたモニターには、悪鬼羅刹の類へと化した、黒き怨念――真機《モリビト一号エクステンド》が嗤う。
《モリビト一号エクステンド》と対峙するのは、白銀の光を身に帯びた、理想の体現者――青き真機、《モリビト2号エクステンド》。
《モリビト2号エクステンド》の操る自律兵装が幾何学の軌道を描いてプレッシャーの光条を《モリビト一号エクステンド》に向けて放つ。
追い込まれた《モリビト一号エクステンド》は己の狂気と怨念、そして私怨を凝縮させ、黒き禍つ闇として、波動を放っていた。
その波動を《モリビト2号エクステンド》は自律兵装を展開させ、三角錐状の力場を押し広げて漆黒の闇を討ち払う。
極大化した声が、レコードに記録されていた。
『――真・リバウンドフォール!』
それは誰の声であったのか、今はもう判然としないが、最上の輝きを帯びた《モリビト2号エクステンド》の反射膜に押し出され、《モリビト一号エクステンド》は光の向こう側へと突き飛ばされていく。
空の彼方を超え、光が拡散しながら闇を完全に祓ったかに思われたが、闇の思念は凝縮を始め、やがて結果として――世界中に拡散した。
それが今日のロストライフ化の元凶たる、黒将の放った「黒い波動」。
人々を凶行に至らせ、そして闇を育んだ虚無の一等星。
その星の瞬きが止まぬ間は、決してロストライフ化は免れないだろう。
何せ、黒将は――黒き男は全てを呪っていた。
世界を、人類を、平穏を、慈しむ心を、この安息を貪る者たち、全てだ。
あまねく彼の手は世界に広がり、キョムとアンヘルの戦いは始まる。
そう、この映像は全ての始まり。帰還すべき物語の発端。
「黒将は散った。それは君たちが一番よく知っているはずだとも。だが彼の残留思念……黒い波動は人々の不安を焚き付け、そして全てを終焉に導こうとする。分かるかな? キョムの頭目は居ないながらにして、もう世界を掌握している。彼は概念なんだ。もう凡俗の人間が届く場所には居ない。永劫の彼方に居ながらにして、この大地を呪い続ける。彼のような存在を、黒将自身が、今一度造り出そうとした。その成れの果てが、君たちだ。呪いは循環する。悪逆は円環する。どこまで行っても、人は呪いの果てから逃れられない。何故なら、もう呪われた世界に堕ちているからだ。地獄に堕ちていることを気づいていないままに、何度も裁きの炎で焼かれ続ける、それが今の人類の未来だ。だから僕はあえて言おう。――現状人類に、未来はないと」
「諦めね。それは諦めの言葉って言うのよ、セシル。人の世を舐め切って……」
「それも違うな、八将陣ジュリ。近いうちに、僕は人の域を超える。人界を焼くのに相応しい名前へと、転変するんだ。そう、名を冠するのならば、それはオーバー。――ドクターオーバーだ。キョムの制圧作戦が次の段階へと進んだ時、僕は超越者へとなる」
ジュリは拳銃を向けているのにも関わらず、大言を吐いてみせるセシルに、僅かながら怖気が走っていた。
――この感覚は、知っている。
自分は、このような世迷言を本気で言ってのけた漆黒の男を――知っている。
ならば、セシルこそが黒将の正統後継者だとでも言うのか。
「……馬鹿を仰い。あんたなんかが黒将に成れるはずがない」
「そう、成るんじゃない。超える。僕は、いずれ黒将の抱いた、極大の怨念すらも超えて、自由になる」
「大言壮語もいいところね、坊ちゃん。あんたの命はこっちの引き金一つよ」
「ならば撃つといい。結果はよく分かるはずだ」
そこまで言われて、撃たない選択肢を取るほどの日和見ではない。
だが、ここで撃ってしまっていいのか、鎌首をもたげた疑念を前に、ジュリは硬直していた。
撃って、では終わりになるのか。手打ちになるのか。
闇の男を継ぐ眷属を、本当の意味で滅ぼせるのか――。
そこまで思案したジュリの手へと、そっと体温が触れられる。
シバが横合いから拳銃をゆっくりと下ろさせていた。
「……シバ、あんた……」
「許す許さないではない。セシル、お前の言うことはハッキリしている。お父様を、継ぐのは私だ。断じてお前の造った紛い物の側ではない」
そうだ、これは彼女からしてみれば生存競争なのだ。
コピーと、その更なるコピー。
互いの存在を決して許容するわけにはいかない、そう言った類の「殺し合い」。
倫理のもつれや、人間的な感情は差し挟む余裕はない。
まさに生きるか死ぬかのデッドレースに等しい。
「……私がケリをつける。それで全てでいいはずだ」
「分かっているじゃないか。そうだとも。彼女を滅ぼすのは君の手こそが相応しい」
セシルの言葉繰りを最後まで聞かず、シバは身を翻す。
ラボを後にするシバの背中を、しばらく放心して眺めていたが、ジュリは駆け出していた。
「シバ! あなたは……違う……」
堰を切ったように流れ出した言葉の、自分でもとりとめのないこと。
そんなことは分かっている。分かり切った上で、彼女の背中を止めなければ、と思ったのだ。
今のシバの背中は、まるで死ににいくような者の背中であった。
それはかつて――自分の子が、笑いながら死んで行った時を回顧させる。
後悔はないのだろう。未練もないのだろう。
だが、残された側はどうなる?
残った側は、どう受け止めればいい?
ならばせめて、引き留めるほかないだろう。
その死地へと赴く背中を、一秒でもいい、こちら側の安息に呼び戻すために。
こちらの考えを他所に、シバは呟いていた。
「……私は、美しいと思うんだ。このいびつさを」
何を言っているのか、最初は分からなかったが、それは視線を投げたコロニーの縦横無尽に乱立する街へと向けられていた。
「まるで私に似ている……。不格好で、不遜にも空に、神の座にも届くのだと、そう信じて疑わなかった幼い日を、夢見ているように……」
「……あなたに幼い日なんてなかった」
「生れ落ちてまだ三年だ。幼いとも」
そんな運命を受け入れてでも、それでも行くと言うのか。
前に、進むと言うのか。
この世で許せないものを一つ、滅ぼすために。
「……でもそれは、破滅の道よ、シバ……」
「ジュリ。私があれと相打った後は、赤緒を頼みたい」
「……何を、何を言っているの、シバ。あなたらしくない……」
「いや、私らしいとも。《キリビトコア》も……もっと言ってしまえば《キリビトザイ》も使えないんだ。敗色濃厚な戦いの後まで考えるのは、実に合理的だろう?」
合理性――結局はそこに集約されてしまうのだろうか。
彼女の意味も。生まれてきた理由も。
ジュリは拳をぎゅっと握り締め、その背中に、精一杯の声を振っていた。
「――死なないで。死ぬのは許さない」
こんな時に言う言葉ではないのは分かっている。重々承知の上で、それさえも分かった上で、言っている。
あの時、我が子を止められなかった幼い自分に、決着をつけるために。
せめて目の前で散ろうとしている黒い華を、散らさないために。
シバは平時のように、一瞥だけを振り向けて不遜にも笑う。
「……死ぬわけがあるまい。私は、八将陣のリーダー、シバだ」
彼女の翳したアルファーに招かれて《ブラックロンドR》が屹立する。
オォン、と鋼鉄の鳴き声を上げる愛機へと、シバは呼びかける。
「行くぞ。間違いだけを、正しに行く」