JINKI 159 メルJの理由

「……あの、ヴァネットさん? 朝ご飯なら、これからしますんでその……待っていただければ」

 いつになく真剣な面持ちなので何か気に障ることでもしてしまったか、と困惑するこちらを他所に、メルJは佇まいを正す。

「あ、いや……何でもないと言えば、何でもないんだが……」

 しかし、とそれでも憮然とする彼女は何故なのだか、食卓から離れようとしない。

「……何なんだろ……あっ、さつきちゃん、おはよう」

「赤緒さん、おはようございます」

 礼儀正しく挨拶をしたさつきへと、赤緒は声を潜ませる。

「あの……ヴァネットさん、どうしちゃったのかな……? あんなに真剣にテーブルを睨むなんて……」

「私も、起きて来た時にはああだったので……あまり言うのも何か悪いかなって思いまして……」

 どうやらさつきも手をこまねいているらしい。

 だが、いつもならば朝食までの時間は射撃訓練に費やしているはずだ。

 そんなメルJが朝っぱらから時間を無駄にするとは想像しがたい。

「……何かあるのかも……何だと思う?」

「分かりません……そもそもヴァネットさん、もしかすると私たちの想像もつかないようなことで悩んでいるのかもしれませんし……」

 操主としては明らかにメルJの経歴が上。なので、彼女の悩みなど推し量るだけ不可能なのだと、そう規定できればいいのだが……。

「でも、いつもなら朝ご飯ができるまでは絶対にテーブルにつかないのに、もうついているなんて……ちなみにさつきちゃん、何時に起きたの?」

「朝の五時には起きるようにしています。他の方もたまに起きていらっしゃいますが、ヴァネットさんもほとんど私と同じような時間帯ですよ」

 自分よりも早く起こしている罪悪感もあり、なおかつそれでもメルJを悩ませている根幹をまるで理解できないのもあり――赤緒は額を押さえて考え込む。

「うーん……もしかして、今日は拳銃が駄目なのかも?」

「ああ、湿気って、とかですかね。私、銃には詳しくないので分からないんですけれど」

「きっとそうだよ! ……じゃなくっちゃ、射撃訓練をしないヴァネットさんも変だし……」

「ひとまず、朝ご飯にしませんか? 赤緒さん。ヴァネットさんのお悩みは後で解決いたしましょう」

 五郎の言葉に赤緒は、いけない、と改まる。

「私、起きたばっかり。準備して来ます!」

 洗面所に戻るまでの道中、今一度、メルJの様子をちらと見やる。

 やはりと言うべきか、その問題は解決した様子もなかった。

「――緊急会議があります」

 メルJが自衛隊の訓練場に赴いたのを確認してから、赤緒は口火を切る。

「ん? どったの、赤緒。マヌケ面をさらに濃くしたみたいな顔をして」

「ま、マヌケ面って……私、そんな顔してます?」

「だって……緊急会議って、何? 南じゃあるまいし」

「むっ、失敬ね、エルニィ。私だってそうそう緊急緊急っていつも言っているわけじゃないでしょうに」

 南もどこか承服していないようであったが、メルJ以外のメンバーは集まった形となった。

「その……今朝のヴァネットさん、ちょっと変だったじゃないですか……」

 切り出しづらそうに口にすると、エルニィは全員の顔を見渡して、そう? と尋ね返す。

「いつも通りじゃない? 不機嫌そうに朝ご飯食べてるのって」

「で、でもでも……っ、今日はそれが朝一からだったので……!」

「まぁ、確かに気にかかるわね。あの子、いつもなら射撃訓練でしょ? 朝ご飯が出来上がるまでは」

 南はどうやら気づいてくれたらしいが、それでも他の面々はどこか本気になり切っていない。

「そうか? ヴァネットの機嫌なんざ、いちいち取ったって仕方ねぇだろ」

 両兵は相変わらず取り付く島もないと言うか、そもそもこれを重大な問題だと考えていない節がある。

「……分かりました。小河原さんにはご意見を伺いません」

 ぷいっと視線を背けたので、両兵はむっと眉根を寄せる。

「……何だ、オレ、そんなにマズイこと言ったか?」

「まぁまぁ……。でも、ちょっと妙なのは確かなんです。ヴァネットさんが……私と同じ時間帯か、それより早くに起きて射撃訓練をされていることは……皆さんご存知ですよね?」

