JINKI 168 明日に続く道を信じて

「……あんた、アンヘルのメカニックでしょ? その辺は知っておきなさいよ」

「でも、本当に意外。何でまた京都に? 前回、赤緒が迷子になって……それで何事もなかったところだよ?」

「……アンヘルの支部を作りたいんでしょ? 上役の考えはよく分かんないけれど、今のトーキョーアンヘルの資金繰りにだって結構こちとら苦労してるのよ? それなのに、京都にアンヘルなんて」

「南、相当ご立腹? まぁ分からないでもないけれどねぇ。ボクらに縁遠い場所に支部なんて作ってどうするんだろ。上は」

「……知ったことじゃないけれど、まぁ十中八九まともじゃないわ。にしたって、新幹線乗るのなんて結構久しぶりねぇ。駅弁買おうかしら」

「南って案外おのぼりさん? 赤緒のこと言えないよ?」

「言ってくれるわねぇ。あっ、お弁当くださーい!」

 せっかくだから旅は満喫せねば、と弁当を買い付けた自分に、エルニィは当惑顔だ。

「……あのさ、旅行に行くんじゃないんだよ? 今から、その目星付けた血続のスカウト。できるの?」

「ひっつれいねぇ……あんふぁ……」

「食べながら喋らないでよ……何だか気が削がれるなぁ。本当に京都にその血続が居るって言うの? 疑わしいような……」

 南は弁当をかけ込んでから、少なくとも、と語気を改めていた。

「……関係筋の話じゃ間違いないみたい。それにしたって、京都まで行って帰って、それで何も成果がありませんでした、じゃ話にならないって言うのに」

 南は出発前に友次より渡された少女の写真を取り出して、思い返していた。

「――京都に血続操主を探しに? ……何でまた」

「それが、全国的に血続を募った結果、やはりそうそう簡単にアンヘルの血続操主なんて出てくるはずもなく……」

「この間私がテレビで宣伝したじゃない。あの効果は?」

「ええ、まぁ効果はあったのですが、関東ではもう血続は居ない、と言う見方が強いようです」

「ふぅん……上は私たちよりも上位の情報網を持っているってわけ」

 何だか餌にされたようで気に食わないと南がふんぞり返っていると、友次は咳払いする。

「……ですが、関西のほうまでは手が回っておらず。……現状、一応はアンヘル構成員を送っていたのですが、その中で気になる少女が」

 友次が胸ポケットから取り出した写真を受け取る。

 そこに映っていたのはまだ年のほどはルイやさつきとさほど変わらない少女であった。

「……この子が?」

「ええ。名前は三宮金枝。中学校にこの間まで通っていたのですが……」

「何だか含みのある言い草ね。何かあったって言うの?」

「……どうも家庭の方針らしく、不登校のようです」

 その境遇に対して、別に入れ込むわけでもなければ突き放すでもない。

 ただ事実を述べられているのだと知った南は、写真の少女を見据えていた。

「……で、この子に特別なものがある、と」

「とは言っても、数少ない血続操主を観測した、というのが大筋の見立てですので、できれば南さんは、その少女に遭遇し、面談を……」

「なまっちょろいことを言っていないで、とっとと操主に仕立てろ……って言うのが上の意見でしょ?」

 正鵠を射ると友次は頬を掻いて困惑する。

「……真正直に言えばそうなりますが、彼女の立場を尊重したいのです」

「さつきちゃんや赤緒さんと同じように、か。でも、日本全国探し回って、案外に見つからないって言うのは不幸中の幸いかしら。キョムに先んじられる可能性だってあるんだからね」

