「……ルイさん?」
「まさかそんなことを根に持って? だとすれば余計にトウジャに乗る資格はないわ」
「もうっ! 全員、何かしらあるじゃないですか!」
「怒鳴らないでってば……。でもまさかそんなことで?」
「確かに……今の今まで別にそんなことで怒らなかったのに……」
「きっと沸点が低いのよ」
三人とも反省の様子もないので、赤緒はほとほと参ってしまう。
「……じゃあ三人とも、心当たりはあった、でよろしいですね?」
「……そんなことで怒るあっちが悪いんじゃないの?」
「そうよ、そうよ。メルJは今の今までそんなことじゃ怒らなかったんだし」
「器量が小さいのよ」
「でも……! それでアンヘルメンバーの一人が何だか朝から嫌な顔してるんじゃ……駄目でしょう?」
それにはさすがに言い返せないのか、三人とも押し黙る。
「あのー、赤緒さん」
「なに? やっぱりさつきちゃんもそう思う――」
「実はー、その……私もヴァネットさんにやっちゃっていたかもしれません……」
思わぬ告白に面食らっていると、さつきはぽつりと語り始める。
「その、いつも朝早くに顔を合わせるので、軽い雑談をするんですよ。射撃訓練の時に喉が渇いちゃいけないと思いまして……」
「えっと……それで?」
「はい……、お茶を出す際、ちょっと聞かれたんです。“日本じゃお茶を出せるほうが偉いのか?”って」
「えっと、それにどう答えたの?」
「私はその……お茶を出すくらいしかヴァネットさんにしてあげられませんから、って言ったんですけれど……もしかすると曲解して……お茶も出せない自分はまだまだだ、とでも思ったのだとすれば……」
確かにさつきにも心当たりがある計算になる。
しかし、そんなことを言い出せば、自分も、であった。
「あっ……」
「何、今のあっ、っての。何かある奴だよね?」
目聡く察知したエルニィには下手な誤魔化しは通用しそうにない。赤緒は正直に告白していた。
「……そのー、ヴァネットさんにこの間、好きな食べ物があればお出ししますと言ったんですが、ヴァネットさんはその、戦場に食べ物の好き嫌いは持ち込めない、って言ったんですね。そこまではいつものヴァネットさんだったんですけれど……」
「だけれど?」
三人分の注視に、赤緒は声を縮こまらせる。
「……ですけれど……トマトだけはちょっと苦手って仰ったので、好き嫌いは駄目ですって私……その夜にトマト料理を……」
「あーっ、じゃあ赤緒もやらかしてるじゃん」
こればっかりはどうしようもない。
自分が正しいと思ってやったことが裏目に出るとは。
「じゃあ何? 全員心当たりはありってこと?」
「うぅ……面目ありません……」
「こうなったらあれだね。メルJに全員で謝ろう。それが一番いいはずだよ」
「待って、自称天才。あんたが謝るのはいいけれど私は何で? 別に普通のことを言っただけよ?」
譲らないルイにエルニィは噛み付いて応じる。
「そ、それ言い出したらボクだって別に嫌味な気持ちで言ったわけじゃないし!」
「ねぇ待って。私だって仕事なわけだから、それが別に原因じゃないわよね?」
全員で責任の押し付け合いである。
これでは纏まらない、と思った瞬間、両兵が声を張っていた。
「だぁー! てめぇら何、女々しいこと言ってンだ! 要は全員、心当たりアリ、なおかつ怒らせても仕方ねぇってことじゃねぇか!」
その一喝でそれまで向かい合っていた全員がしゅんと項垂れる。
「……やっぱりその……漢字ドリルは言い過ぎたかも」
「私も……仕事の押し付けはよくないわよね……」
「……トウジャは渡すつもりはないけれど、度が過ぎたって言うんなら……」
三人と共にさつきも頬を掻いていた。
「その……私もヴァネットさんに知らないうちに悪いことをしていたのかもしれません。謝らないと……」
「あっ……そうなってくるんなら私も……。ヴァネットさんの気持ちを考えないで……だったのかも……」
