JINKI 150「黒と黒」第三話イレギュラー∞イレギュラー

 応戦の駒を盤上で走らせた両兵にヤオは喉奥で笑う。

「ホッホッ。普段はいい加減なようで懸念くらいは浮かべておるのか。確かに、八将陣に替えの利くのなら、シバの言うゲームは成立しない。それも、自分自身をクローン出来るのならばな。だが、これはお主らからしてみれば好機ではないのか?」

「好機? どこがだよ。リーダーが二人になって内部分裂の線でも出て来たって言いたいのか?」

「そのようなことで自滅はせんよ。ただ……こうは思えんのか? 八将陣のリーダーを物は違うとは言え捕縛できておる。この状態での交渉は有効だと」

 両兵はヤオの発言を受け止めてから、ふんと鼻を鳴らす。

「……悪ぃが、てめぇらみてぇな外道と一緒にすんじゃねぇ。人質作戦だとかはシュミじゃねぇんだよ。それに、アンヘルの連中はそんな作戦なんて呑まねぇだろうさ。……オレもあいつらにヨゴレなんてして欲しくはねぇんでな」

「変わらんの、その姿勢だけは」

 ヤオは何てことのないように告げるが、これだけは本心だ。

 ――赤緒たちに卑怯な真似に出て欲しくはない。

 どれだけ戦局が切羽詰っても、これだけは譲れなかった。

 何よりも彼女たちの道理に唾を吐くようなものだ。自分は思いついても言い出しはしないだろう。

「じゃが、お主らの思っておるよりもあれは深刻でな。八将陣のリーダーたるシバ。その身柄が何のリターンもなく拘束されておる。この状態ではこっちも下手な手出しはできん」

「よく言うぜ。お前ら、あの黒いモリビトを自爆でもさせりゃ、こっちの盤面は総崩れだ。ある意味じゃ、体のいい駒を送り込んだんじゃねぇのか?」

「さての。そこまでは関知せんが、それにしたところで迂闊だとは思っておるとも」

「迂闊?」

 ヤオは酒を呷った後、静かな論調で口にする。

「……八将陣、シバは特別でな。他の八将陣や血続とは違う」

「それは……打ち合えば分かるがな。剣筋も、ましてや人機の操縦技術も……どれもこれも一級だ。簡単に下せるとは思っちゃいねぇ」

「……そういう意味でもなかったのだが、まぁお主とて関係のない話でもないのだがのう」

 両兵は怪訝そうに眉をひそめながら駒を前進させる。

「ハッキリ言うぜ。――てめぇらのやり方はシュミが悪いってもんじゃねぇ。外道だ。それも、人の感情を逆撫でするようなやり方のな」

「確かに今回の複製はやり過ぎだとも。しかして、自浄作用のない組織に属しておるとも、思えんのでな」

「キョムに自浄作用だと? どの口が吼えるんだ?」

「……なに。静観をしておくといい。少しばかり状況は転がるかも知れんが、いずれにせよ、最終的な勝利者さえ狂わなければよいのだからな」

「……最終的な勝利者、ねぇ。言っておくがジジィ、てめぇだってやり方を間違えればオレは迷いなく首を刎ねるぜ。それくらいの覚悟は持ってる。だがな、他の連中まで巻き込むつもりはねぇよ。オレの覚悟だ。他人に押し付けるもんでもねぇンでな」

「それはよい心がけじゃとも。しかし、間違えるなよ。一手の間違いが大きな戦局の間違いへと、安易に結び付く。ここでは間違えないことこそが、正答だとも」

 パチン、とヤオが駒を打つ。王手であった。

 両兵は紙幣を盤上に叩き付け、言い放つ。

「……ならオレも言っておくぜ。最後の最後まで、勝負は分かんねぇ、ってな」

 両兵は身を翻す。その背中に、ヤオは静かに言葉を投げていた。

「……現のせがれよ。お主が最後の最後に何を見るのか。ある意味ではそれこそが、この戦いの答えになるやも知れぬな……」

「――……朝が来たか」

 鳥たちのさえずりを聞きつつ、メルJは格納庫に差し込む朝陽を感じ取っていた。仮眠を取っていたルイが交代を申し出る。

「メルJ。こいつ、何か仕出かした?」

 顎でしゃくった先に居る漆黒の女にメルJが頭を振る。

「……いいや。不自然なほどに何も言わない。本当にこいつはあの《キリビトコア》の操主なのか? 同じ人間とは……まるで思えない」

「……ねぇ。あたしをずっと見張るのはいいけれどでも、あんまり当てにならないとは思うなぁ。だって、後ろ手に拘束されて、それでずっと椅子に座らせられているんだもの。何かできると思う?」

