JINKI 166 魂の故郷は何処へ

「いや、だってよ。お前の話じゃ、すぐに着くって話だっただろうが。言っとくが、合流地点を知らされないまま同乗させられたオレの身にもなってくれよ」

「それは……申し訳ないとは、思っているが」

「つかよ、別段、合わせる必要性はなかったんじゃねぇのか? お前、前に言ってただろ? シュナイガーを奪取した時に見ていたのは海だったって。だってのに……わざわざ言い出すもんでもねぇだろ。――里帰りとかな」

 両兵の言葉にメルJは僅かに頬をむくれさせ、そうしてから言いやる。

「嫌……なのか?」

「嫌って言うか、よく分からんって話だ。そもそも何で……お前みたいな根無し草気取ってる奴が、急にってのもある」

「それは……私にも思うところがないわけでもないと言うか……」

「同行を唐突に言い出した黄坂の奴も分かンねぇし……どういうつもりなんだか……」

 しかし、不満を漏らす一方で、両兵は乗機である《バーゴイルミラージュ》のインジケーターを確認していた。

「……それでも、水先案内人くらいにはなってくれるんだな、小河原」

「空戦人機なんて慣れてねぇンだ。そりゃー、お前、こっちだって命がけだっつーの。しかし、随分とチューニングしたもんだな。こりゃ、もう元の《バーゴイル》の元型残ってねぇだろ」

「……それはいいじゃないか。私が扱うんだ。シュナイガーくらいの加速度がなければ張り合いがない」

「その結果が、血続以外を拒むくらいの速度を実現するだけの性能って奴か……。まぁ、今みたいにゆったりと進んでいるんならいいんだがな。どこから襲ってくるか分かったもんじゃねぇ。警戒は怠るなよ」

「……そっちこそ。誰に言っている」

「へっ、そうだったな。上操主はあのメルJ・ヴァネットだった」

 お互いに減らず口を叩いていると少しは救われるようで、メルJは空を眺める。

 あの日――紅蓮と血の赤に染まった、彼方の地平――その記憶が脳裏を掠めたのも一瞬、メルJは絶望的なビジョンを振り払っていた。

「……この先に、待っているに違いないんだ。なら、私は……」

 ――話は半日前に遡る。

「あれ……? さつきちゃん、旅行にでも行くの?」

 居間で旅行用鞄に着替えを詰め込んでいるさつきを赤緒が認めて尋ねていた。

「あ、いえ……少しだけ情勢も落ち着いてきましたし、私、一旦旅館に顔を見せに行こうかな、って。南さんも納得してくださいましたし」

「まぁ……色々あって学校に通えたり通えなかったりもするもんね……。帰れる時に帰ったほうがいいのもそうかも……。でも、さつきちゃんのお家……旅館って東京にあるんだっけ?」

「はい。奥のほうですけれど。色々と現状報告もしないといけなさそうなので、泊まりで」

 赤緒はさつきの実家に関してはほとんど聞いていないことに気づくが、それも彼女だけのものなのだ。あまり根掘り葉掘り聞くものでもない。

「それじゃあ……何日かは留守に?」

「ええ、五郎さんにその間の献立は任せておきましたので、不自由はないかと思いますけれど、もし何かあったら、旅館まで電話をかけて頂ければ」

「そっかぁ……。うん、でもみんな、帰る場所があるんだよね……。だから、これは里帰りみたいなものなんだ……」

 茫然と呟いていると後ろからエルニィが歩み寄って来て肩に飛びつく。

 思わず赤緒は、わっ! と声を上げてしまった。

「なになにー? 面白いことしてるのー?」

「た、立花さん……。もうっ、脅かさないでくださいよ……」

「立花さん。私、三日後には帰ってきますので。その間の《ナナツーライト》の整備は……」

「ああ、うん。任せといて。なぁーに、たった三日間、防衛できないで何がトーキョーアンヘルだって言うのさ! さつきが居ない分も赤緒とかに分担振っておくから、心配しないでいいよー」

