JINKI 154 うららかな春のお茶日和に

「あら、エルニィ。あんたってば、やっぱりサル並みに鼻が利くのね。ちょっとしたブレイクタイムって奴」

 珍しく南が台所に立ってコーヒーを焙煎している。

 その匂いに釣られたのが自分だと言うのが若干認めがたく、エルニィは唇をへの字にしていた。

「……ちぇっ……赤緒がとっておきのお菓子でも振る舞ってくれるのかと思ったのにー」

「あら、これもなかなかのコーヒー豆よ? 飲んでみる?」

 ちび、と口に含むと、広がっていくコーヒーの深みが行き詰っていた脳内まで満たしていく。

「……意外って言うか。南ってお茶淹れられたんだ」

「むっ……それはちょっと偏見じゃない? 私だってお茶の一つくらいはできるわよ」

「じゃあ何でいっつも赤緒かさつきなのかなーって話なんだけれどね」

「しょうがないじゃない。赤緒さんとさつきちゃんのお茶が美味しいから、私のなんて霞んじゃうし」

「いやでもこれ……意外な特技だなぁ。南の淹れてくれたコーヒー、めちゃくちゃ美味しい……。あ、それともコーヒーメーカーと豆がいいだけ?」

「まぁそれも込みだけれど、南米でね。ちょっとしたコーヒーを淹れる業種をやっていたりしたから」

「カナイマの? へぇー、南みたいなのでも最初はお茶汲みからだったんだ」

 ずずっ、とコーヒーをすするエルニィに南は過去を回顧する。

「そうね……お茶汲みってのは、ちょっと違うかもだけれどでも、最初のほうはお客さんも寄りつかなくってねぇ。何てったって、始まりは青葉とのちょっとした催し事だったから。コーヒーだとかを嗜むようになったのは――」

「――おい、青葉。何やってんだ、こんな時間に」

 声をかけられて青葉は硬直する。

台所の隅を漁っていたのを自分に対し両兵は胡乱そうな眼差しを向けていた。

「……うっ……両兵?」

「言っとくが、そんなとこ漁っても何にも出んぞ? いいか? 連中が隠しているとするんなら、こういう……高い所って相場が決まってンだ、よっと!」

 両兵が脚立も使わずに上の棚の定位置を探り当て、見事にチョコレートを戦利品にする。

「……すごい」

「な? ちょっと頭使えば分かるこった。下のほうにあのデブやらヒンシやらジジィ連中が隠しているわけがねぇ。分かったら、次からはもうちょっと頭を使うんだな、アホバカ」

「むっ……両兵みたいにお菓子が目当てじゃないもん。って言うか、これ、返す」

 チョコレートを突き返した自分に両兵は心底意外そうな目線を振り向ける。

「……ガキは菓子目当て以外に台所なんて漁ってどうするよ」

「ガキじゃないもん! ……あと、お菓子目当てでもないんだから。両兵みたいに年中ずーっとひもじくないから」

「ンだと、てめぇ……。って言うか、じゃあ何だってンだ。こんなところ山野のジジィとかに見つかると事だぞ? 食糧泥棒とか言って突き出されちまう」

「し、食糧泥棒って……。私はそんなつもりじゃ……」

 及び腰になってしまった自分へと、両兵はむんずと顔を近づけさせる。

「じゃあ何だってんだ。言っておくが、そうなった場合、オレはお前を擁護できんからな。情状酌量とかもねぇし、食糧はそうでなくっても死活問題なんだからな」

「いや、その……お茶ってあるはずだよね?」

 こちらの言葉に両兵は渋面を返す。

「お茶ぁ? 何言ってんだ、てめぇ。お茶って言うとあれか? 麦茶だとか」

「いや、そうじゃないんだけれど。コーヒーとかあるはずだよね?」

「あー、オレは滅多に飲まないから分からんな……。つーか、てめぇオヤジに色々教えてもらっている時にコーヒーとか飲んでんだろ? 場所くらい知っているはずじゃねぇか」

「いつものじゃなくって……。実はその……南さんとルイに誘われちゃって……」

「何に?」

「お茶にだってば。それで、いつものコーヒーでもいいんだけれど、何か持ち寄れないかなって、探していたの」

 改めて打ち明けると確かに食糧泥棒一歩手前だ。

 これでは糾弾されても文句は言えない。

「……ふーん、黄坂とマセガキと一緒に茶ねぇ……。なぁ、青葉。それって何か特別なことなのか? 茶なんていつも飲んでる麦茶でいいだろうが」

「だ、駄目だよ! だって私……女の子の友達と一緒にお茶とか……飲んだことないもん……」

 尻すぼみの声になってしまっていると両兵は少しだけ察したようであった。

「ああ、まぁてめぇの性格じゃ、女子供の言う茶を酌み交わすってのは論外かもしれねぇな。……って言うかオレもよく分からねぇンだが。酒を飲むんならまだ分かるんだが、茶なんて飲んで何が楽しいんだ?」