「血続ならばアルファーで人機を遠隔操縦できる。指一本でさえも動かさせるわけにはいかない」

 迷いなく放ったメルJの言葉にシバはほくそ笑む。

「……へぇ、馬鹿じゃないんだ? でも、残念。そこまでして逃れるつもりもないのよ? 赤緒に会わせて。きっとあの子も会いたがっている」

 昨夜からその一点張りだ。

 赤緒に会わせろ。そうすれば分かるとも。

「……どうして赤緒にそうまでして会いたい? お前は何なんだ」

「何って……あたしはシバ。八将陣のリーダーだけれど?」

「ならば余計に赤緒には会わせられない。何よりも、自由な身になれるとは思わないことだな。お前たちに油断は一秒もしてはいけないのだと、学習しているのでね」

「あっ、それってJハーンの? ……ああそっか。あんたがメシェイル・イ・ハーンなんだ。何か前情報と違うから今まで分からなかった」

「……その名前を、私の前で気安く発しないことだな。死にたいのか」

 メルJが拳銃を構えるが、シバはうろたえた様子もない。

「何それ。別にいいじゃない。名前なんて些末でしょ? でも、Jハーンの血脈を引き継いでいるのなら、分かるはず。あたしたち血続って言うのは、不思議と惹かれ合う。それは抗いようのない、引力のようなものがあるのだと。あんたがJハーンを感じていたように、Jハーンもあんたを感じていた。……殺されたがっていたものね、彼」

 銃声が劈く。

 シバの頬が薄く切れ、血が滴っていた。

 メルJは引き金を引いたまま、硝煙の棚引く銃口をシバの額へと近づける。

「……次は頭蓋を射抜く。私の前でまだそんなことを吼えられるのならばな」

「怖いなぁ。でも、それって事実だし。何て言ったって、あたしはJハーン……いいえ、マージャの技術を流用して造られたんだもの。少しばかりは分かることもあるのよ?」

「分かるだと……。容易く他者の過去に踏み込むな。次は当てる……」

「メルJ。あんた冷静さを失っている。交代の時間よ。下がりなさい」

 ルイの言葉振りにメルJは舌打ちを滲ませて銃口を下げていた。

「あら、意外? 冷静なのね」

「……血を見ずに済んだことを感謝するんだな」

「それって仲間意識とかそういう感じ? ……よく分かんないのよね、それって。もう一人のあたしは分かってるのかな? それも全然、ピンと来ないけれど。でも、そろそろタイムリミットかな」