「えっ……あのぉー……初耳なんですけれど」

「そりゃー、今言ったからね」

 何だか拍子抜けだが、それでもさつきの里帰りを邪魔するわけにもいかない。

「じゃあ……そのさつきちゃん、気を付けて」

「はい。お土産を買って帰りますから」

「そんな、気を遣わなくっても……」

「そうよ、さつき。私はまんじゅうでいいわ」

 言葉を差し込んだのはルイで、赤緒は当惑してしまう。

「じゃあボクはせんべいねー。さつきん家、旅館なら名産物あるでしょー?」

「も、もうっ、皆さん! さつきちゃんにお土産たかってどうするんですか」

「いえ、いいですから。……ある意味、休暇をいただいているようなものなので。赤緒さんもお好きなものを買ってきますから」

 何だかここまで言われてしまうと立つ瀬もない、と赤緒は考えつつ、その背中を見送っていた。

「……でも、さつきちゃん、里帰り……かぁ……。皆さんも、故郷に帰ったりは?」

「ボクの故郷は今もキョムとの戦いの中だからねー。南米になかなか帰ったりはできないや」

「私も似たようなものよ。まぁ、そもそもカナイマが故郷かどうかと言われれば微妙だけれど」

「あ、その……ごめんなさい」

「何で赤緒が謝るの?」

「いえ、そのぉー……立ち入っちゃいけないことだったのかもなぁ、と……」

「別にいいんじゃない? 聞かれて困るんなら答えないだけの話だし。それに、キョムとの戦いが終われば、みんな離れ離れってわけでもないんだからさ。トーキョーアンヘルは結成されてまだまだなんだから。これからの組織だって言うのに、今からそんなこと想定してどうするの」

「それは……そうなんですけれど……」

 ふと、赤緒は庭先で射撃の訓練をしていたメルJを目に留める。

 彼女も同じようにさつきを見送ってから、不意にこちらへと振り返って歩み寄って来ていた。

「立花……さつきは旅行か?」

「ううん、里帰りだってさ」

「……里帰り? 何だ、その風習は」

「まぁ、単純に自分の故郷に帰って現状報告だとか、後は顔を見せに帰るとかかな。日本じゃよくあるんでしょ?」

 唐突に振られて赤緒は困惑する。

「えっ……あっ、はい……。お盆とか、お正月とかに帰るのが一般的みたいですけれど……。ああ、ゴールデンウィークとかもそうかも」

「……何で帰るんだ?」

「えっ……何でって……」

 そう問われると答え辛かった。

 なにせ、自分には記憶がないのだ。

 なので、故郷と言われてもまるでピンと来ない。

「あー、そっか。赤緒は困るよねぇ。まぁ、久しぶりに親に顔を見せたり、後は故郷の土を踏むことに意味でもあるんじゃない?」

 エルニィのフォローで何とか事なきを得たが、それでもメルJはどこか承服し切っていないようであった。

「……里帰り、か……」

「ヴァネットさん? どうしました?」

「……いや。黄坂南は居るか?」

「南さんなら、今ちょうどお台所に……」

「何よ。メルJ。私に用でもあるの? おっ、茶柱」

 湯飲みとせんべいを携えて居間へと戻ってきた南に、メルJは言いやる。

「私の《バーゴイルミラージュ》を少しの間、貸して欲しい」

「出撃指令は出てないわよ?」

 ずずっ、と緑茶をすする南に、メルJは顔を翳らせて応じる。

「いや、その……私も里帰り、……とやらをしたいと思ってな」

「……ヴァネットさんが、里帰り……?」

 呆然とする赤緒に南はせんべいを噛り付いてから、うーんと思案する。

「でも、あんた、それってつまり……」

「いや、いいんじゃないかな、別に」

 南の言葉を制したのはエルニィである。

 思わぬ形に南は抗弁を振るっていた。

「エルニィ? でも、メルJの故郷って言うと――」

「里帰りは……誰でもするもんだし、いいと思うよ。ただし、お目付け役は付けておかないとね。おーぅい! 両兵ー!」

 屋根の下から手を叩いてエルニィが呼びかけると、両兵がにゅっと顔を出す。

「……何だ、立花。今、ジジィと将棋打っていて勝てそうなんだよ。邪魔すんな」

「そんなことより。用事……って言うよりかは仕事かな。両兵は空戦人機搭乗の経験は?」

「……ないことはねぇが、もっぱら陸戦人機専門だ。もしもの時は分からんぞ」

「でもまぁ、いいでしょ。両兵の野生の勘なら、《バーゴイルミラージュ》の下操主席でも充分だろうし。両兵、ちょっとメルJの里帰りに付き合ってあげてよ」

「里帰りぃ? ……おいおい、何かの間違いとかじゃねぇのか?」

「間違いとかじゃないってば。ひとまず、空戦人機のマニュアルを渡しておくから、目は通しておいてよね。長距離になるだろうし、ちょっとばかし長旅かもしれない」

「勝手に決めんなっての。……ヴァネット、本当なのか? それ」

「……あ、ああ。だが別に他人を引き連れる必要は……」

「何言ってんのさ。この際だから、言っておくけれど、メルJだって《バーゴイルミラージュ》単騎じゃ危なっかしいんだ。それに、両兵が付いていれば、まずもって絶対に帰ってくるでしょ? その辺の心配もなくなる」

