JINKI 160 想いを綴って

「じゃあ、その……私も五郎さんに、ですかね。いつもお世話になっているし……」

「ぶーっ! 赤緒、同じ人への宛て名は駄目だよ。意味なくなるじゃん」

 エルニィにダメだしされて、赤緒は困惑してしまう。

「えぇー……でも、私たちのお世話になっている人って自然と限られてくるじゃないですか」

「だからみんながみんな、違う人にお世話になっているって言う手紙を書くんでしょー? ルイは誰に書いてるの?」

「守秘義務よ、自称天才。第一、別に明かす必要はないでしょうに。私は私のペースで書くんだから」

「ちぇーっ、お堅いの。あっ、でもさつきは先生だから、添削は受けないと駄目だからねー」

「あっ、ルイさん、文字間違えていますよ」

 さつきの指摘が飛びかけて、ルイがじっと睨み据える。

 その迫力だけで気圧されたのか、さつきは言葉を仕舞っていた。

「いえ、その……何でもないです」

「駄目だってば。そういうのはナシ。威嚇するとかは今回ばっかはNGだよ」

「……さつきのクセに、先生なんて生意気よ」

「わ、私も先生とかその、自信はないので。でも、文字が間違っていると出す方にもご迷惑がかかっちゃいますし」

 取り成したさつきの言葉に、ルイは手元を開けて文字を見せていた。

「……ここの。何が間違っているって言うのよ」

「えっとー……まずここですね。黄坂ルイの“坂”が、“板”になっています。あと、拝啓の“拝”の左側は手偏ですね。土じゃないので……」

 どうやらルイは案外、国語の常識からちょっと怪しいらしい。

 さつき相手にむっとしながらも消しゴムで書き直す。

「……直せばいいんでしょ、直せば」

「ルイー、あんた文句ばっか言ってないで、もうちょっと日本語の勉強しなさいよ。これから一応は日本での活動がメインになってくるんだからねー」

「……あの、とても言いづらいんですが南さん。そこの文字、間違えています。晩御飯の“晩”がそれだと“勉”になっちゃうので……」

「えっ、嘘。あー、日本語ってややこしいわねぇ、いつもワープロで打っちゃうからさ。こういうの間違えるのもよくあるってわけ」

「南も駄目なんじゃん。何だか形無しだなぁ。いい? 手紙ってのは心が籠っていれば自然と文字の間違いなんてなくなるもんで……」

「……立花さん。お世話の“話”が“語”になっちゃっていますけれど……」

「ええ、嘘? これってこうじゃなかったっけ? 日本語ってこれだからなぁ」

 さつきの指摘に、どうやらこの場でまともに文字が書ける人間は居なさそうだということを実感する。

 ぼんやりと便箋から視線をメルJのほうへと向けていくと、彼女は想定外に書き進めていた。

「あれ? ヴァネットさん、困ったところとかないんですか?」

「……むっ、何だその言い方は。困ったところなんてないぞ。第一、日本語はややこしいんだ。なら、一個だけ使えば――」

「……ヴァネットさん。だからと言ってカタカナだけだとそのぉー……脅迫文みたいになっちゃっていますけれど」

 どうやらカタカナだけで手紙が構成できるとメルJは思い込んでいたらしい。

 よくよく考えてみれば、純正の日本人は自分とさつきくらいなもので、トーキョーアンヘルのほとんどは海外から来た人間なのだ。

「……でも、何を書けばいいんだろ……。内容に困るなぁ……」

 白紙の便箋は何だか差し迫った課題のようで、赤緒は後頭部を掻いて唸る。

 どうやら苦戦しているのは自分だけではないようで、エルニィもさつきへとアドバイスを乞うていた。

「……さつきってさ。普段は何考えながら手紙書いてるの? ちょっと言ってみてよ」

「私、ですか? ……そうですね、お世話になった方の顔を思い浮かべながら、どんな時にどんなことでお世話になったのか、それをしっかり、要点を押さえて書くようにしています。あんまりだらだら書いちゃうと纏まりがなくなっちゃいますので。言いたいことだけを正確に、かといって漏れがないように、とはいつも心がけていますけれど」

「うーん……ツッキーとシールも何がお世話になっているかって言うと、そりゃー、人機の整備関連なんだけれどさー」

「言われて嬉しいことは相手も嬉しいはずですから、それを思い浮かべるのも手ですよ?」

 さつきの助言にエルニィはあっ、と思い至る。

「そういやこの間、ツッキーに二万借りたんだった。あれ、返す日を決めとかないと後で大変になりそうだし……。あー……シールにはこの間のポーカーで負けが込んじゃって三万負けたんだっけ? それも書いとかないとかなぁ……」

