JINKI 165 ほろ苦くも美しい日々

 シールの抱え切れない包装紙の一つにはピンク色のリボンがあしらわれている。

「それってもしかして……チョコレートですか?」

「あれ? 日本って言えば、この季節って馴染みあるんじゃねぇのか? ほら、バレンタイン……」

「あー……はい。そう言えば……そんなのも……」

 頬を掻いたのは単純に忘れていたのもあるが、何よりも自分には縁のないイベントだったせいもあるだろう。

「シールちゃん、また箱で来てるよー」

 段ボールいっぱいに詰め込まれたチョコレートを月子は運搬し、はぁとため息をつく。

「……またかよ。オレはだからこういうの、嫌なんだってば」

「そんなこと言ったって、ルエパじゃシールちゃん、モテモテなんだから」

 シールは想定外だ、とそのうち一つの包装紙を解いて噛り付く。

「ったく、女ばっかりからとやかく送られてくるのもなー」

「……シールさん、人気なんですね……」

「あっ、そっか。青葉ちゃんは知らなかったっけ? シールちゃん、男勝りだからこの時期になると大変で。特にルエパは女の子ばっかりだから。それに、先生も」

「また私宛てに……? この季節は参りますね」

 先生――ルエパアンヘルの水無瀬はロッカーに詰め込まれたチョコレートに辟易しているようであった。

「でも不思議……。こっちでも日本の風習ってあるんですね……」

「そりゃー、ほとんどが日本人だからな。こっちに帰化しているとは言え、日本の風習は消したくないって言うのがアンヘルの共通なんだろうさ」

「でも、私……バレンタインにチョコレート……渡したこと、ないかも……」

 呟いた自分に月子とシールが顔を見合わせる。

「一度も? 本当に?」

「あ、はい……本当に」

「でも青葉、共学だったんだろ?」

「共学だからって、男の子と仲良いわけじゃなかったから……」

 そもそも自分の性格ではクラスの男子に女子の一人として数えられていたかも怪しいものだ。

 苦笑する青葉に月子とシールは視線を交わし合って、ふと声にする。

「じゃあ小河原君は? 今年くらいはバレンタイン、彼に渡してあげれば?」

「両兵に……? うーん、でも私、急にそんなことしたら、色気づきやがって、とか言われちゃうかも……」

「大丈夫! どれだけ小河原君にデリカシーがなくっても、一年に一度なんだもん! 受け取ってくれるよ!」

「そう……ですかね……でも、両兵かぁ……」

「何だ、青葉。嫌なのか? 嫌なら無理することは」

「あっ、無理とかじゃなくって……。ここに来るまで、当たり前に一緒に居た人間だから、何と言うか、急にそんなことして……変だと思われないかなーって……」

「ただでさえ人手不足っちゃ人手不足ではあるが……、そういう日なんだから変とは思わないんじゃねぇか?」

「そうそう。それに、小河原君だって青葉ちゃんに想われているんだって自覚できるだろうし。お互いにとっていいじゃない」

「お似合いだぜ、青葉」

 シールの若干茶化しの入った声音に青葉は特に意識したつもりもなかったが、じゃあ、と二人の言葉通りに従う。

「今からその……チョコレート買いに行くの、手伝ってもらえますか……? あ、整備とかあるんなら別に……」

「いいや、いいぜ青葉。両兵にチョコレートくれてやるんなら、それなりのほうがいいだろうしな」

「私もお供するよ。でも……小河原君、どんなのがいいんだろう……?」

 それに関しては三人で渋面を突き合わせても始まらないので、青葉はとにかく、と外出していた。

「街に出てから考えてみましょうか」

 海外の街並みを歩くのは新鮮で、何よりもこうして《モリビト2号》が完成してからのぶらつくような用事はなかなかない。

 雑多な人波と、そしてどこか浮かれ調子な笑顔をすれ違うたびに見かける。

「毎日……モリビトを乗りこなす訓練ばっかりだったから……」

「そうだな。オレらもたまには外に出ないと窒息しちまう」

「シールちゃん、外に出る口実が欲しかっただけじゃない?」

「うっせぇな、月子。いいんだよ、別に。青葉が出たいって言うんだから」

「もうっ。でも、青葉ちゃん、予算はどれくらいあるの?」

「えっとー……日本円だと三千円くらいですかね……。ちょっとしたものしか買えないかもだけれど」

「三千円もありゃー、それなりのチョコレートにも手が届くだろ。しかし、チョコレートを買う側にはなかなかならないから新鮮だな」

「まぁ、私たちルエパはカナイマから離れているから。でもシールちゃん、グレンさんには送ったんでしょ? 今年も」

「おまっ……! 月子! それ言っちゃ……」

「グレンさんに? そうなんですか?」

 シールは紅潮した頬を掻いて明後日の方向を向く。

「ま、まぁな。あ、あいつら、一年中男だらけの出涸らしだ! オレくらいの人間がサービスしてやらねぇと、一生チョコにもありつけんだろ!」

「……でも、心配だよね。青葉さんの話じゃ、軍部に抑えられているだっけ? ……今年は古屋谷君にチョコレート届いているかな……」

「えっと……でも多分、大丈夫だと思います。きっと、みんな、無事だと思うから……」