「オレは安全装置か何かかよ」

「まぁまぁ。ひとまず両兵付きで、と言う条件なら、メルJの里帰りも許可できる。いいよね? 南」

「……まぁ、反対する理由はなくなったけれど……。あんた、それでもトーキョーアンヘルの戦力が二人も居ないとそれは事よ?」

「大丈夫だってば。その間に関しちゃ、ボクらが引き受けよう。メルJは……両兵付きなら里帰りしてもよし。それでどう?」

 一度、両兵に視線を振ってから、メルJが尋ね返す。

「……それは信用されていると、思っていいのか?」

「どうだかねぇ。まぁどっちにしたって、メルJだって両兵を置いて帰るような人間じゃないでしょ?」

 一呼吸置いてから、メルJはようやく首肯する。

「……分かった。その条件を呑む」

 そう言うなり自室へと向かっていったメルJの背中を、赤緒は眺めて呟く。

「……あの、ヴァネットさんの故郷って……」

「うん。まぁ多くは語っていないけれどでも、友次さんからの情報じゃ……ね。それでも、一旦帰りたいって言ったのには理由があるんでしょ。なら、ボクらはその理由にはあんまし触れないほうがいいんじゃない?」

「それは……そうかもですけれど……」

「それに、下手な戦局でこういうことを言い出される前に、今ならそういう余裕もあるわけだし。まぁこっちとしても都合はいいわけ。でしょ? 南」

 南は軒先に座るエルニィを見据えつつ、せんべいを齧って渋面を作る。

「……そりゃー、管理職としちゃそうだけれど……。いいの? あんた。だって、メルJだって思うところがないわけじゃないでしょうに。こんなの、一回でも許してしまえば……」

