「あれ。今日はラクレス一人?」
「はい。レイカルは……修行に行っておりますので」
「へぇ、まだ朝なのに珍しいなぁ。いつもならもうちょっと寝てから行くのに。それに、今日は静かだったから、気づきもしなかった」
「あれで少しでも作木様の心労を留めようと言う気遣いくらいはできるのでしょう」
「うーん……僕は別にレイカルにそこまで気を遣って欲しくは……って、何だかラクレスも変じゃない?」
「何がでございましょう」
「いや、何て言うか、かしこまった感じって言うか……。何かあった?」
「何か、とは」
「いや、もしかしたらさ。レイカルとカリクムと一緒に居る間に、何かあったんじゃないかなって。もちろん、創主として出過ぎた真似はしないけれど、できれば仲良くして欲しいって言うのはわがままかなぁ」
「いいえ。至極真っ当と言えます。むしろ、私たちのどうこうに、作木様が心を尽くすほどではありません。ヒヒイロの修行もきっちり得ていますので」
「あっ、そういえば、最近、ウリカルはどうしてる? なかなか会えないから、ちょっとだけ心配なんだ」
ウリカルは普段はヒヒイロの下で修業をつけられているはずであるが、その修行には度々ラクレスも顔を出しており、鍛錬を重ねていると言う。
「変わりません。あの子はずっと真っ直ぐで、そして強い」
「……そっか。ならよかった、僕の取り越し苦労で」
「取り越し苦労?」
「あ、うん。何だか隠し事でもされているみたいな感じはしたから。もしかしたらウリカルのことで何かあったのかなって思ったんだ」
「いえ、私は作木様に害意ある隠し事はしません。あなたを裏切ってどうすると言うのです」
「まぁ、そりゃあそうなんだけれどさ。たまに思うんだ。オリハルコンと人間は寿命も違えば価値観も違う。僕の気持ちが押し付けになっちゃうんじゃないかなって。それをラクレスも感じているのなら直さなくっちゃいけないはずだ」
「いえ、そのようなことは断じて。作木様はお優しいですので、何も直すところはありません」
「何も、ってことはないはずだよ。ラクレスだって、そう思ってくれているんじゃないのかな」
ラクレスはこちらの言葉振りにぷいっと視線を背ける。
「……そこまで分かっていらっしゃるのなら何も言いません」
「あれ? 怒らせちゃった?」
「いえ、何も……。ただ……あまり聡いのはお奨めしないと言うだけで」
どういう意味なのかはかる前に、作木は時計を目にして仰天する。
「うわっ……! そろそろ行かないと! 講義に遅れちゃう。ごめん、ラクレス。後片付けは任せていい?」
「ええ。行ってらっしゃいませ、作木様」
微笑んで手を振るラクレスに、ドアノブを握ったところで作木は振り返る。
「やっぱり何かない? 何だか……今日のラクレス……」
「何も。何もございません」
断定口調で言われてしまえばそれ以上の追及は無意味で、作木はとぼとぼとアパートを後にする。
「……参ったなぁ。怒らせちゃったかもしれない。……でも怒るようなこと、あったかなぁ?」
冬の風が吹き込んできて身に染みる。
コートの襟を正して、作木は駅へと向かって駆けていた。
「とにかく急がないと……。遅れたら今度こそ単位が洒落にならないし……」
曇天の冬空の下で、作木はしかし、と思い返す。
「……ウリカルたちはどうしているんだろう。僕に言えない、何かがあるのかなぁ……」
――徒、破、と声を響かせるウリカルの打ち込みにヒヒイロは余裕を漂わせてその蹴りや拳をいなしていく。
「それ、次は回し蹴りでワシを退けてみせよ」
「はいっ!」
渾身の回し蹴りが打ち込まれるも、ヒヒイロはウリカルの浮足立った力を逆利用してそのまま反射、反対方向に投げ飛ばしていく。
ウリカルもしかし、負けてはいない。
すぐさま受け身を取り、テーブルの底面に手をつけて速度はそのまま、ヒヒイロへと跳ね上がって攻撃を見舞う。
ヒヒイロは跳ね返ってきたウリカルの打撃をその手で受け止め、ふむ、と首肯していた。
「ここまで。できるようになってきたな、ウリカル」
「いえ、まだまだです。師匠に届くように、頑張らないと……」
呼吸を荒立たせていたウリカルに、ヒヒイロは諫める。
「その意気じゃが、あまり逸れば下手を打つ。今は少しずつでもよい。着実に自分の実力を育むことがいずれ大きな転換期を迎えることじゃろう」
ウリカルを見守るバロンイーグルの視線をヒヒイロは一瞥し、彼女へと言いつけていた。
「今日の鍛錬はここまで。それにしたところで、珍しいこともあるものですな。――水刃殿」
(……何のことを言っている、ヒヒイロ)
人間態の水刃に付き従うのはおとぎと懿であった。
二人してせっせと用意している代物を認め、ヒヒイロは頬を緩める。
「いえ、以前までのあなたならばこんなこと、取るに足らないと言っていたはずでしょうから」
(今もその気持ちは変わらん。取るに足らぬことよ。……だが、同時にこうも思う。ここまでおとぎを……人間社会に溶け込ませてくれた。ならばその礼は尽くそう)
「礼を尽くす、ですか。……これは少し可笑しい。かつての高杉家の護りを司っていたアーマーハウルから出る言葉とは思えないもので」
(それはそちらも同じだろう。我々は傍観者。彼の者たちの生き様を、理より外れた場所から観測するもの。こうして直に関わるのは避けてきた。違うか?)
