JINKI 169 エルニィの家で

「あっ、立花さん。あまりお菓子を食べられるとその……晩御飯食べられなくなっちゃいますよ?」

「あ-、うん。何、今度はさつきもなの? ……もう、ボクはそんな風に色々言われるつもりはないんだけれど。なに、二人しておかん気取り?」

「気取りとかじゃなくって、トーキョーアンヘルのメンバーなんですから、ちゃんとしてもらわないと!」

 赤緒は掃除機を携えて自分を退かそうとしてくるので、エルニィは胡乱そうにする。

「もう……何なのさ。そんなにボクが邪魔だって言うの?」

「邪魔だとかは……。ですが、だらしなくしていると駄目ですよっ。まだ日曜のお昼じゃないですか」

「赤緒とさつきだって、日曜のお昼だって言うのに、ボクなんかに構っていていいの? 自分たちの人機の操縦訓練でもすればいいのに」

「それはその通りですけれど……立花さんがだらーっとしている理由にはならないじゃないですか。トーキョーアンヘルの専属メカニックなら、自覚を持ってくださいよ」

 赤緒の言葉にエルニィは渋々とその場を立ち去る。

「ちぇーっ、何だい、赤緒ってばさ。ボクのことを邪険に扱ってくれちゃって。これでもIQ300の天才……あれ、そういえばルイはどうしたのさ?」

「ルイさんは……このお時間なら多分、河川敷のほうじゃないでしょうか?」

「ああ、猫相手に何だか隊列組んでるんだっけ? はぁー、ヒマでいいよねぇ」

「暇って……立花さんだって何かやることがあるんじゃ?」

「そんなこと言われたって、毎日毎日、これでも業務と睨めっこなんだからさ。今さらやることって言われてもねぇ……」

「日曜日だからってだらけてたら駄目ですよ。しゃんとしないと」

「……むっ、失敬だな、赤緒。これでもボクはしゃんと……」

 境内に視線を投げると、メルJは射撃訓練をしており、さつきと赤緒は忙しそうに掃除に回っている。

「……ルイは居ない、し、南も、か。はぁー、退屈ぅー」

「退屈って……じゃあ手伝ってくださいよ。これでも猫の手でも借りたいんですから」

「んじゃ、ルイに言えばいいじゃん。猫貸してくれって」

「言葉のあやですよ。……立花さん? あまりだらだらしていると、牛になっちゃいますよ」

「いや、人が牛にはならないでしょ。さすがに赤緒でもそこまで馬鹿になっちゃった?」

「そうじゃなくって! だらだらしていると牛になるって、昔の人が言うじゃないですか」

 くどくどと文句を垂れられると、何だか少しばかりの反抗心も芽生えてくる。

「……じゃあ、ボクにも考えがあるし! そこまで言うんなら、赤緒たちの邪魔にならないところまで行こうじゃんか!」

 エルニィはそう口にするや否や、屋根の上へと呼びかけていた。

「両兵! 仕事だよ!」

 その言葉に屋根瓦の上で寝転がっていた両兵が反応する。

「……仕事だぁ? ……何もなさそうじゃねぇか」

「それがあるんだよ。来て、ボク自ら仕事をあげるから」

 駆け出し始めた自分に、両兵が不承げにしつつも追従してくる。

「……いいのか? 柊たち、用がありそうじゃねぇの」

「いいんだよ! ……赤緒もさつきもボクを何だと思ってるのさ。これでも引く手あまたの研究者なんだよ?」

「……んで、その引く手あまたの研究者様が何しようってンだよ」

「まずは……赤緒やさつきには口出しできない、場所ってもんが必要だね」

「ほぉー、そんな場所あンのか? 知りてぇくらいだぜ」

「……何言ってんの。そこは両兵が教えてくれるんでしょ?」

 ずびし、と指差すと両兵は頬を掻いていた。

「……何でオレが」

「だって、東京に先に来てからずっと、一人暮らしだったんでしょ? 両兵は」

「一人暮らし……っつーか、何つーか」

「だったら、ちょうど春先なんだし、ボクだって一人暮らしの一つや二つはできるんだって赤緒たちに証明させてやる」

「……ってもなぁ。オレの思っている一人暮らしとてめぇの思っている一人暮らしは違うと思うぜ?」

「まぁ、まずは物件探しから行こうか!」

「……って、聞いてねぇでやんの。本当にやんのかよ。せっかく屋根付きの神社で世話ぁなってるって言うのに」

「やるって言ったらやるんだってば! ……赤緒たちはボクのこと、甘く見過ぎなんだ。一人でも充分生活できるってところを見せつけてやればきっと、その考えも甘かったって向こうから泣いて詫びに来るよ」

「……そうはならんと思うがなぁ……」

「さぁ、まずは! 両兵の前の家を紹介してよ。東京の地理には詳しいんでしょ?」

「……おいおい、いきなりオレ任せじゃねぇか……」

「当然じゃん。ボクは土地勘ないんだから、両兵の前の物件から探っていくのが筋って言うもんでしょ」

「……んー、お前の考えているような物件って奴じゃ、ねぇと思うがなぁ」

「まぁ、いいからいいから。ボクが一人暮らしをするって分かればあの赤緒たちだってきっと考えを改めるんだから!」

 ――と、エルニィの視界に入ったのは茫漠とした河川敷であった。

「……えっとー、両兵? なに? 野球でもしに来たの?」

「アホか。お前がオレの住んでいた場所を紹介しろって言ったから、ここまで来たんだろうが」

「……いや、だって河以外、何もないよ?」

「そこだ、そこ。そこの、橋の下」

 両兵が顎をしゃくった先にあったのは簡素なソファと雑貨を並べ立てただけの――ただの橋の下であった。

「……両兵? 冗談で言ってる?」

「何言ってんだ、本気だっての。今でもたまにこっちに来るな。橋の下ってのは雨風もある程度凌げるし、何よりこのちょっとした湿っぽさが落ち着くんだよ。簡単に寝転がれる椅子でもありゃ、どうとでもなるし、何なら他のホームレス仲間とも家が近いしな。……って、どうしたんだよ、立花。こいつに聞くんじゃなかった、みてぇな顔しやがって」