 エルニィは普段、一体何をしているのだとは思ったものの、赤緒もさつきも口には出さない。

「うーん……でもよく考えたら晩御飯の注文って、直接言えばよくない?」

 南は本末転倒なことを言い始める。

「……そもそも、お世話になるって定義が曖昧なのよ。何をどうすれば、お世話になるって言うの?」

 ルイの思わぬところでの正論に、さつきは困り果てている。

「……やはり、カタカナでは駄目なのか? ひらがなと言うのはどうにも書きづらい。文字がのたうってしまう」

 メルJの思わぬ意見に面食らいつつも、さつきは丁寧に全員へと添削を施す。

「えっとー……まずは南さん。直接言うのが憚られることも言えるのが手紙ですので、何か気にかかったことでも書けばいいんじゃないでしょうか? それとー……ルイさんはお世話になっている方は多分、思っているよりも多いと思いますので、何となく思い浮かんだ程度でも大丈夫ですから。手紙をもらって迷惑だと考えるよりかは、嬉しいと考えるほうが多いので……。ヴァネットさんは、そのー……カタカナだと何だか仰々しいと言うか、ちょっとびっくりしちゃいますので、ひらがなの練習だと思って気楽に構えていただければ」

 その指摘に三名とも頭を抱える。

「あのー、さつきちゃん。もしかするとできればお手本があるといいのかも……」

 自分の出した助け船に三人とも即座に乗っていた。

「そうよ。元々そういう催しでしょ、これ。ならお手本があればいいものが書けるはず!」

「そうね、さつきが先生ならお手本を示してもらわないと。生徒には示しがつかないわ」

「……まぁ、ひらがなの練習だと思えば確かにそうなんだが、それにしたって限度があるだろう」

「えっと……で、では私の女将さんに宛てたのでよければ、お出ししますので……」

 さつきは卓上に手紙の一部を差し出す。

 しかし、直後には三人とも神妙な顔つきになっていた。

「……何だか、私の考えていた気楽な手紙と違うんだけれど……」

「漢字が多過ぎなのよ。読めないわ、さつき」

「……ひらがなもこんなに書かないといけないのか……」

「あ、あくまで一例ですので! この通りとはいかないでしょうし……」

「……それにしたって、ねぇ? 女将さんって結構厳しい方なのはさつきちゃんから聞いた限りじゃ想像できるんだけれど、これってもうお客さんに出しているような文体よね?」

