不確定要素を含んだままの闘い――こんなものを容認していいのだろうか、とは思いつつも、ルイの交渉の手腕に期待するしかない。
「……私、あんな風なこと言ってもよかったのかな……」
シバを擁護するような言葉を吐いてしまった。それだけでも異様なのだが、自分にとってはあのシバがこれまで幾度となく立ち塞がっていた八将陣の長だとは、どうしても思えないのだ。
別の思惑――別の何かが働いているとしか思えない。
そうでなければ、何のために同じ人間が二人も居ると言うのだろう。
大きな意味を持つはずのその事柄に、さつきは陰鬱なため息をつく。
「……でも私、何もできないや……」
『――そうでもないんじゃないですかぁ?』
響き渡ったその声にハッと振り仰ぐと、景色を少しずつ侵食していく漆黒の機影が眼前に立ち現れる。
「……《ナナツーシャドウ》……なずな先生?」
「……困っているみたいですねぇ、さつきさん♪」
コックピットから出てきたなずなは黒とオレンジのRスーツを身に纏っており、こちらを余裕のある瞳で見下ろす。
さつきはうろたえながらも、ぐっと弱音だけは吐くまいと応じていた。
「……何なんです? こんな時に……」
「こんな時だからですよぉ。……それに、さつきさんこそ、一人で夜風に当たりに?」
「ほ、放っておいてください。私だって……少しだけ夜風に任せたい時だってあるんです」
「ふぅん……。さつきさん、困っていることがあるようですねぇ」
看破された驚きよりも、事ここに至って何故、なずなが現れるのかを紐解けば、自然と帰結は見えてくる。
「……キョムと通じているんですか」
「それは誤解、でもあるんですけれどぉ、これ、どうですぅ?」
なずなの取り出したフロッピーディスクにさつきはうろたえる。
「それ、は……?」
「キョムの今次作戦の情報と、そしてあのシバに関する追跡情報」
まさか、と瞠目する自分へと、なずなはふふっと微笑む。
「分かりやすいですねぇ、さつきさんは」
「……なずな先生は……一体何を……」
「まだ教えられませんけれど、これ。必要なはずですよねぇ?」
買えとでものたまうのだろうか。だが、今は自分一人。
アルファーで《ナナツーライト》を呼び出せば、騒動になりかねない。何よりもなずなとこうして対面している中で、他のアンヘルメンバーに勘繰られたくないのもある。
「……私にそれが必要だって言わせたいんですか……」
「それは問うまでもないはずですけれどぉ? でも、要らないのなら」
投げ捨てようとするなずなに、さつきは身を動かそうとして、それを寸止めされる。
意のままに操られている気分に、思わず歯噛みしていた。
「これがあれば、アンヘルは恐らく勝てますよぉ? どうしますぅ? さつきさん」
「……私は……私一人で決められるようになりたい」
「では?」
「――だから、それは要りません」
思わぬ返答だったのだろう。なずなは肩を竦める。
「もしかしてぇ、イジワルし過ぎましたぁ?」
「そうじゃないんです……そうじゃない。……私が自分の力で得ないときっと、意味がないはずだから! だから、なずな先生。あなたの言葉には異を唱えます!」
本来の気性ならば、渡してくれと懇願していたのかもしれない。
しかし、今の自分はもう違う。
――もう、弱虫じゃない。
「アンヘルの皆さんが居てくれる……誰かが居ることの心強さを、こんなにも感じたことは、今まで生きて来てなかったんです。だから私は! 自分で決められる強さを得たい! 何かに流されたり、何かに引きずられたりするような力じゃない! 自分の意思を! 心を大事にしたいんです! だから、それは受け取りません!」
なずなは僅かな沈黙を挟んだ後、ぷっと吹き出していた。
まさか笑われるとは思っておらず、さつきは戸惑うばかりである。
「な、なずな先生? 私は本気なんですよ!」
「いえ、ごめんなさい……。そこまで本気に……愚直にでも何でも信じられるのって、ちょっと羨ましくって。そうですねぇ……本来想定していた意見ではありませんが、面白かったのでよしとしましょう」
トン、と人機の肩を蹴って目の前に着地したなずなが、そのフロッピーを差し出す。
「えっ……なずな先生、これは……」
「ご褒美です。さつきさん、しっかり自分の意思で決めたんなら、最後まで責任取らなきゃ、めーですよ? これを使って、どうするかはあなた次第。私はどうされてもいいんですけれど、さつきさんのしたいようにできる、そういう力です」
「……私の……力……」
なずなはこちらの肩を掴んで、ぽんぽんと叩く。
「ま、頑張ってくださいねぇ。私は世界の片隅から応援していますのでぇ」
「えっ……なずな先生――」
言い切る前に風と共になずなの姿が目の前から掻き消えていく。
《ナナツーシャドウ》もいつの間にか光学迷彩を使ったのか、完全に視界の中からは消滅していた。
さつきは掌に落とした視線の中にある、フロッピーディスクを見やる。
「……なずな先生。私が……変えられるんなら、それは……」
『――ウォーゲイル隊長。寝ずの番ですか?』
《O・ジャオーガ》に乗りつけた自分へと、鹵獲カラーの《バーゴイル》から直通通信がもたらされる。