「も、もう! 南米の人はみんなそうなの? 両兵! お酒は二十歳からで……!」

「あー、うっせぇ。聞き飽きてら。つーか、あのマセガキも結構飲むほうだろ。しかも悪酔いの方向性で」

「……ルイは、そういう子だけれど……」

「そんななのに、何で今さらお茶? 心底分かンねぇんだが」

「……その、私たちだって女の子だし、それらしいこともたまにはしてみようって話になって……」

「――ねぇねぇ! 青葉って日本に居た頃、何やってたの? 中学生ってどういう身分?」

 突然に尋ねられて青葉はまごついてしまう。

「どういうって……別に普通ですよ。普通に勉強して、で普通に学校に通ったり、部活をしたり……」

「青葉は何部だったの?」

「私は……帰宅部ですけれど……」

 気まずそうに返答すると、南は首をひねる。

「帰宅部って何? 帰宅してから何かやる部活?」

「あっ、そうじゃなくって。……特定の部に所属していないことを帰宅部って揶揄するって言うか……」

 南に対してこんなことを言うとがっかりされるかと思っていたが、存外に南は納得しようとしてくれる。

「へぇー、今の日本じゃそういう制度もあるんだ。私はね、何だかんだこっちでの日系人だから。日本ってのにはとことん縁はないの」

「でも、黄坂南って……日本人名ですよね?」

「ここの人たちは言ってしまえばみんなそうよ? 型式だけの日本人って言うのかな。純日本人って意外と居なかったり、居てもワケありだったりね。あー、そこ! ナナツーの軸足にもうちょっとペダル入れてくれないと、上がんないんだからね!」

 整備班に文句を飛ばす南は、確かにまるで自分と同じ日本に居た人間だとは思えない。

「ま、まぁまぁ……。って言うか、じゃあ皆さんも、結構日本人じゃなかったりするんですか?」

 その疑問に応じたのは川本たちである。

「うーん、どうかなぁ。ジョーイとか、グレンとかはこっちだよね?」

「ええ。一応日系の名前も付いていますけれどね」

「僕もこっちかな。古屋谷なんて日本人っぽい名前だけれど、こっちに居るほうが長いから」

「親方とかもそのクチだと思うよ? 詳しく聞いたことはないけれど、日本人の名前だけれどこっちに帰化しているはずさ」

「へぇ……何だか分からないものなんですね」

「そうよー。だから日本っぽい風物詩だとかそういうのはここんところ無縁でね。青葉、だから教えてくれない? 青葉みたいな子が来たんだからさ! 日本っぽいこと、いっぱいしたいじゃない! ……でも私の頭じゃ浮かぶのはせいぜいよくて二、三個だからさ。青葉くらいの年の子の遊び方とか知りたいなーって」