「あっ、はい……。女将さんはそういうところも見られますので、私が日課をさぼっていないかだとか……」

「……無理。漢字が多くって頭の奥がキリキリ痛くなって来たわ」

「……ひらがな……」

 三人ともめいめいの理由で頭から煙を上げている。

「か、簡単でいいんですよ! お手紙は気持ちが伝わるのが第一ですから!」

「……いや、でも簡単でいいって言ったって……うーん……お手本が上手過ぎるとこういうことが起こるのね」

「見ていると何だか書くと言う行為そのものに嫌悪感を抱きそうね」

「……ひらがなと漢字とカタカナを全部使わないといけないのか……」

「あー、もう! 三人とももうちょっとちゃんとやってってば! せっかくの手紙を書こうって言う試みじゃんか」

「……とか言ってエルニィ、あんたのちょっと見せてみなさいよ」

「えっ、ボクの? いいけれど、何?」

 ぺらり、と南が手に取ったそこに書かれていたのはシンプルそのもので、「月子 二万円 シール 三万円」と書かれていた。

「……あんた、賞金首の名前じゃないんだから、これじゃ手紙って言わないでしょうに」

「えっ、駄目? でもさつき、手紙って別に文体決まってないよね?」

「あっ、はい……。ですがこれだと……確かに賞金首の依頼料みたいに見えちゃうので……」

「えーっ! 駄目なの? ……もう、文句が多いなぁ」

「あんたがやり出したんだから、ちょっとはマトモなの書きなさいよ。……って言うか、この調子だと日が暮れちゃいそうだわ。とっとと書いちゃいましょう」

「そうね。今はとりあえず、書くことで場を納めましょう。どうせ、手紙なんて気持ちだとか言うけれど、読めればいいのよ」

「……だが、ならば余計にカタカナでは駄目だろうか……?」

 三人分の逃げ口上を受けつつ、さつきは当惑していたので赤緒が言い返す。

「駄目ですよ、皆さん。手紙は確かに気持ちが伝われば一番ですけれど、そればっかりってわけにもいかないでしょうし」

「……とか言いつつ、赤緒。一文字も書いていないみたいだけれど?」

 隣のエルニィに指摘され、赤緒は慌てて便箋を隠す。

「ま、まだ書くことが思い浮かばないだけですからっ!」

「そう? 何だかさっきから一文字も書いていないの、赤緒だけっぽいよ? これは取り残されちゃうかもねー」

「か、書きますよ! ……書きます……」

 尻すぼみになってしまったのはやはり、思い浮かばなかったからだろう。

 手紙にここまで悪戦苦闘するとは思っておらず、赤緒はペンを持て余しながら文面を思案する。

「……でも何を書けば……いいんだろ……」

「――いやぁ、夕飯は手紙に書いた通りにエビフライでよかったー! ……って赤緒さん、まだ書いていたの?」

 軒先で一人、便箋と向かい合っている自分に対し、南は声をかけてくる。

「あっ、南さん。それが……はい。本当に思い浮かばなくって……」

「何でもいいってさつきちゃんもエルニィも言っていたじゃない。本当に何でもいいんだってば」

「……でも、本当に何も浮かばないんです」

「分からないわねぇ。赤緒さんは日本人でしょ? だったら私たちみたいに日本語で悪戦苦闘することはないはずだけれど」

「それはそのー……はい。日本語は大丈夫なんですけれど、……言葉が出てこないんです。何だか、どれもこれも、ちょっと嘘くさい気がして」

「手紙なんだから気持ちが伝われば一番なんじゃない?」

「それも……言っちゃえばその通りなんですけれど、気持ちって……何なんでしょう?」

 かなり抽象的なことを聞いたせいだろう。南は唇をへの字にして当惑していた。

「……気持ち、ねぇ。それは答えの出ない話だわ」

「……ですよね。でも、だからこそ分かんないんです。誰かに宛てる言葉ってその、自然と出ないといけないものじゃないですか。だって言うのに私、無理やりにでもひねり出そうとして、それでうまくいかないんです」

 何だか言葉を並べれば並べるほど、虚飾めいたような気がしていて。

 今の自分にはどの言葉も過ぎたるもののように感じてしまう。

 ため息を一つつくと、南は中空を見やって口を開く。

「……言葉に詰まった時って、でもそれも大事な時間だと思うわ。赤緒さん、あなたが誰に宛てる手紙を書いているんだとか、誰への言葉を悩んでいるのかは分からないけれどでも、それってとても素敵な時間だと思うの」

「素敵な時間……ですか?」

「ええ。だってそれだけ……思いが形になりにくいってことは、その人のこと、ちゃんと思っているっての証だろうし。きっと誇っていいのよ。何行でも、何文字でも、何なら一言だって。その思っていることを刻みつけるのが、手紙なんだろうから。あ、私ってば分かった風なこと言っちゃったかも」

「いえ、全然……。でも、そっかぁ……。思っている証なんて、考えもしませんでした」

「それも、自信を持っていいはずよ。文字に出しづらいってことは、それはきっと、思っていても言いづらいってことの裏返し。でもさつきちゃんも言っていたでしょう? それを綴るのが、手紙なんだって」

 南は立ち上がるなり、踵を返していく。

「お風呂、先にもらってくるわ。赤緒さん、その気持ちを大事にね」

 手を振る南に赤緒は呆然と手を振り返してから、白紙の便箋と向かい合う。

「……誇っていい、私の気持ち……」

 それならば、と文字をぎこちなくだが書き始める。

 ――自分の気持ちを、想っているそのままでいいのならば。

「――両兵! 郵便でーす! 起きてー!」

 朝早くから屋根の下より自分を呼ぶ声を聞いて、両兵は身を起こす。

 にゅっと屋根瓦から顔を出すと、郵便服姿に身を包んだエルニィが鞄を叩いていた。

「……立花。何やってンだ? 今日は仮装大会か?」

「違うってば。ほら、手紙。赤緒からだよー」

「柊から? ……何だ、爆弾でもついているんじゃねぇだろうな?」

「失礼なことを言うなぁ、両兵も。はい」

 差し出された封筒を開けると、書かれていたのは赤緒が改まってのこれまでの謝辞と、そしてモリビトに一緒に乗ってくれていることへの感謝の言葉だった。

「……何だ、何だ、急にかしこまっちまって」

「手紙を書いたんだ。それぞれ、誰かに宛てるためにね。ボクは配達員として、届けに来たって言うわけ」

「……そうか。あいつもまぁ、口だけじゃねぇってことか。操主として少しは成長していることを、文字で書き表されンのは……何かこそばゆいものがあンな」

「何言ってんのさ。両兵、赤緒だけじゃないよ。はい、ボクからのと、ルイからのと、メルJのとさつきの分!」

「お、おいおい! 何だってこんなに手紙ばっか……!」

 抱え切れない手紙の数々にエルニィはイタズラっぽい笑みを浮かべる。

「何言ってんのさ。それだけ想われているって証じゃん。それに、赤緒だけに抜け駆けさせるボクらだと思った?」

 確かに。他のメンバーの性格上、赤緒が自分に宛てたのならば、それなら自分もとなるのは知れているだろう。

「……にしたって……。おっ、さつきはさすが、字が上手ぇな。黄坂のガキは……のたうったみたいな字だしところどころ間違ってるが、読めるっちゃあ読める。ヴァネットのは……こりゃ誘拐犯の犯行声明か? カタカナばっかだぞ。それに……お前のもか」

「よかったね、両兵っ! 思われている証でいっぱいだ。じゃあボクはこれから手紙を送りに自衛隊にまで行ってくるから。あっ、それと一個だけ。その手紙たち、両兵が思っている以上に重いんだからねー。覚悟しなよ」

 柊神社の石段を駆け抜けていくエルニィの背中が見えなくなるまで見送ってから、両兵は抱えた手紙の数々を改めて見やり、ふと呟いていた。

「……ったく、抱え切れねぇ想いってのは、いつだって重いもんだろうが」

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