「ええ、だからこそ、早急に彼女の確保を……と願いたいのですが、どうにも……」

「友次さんほどの人間が行方に困っているって言うの?」

「お恥ずかしい話ですが……どうやら彼女の血統も巫女の家系のようです。そういった……気配を隠す術には長けているようでして……」

「気配を隠すって……忍者でもあるまいし……。それでアンヘルの上のほうが諦めている仕事を私たちに任せられても困るんだけれど」

「ですが、数少ない血続。我々が知り得たとなれば、それは自然に……」

 友次の言葉の赴く先を南は了承していた。

「キョムの知り得る情報にもなる。……嫌になっちゃうわね。これじゃいたちごっこだわ」

「南さんと立花さんは三宮金枝さんの保護、をお願いしたいのです。もう日本のどこに居ても、安全とは言い難いですから」

「それもこれも、私たちの行いが招いた結果、か……。憂鬱になっちゃうわね」

 キョムに協力すると公にしている団体自体は少ないものの、相手の持つ圧倒的な武力と技術力に虜になってしまった実業家や組織も少なくないと聞く。

 このまま首都防衛戦だけで終わるとは思えないのだ。

「……敵は日本と言う国そのものを手中に収めようとしている……それも容赦なく、ね」

「立花さんには人機の出撃も加味するように言ってあります。もしもの時には、京都の地に《バーゴイル》が舞い降りる可能性も」

「……はぁー……了解。要は敵に攫われる前に、私たちの手でどうにか、……ってところか。我ながら嫌になっちゃう」

「三宮さんはまだ完全に確認していない血続です。キョムに囚われれば非人道的な実験を受ける可能性も高い」

「その前に、アンヘルによる保護……を名目にした相手との陣取り合戦か。京都にアンヘルの支部を作るって言うの、あれは本当なの?」

「……耳に入っていましたか」

「お喋りな構成員も居るのよ、世の中にはね。京都支部を作るのは正直反対……だけれど敵が手段を選ばないのなら、私たちが手をこまねいている間にこの国は落ちる……」

「ええ、ですから、出来うる限りの保護を。そうでなければ先回られます」

「でも、他の場所に人機なんて現れればそれこそ事よ? 日本人は人機の刺激に慣れていない。あんな巨体が街中を暴れたらどうなるのか……なんて東京でも理解なんてないって言うのに……」

「南米の二の舞にはしたくない……それはよくよく分かっているつもりです」

 友次の言葉には断ると言う選択肢はなさそうだった。

「……にしても、保護名目で確保、か。どっちが悪の組織なんだか分からなくなっちゃったわね」

「どっちにもないでしょう。正義も悪も、流動的です。我々は正しいと思ったことを遂行するしかないでしょう」

「……正しいと思ったこと、か」

 南は境内の格納庫へと視線をやる。

 こうして柊神社の日常を脅かしていることもまた、自分たちの中では「正しいと思ったこと」なのだろう。

 それが誰かの日常を侵犯するものであったとしても、正しいと線引くことでしか、成り立たない正義もある。

「どれだけご高説垂れたってね……結局私たちのやっていることは、誰かの日常を崩した上にあるのよ……」

 ならば自分はせめて、自分が正しいと信じたものの上で――。

「――南。南ってば! どったの? ぼーっとしちゃって」

 エルニィに肩を揺すられ、南はハッと周囲を見渡す。

「京都……着いちゃったのね……」

「何時間前の話を言っているのさ。ここは京都の市街地……のはずなんだけれど……」

「人通りが少ないわね……」

 京都の中心街に当たる場所のはずなのだが、休日にも関わらず出歩いている人はまばらだ。

「……キョムの《バーゴイル》がこっちにも飛び回っているって言う話は本当だったってわけか」

「まぁ、普通の感性なら出歩かないわよね。人機が飛び回る場所なんて……」

 それでも、首都侵攻に比べれば京都の市街地が受けている損害はほとんどないように見える。

 いや、それも麻痺した感性なのかもしれないが。

「まぁ、もしもの時にはブロッケンを呼び寄せられる位置にあるし……本当にもしもだけれどね」

「……エルニィ。あんた今回の作戦、嫌々参加してるでしょ。態度で分かるわよ」

「うぅーん……まぁ大筋は、ね? 友次さんの言っていることも分かるし、キョムに攫われちゃってからじゃ遅いのも分かるから、大声で反対はできないんだよねー。それも立場上って言うか……」