「いやー、大丈夫でしょ。帰ってくるよ、メルJは。だって里帰りで出戻りとかはないだろうし」

「……信頼は、あるとは思っているんだけれどね。私も」

 赤緒は二人の間に流れる緊張感に耐えられなくなって、立ち上がっていた。

「あ、あの……お茶菓子持ってきますね……」

 台所に逃げ帰ってから、ふと気づく。

「あれ……でもヴァネットさんの故郷って……確か……」

「――見えてきたぞ。寒村、って感じだな」

 目視領域に入ったのは、霧に包まれた小さな集落地だった。

 さすがに《バーゴイルミラージュ》で降り立てば余計な混乱を生むかと思っていたが、メルJはそのまま村の中心地へと降下する。

「おい、いいのかよ。このままの軌道じゃ、村がパニックにでも……」

「いや、……そうはならないはずなんだ」

「……どういう」

「降りるぞ。下操主はあまり経験がないが、少し負荷がかかるかもしれない」

 僅かな重圧の末に《バーゴイルミラージュ》が不時着し、両兵は周囲を見渡す。

「……人が居ねぇな」

 コックピットを開け放って降り立つなり、誰かの気配でもありそうなものだと思ったが、村は不自然なほどに静まり返っている。

「……だが住居は残っている」

 メルJの声を背中に受けつつ、両兵は、で、と詰問していた。

「どこまで行くんだよ。お前の話なら、ここが故郷だって言うんだろ?」

「あ、ああ……そのはずだ。経度緯度共に……私の故郷を示している……。それそのものが、ある意味では間違いなのに……」

「ヴァネット?」

「いや、今はいい。雨風を凌げる場所を探そう」

 しかしメルJがその瞬間には、まるで習い性のように拳銃に弾丸を装填していたのを両兵は見逃さなかった。

 ――何かがある。いや、何かがあった、と見るべきか。

 言葉もなく、霧深い村を散策する。

「……デカい火事でもあったのか? 住居は全部焼き付いたみたいになってるが……」

「ああ。大きな厄災があったんだ。そのせいでここには誰も近づかない……。そう、私のように過去を知っている者でさえも……」

 メルJの声音に宿った暗いものに、問い返そうとした、その時であった。

 不意にメルJが膝を折る。

「おい! どうした、ヴァネット!」

「いや……すまん。少し頭が……」

 眩暈を覚えたメルJへと駆け寄り、その額に触れた途端、尋常ではない熱を感じ取る。

「……ヒデェ熱だ。ひとまずどっかの家に避難するぞ」

「いや……それには及ばない。自分の足で……」

 そこまで口にしたメルJを両兵は抱えて、近場の家へと押し入る。

「お、小河原? ……やめろ、こんな抱きかかえられるほどじゃ……」

「熱出しといて何言ってんだ、バカ。いいから、少し休んどけ。大方、空戦人機でここまでずっと張り詰めて六時間程度、疲れでも出たんだろ」

 押し入った住居はしかし、最低限度の家具もない虚ろであった。

「……誰も居ねぇのか?」

 ひとまずメルJを床の間に寝かせ、両兵は周囲を見渡す。

 どこか――この村に降り立ってずっとだが――何者かに見張られている感覚が張り付いている。

「……小河原……すまない。ふがいないところを見せてしまって……」

「腑抜けたこと言ってンなよ。……ヴァネット。本当にここが、お前の故郷なのか?」

 その問いかけに、メルJは熱に浮かされた面持ちのまま応じる。

「……嘘は……付いていないつもりなんだ」

「それはマジでもねぇって話か」

「……私の故郷はもうこの地上には存在しない。そのはずだった」

「はずってこたぁ……そうでもない事実があるってことか」

「……この村は恐らく、グリム教会……私の村の者たちが意図的に遺した、自身の生活圏のコピーだ」

「何でそんなもんを遺す?」

 純粋な疑問だ。グリム協会とやらがキョムに降ったのならばその証拠を残しておく意味はないはずである。

「……それが彼らの在りようだからだろう。村の者たちは皆、シャンデリアに移住しているはずだ。だが、彼らより遥か以前……私たちの遺伝子に刻まれた故郷の記憶を持つ者たちが居る。それを兄……Jハーンは【グリムの眷属】と呼んでいた」

「……グリムの、眷属……」

 メルJからしてみれば因縁の名前が出ただけでも驚きなのに、この村は、では意図的に造られた偽物の村だとでも言うのか。

「……だが地上に残す意図が分からねぇ……。グリム教会だとか何だとかはオレは友次のオッサンみてぇに根掘り葉掘り聞く趣味はねぇけれどよ。ここが何かの意図の上で成り立っているのだけはマジだろ」

「……本来なら、グリム教会の者たちは皆、地上を捨て宇宙に上がったはずだった。だが、その中でも異端とも言える……村に残った者たちも居た。……皆が皆、才に溢れた者ではなかったということだ。グリム教会の教えを危険視した人々は地上に残り、そして村を繁栄させようとしたが……グリムの者たちはそれを許さなかった」

 メルJはどこか自嘲めいた声音でその話を続ける。

「……可笑しいだろう、小河原。彼らは自分たちこそがこの世で唯一の、生き残るべき眷属だと規定していたのに、同じ血を分けたはずの、それでも異端者たちを許せなかったのだから。……だから、炎で裁いた」

「……それがお前の記憶にある……」

「ああ。だから私はあの時より、引き絞られた弓矢なんだ……。異端者たちによってグリム教会を壊すためだけに存在する、鋭利なだけの武器に過ぎない」

 そこまで語ったメルJは一つ息をつく。

 つまりメルJにとってのこの場所は、始まりの場所であるのと同時に死に場所でもあるのだ。

 だが、それはあまりにも――。

「……ふざけんな……」

「小河原……?」

「ふざけんな、そんなもん……! 誰がお前に生きろと言った。誰がお前に死ねなんて命じた……! お前はもう、てめぇ勝手に生きていいんだ! そうじゃなくっちゃ、何もかも歪だろうが……! こんな村、灰になったほうがよかったんじゃねぇか。今もお前を縛り付けるものなんざ……この世に在ったってよ……!」

 自分の怒りにメルJは、フッと微笑む。

「……どうして、なのだろうな。トーキョーアンヘルに居た時はずっと……満たされたものを感じていた。もう私にとってのここは故郷でも何でもないのだろう。だが、それでも魂は縛り付けられるんだ。……さつきが里帰りと言った時、少しこみ上げるものがあった。私には何もない。どこにも帰る場所なんてない。だって言うのに、この地は私を制約し続ける。それはきっと、まだあの日から自分の中では時が経っていないせいなのだろうな……」

「時が経っていない……だと……。だが、お前は……! メルJ・ヴァネットは変わったろうが! それをなかったことになんてさせねぇ! させて堪るかってンだ!」

 その刹那、である。

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