「いえ、何も違いませぬ。私とて、これまで人界には最小限度の関わり合いしか持ってきませんでした。それを変えたのは、やはり奴です」
顎をしゃくると気づいたのか、レイカルがこちらへと浮遊してくる。
「何だー、ヒヒイロ。何か言ったか?」
「いや、何も。それにしても、本当に来るのであろうな? 万全を尽くしておかなければ達成できんぞ?」
ヒヒイロの問いにレイカルは自信満々に胸をそらせる。
「心配するな! 私だって前にやってもらったから分かってるんだ! ……でも、こんな感じだったんだな。何だか胸の中がぽかぽかして……ちょっとくすぐったいって言うか……」
「作木殿も同じ気持ちであったはずだとも。それにしてももう一つ意外であったのはカリクム、お主もやるのだな」
カリクムは不服そうに腕を組んで、まぁね、と頷く。
「創主の望みを叶えるのがオリハルコンなんだって言えば、これも一応は望みのうちだし。にしても、小夜もナナ子もなかなか帰ってこないわねぇ」
「小夜殿もナナ子殿も一番重要な局面を握っておられるのだ。力も入ると言うものだろう」
「……そういうもんか。私、正直よく分かんないのよねー。こういうものって」
「何、分かろうとして分かるものでもあるまい。それに……お主とてレイカルのを祝ったクチであろう。まったく分からぬと言うのは嘘じゃな」
「……お見通しかよ、ヒヒイロ……」
「お主らよりも長く生きておるからのう。こういった機微には迂遠ながらも知識だけはあるもの。しかし……真次郎殿はこういった催し物が嫌いであったはずでは?」
削里はテレビを付けながら将棋の駒を並べて詰め将棋にチャレンジしている。
「俺は今も正直苦手だけれど、君らが使うって言うんなら協力は惜しまないさ。オリハルコンは創主の望みを叶えるもの、だろう?」
「……にしたって、百戦錬磨のオリハルコンがこうも集って一人のためにってのは……何だか変な感じね」
「なに、オリハルコンとて戦うだけのものではない。人々との絆をもって、今を特別に扱う。それは何もお主も無関係ではなかろう」
「……どうなんだか。にしても遅いなぁ、小夜にナナ子も。どこで道草食ってるんだか」
「あっ、お母さん! そっちの飾りつけは別の場所ですよ。私が運びます!」
ウリカルがレイカルに協力しようとするのを、レイカルは安心して手渡す。
「そうか。じゃあお願いするか。……それにしても、本当に手はず通りなんだろうな? ヒヒイロ」
「それに関して言えば、小夜殿たちを信じるしかないのう」
「その小夜からの連絡が全然来ないんだけれど……。まさか迷い過ぎて時間を忘れちゃったとかじゃないだろうな?」
「いや、小夜殿たちに限ってそのようなことはないとは思うが。カリクム、お主も何だかんだで期待しておるのではないのか?」
「べ、別にー! だってレイカルの創主のことだろ? 私が期待してどうするのよ」
「むっ……何だー、カリクム! お前、創主様のことを馬鹿にしているのか」
「してないってば! ……ラクレスがうまいこと取り計らってくれているはずなんだろ? そっちはどうなってるんだよ」
「ラクレスは……ちょっと前に創主様は大学とやらに出たと言っていたけれど」
「じゃあ後はヒミコの仕事だろ。……にしても、私たちオリハルコンの仕事とは思えないんだけれど」
「何言ってるんだ。創主様のだぞ!」
「……その創主様ってのも、今頃忘れてるんじゃないのか? 何だって自分のことには無頓着なんだよ、お前ら」
「そ、それは……。創主様はここ最近、イベントとやらで忙しかったから……。忘れてもおかしくはないんじゃないか?」
「小夜とナナ子は忘れてなかったんだろー? 何で本人が覚えてないかなぁ」
「……創主様はお忙しいんだ! 割佐美雷とナナ子だってそれが分かっているから秘密だったんだろ?」
そう言われてしまうと立つ瀬もないのか、カリクムは押し黙る。
「……でも、普通忘れるか? 自分のだろ?」
レイカルはこちらへと応援の声を乞うているようであった。