 さつきの問いかけに、アンヘルメンバーは半分も頷かない。

「えっ、そうなの? ……はぁー、あの子もマメねぇ」

「さつきより先ってのは意外かも。そもそもボクはそんな時間に起きてないし」

「第一、あのメルJの機嫌を取ってどうするって言うの、赤緒。それが何の緊急に繋がるんだか甚だ疑問だわ」

 軒先で猫じゃらしを振るルイの言葉も分からないでもない。

 メルJの機嫌が悪くって、では何なのだと言われてしまえば立つ瀬もない。

「で、でも……! 嫌じゃないですか。トーキョーアンヘルのメンバーが理由もなく機嫌が悪いなんて……」

「んー、でもそういうもんじゃないかなぁ? 特に理由もなく、寝覚めが悪いとか、今日は別なことをしてみようとか、そういう気紛れじゃないの?」

 確かにエルニィならば気紛れも頷けるのだが、相手はあのメルJである。

「……でもヴァネットさん、今までそんなそぶりは見せなかったじゃないですか」

「今日はたまたまじゃないの? 虫の居所がって奴」

「でも、そうだとすればそれも妙なんですよね……。拳銃が湿気っちゃっていたのかなとか考えてはいたんですけれど、訓練に出かけたってことはそうでもないってことですし……」

 さつきの考えに南はうーんと呻りながら、尋ね返す。

「そもそもどんな感じだったの? 私たち、後から起きてきたからそんなに異様な様子だったとは思わなかっただけれど」

 仔細を知っているのは自分とさつき、それに五郎だけだ。

 赤緒は自信がないけれど、と付け加える。

「何だか……怒っているみたいな……」

「怒ってる? ……しょっちゅうじゃん。そんなの、分かりようもないってば」

「た、確かにヴァネットさんはしょっちゅう怒っていますけれど……。何だかそういうのとは違うような……」

 こちらの思案に、南はあっ、と声を上げる。

「もしかして……あの子に頼んでおいたあの案件のことかしらね……?」

「えっ、南、心当たりあるの?」

「うーん……実はメルJには何個か並行して、トーキョーアンヘルの戦力地盤を固めるために案件を投げていてね……、そのうち一つがつい三日前にちょっと……ポシャっちゃって……」

「じゃあそれでしょ。決まり。はい、終わりー」

「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ! ……南さん? 本当にそれ一個だけなんですか?」

 詰問の声音だったせいだろう。

 南は正直に白状していた。

「……ゴメン。これ、正直四個目くらい……」

「じゃあ南のせいじゃん。分かり切ったようなこと言わないでよねー」

「待ちなさいよ、エルニィ。あんたもそう言えばメルJに色々と無理難題を吹っかけていたようじゃない」

「無理難題?」

 こちらの言葉にエルニィがびくりと肩を震わせる。

「い、いやぁー、正直、これは大したことないと思うよ?」

「じゃあ言ってみなさい。ジャッジするのは赤緒さんたちだから」

「うぅ……言いづらいペース作るなぁ……。メルJはさ、あれで英国人だから日本語って不得手じゃん。だからそのぉー……漢字ドリルを……」

「漢字ドリル?」

「小学生でもできる奴ね? それをちょっと……やってごらんよって……挑発しちゃった……」

「何でそんなことしちゃったんですか!」

「し、仕方ないじゃんか……。メルJが最近、何でもかんでも自分はトーキョーアンヘルの制空権を担っているぞーってちょっと生意気だったから、じゃあ漢字ドリルくらい解けるよね? って……」

「これで決まりね。自称天才と南の自業自得じゃないの」

 ルイの声音に、南とエルニィはむっとして示し合せる。

「あれー? でもルイ、最近メルJよりトウジャの扱いがうまくなったって、やたら言っていなかったっけ?」

「それで次にもしシュナイガー相当の人機があてがわれれば、それは自分の物だって言っていたわよね?」

 まったくのデタラメでもないのだろう。ルイはぴくりと肩を震わせる。

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