「……もう少し、旨味のあるコーヒーが飲める身分なら、さぞよかったろうにな……」
「――世界を呪った男の眼差しってもんは……何だったんだろうな」
黎明の光を照り受ける両兵は眩しそうに眼を細めていた。その背中で酒瓶を傾けたヤオがホッホッと笑う。
「それは誰にも分からんじゃろうて。あの男は、全てを呪い、全てを憎んだ。通常、人間の私怨程度では世界を覆う闇を生むことなど到底できん。だが、あの男が散った後からだ。ロストライフ現象、黒い波動……どれもこれも人智を超えておる。あの男は自らの魂を黒く染め、世界の均衡を崩したのだ。成仏も許されず、煉獄の炎に焼かれ続けることを是としてのう……」
「自らの魂を黒く染めた、か。だがあン時……黒将との戦いの最終局面……感じたのはそうじゃなかった。オレは、青葉と一緒に奴を……」
ぎゅっと拳を握り締める。
どうしてあの時滅却することができなかったのか、我が身の不実を顧みる間に、ヤオは酒瓶を一つ空けたらしい。
「せがれよ。次はないのか?」
「うっせぇな、酒浸り妖怪ジジィ。もう今月分はそんだけだって言っただろうが。……つーか、あんた八将陣だろ? いいのかよ、好き勝手にさせておいて」
ヤオはホッホッと笑いながら将棋盤に駒を並べていく。
「駒は己の意思では動けぬものよ。しかして、この世界を総べるに足る駒であるのならば、それはどこへなりとも行ける」
王将の駒を進ませたヤオに、両兵は対応して駒を進ませていく。
「王が動くってのは現実的じゃねぇ。将は構えてこそってもんだ」
「だが現実には、予測不可能なことばかりが起きる。お主が今生きておるのもその一つ。どこへなりとも死んでいてもおかしくはなった身であったと言うのに、よく生きておる」
「それはオレへの当てつけか? ジジィ。確かにな、死んでもおかしかねぇってのは散々経験したぜ。南米戦線でもな。だが、逆に、だ。ここで生きなきゃ何とするって意地が働くもんなんだよ、人間追い込まれると。その甲斐あって今も生きているわけなんだが」
「生きなければならぬ意地、か。案外、黒の男もそれで今もなお死してそれでも生き続けておるのかもしれぬ」
「……自分が死んでいることを理解していない亡者ってのは、それは見苦しいってもんだ。どこかで誰かが滅ぼさない限り、延々と戦いを続ける。勝利者なんて居ない戦いをな」
「その果てのどこかが、この戦線なのだと思わぬのか? 黒の男の遺した、黒の娘。それが二つに分かたれた。どちらが正しいとは言わぬ。ただ、どちらも正しく、そして気高いのだ。ゆえにこそ、争わねばならぬ。それが宿命」
パチン、とヤオが駒を進めたことで両兵は詰みになっていた。
「……宿命、か。お互いがお互いを許せないつーのは何て言うのか、虚しいな」
「悲しいでも、寂しいでもなく、虚しいと表現するか」
「……ああ。お前らの言う“虚無”ってもんだ。そこに何もねぇんだよ。理念も、情熱も、何もねぇ。だからこそ、虚しく、そして何も残らない。この戦いに、勝利者なんて居ないのかもしれん」
「それを言って何となる。アンヘルの娘たちの気が削がれるだけじゃぞ?」
ヤオの言葉に両兵は唇をへの字に曲げる。
「……だからてめぇに言ってんだろうが。八将陣のジジィ。オレたちは絶対に、てめぇらの思い通りになんてならねぇ。何回やり直したっていい、何を犠牲にしたって構わねぇ。その代わり、だ。――キョムは潰す」
こちらの言葉が強い意思を帯びていたせいか、それともヤオには戦闘前の虚勢を見透かされていたのか、言葉少なであった。
「……お主もまた、囚われておるのかもしれんのじゃぞ?」
その言葉は両兵の脳裏に「刀使い」の残像を呼び起こすのには充分であったが、それでも、と今は歯を食いしばる。
「……それでも、だ」
「……夜が明ける。闘いが始まるぞ。雌雄を決することが正しいのか分からぬ、闘いだ」
眼を細めたヤオへと、両兵は言ってのける。
「なら、オレが背負ってやる。何かを決めるのが正しいのか分かんなくてもな。恐れは全部、オレが吸い取る。なら、問題ねぇはずだ」
朝焼けの光を浴びて、両兵はすくっと立ち上がる。
――さぁ、闘わなければならない。