「そうじゃのう……。お主も忘れておったし、案外創主とオリハルコン共々、忘れておるのがお似合いなのかもしれん」
「でも、忘れないだろ、普通は。……まぁ、ベイルハルコン遭遇戦とかもあったし、簡単に思い出せってのが無理なのかもしれないけれど」
「お母さん! こっちの飾りつけ終わりました! 師匠、今度はこっちの灯りをチェックしますね!」
ウリカルは忙しく駆け回っている。
彼女の性分なのだろう。
それとも、自分を生み出してくれた創主である作木には特別に尽くしたい情もあるのか。
「……でもさー、ヒヒイロ。人間って一年に一回、こうして祝うんだよなー。何だか不思議でもあるけれど」
「カリクム、お主はかつての創主に祝われたこともあるじゃろう。その時のことを思い出してみるといい」
「……カグヤは、私にそういうのを大事にしろとは言ってくれたけれど、でもその後がほとんど野良のダウンオリハルコン狩りに費やしたんだ。何だか遠い昔みたいだよ」
(こちらの準備は整ったようだぞ)
水刃の声にヒヒイロは総員の仕事ぶりを見渡し、よし、と首肯する。
「では……招くとしようか。作木殿を」
「――……久しぶりに大学で講義を受けるとみっちりだなぁ。何だかここ数か月はオリハルコン絡みの出来事ばっかりだったから」
自分が学生身分であることをついつい忘れがちになってしまう。
単位もまるで足りていないので、ヒミコのダウンオリハルコン狩りに協力せざるを得ないのだが、こうも必要単位が足りていないと少しばかり困窮もする。
「さて、今日の晩御飯でも買い出しに……」
そこでばたり、とヒミコと鉢合わせしていた。
「あっ、高杉先生……」
「あっ、作木君……うん? 私、何か忘れているような……」
「ダウンオリハルコン退治ですか? それなら今日はちょっと遠慮させてもらえません? 久しぶりに大学に来るとなると体力使っちゃって……」
そこで不意にヒミコが、あっ! と声を上げたものだから作木は仰け反る。
「な、何ですか?」
「いやー、その……作木君、ドライブしていかない? 私の車でいいから」
「えっ……いやいや悪いですよ。それに高杉先生だって忙しいんじゃ――」
「私は! 今は暇なの! ……しまったー、すっかり忘れてたー……お膳立てしたあの子たちから怒られるの目に見えているわねー……」
どうしてなのだか頭を抱えるヒミコにこれ以上心労をかけるものでもないと、作木は回れ右をする。
「えっと……じゃあ僕、帰りますよ。送ってもらうとか悪いですし」
「いいの! 今だけは、そういう気分なんだから! さぁ、学生はさっさと乗った乗ったー!」
ほとんど引きずられる形でヒミコの車に同乗し、そのままアクセルを全開にして走り出していく。
「あの……僕のアパート、こっちの道で――」
「ああ、それは分かってるから」
「分かってるから?」
疑問符を浮かべている間に見知った道なりに入っていた。
「あれ? 削里さんのお店の方面じゃないですか?」
「あー、うん。……本当はね、私が今日は早い段階で作木君を大学で呼び止めてこっちに誘導する手はずだったんだけれど……完全に忘れてたー……」
ため息をつくヒミコに作木はますます分からなくなる。
「あの……削里さんのお店に用事でも?」
「……まさか。忘れちゃってるの? あー、でもあり得るか。レイカルもそうだったんだもんねぇ……」
何のことなのだか分からずに、作木は首をひねる。
「あの、ダウンオリハルコン退治なら、急ぎなら別にやりますけれど……」
「まぁー、ひとまず降りてみて。真次郎も……って言うかレイカルたちが待っているから」
「……レイカルたちが?」
意味が分からず、作木はそのまま削里の店ののれんをくぐったところで、連鎖的に弾けたのは極彩色のクラッカーであった。
「ハッピーバースデー、作木君!」
小夜の声と共に同席していた者たちが拍手を送る。
それをほとんど呆然と見つめていた作木は、一拍遅れてようやく認識する。
「あっ、そうか、今日……12月11日……。僕の、誕生日だ……」
