少し油断も出ていたのだろう。作木は花粉症の薬を探ろうとして、レイカルの疑問を背に受けていた。
「……創主様。カフンショウ? とは何なのですか?」
その問いかけに作木は困惑してしまう。
「……あー、そっか。オリハルコンって、風邪も引かないし、もちろん花粉症になんて……」
「ええ、なりませんとも」
うわっ、とレイカルが背後に立ったラクレス相手に大仰に驚いてしまう。
「お前……後ろに立つなって言ってるだろ!」
「あらぁ、レイカル。花粉症も分からないなんて、お馬鹿さぁん……」
「な、何をぅ! ……創主様、カフンショウと言うのは敵ですか?」
敵、と言われれば敵なので作木は曖昧に頷いてしまう。
「まぁ、敵かなぁ。この季節が辛い人に関して言えば……」
「では、敵ならば倒します! カフンショウとやらを倒させてください!」
自信満々のレイカルに、作木はどう返すべきか、と困惑する。
「……いや、そういう……倒せてしまうタイプの敵じゃないんだ」
「なんと……通常攻撃が通用しない敵ですか! それは戦い甲斐があります!」
「いや、確かにそうなんだけれど……うーん、これは人間にしか分からない感覚かなぁ」
「そうでしょう。オリハルコンは花粉症にならない、それはもう当たり前ですので」
「だよね……。となると、花粉症をどう説明したものか……」
自分がラクレスと共に分かっている感覚になっているのが、レイカルには気に食わなかったらしい。
地団駄を踏んで喚き散らす。
「な、何なんだ! 創主様もラクレスも! もういいです! ヒヒイロに聞いてきますからーっ!」
「ああっ、また窓を……」
そこでまたしてもくしゃみをしてしまう。
どうやら室内に花粉が大量に入ってきたせいもあるらしい。
今回は追いかけるのも難しそうだな、と作木はティッシュで鼻をかむ。
「……それにしても、人間と言うのは不便なものです」
「あ、やっぱり、そうなっちゃうんだ。……まぁ、だよねぇ……レイカルにはどうしても教えられないことの一つでもあるし、こればっかりは人によっては何ともない人も居るんだから、どうとも……」
「ですがこの季節、目や鼻がかゆくなったりするのは人間としてはある意味通例行事でしょう。花粉症と言うのは目に見えない分、厄介極まりないですわね」
「そうなんだよ……僕も子供の頃は花粉症なんて気にならなかったくらいなんだけれど、何だか大人になってから花粉症になることもあるみたいで……」
またしても大きなくしゃみをしてしまう。
「ですが、花粉症にかかると言うのは、それだけで人間の証。よいのではないですか。如何に作木様が無限ハウルを扱えようとも、どれほど優秀な正統創主であろうとも、花粉には勝てない、のですから」
ラクレスがサディスティックな笑みを浮かべる。
確かにどれほど超常現象めいた力が湧いて来ても花粉症に勝てないとなれば、それだけで形無しな気さえもしてくる。
「……でも、僕だけじゃないと思うけれどなぁ。花粉症相手に奮闘しているのは」
――へっくしょい、と大きなくしゃみをすると目の前のカリクムが飛んだ唾やらを払う。
「……うへぇ……汚いなぁ、小夜。それでも女優なのかよ」
「仕方ないでしょう! この季節ばっかりは……なんだから」
「私も似たようなもん……。花粉症持ちにはこの季節は辛いわね……」
ナナ子と小夜は机に突っ伏してマスクとティッシュを手離せないでいる。
「削里さんは花粉症じゃないんですか?」
「俺は案外、そういうのにはならなくってね。それにしたって、花粉症がどうこうってのを説くとは思いも寄らないじゃないか。ヒヒイロ」
テレビの将棋コーナーを目にしつつ、削里はヒヒイロへと一瞥を振り向ける。
当のヒヒイロは先ほど飛び込んできたレイカル相手に頭を抱えていた。
「……で、お主は花粉症に勝てないのは、どういうことだと……そう言いたいわけじゃな」
「おかしいじゃないか! 創主様は無限ハウルの持ち主なんだぞ! それなのに、カフンショウとやらに勝てないなんて! 相当な強敵に違いないのに……敵って言うと何だか不思議そうな顔をするんだ。これって何かあるってことだろう?」
「よもや……ここまでアホとは……。いや、そもそもオリハルコンにとって花粉症は全く関係がないと言えばその通りなのじゃから、こやつの疑問もある意味理解はできるのじゃが」
「ヒヒイロ、本当にオリハルコンって花粉症にならないの?」
ナナ子の問いかけに、ならぬはずです、とヒヒイロは応じる。
「そもそも花粉症と言うのはスギやヒノキの花粉が原因となって起こるアレルギー反応です。我々オリハルコンにとって花粉症と言うのが一般的でない理由の一つとして挙げられるのは、そもそもアレルギー症状と言うものに無縁だということから説明せねばならないでしょう」
「……いいわよねぇ、あんたたちは。花粉症に苦しまなくっていいんだから」
小夜の恨めしげな眼差しにカリクムはうぅ、とこちらを指差す。
「ひ、ヒヒイロぉー! 小夜たち、何とかしてやってくれよ! ハウルなら何でも治したりできるんだろ? このままじゃ、私が被害に遭うんだってば!」