「そう願いたいがな。おっ、青葉! これなんてどうだ?」

 シールが指し示したのは、意外にも乙女趣味なオーソドックスなハートのチョコレートであった。

「……シールちゃん、今、意外って思われてるよ?」

「う、うっせぇな! オレだって女なんだよ!」

「でも……かわいいチョコレートだから……私からあげると迷惑かも……」

「そんなことないよ、青葉ちゃん! バレンタインは一年に一度っきり! 男の子に思いを伝えるのにはぴったりなんだから!」

「月子、お前……バレンタインにかこつけて言いたいこと言ってねぇか?」

「そんなことないもん! シールちゃんだって、何だかんだで趣味は女の子なんだから」

「下手に仰々しくやるよか、こういうのはシンプルでいいんだよ。青葉、これ買おうぜ」

「うーん……でも私……らしくないかも」

「お前らしくって……じゃあもうちょっと見ていくか?」

「普段は地下で人機の整備に追われているから、たまには遠出もいいかもね」

「……まぁなぁ。メカニックの腕に関して言えば、オレらを信用してくれんのはいいんだが、連日地下で、ってのは息が詰まっちまう」

「そう言えば、先生……水無瀬さんとかって外出とかしていないのかな……?」

「あー、あの人たちに関しちゃ大丈夫だろ。オレらよか存分にブラジルを楽しんでいるはずさ」

「先生、女の子からも人気なのよ。ほら、これ」

 差し出されたのは麗しいかんばせの女性の写真であった。

「えっ……これって……」

「女優時代の先生の写真。すっごい美人だよね」

「……へぇー……アンヘルの中にもそういう人生を選んだ人も居るんですね……」

「まぁ、カナイマとこっちじゃまるで違うさ。あそこは古代人機討伐の最前線だからな。張り詰めた空気はあったろうぜ」

 確かに、古代人機がいつ攻めて来るかも分からない緊張感は強かった気がする。

「でも、チョコレートって一口に言っても色々あるから。今日はたくさん見て、小河原君に喜んでもらえるような、そんなチョコを選ぼう!」

「……はい! 私なんかでも……喜んでもらえるように」

「あと、言い忘れていたけれど、別に敬語いいぜ? オレも月子も青葉とそんなに年変わらねぇだろ? タメでいいって」

「そうそう。敬語使われるほどじゃないから。私も普通に接してくれればいいし」

「二人とも……。はい……あっ、違った。うん、そうなれるように……ううん、そうしたいかな」

「よぉーし! そうと決まりゃ、チョコレート探しだ! 青葉! とっておきのチョコレート、両兵の奴に食らわせてやれよ!」

 シールがずんずんと前を行くのを月子が呆れ調子で制する。

「もう、シールちゃんってば。でも、あれで喜んでいるのかもね」

「喜んでる? シールさんが?」

「シールちゃん、後輩身分みたいな子ってあんまり見てこなかったから。青葉ちゃんが来てくれて、張り切っているのかも」

 張り切っている、と言われてみると、シールの少し空回り気味な陽気さも頷けてくる。

「でも、いいのかな? だってシールさんも月子さんも、自分の用事が……」

「私たちはいいから! 青葉ちゃんのとっておきを、小河原君にあげないとね!」

 月子に背中を押され、青葉はうん、と気持ちを新たにする。

「……両兵に、チョコレート……。よし!」

「――いやー、しかし意外と買ったなぁ」

「もう、シールちゃん、自分の分も買っちゃうんだもん」

「お返ししないと駄目だからなー。やれやれ、モテるってのは辛いねぇ」

 しかしシールが言うと少しも嫌味ではないのが不思議で、青葉は買っておいたチョコレート一つ、そっと手のひらに乗せる。

「……こんなので喜んでくれるかな……」

「あの両兵だってバカだって言ったってそこまでバカじゃねぇだろ。青葉の気持ち、喜んでくれるに決まってるさ」

「そうそう! それに私たちも選ぶのに協力したんだもの。ファイトだよ! 青葉ちゃん」

「う、うん……。よぉーし……渡しに……行ってくるね、二人とも」

 ぐっとサムズアップを二人分受けて、青葉は両兵の部屋へと歩を進める。

「……でも、どう渡せばいいんだろう……」

 バレンタインなんて浮ついた行事、今の今まで全く縁がなかったのが悔やまれる。

「……迷惑だとか……言われないかな」

 今さら鎌首をもたげた不安を抑え込むように、青葉は深呼吸を一つして、両兵の部屋の扉を叩こうとした、その時だった。

「両兵! はい、ボクから!」

 エルニィの声に青葉はハッとして扉の陰に隠れる。

「……ンだよ、それ」

「何言ってんのさ! 今日はバレンタインデーでしょ? ジャパンじゃ、こうやってチョコ渡すみたいじゃん」

「……お前がオレに? 毒とか入ってンじゃねぇだろうな?」

「失礼だなぁ! ボクがあげてるんだから、感謝してよね」

「へいへい、じゃあもらっといてやらぁ。……にしたって浮ついた行事を唐突に言ってきやがって。こっちにもそういう風習あンのか?」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です