「あんたも結構面倒な立ち位置になっちゃったわねぇ」

「しょーがないじゃん。ボクはトーキョーアンヘルのメカニックなんだからさ。嫌でも実行しなくっちゃいけない命令もあるって言う……」

 エルニィらに面倒を押し付けないのが自分の仕事のはずだったが、いつの間にかエルニィたちも背負っているのだ。

 ならば、自分の行いとは何なのか、と自問自答に陥ってしまう。

 ここで三宮金枝を保護し、いずれ人機に乗せることが幸福なのかどうか――きっとそれは押し付けになるであろう。

 自分が乗って前に出らればそれも違ってくるのだろうが、人機操主としては一線を退いた身。

 下手に前に出て撃たれてしまってからでは遅い身分だ。

 自分でも冗談でも上になるものでもない、と思い直す。

「……私は南米でヘブンズやってた頃がちょうどよかったのかもね……」

 そう呟いた直後、エルニィが立ち止まって指差す。

「……南、あそこ……」

「何よ、エルニィ。まさか三宮さんがその辺をうろついているわけないでしょ? はぁー……どっから探すべきなのかしらねぇ……」

「南、そこだってば。……その当人がうろついてる……」

 まさか、とエルニィの視線の先へと振り向いた南は開いていた鯛焼きの露店で一袋分の鯛焼きを買い付けている少女を発見する。

 何度か写真と本人を見比べてみるが間違いない。

「……本当に……三宮金枝……?」

 その言葉とこちらが注視していたせいであろう。

 金枝はむっと眉根を寄せて睨んできた。

「……何ですか。金枝にあなたたちのような知り合いは居ませんよ」

「えーっと……ちょっとお話……いいかしら……?」

「不審者ですか。最近多いみたいですね。まったく、金枝としてみれば、そりゃあ、耳目を引く見た目なのは自覚していますが、それにしたって真っ昼間からとは節操のない……」

