「ひな人形ぉ? ……おいおい、今十二月だろ? 何だってひな祭りなんだよ」
「あれ……? 両兵、ひな祭り知ってるの?」
「……小退だからって、嘗めんなっての。それくれぇ知ってらぁ。あれだろ? ひなあられ食える季節だ。あれ、美味いんだよな」
両兵の理解はある意味想定内で、青葉は大きくため息をつく。
「……何だ、そのため息は。こいつにゃ一生ひな祭りなんて縁がねぇって思いやがっただろ」
「別にー。両兵だなぁ、って思っただけだもん」
「それだ、それ! それが馬鹿にしてるって言ってンだよ! ったく……。ひな祭り、昔お前ン家のばあさんが祝っていただろうが。そのあられが美味かったんだよ」
「あれ……あっ、そっか。両兵……両にいちゃん、うちに来てくれたことあったっけ……」
記憶の中にあった両兵の悪ガキっぷりと思い出すと少し微笑ましかった。
そう言えば、昔自分は両兵ともう出会っていたのだ。
このベネズエラという遠い異国で再開するまでに、既に。
その奇縁が、まさかこんな風に作用するなんて思いも寄らない。
「……何だ、青葉。今度は面白そうに笑いやがって」
「ううん。両にいちゃんは相変わらずだなって思っただけ」
「……それ、やめろ。整備班の前でカッコつかねぇし、昔のことだ。もう忘れとけ」
「忘れられないよ。……うん、だってきっと、忘れられない」
「……にしたって、立派なひな人形だな」
「両兵、笑わないんだ?」
「笑うもんでもねぇだろ。それに……こっち来てからとんと見てねぇもんだからな。日本がちぃとばかし……懐かしくなったのもある」
「普段は覚えてないって言ってるじゃない」
「覚えてなくったって日本人だからな。まぁ、何だ。何となくだ。今のは忘れろ、アホバカ」
「……忘れないって。だって両兵と私、もう日本でひな祭りを一緒にやったんじゃない。じゃあもう、忘れたりしちゃ、きっと駄目なんだよ」
整備班が酒を振舞い始める。まだ真っ昼間だがたまにはいいだろうという判断だ。
「けっ……整備班もヤキが回ったもんだ。男連中がひな祭りなんざ」
「だが両兵、何も馬鹿にしたもんじゃないだろう? 青葉君もルイ君も居るんだ。なら、少し時期外れだが祝おうじゃないか。ひな祭りをね」
その言葉に両兵は小さく呟いていた。
「この思い出も、まぁどうせ取るに足らねぇことだって、オレはきっとすぐに忘れてるさ」
「――柊。なに夜の境内に出てンだ。風邪引くぞ」
屋根から降りるなり、歩み寄ってきた両兵に、赤緒は境内に置かれたひな人形を仰ぎ見ていた。
「……明日には仕舞うらしいので、ちょっと見ておこうかなって」
「そうか。ひな祭り、って奴か」
「あれ……小河原さん、知って……」
「……お前らはオレを何だと思ってンだよ。ひな祭りくれぇは知ってるっつの」
「いえ、ちょっと意外だなって。……私、あんまり縁がなかったので」
「柊神社でも、か?」
「一応、桃の節句を祝う行事はあったんですけれど、それって参拝者の方に向けてなので、自分に向けてとかはあんまりなかったなって」
「まぁな。トーキョーアンヘルもここまで女所帯になるなんて思いも寄らなかったし、オレも縁のないイベントだと思っていたからな」
「小河原さんは……誰かとお祝いしたことがあるんですか? ひな祭りとか」
「……ん、まぁ、あるな。ちょっとしたことでよ。昔日本に居た時とかにな」
「……お昼に南さんから話を聞きました。カナイマにとても立派なおひな様があったって」
「そうか。話しやがったのか、黄坂の奴」
「……何だか不思議ですね。だって地球の反対側でも、ひな祭りしていたなんて」
「まぁ、祈る心だけは変わらねぇってことなのかもしれんな。そんでもって……やっぱ、簡単には忘れられねぇよ、あのアホバカ……」
「……小河原さん?」
その時には身を翻していた両兵は片手を上げていた。
「ひな壇、片づけンの手伝うから、明日起こしてくれよ。さすがに女連中だけじゃキツイだろ」
「あっ、はい……。いいですけれど……」
今一度、ひな人形を見やって、赤緒はそっと微笑みかけていた。
「……何だかちょっと、小河原さんが優しいって変ですけれど、でもそういうことも、一緒に見せてくれて、ありがとうございます」
ひな祭りはともすれば、女子の健康を祈るだけの祭事ではないのかもしれない。
一礼して、赤緒は踵を返していた。
――今は時季外れのひな祭りをしっかりと祝って、そうして仕舞っておこう。
思い出はきっと翳らないはずだから。