「そうよ! だって言うのに、送迎は任せてーって言っていたヒミコ先生は遅いし、作木君は案の定携帯の電源は入っていないしで……お流れになっちゃうかと思ったんだから!」
小夜の懸念もよく分かる。ここに来てようやく、ヒミコのやらかしも見えてきた。
「まぁ、作木さんが悪いわけじゃないですし、今は祝いましょうよ」
「う、懿君まで……。あっ、それに水刃様に、おとぎちゃんも……?」
「はい。今日は水刃様も来てくださるとのことでしたので」
(……作木光明よ。おとぎに礼を尽くしたのだ。ならば儂も礼を尽くさないわけにはいかんだろう)
堅い声音だがどこか照れているのは自分でも窺えた。
「創主様! 今日はみんなで飾りつけをしたんですよ!」
レイカルに袖を引かれ、作木は店の中央に取られたお誕生日席へと誘導される。
「お父さん、こっちにケーキが。今電気を消しますね」
「ウリカルまで……。別にいいのに」
「いいえ! よくないわ、作木君! レイカルの誕生日を祝ったのに、当の自分の誕生日はど忘れしていたなんて!」
小夜の声に作木はすっかり参ってしまう。
レイカルやオリハルコンのイベントに夢中で、自分のことはないがしろにしてしまっていた。
それは責められても仕方がないだろう。
「面目ないです。僕、自分のことなのに……」
「ま、忘れていたって世界のどこにいたって、祝うのが私たちなんだけれどね!」
「私はレイカルと小夜に頼まれたからだからなー。別に特別なお祝いとかないぞー」
カリクムの言葉にレイカルが噛み付く。
「お前、カリクム! 創主様のお誕生日なんだぞ! もっとシャキッとしろ!」
「……つい数日前に自分の誕生日を忘れていた奴が、よく言うよ」
「あっ、そうか、ラクレス。分かっていて僕を送り出してくれたのか」
ようやく今朝レイカルを見かけなかったこととラクレスの態度に合点がいく。
「……まぁ、作木君はたくさんの縁を結んだってことよ。だって、ここにいるみんなってさ。会うはずがなかった人だって居るはずだもの」
確かに、おとぎや水刃、懿などは自分がオリハルコンと関わらなければ――正統創主にならなければ決して人生で交わらなかった点だろう。
今はそんな人たちが自分を祝うと言う一事だけで集まってくれているのが、この上ない奇跡に思えた。
「……そっか。奇跡って何てことはない、こういう日々のことを言うんだ……」
「何よ、今さら。……私も作木君に奇跡を見せてもらった側なんだから、今は素直に祝わせてよ」
「これ、結構迷ったんだけれどねー。やっぱり男の子はホールケーキ! それもチョコレートに限るでしょ! 小夜ってば、生クリームがいいってなかなか譲らなかったから買うのが大変だったんだから」
ナナ子の言葉に小夜が言葉を差し挟む。
「私の誕生日は生クリームに限ったのよ」
「ま、とりあえず今日は騒ぎましょう。ケーキも食事もたくさんあるし」
ナナ子の取り計らいであろう、豪勢な食事が居並んでおり、既にレイカルはそのうち一つの七面鳥へと噛り付いている。
「おい、レイカル。駄目だろ、創主の誕生日なのに自分が前に出ちゃ」
「おっと、つい……。コホン……。創主様、お誕生日、おめでとうございます!」
佇まいを正したレイカルが少しだけ可笑しく、作木は笑みをこぼしていた。
「そ、創主様? やはり七面鳥を噛り付いたのがいけませんでしたか?」
「いや、そうじゃなくって……。レイカル、頬っぺた」
指し示すとレイカルは頬についた七面鳥のソースを拭う。
「いや、何だか……とても久しぶりな気がして。こうやって色んな人から誕生日を祝ってもらえるのは。だから、僕からも言わせて欲しい。――ありがとう、レイカル。これだけの人の絆を、紡いでくれて」
「創主様!」
飛び込んできたレイカルを抱えつつ、作木はロウソクの火を消して、そして皆で杯を交わす。
――今日だけは、誰でもない、ただの作木光明として。
これまでの出会いに感謝すべきだろう。
「ハッピーバースデーです! 創主様!」