JINKI 165 ほろ苦くも美しい日々

「うーん……じーちゃんには毎年渡してはいたけれど、微妙かなぁ。両兵はないの? 渡されたこと」

「……昔、いっぺんだけあったな」

 その言葉に青葉はぎゅっと胸の奥が痛むのを感じていた。

「えっ、この両兵に? そんな酔狂な人間も居たんだ?」

「……てめぇ、今自分が渡しておいてそれを言うかよ。だがまぁ、その一回きりだ。アンヘルに来てからは、男連中から貰うなんざ気持ち悪ぃこともなかったし、まぁバレンタインだとかそういうのも忘れ切っていたな」

「へぇー、じゃあその一回きりの子のこと、覚えてるんだ?」

「ん? ……まぁ、最近思い出したって言うかだな……」

「何? 両兵にしては煮え切らない言い種じゃん。もしかしてー……初恋だった?」

 エルニィの正面切っての質問に、両兵はまんざらでもないように頬を掻く。

「まぁ、……それをそう言うのならば、そうなのかもしれんな」

 青葉は聞いていられなくなって駆け出してしまう。

 その際にエルニィがこちらを察知していた。

「誰……? 青葉……?」

「何……青葉だと?」

 青葉は駆け出してから、ここは地下なのだと思い知る。

 どこにも、顔を合わせない場所なんてない。

 だから、モリビトの格納デッキで立ち止まったところで、追いかけてきた両兵を背中に感じていた。

「……何だってンだ。急に走り出して。要があるんなら言えよ」

「……いい。何でもない」

「何でもねぇ奴の口調じゃねぇだろ。何かあったのか?」

「……何でもない! ……両兵は、エルニィから貰ったじゃない」

「立花から……? もしかして、こいつのこと言ってンのか?」

「よかったよね、別に! ……初恋の人が居たなんて、知らなかった。馬鹿見ちゃうところだったじゃない……」

 そう呟いた自分に、両兵は嘆息一つで歩み寄って、ぽんと頭に手をやっていた。

「……そんなことでヘソ曲げてんのか」

「そ、そんなことじゃ――!」

「初恋かどうかはともかくとしてだな。……オレにチョコレート昔くれたの、お前だろ?」

 えっ、と言葉に詰まった青葉に、両兵は深いため息をつく。

「……今回はお前が忘れてやがったのか。昔……日本に居た頃にオレにチョコくれたろうが。他のガキ共に混じっていたが、そのことだけはハッキリと覚えて……ああ、いや。最近思い出したんだったな」

「……そういえば両兵、私のこと男だって思っていたんだよね」

「しょうがねぇだろ。チビだったんだからな。いつもオレの後ろを付いて回るような」

「ち、チビって言わないでよ! ……あれ、でもじゃあ私……男の子にチョコレート渡したこと、あったんだ」

「いつもの逆パターンか? オイ。いっつもならオレが忘れているところをウジウジ言ってくるクセに、今回ばっかりはオレが覚えていたな」

「……そっか、私……とっくの昔に気持ちは決まっていたんだ……」

 何だか可笑しくなってしまう。

 先ほどまで泣きそうだったのに、そんな昔に自分の気持ちは分かっていたなんて。

「……で、その手に持っているものは何だよ」

「あっ、これは……」

「貰えるもんなら、オレは別に構わん。何よりも……気持ちってのは案外、月日だとか関係ねぇモンだ。貰える時に貰っておくのも大事だろうさ」

「……両兵。その……ゴメンね? 今回は私が忘れていて……」

「昔の話だろ。オレらにゃ、今がある」

 そうだ、今があるのだ。

 そしてこれから先に待つ、未来も――。

「両兵っ……! ハッピーバレンタイン」

「おう。貰っておくぜ、青葉」

 差し出したチョコレートを受け取って両兵は踵を返す。

 その途中で、あれ、と気づく。

「でも……何であんなに……初恋だとか、意識してたんだろ」

 そればかりは明瞭化する言葉を今は持たない。

 持たないが、それでもいいのだと思えていた。

 だって自分たちには、今がある。そして、明日があるのだから。

 だから、バレンタインデーを祝うくらいはきっと、その先に待つ運命のために――。

「――時に、南さん。今日はバレンタインデーらしいですが」

 切り出したダビングの声に、南は淹れておいたコーヒーを噴きこぼすところだった。

「あっ……! あんた何言って……!」

「いや、貰えないのかな、と思ったのですが」

「……あんたねぇ、普通こういう時、貰う側が催促しないものなのよ」

「アンヘルにはそういう行事は無縁だったのですか」

「……無縁って言うか、私は現太さん一筋だったから。毎年渡してはいたんだけれど」

「相手にされていなかったと」

 そう言われてしまうと反論できないが、今の自分には強力な一手が存在するのだ。

「……いいのかしらね? そんなこと言って貴重なチョコレートを台無しにしても」

「生憎ですが、僕は案外、軍部ではそこそこモテますので」

 互いに探り探りの沈黙が降り立つ中で、下手な駆け引きは無意味、と南はラッピングしたチョコレートを差し出していた。

「分かったわよ! ……はい、これ」

「おや、これはまさかの手作り……?」

「現太さんに渡していたうちに、チョコ作りは上手くなっちゃったのよ」

「ほう……意外に美味い……」

「意外とは悪かったわね……。じゃあね、ハッピーバレンタイン!」

 言い捨てて南はダビングの部屋の扉を閉め切ってから、はぁと嘆息をつく。

「……ったく、これだから始末に負えないのよねぇ、バレンタインデーって言うのは」

 だが想いを届けるのには、これ以上の日はないだろう。

 ――それはきっと、誰にとっても、ほろ苦いイベントには違いないのだから。

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