「……世界が転変するかもしれない、そんな夜に眠れるほど、器用でなかっただけの話だ」
『しかし、得た情報の通りなら、我々が相手取るとすれば、それは《キリビトコア》と《ブラックロンドR》、それにアンヘルの陣営もそうかもしれません。三すくみは旨味がないのでは?』
「まぁ、我々の陣営はそこに加わらんのが正解だろうな。世界の片隅で、傍観を決め込む……だがそれほど賢しいことを、私はできんのだ」
『存じていますよ。コーヒーでも?』
コックピットハッチを開いて部下が抽出されたコーヒーを差し出してくる。
「……警戒機動だぞ」
「だからですよ。ウォーゲイル隊長は少し堅過ぎるんですってば。仲間の連中は……ウォーゲイル隊長ほどの闘争心はない。ですが、皆、一級の操主たちです。彼らのこと、信用できませんか?」
「……いただこう」
黒々とした液体に自らの顔が反射する。
――世界に爪弾きにされた者の面持ちだ。
一度この世に絶望し、世界を呪う側になったが呪い切れず、そして勝者の言葉を前に敗北した、哀れな敗残兵。
だが、それでもいいのだと、仲間たちは言ってくれる。
禊の白に染めた《O・ジャオーガ》だけで充分だと。
そう言ってくれるのは素直に荷が下りるのだが、背負わなければいけない業もある。
「……苦いな」
「とびっきりのブラックですよ。眠気も一発で吹っ飛びます」
部下は《O・ジャオーガ》の側頭部に手をついてコーヒーを口に運ぶ。
この酔狂な――ボブカットの女性の部下はこれまで何を失ってきたのだろう。
某国でのキョムとの撤退戦で仲間になった彼女は多くを語らない。
だが、キョムの支配区域と言うことは、人間は正気ではなかったのだと証明できる。
世界を呪い尽くした黒き男の怨念が宿れば、男は皆、獣に堕ちる。そんな世界で女がまともに生き延びられたはずもない。
きっとどこかで擦り切れのようなものが生じ、彼女は幾度となく傷ついたはずなのだ。
しかしそれでも《バーゴイル》に――己から全てを奪ったであろう、悪夢の機体に乗ることを選んだ。
《バーゴイル》の漆黒のカラーリングを青き空の色に塗り替え、彼女を含む自分たちだけのレジスタンスは虚無の空に宣戦布告する。
それは無謀とも、ましてや現実が見えていないとも取れる行動であろう。
だが、自分たちは最早、現実に生きる術を失った亡者に等しい。
荒野を走るのならば、生きている側ではなく死者の側だ。
そして虚無の葬列を駆逐し、この世に青い空を取り戻す――そんな旗印がいつの間にか出来上がりつつあった。
自分は別に思うところはない。
これまでキョムの側で戦ってきた人間だ。
どう誹りを受ける覚悟もあったが、存外と誰かから非難を受けたこともない。
あるいは、見離されているのか、とバルクスはコーヒーの湯気を睨んで考える。
もう、この世の正しい全ての事柄から見離されているからこそ、こんな死地でしか生き残れない。
「……だが、それは寂しい」
「何か言いましたか?」
「いや、何でもない。《バーゴイル》部隊に通達。この一件、手を出すな、と」
「それは隊長の一家言だと?」
「手を出すに足る戦場ならばいい。だがこれは迂闊に手を出せば、それは誇りを穢す行為となる。我々は傍観者だ。あくまでもな。ならばそのスタンスを崩すつもりもない」
「アンヘルが勝とうがキョムが勝とうが、ですか?」
「私は既に資格を喪失している。戦士としての資格だ。それを正そうと思えば、今一度戦士として舞い戻らなければならない。ゆえにこの戦域、赴くに値せずと、判断する」
「……難しいことを言いますね、隊長はいつでも」
湯気へと息を吹きかけながら、コーヒーをすする部下へとバルクスは言葉の穂を継ぐ。
「戦士とは、己の中に芯を持たなければいけない。だがその芯は、いずれも己の闘いでのみ見出せるもの。下手に横入りすれば誰かの覚悟を損なう。それは私の在り方として正しくはない」
「しかし、《キリビトコア》ですよ。あれはエクステンド機とか言うのでは?」
「……私も正直なところ詳しくは分からない。だがあのお方と同じ、特別な人機なのだということは分かる。なればこそ、ここで試されているのは私たちのほうだ。アンヘルを、信じてやって欲しい。あそこに居るのは……」
そこで言葉を切る。
余計なことは言うまい。
自分に真正面から勝利してみせた人間が居るのだ。沈黙こそが美徳である。
「アンヘルを信じる、ですか。しかし我々はいずれもそのアンヘルからも見放されてきたのです。なら、彼らだけの力をそう容易くは信じられません」
戦地の只中に居た人間の言葉だ。重みが違う。
それでもバルクスは首肯をしなかった。
「駄目だ。私の名において命じる。絶対に手を出すな。我々は見守ることしかできまい。それも……世界の最果てでしか、な」
もう最果てで戦うのがお似合いの身だ。
俗世に戻るのには少しばかりの抵抗もある。
部下はしかし、そんなことは意に介せず、黒髪を払って挙手敬礼してみせた。
「お供します、隊長。地獄の果てでも」
「……いや、地獄に行くのは私だけでいい」
それにしても、とバルクスは口に含んだコーヒーの味を鑑みる。