「そう言われてものう……。ハウルを扱える作木殿でさえも花粉症になってしまうとなれば、恐らく人体に関しての話では、花粉をバリアする能力はないのじゃろう。つまり、正統創主でもなる者はなるし、ならない者は端からならないと言うわけじゃ」
「花粉症って春になるとみんなしんどそうにしているけれど、俺はよく分からないんだよな。生涯で一回も花粉症になってないから」
「……削里さんは特別なんじゃ? ほら、創主として名高いからとか?」
「そうかい? だがその論法で言うと……っと、来たみたいだ」
のれんをくぐって現れたのはサングラスとマスクに身を固めた人影であった。
「ど、どちら様……?」
「何よぉ、分かんない? 私よ、私」
マスクとサングラスを外した人物はヒミコであり、涙と鼻水でいつものような美貌が損なわれている。
「た、高杉先生? ……花粉症持ちだったんだ……」
「真次郎ぉ……はい、これ。都内の……創主のデータ」
「助かる。それにしたって毎年すごいな、ヒミコ。この時期になるとどうしようもないって感じだな」
「仕方ない……でしょう。生徒の前に出る時は花粉症の薬で精一杯取り繕っているけれど、それでも……限界。せめてプライベートの時は徹底的に……防衛しないと」
何度も鼻水をすすり上げるヒミコの様子に小夜はナナ子と顔を見合わせる。
「……私たちってまだマシなのね……。でも、本当に創主としての能力に花粉症は関係ないって言うの? ヒヒイロ」
「関係ないはずですが、そもそも花粉症と正統創主の能力に相関図があるとは、とてもとても」
「……ヒヒイロぉ……あんたはいいわよねぇ……涼しげで」
「花粉症にはなりませんから」
ヒミコの恨めしげな目線を受けつつ、ヒヒイロはレイカルへと話を戻す。
「と、いうわけで、じゃ。つまるところこの季節の……風物詩のようなものだと思っておいてよい」
「……よく分かんないぞ、ヒヒイロ。これだけの人間が苦しんでいるのに、敵じゃないなんて」
「まぁ、敵っちゃ敵なんだろうけれど、こればっかりはねぇ……。日本全国のスギとヒノキを伐採でもしない限り……」
「そうか……! 名案だな、割佐美雷! 日本全国のスギとヒノキを倒せば――!」
「アホじゃのう、お主……。そんなことで解決できるのならとっくに解決しておる。それにスギヒノキ花粉だけが敵と言うわけでもあるまい。何も倒せばいいと言う問題でもないのじゃ」
ヒヒイロの言葉にレイカルはしゅんと肩を落とす。
「ほ、ほら、レイカル! 私たちは絶対花粉症にならないんだからさ! 今は小夜たちに高みの見物決められるわけで……」
「でも、何だか寂しいぞ、カリクム。創主様が苦しんでいるんだ。その苦しみも分かち合うのが、オリハルコンじゃないのか?」
「それは……」
口ごもったカリクムに小夜は言いやる。
「要は、理論だって色々言ったところで、レイカルには納得できないのよ。まぁ、こればっかりはどうしようも――」
そこでのれんをくぐって来たのは話の中心に居た作木本人であった。
マスクで防備しているが、それでも辛そうなのが窺えてくる。
「つ、作木君? ……花粉症でノックダウンしていたんじゃ……」
「いえ、その……レイカルが僕のことを思って言ってくれているのに……僕だけが家で苦しんでいるわけにもいかないなぁ、って……」
「って言いつつ、花粉症辛そうじゃない。別に無理をすることもなかったんじゃないの?」
「いえ、その……。レイカル、僕が辛いのを、一緒に分かち合おうとしてくれてありがとう。でも……もう少し季節が下ればきっと、大丈夫になるから。安心して欲しい」
「……本当に、大丈夫なのですか、創主様?」
レイカルの心の奥底からの心配に、作木はマスクを外して応じていた。
「うん。レイカルが心配してくれた分、ちょっとマシになったかもしれない」
「……強がっちゃって。でも、そういうところなのよね……」
呟いた小夜に、作木は気づかずレイカルを肩に乗せる。
「温かくなってきましたし、次はお花見でも行きましょう」
「……あら、作木君らしくない。自分から誘うなんて」
ナナ子の言葉に作木は陽の光を掌で感じ取る。
「いや、だってせっかく……冬が過ぎて、ようやく花が芽吹く季節になったんです。なら、みんなで一緒に過ごす時間が増えたのは、きっといいことのはずなんだから」
「創主様。じゃあもう、大丈夫なんですか?」
「……うんとは頷きづらいけれどでも、レイカルが心配してくれたのは嬉しかったよ。ありがとう」
「創主様!」
「あーあ、見せつけてくれちゃってって感じ。小夜もカリクムと仲良くすれば? 二人で一人みたいなものなんだし」
「……そうね。ハウルシフトすれば、もしかしてカリクムも花粉症に……?」
「わわっ……! 馬鹿、それだけはするなよな!」
後ずさるカリクムを追い詰める小夜を横目に、作木は立ち去ろうとして、小さな、くしゅんという声を聞く。
傍らのレイカルが鼻水を垂らしていた。
「れ、レイカル……?」
「花粉症……でしょうか? これでお揃いですね! 創主様!」
「う、うん……。いや、でもまさか、ね……」
頬を掻いた作木はこの後にやってくるレイカルの花粉症の苦しみを、まだ知らないのであった。