「タイムリミット? 何の――」

 その言葉を発する前に、メルJは降り立った光の柱を格納庫の窓から眼にしていた。

「……シャンデリアの光……! まさか、最初から強襲目的で……!」

「いや、そういうわけじゃないけれどそろそろかなって思っただけ。あたしのことを心配しているのは、何ももう一人のあたしだけじゃないだろうし」

 構えたルイが格納庫に収められている《ナナツーマイルド》に乗り込む。それを横目にメルJは再びシバへと銃口を据えていた。

「……お前の回収が目的か」

「分かんない。でも、八将陣がそれなりに人でなしの集団とは言え、何となく仲間意識を感じているのも居るんじゃない? あたしはそれ、分かんないけれど」

『……紅い人機。確か学校で会敵した……』

 ルイの声音にメルJは格納庫から歩み出て街中へと出現した痩躯の人機を睨む。

「……いずれにせよ、攻めてくるのならば」

『《ナナツーマイルド》で強襲をかけるわ。その間に全員を起こして。敵も一機なら、何とかなるかもしれない』

「ああ……だが、目測を誤るなよ。私も出る」

 慮った自分の声音にシバがふぅんと訳知り顔になる。

「……データとは違うんだ? あんたってもっと、鋼鉄の女なのかと思ってた。少なくともあたしの中にあるのはそうだし」

「……悪いが、私はもうアンヘルの一員だ。お前らの都合のいい駒じゃない」

 言い捨てて愛機へと駆け込んだメルJの背中に、シバは言いやっていた。

「……でも、不確定要素のほうが面白いかもね。そっちのほうが……らしいかもしれないし」

 足を一瞬だけ止めたメルJはその余裕ありげな顔へと言い返していた。

「……ならば、こちらも言ってやる。キョムの思い通りにはならない」

『メルJ、時間をかけている場合じゃない。すぐにでもやってくる八将陣相手に、そう悠長に構えてもいられないはず』

「ああ、そうだな」

『――ジュリ先生!』

 弾けた赤緒の声にジュリは《CO・シャパール》より観察の声を漏らしていた。

「へぇ、まずは攻めてくるってわけ。しかもアンヘル総出で。これはなかなか豪勢ね」

『言っていろ、八将陣め。あんなものを送り込んでどういうつもりだ?』

 飛翔する《バーゴイル》の改修機を視界に留め、ジュリは事もなさげに言いやる。

「あれに関してはこっちもミスなのよ。だから取り返しに来たんだけれど……駄目だった?」

『ジュリ先生……。あれは本当に、シバさんなんですか』

 詰めた声音にジュリは静かに呻っていた。

「それ、私も断言できないのよね。あの子は特別製だから。私みたいなにわか操主じゃないし。まぁ、それに、お坊ちゃんの道楽でもある。命を弄ぶのが、道楽なんて趣味が悪いもいいところなんだけれど」

『……結局のところ、だ。罠とも言い切れないし、意図的とも言えないんだろ。かわすような物言いばっかりしやがって』

《モリビト2号》がライフルを構える。他の人機も臨戦態勢の中で、ジュリは《CO・シャパール》の姿勢を沈めさせていた。

「……言っておくけれどまだゲームは継続中。アンヘルと遭遇した時点で、一応は戦わせてもらうわ。どれほど不利でもね」

『それ、そっちが言う? ……シバの身柄を明け渡せなら、まだ分かるけれど、こうしてボクらの視線を釘付けにする、理由くらいはあるはずだよね?』

 その問いかけになるほど、アンヘルも無暗に反撃するわけでもない、とジュリは後衛についている《ブロッケントウジャ》を目にしていた。

「……まぁ、こっちの戦力を見れば、そうなるわよね。でも本当に、今はその気はないと思ってもらっていいのよ? ゲームのケリをつけに来たんじゃない。今は……ただただちょっとした間違いを、正しに来ただけ」

 瞬間、雲間を射抜きシャンデリアの光が降り立つ。

 光の柱よりずぶずぶと出現したのは《ブラックロンドR》であった。

『……二機がかりで……っ!』

「勘違いしないで、赤緒。一人じゃやりにくそうだから、私は手伝うだけ。……やれるわよね?」

 通信回線を開いたジュリにシバは応じる。

『こちらは《バーゴイル》も伴わせている。無人とは言え、前回の憂き目には遭わないさ』

「そう。でもまぁ、この子たち……ひいては赤緒の眼をこっちに集中させておかないと、何が起こるかも分からないものね。赤緒は私が引き受ける。あんたは自分の戦いをしなさい」

 セシルの目論見が何であれ、赤緒との接触がトリガーになる可能性が高い。シバの駆る《ブラックロンドR》と随伴機の《バーゴイル》二機が展開し、アンヘルの本丸へと仕掛けようとする。

『……させない……っ!』

 挙動しかけた《モリビト2号》だが、その行く手を紅い残光が遮っていた。

 ハッと僅かに後退したモリビトの胸元を右腕のブレードが掻っ切らんと迫る。

『……ファントム……』

「ここは私を倒さないと、次の手はないと思ってもらっても構わないわ。それに……あんたたちはそうじゃなくっても手がかかるんだもの。下手な真似に出させて最悪の結果を招くのだけは避けないとね」

『……それは……私とシバさんのことを思って、ですか』

「さぁね。私の生き方は蝶だから。ひらひらと舞い、そして刺す。その生き方に疑問を抱くような暇はない」

 推進剤を焚いてすぐさま《モリビト2号》の背後へと回り込もうとする。

『……速いっ!』

『お兄ちゃん! 赤緒さん!』

 割って入った《ナナツーライト》がRフィールドの皮膜を張る。弾き返された形の《CO・シャパール》の肩口から射出されたのは電磁鞭だ。

「触れればビリビリよ!」

 四方八方から迫った電磁鞭の射線を今度は攻撃型の《ナナツーマイルド》が遮る。その手に提げた刀身がリバウンドの力場を受け、接触の前に電磁鞭を引き裂いていた。

『遅いの』

「そう? じゃあこれは?」

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