「……ババくさい」

 ぼやいたルイと南がいつもの追いかけっこを始めるのを視野に入れつつ、青葉はうーんと考える。

「……日本っぽいこと、と言うよりも、女の子っぽいことですよね? ……うーん、私の周り……って言うか私くらいの子とかだと、お茶とかよくしていたような……」

 そこでルイと南の諍いが急に止まる。

「……お茶って、いつもの麦茶? 特製の?」

「あっ、そうじゃなくって、ここで言うお茶って言うのは、厳密には麦茶とかじゃなくって……!」

「ああ、なるほど。喫茶店めいたことだよね、言ってしまうと」

 川本の助け舟に感謝しつつ、青葉は何度も頷く。

「そう! そうなんです、南さん! 喫茶店!」

「キッサテン……? いや、分かるわよ。イメージせんとしていることは。でもなー、こんな辺境地でキッサテンのモノマネとか、どうやろうって言うの?」

 互いに渋面を突き合わせ、考え込んでいるとルイがぴんと指を立てる。

「簡単じゃない。いつもの勉強の時のお茶、あれをみんなでやればいいんでしょ?」

「あっ、そうだ、コーヒー。南さん! こういう時のお茶って言うのはコーヒーのことを言うんです」

「コーヒー? うーん、ピンと来ないわねぇ。それで一緒にお茶を飲んでどうするの?」

「どうって……最近どうだとか語り合ったり、その……気になっている人のこととか、喋ったり……?」

「何で疑問形なのよ」

 ルイからのツッコミを受けつつ、それは想像だから、とは言い切れずにいると、南は興味津々で返答する。

「へぇー、面白そう! じゃあ青葉! 私たちでキッサテンやりましょう!」

「えっ……ここで、ですか?」

「うん、ここで。どうせなら整備班も巻き込んじゃって、アンヘル一大キッサテン事業よ! これで少しは私も日本人の感じが掴めるかも!」

 何だか使命に燃え始めた南に、ルイは醒め切った様子で指差す。

「いいの? 南、ああなっちゃったらもう聞かないわよ? それでもキッサテンだとか、やるんだったらいいんだけれど」

「や、やるよ! ……じゃあその、ちょっとお茶の材料を持ってきますので!」

「はーい! ほら、ルイも立つ! 盛り上がって来たわねー!」

 宿舎に取って返しつつ、青葉はふと疑問符を浮かべる。

「あれ……でも喫茶店って、入ったことないや、私……」

「――んで、整備班も巻き添えにして待っていると」

 話を聞き終えた両兵に対し、青葉は少しだけ軽率だったと反省する。

「うん……。思えば整備班のみんなの仕事の邪魔をしているよね……」

「んー、まぁそれはいいんじゃねぇのか? あいつらもヒマしてっから付き合ってんだろ。ただまぁ……喫茶店? そいつに関しちゃオレもド素人だ。何てったって、小坊の時以来だからな。日本の喫茶店に何があるんだかは、まるで知らん」

「……だよね、両兵は」

「だがまぁ、うまいコーヒーとやらを飲むんなら当てはあるぜ?」

「ホント? ……いや、やめとく」

「何でだよ。当てはあるって言ってんのに」

「いや、だって両兵の当てって……大概悪さじゃないの」

「ンだよ、分かってんなら話は早ぇ。行くぞ、青葉」

 こちらを手招く両兵に青葉は重い嘆息をついていた。

「……やだなぁ。両兵と居ると私まで怒られちゃう……」

「おい、ちぃとは静かにしとけ。こっから行くところはマジにヤバいからな」

 両兵がそこまで言うくらいだ。

 それは相当なのだろう。

「もう……また山野さんたちに怒られちゃうよ?」

「いんや、あいつらは関係ねぇ。こっちだ、こっち」

 両兵が足音を忍ばせている方向にある部屋を、自分はよく知っている。

「……こっちって、静花さんの……」

「そっ。あの人、美味いもん揃えてんだよ。お茶の一つくらいもらったってバチは当たらねぇだろ」

「……何だか急に嫌になっちゃった」

 こちらの心変わりに両兵は、心底理解できないと言うような声を出す。

「はぁ? お前が茶が飲みてぇとか、コーヒーがいいだの言い出したんだろうが!」

「……そ、そりゃ確かに言ったけれど……。静花さんのお茶ならいいよ。やめとく」

「おい、待て青葉。今さらそんなこと言っている場合じゃねぇ。……幸いにして人気はねぇし、とっとともらってずらかろうぜ」

「……両兵、悪さしている時の顔になってるよ」

「おっ、分かるか? こういう時が一番勘も冴えていいんだよな」

 想定外のことに対して興が乗るタイプなのだろう。

 青葉はため息一つで自分の陰鬱な気持ちをリセットしていた。

「……じゃあその、両兵が取って来てよね。静花さん、平気なんでしょ」

「ワガママこきやがって。まぁ、いいぜ。茶だろ。……っと、失礼しまーす、っと。誰も居ねぇな? ……じゃあこっからもらっていきますよーっと」

「ちょ、ちょっと両兵! そんな適当じゃバレちゃうじゃない!」

「別に気にもしねぇだろ。ちょっとくらい減っていたってバレやしねぇって」

「……もう。もしもの時になったらどうするの?」

「――そのもしもって言うのは何なのかしらね?」

 不意に呼び止められて二人して硬直してしまう。

 微笑みを湛えたままの静花に対し、両兵はこちらを肘で小突く。

 無理無理、と頭を振って否定の意を返すと、両兵も観念したのか、頭を下げていた。

「すんません! ……茶をもらっていいですか?」

「あら? コーヒー? 別にいいのに。言ってくれればいくらだってあげるわよ」

「あ、そうすか……。よかったじゃねぇか、青葉。これで連中に対してメンツも立つぜ」

「あ、うん……」

 言葉少なに立ち去ろうとすると、その背中に声がかかる。

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