「じゃあ、てめぇら全員、とりあえずヴァネットに詫びだな」
「わ、詫び……?」
「ねぇ、赤緒。詫びって何?」
「わ、詫びと言うのはその……謝ることと同じではあるんですが……」
答えにくくしていると、南がうろ覚えの知識を披露する。
「ねぇ、待って……日本じゃ詫びって言うと、ハラキリになるんじゃないの?」
いつの時代の常識なのだ、と赤緒だけがそれはないと思っていると、見る見るうちに全員の顔色が青くなっていく。
「……は、ハラキリ? ハラキリってあの……時代劇とかの? ……む、無理っ! 無理だってば! あんなの痛そうじゃん!」
「いや、痛いとかそういうレベルじゃなく……」
「武士道……って奴よね、確か……」
ルイもうろ覚えの知識を口にすると、さつきがガタガタと震え出す。
「ぶ、武士道……? どうしましょう、赤緒さん! 私、武士じゃないのに!」
いや、今ツッコむのはそこか? と思いつつも場を納めようとしたが、自分以外の面子は皆、顔面蒼白である。
「……あのぉー、小河原さん? 誤解を与えていますよね?」
「それでも、謝るのが筋だろ? 柊、てめぇもだぞ」
「わ、私も?」
「そうだよ! 元はと言えばもしかしたら赤緒のせいかもじゃん!」
「……赤緒さん事と次第によってはこれは、トーキョーアンヘルそのものの継続に関わるわ」
「赤緒のせい、それで決まりね」
三人ともの矛先が一気に自分に向いたものだから狼狽してさつきに助け船を差し出してもらおうとするが、さつきはどうやら先ほどのハラキリとやらで頭がまともに回らないらしい。
「……ど、どうしましょう……」
「誠意って奴を、見せるしかねぇな」
「せ、誠意? ……えっと、それって言うのは……」
「――帰ったぞ。何だ、電気を消して、まだ寝るには早――」
帰宅したメルJへと、まずはエルニィと南が白装束で涙ぐむ。
「うぅ……まだ死ぬのには早いのに……」
「まさか私たちの最期がハラキリなんてね……」
「な、何なんだ、お前ら……。私を脅かして……どうしようって言うんだ?」
メルJは思わず扉側に逃げ出そうとして、その行く手をルイが遮る。
「……その、この度はまことに申し訳……無理。悪いことをしたつもりがないのに詫びるなんて、どうかしているわ、日本人は」
「ルイさんっ! 詫びないと駄目ってお兄ちゃんが言ったじゃないですか! そ、その……お詫びのこれは……」
さつきとルイがスーツに身を包んで菓子折りを差し出したのを、メルJは意味が分からず目の前から逃げ出す。
「一体何なんだ、今日のこいつらは……!」
「そのぉー……ヴァネットさん」
不意に薄暗い場所から飛び出してきた赤緒に、メルJは衝突してしまう。
「トマトぉー……私が食べますので……!」
しゃくしゃくとトマトを齧り出した赤緒に、メルJは血相を変えて居間へと逃げ込む。
「何なんだ……私を脅かしても、何にも成らんだろうに……」
「それが成るのよ……メルJ」
南とエルニィがゆらりと傾いで白装束のまま接近してくる。
その後ろを固めるのはスーツ姿のルイとさつきで、そしてその背後には地縛霊じみた赤緒がトマトを食べながら迫ってくる。
逃げ場がない、とメルJは観念していた。
「わ、分かった! 分かったから! お前らの何をそんなに怒らせたのかは分からんが……ひとまず! ……本気なのは分かった……。心臓に悪い……」
「へっ……怒っているのはメルJのほうじゃないの?」
不意に正気に戻ったエルニィを嚆矢として、全員が互いの顔を見合わせる。
「えっ、怒っていないんですか……?」
「……どういうことよ、赤緒」
「……赤緒さん?」
「えっ……私?」
次々に責任転嫁されていく中で、メルJは事の次第をようやく聞き出していた。
「――私が怒っていたので詫び? ……何でそんなものを……」
「いや、だってヴァネットさん、朝方あれだけ不機嫌で……」