 不遜そうにしつつも、鯛焼きを頬張るのはやめない黄色の着物姿の少女に、エルニィは当惑していた。

「……えっと……三宮金枝……だよね?」

 こちらが再三問いかけたせいで相手も警戒しているらしい。

 後ずさって鯛焼きの入った袋を遠ざける。

「……何ですか。せっかくたまに市内に出たと思ったら、まさかナンパですか。まぁ、金枝の容姿に見惚れるのは分かりますが、鯛焼きはあげませんよ」

「いや、そうじゃなくって……ちょっと話を聞いて――」

 そこで風圧が煽ったのを感じ取る。

 京都の市街地すれすれを飛翔するのは漆黒の機体であった。

 金枝が目を見開き、直後には駆け出している。

 その背中を、南は思わず追っていた。

「待って……! 下手に路地に入ると危ないわ!」

「南! ボクはブロッケンで相手の足止めしておくから、後はよろしく!」

「……よろしくって……ああ、もうっ! 脚速……っ!」

 金枝は京都の街並みを完全に把握しているらしく、街そのものを味方に付けて自分を振り切ろうとする。

 だが今はまずい。

 他のタイミングならまだしも、今逃げ切られるわけにはいかないのだ。

「……キョムの作戦展開が始まったってことは、敵の戦闘兵も出てくるはず……。こうして生身で相手するのは……ちょっとまずいわね……」

《ブロッケントウジャ》が空中展開する《バーゴイル》へと、装備したレールガンを掃射して対応しているが相手は小隊編成だ。

 こちらが不利な状況には変わらない上に、金枝に逃げ切られれば次はいつ発見できるか分かったものではない。

 チャンスは一回――それを心得た南は声を振り絞って呼び止めていた。

「待って……! お願い、待って……! 私たちは、あなたをどうこうしようっていう人間じゃ……ないの……」

 金枝が足を止める。

 ぜいぜいと息を切らしながら、南は汗を拭っていた。

「……では何で金枝の名前を知っているのですか」

「それは……」

 そこまで口にしたところで不意に気づく。

 道を塞ぐように、キョムの人造人間であるゾールがこちらへと疾走してくるのを。

 硬直した金枝の腕を引っ張り込み、南は路地の陰に隠れて銃撃していた。

 敵のうち、一体が倒れるも、それでも相手の気勢がやむことはない。

 追いすがってくる敵影に対し、金枝の腕を引こうとして、彼女はへたり込んでいた。

「……腰が抜けちゃって……」

 南はゾールの動きを確かめつつ、金枝へと叫ぶ。

「走って! 今は、あいつらにだけは捕まっちゃまずいんだから!」

 自身に鼓舞するように京都の迷路のような路地を抜け、南は振り向きざまに発砲する。

 金枝は銃撃戦そのものに慣れていないようで短く悲鳴を上げて耳を塞いでいた。

 だが今はそのほうがいい。

 下手にパニックに陥られるよりかはマシな判断だ。

 ゾールを退けても問題は――と南は上空の《バーゴイル》小隊を見据える。

「……エルニィ。持ってよね……私はこの子を……」

 そこではた、と立ち止まる。

 この子を――三宮金枝をどうすると言うのだ。

 自由意思なんて奪って無理やりアンヘルの操主に仕立て上げると言うのか。

 果たしてそれが正しいことなのだろうか。

 ルイやさつきと大して年も変わらない身の、ただの少女だ。

 偶然に血続の素養があり、偶然に自分たちが先に察知しただけ。

 目に涙を浮かべる金枝へと、南は何も言い出せなくなっているのを感じ取っていた。

 ――そうだ、何ができる? 自分は金枝を、少女の見た戦場を地獄に上塗りすることくらいしか……。

 だが身体は反射的に敵の動きを理解し、的確な銃撃網を迸らせていた。

「……何なんですか! 金枝は……ただ外に出ていただけなのに……!」

「今は黙っていて! ……敵を打ち倒してからいくらでも恨み言は聞くわ。でも今だけは……!」

 ゾールの額を撃ち抜き、南は金枝を連れてできるだけ市街地の外へと向けて駆け出す。

《ブロッケントウジャ》が《バーゴイル》の躯体を打ち据え、そのまま敵の頭部を地面に擦り付けている。

 放たれる粉塵、砕かれる建築物。

 恐らく、首都のようにこの街の人間は人機の襲撃に慣れていない。

 逃げ切れるかどうかも賭けなのだ。

 そんな中、金枝を連れ回すこと自体にリスクが付き纏う。

「何なんですか! もう嫌で――!」

「ああっ、もう! 本当に私も……何で……っ!」

 金枝の悲鳴を遮り、南は空へと銃撃を放っていた。

 金枝の声が止み、一瞬の静寂が訪れた後に、南は視線を配る。

「……信じて欲しいんだけれど、私はあなたの味方。だからここに来た」

 通用するなんて思っちゃいない。それでも、自分だけは信じてやらなければ誰が信じると言うのだ。

 この少女の未来に。

 彼女の掴む、明日の景色に。

 自分くらいは信じてやらなければ、彼女は永劫、彷徨うであろう。

 なら――地獄に落ちるのは自分の足からでいい。

 南は金枝の瞳を真正面から見据え、それから声にする。

「……私はトーキョーアンヘルの責任者。あなたを守るために、東京から来たの。今は信じられないことだらけだろうけれど……私の言うことを聞いて。あなたの話はそれからじっくり聞くから」

 その言葉が通用したかどうかは分からない。

 分からないが、金枝は驚愕に見開いた眼の中に、信頼の光を見出したような気がした。

 それはかつて、青葉の中に感じたものであり――今は赤緒たちの瞳の中に感じた光そのものだ。

「……今はひとまず逃げ切りましょう。エルニィが《バーゴイル》くらいなら蹴散らしてくれるから、あなたと私は人機……あのロボットから反対方向に逃げるのよ。分かる?」

 金枝ははっきりと口にするわけではないが、それでも頷いてくれる。

 ならば、まだ勝ちの目はあるはずだ。

 路地を折れ曲がってくるゾールを銃撃し、南は京都の街並みを駆け抜けている。

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