「そうですよ! あんなに机の一角を睨んでいたじゃないですか! あれが怒っていないんじゃ何だって言うんです?」
赤緒とさつきの詰問に、メルJは嘆息をつく。
「……あ、あれはだな……。かつてお前らに、日本人の食文化は理解できん、と言ったことがあっただろう」
「あっ、そう言えば……」
確かエルニィがメルJに箸が使えないことをけしかけて、納豆に関して食卓にケチをつけた時が、そういえばあった。
「……その時のことを思い出してしまってな。今朝も納豆が出て来るんだと思うと、いつそれを蒸し返されるのかと思って気が気ではなかった。……幸いにしてこれまで出て来たことはないが……」
「あっ、そうですよ。私、きっちり覚えていて……ヴァネットさんにはフォークとスプーンで充分なメニューと、それに納豆は出さないようにって……」
さつきの言葉に一斉に非難を浴びたのは赤緒であった。
「……赤緒ー? 怒ってるって言ったよねぇ?」
「あんたのせいで無駄なカロリーを使ったわよ……」
エルニィとルイの無言の圧に赤緒は気圧されていた。
「え、えっとそのぉ……トマトで充分な詫びに……」
「「なるかッ!」」
エルニィとルイに追いかけられる形で赤緒が遁走していく。
その背中を眺めながら、メルJはため息をついていた。
「でも……納豆のことだけなんですか?」
さつきがそっと問いかけると、メルJは腕を組んで唸る。
「……まぁ、正直なところ、こうして食卓を囲ませてもらっているのは奇跡に近いのだと、今朝方は特に思ってな……。元々私は敵だった上に、料理にケチをつけたのでは堪ったものではないはずだろうと……」
その懸念にさつきは微笑んでいた。
「……何だ。何がおかしい、さつき」
「い、いえっ……。ただヴァネットさん、思ったよりもやっぱり、お優しいんだなって」
「私が優しい? ……何を馬鹿な」
そう断じつつも、赤緒がルイとエルニィから逃げおおせようとしている様子を見ると、不意に笑みがこぼれるもの。
「ほら、今も笑って……」
「笑って……? ああ、そうか。私もこんなことで……笑えるようになったんだな」
自分が今回は中心軸だったが、アンヘルメンバーの悲喜こもごもで笑えると言うのは、ともすれば正式にトーキョーアンヘルの一員に成れた証なのかもしれない。
少なくとも今はそう思えるだけの――。
「そ、そもそも! 詫びとか言い出したのは小河原さんでしょう!」
「あっ、そうだ! 両兵は……逃げたな……」
「……分かって言っていたのかもね」
三人の標的が両兵に変わったのを目にして、メルJはふと気が付いたように屋根の上へと飛び移る。
「……あっ、ヤベっ……」
これまで高みの見物を決め込んでいたのだろう。不意に自分が上がってきたものだから、両兵は目に見えて気圧される。
「小河原……あいつらを焚きつけたのはお前か?」
「焚きつけただなんて人聞き悪ぃな。……単にあいつらだって、お前のことを心配してああでもないこうでもないって思えるってこったろ? その背中を押してやっただけだっつの」
「……お前は。……いや、いい。私がこんな感情を抱くのも、計算のうちか?」
「いや、その辺はまぁ……今のメルJ・ヴァネットなら許せるだろ? それくらいにはなったはずだぜ?」
確かに両兵の読み通り――なのは癪なので――。
「小河原……いい話で纏めようとしているところ悪いが、今はあいつらの犠牲になってもらおう」
両兵を蹴落とし、赤緒たちのところへと投げ込む。
「うわっ、ちょっと待てっての……!」
「小河原さん――! 分かっていて言いましたねー!」
「両兵――! けしかけたのそっちでしょー!」
「ちょっ……マジに勘弁しろっての……! 何でオレがこんな目に……!」
逃げ出す両兵の背中と追い立てる赤緒たちを眺めながら、メルJは夜風に微笑む。
「……それでもまぁ、私も笑えるようには、なってきたんだな」
ならば、こんな夜もまんざらでもない。
「……ああ、まんざらでもない、そんな日だ」