 エルニィはとことん自分の判断を悔いていた。

「……そう言えばそうだった。両兵はそういう人間だったっけ」

「他人をよく分からん生き物みてぇに言うんじゃねぇよ。ここだって立派な家だろうが」

「……いや、両兵の尺度だと寝られればそこが家みたいになってるよね。……ボクが言ってるのは、きっちり住める、そういう場所なんだってば」

「きっちり住める場所ぉ? ……てめぇがブラジルで住んでたマンションみてぇなところか?」

「そう、そう言うの! そう言うのない?」

 両兵は考え込んだ末に、そもそも、と言い出す。

「あんな高層マンション、いくら首都だからってなかなかねぇぞ? それこそ中心地じゃねぇのかな」

「いいから、そういうの紹介してよ」

「んー……だがここも充分に落ち着くだろ。何でここじゃ駄目なんだ?」

「いや、駄目なんだ、って尋ねられても……全部駄目でしょ」

「……分かんねぇなぁ。寝られて最低限のプライバシーがあるんだ。それで順当だろうが」

 ソファに寝転がって充分なスペースが確保されていると主張する両兵に、エルニィはげんなりしていた。

「いや、よしておく……。これ以上両兵と議論を続けても絶対にまともなことにはならなさそうだし……」

 その言葉にはさすがの両兵もカチンと来たのか、首をひねって起き上がる。

「じゃあ、いいぜ。てめぇの一人暮らし計画……つーか、家出計画とやらに乗ってやるが、その代わり、妙な場所ならオレが文句言うからな」

「橋の下以上に妙な場所なんてないと思うけれどね……。まぁ、いいよ。お金ならたっぷりあるし、どんな場所だってどんと来いだ!」

 胸元を叩いた自分に両兵は疑り深い眼差しを注ぐ。

「……とは言っても、お前、これでもアンヘルのメカニックなんだから柊神社から離れるとまずいだろ」

「まぁ、この近辺ってことになるかな」

「じゃあまともなのは……集合団地とかか」

「すぐに住めるの?」

「すぐは無理だろ。ああいうのは何やらかんやら、面倒な書類と手続きが必要になるんだ。そもそも家をすぐに探そうってのが嘗めてんだよ。日本じゃなかなか見つからねぇぞ? そういう都合のいい場所なんざ」

「面倒だなぁ、日本って。書類手続きばっかなんだもん。どこかに体のいい空き家とかないの?」

 こちらの論調に両兵は胡乱そうな顔を寄越す。

「……あのな、立花。それを日本じゃ空き巣って言うんだが」

「えーっ! じゃあ今日からいきなり住みます! とかはできないってわけ?」

 両兵はとことん困惑しているように後頭部を掻く。

「……どこまで都合のいい一人暮らしを考えてンだ、てめぇは。そんな場所なんて、この二十世紀の日本のど真ん中にあるわきゃねぇだろ。何だかんだでしがらみ、っつーもんがあるんだ、馬鹿」

「ば、馬鹿とは何さ! これでもブラジルじゃ、普通に上流階級だったんだからね!」

「……って言ったって、一人じゃどうしようもなかっただろうが。あのままオレと青葉が行かなかったらどうしてたんだよ」

「そりゃー……ピザの宅配とかで飢えをしのいでいたさ」

「……あんな高層ビルにピザの宅配? 来ると思ってンのか? ……まぁ、今はいい。どうせ南米にゃ戻れんのだ。なら、ここで何とかする術を考えるしかねぇだろうが」

「……日本って狭いくせに面倒なんだねー……。とは言っても、しばらくは雨風を凌げる場所が必要……ってなると」

「橋の下か?」

「それは最終手段。……何とかその辺りに物件でも転がってないかなぁ」

「んなもん、転がってるわきゃあねぇだろ……って、ありゃあ何だ? 黄坂のガキか?」

 咄嗟に、しっ、と両兵を茂みに隠れさせたのは我ながら賢明な判断だったと言えよう。

 窺っていると、ルイは猫じゃらしを振って猫たちを引き連れ、鼻歌交じりに河川敷を行進している。

「……あんなの、黄坂が知ったら嘆くだろうな」

「いや、待って……閃いた! そうだ、ルイなら、猫の住処を知っているはずだよ!」

「いや、ちょっと待て、立花。……お前、分かっているよな? 猫と人間じゃ、サイズが違ぇぞ?」

「あっ、そっか。……ちぇーっ、すぐに決まったかなーって思ったんだけれど」

「……第一、お前、一人暮らしの物件探してンだったら、黄坂のガキに頼った時点で終わりじゃねぇか」

「んー……でもまぁ、聞いてみるだけ。ルイー」

 呼びかけるとルイはびくりと身を強張らせて、さながら猫のように茂みに隠れてみせる。

「まぁまぁ、そう警戒しないで。ボクだよー、エルニィ」

「……あんただから警戒してるんでしょう、自称天才。なに、私を追跡して笑いにでも来たの?」

「滅相もない! ルイには教えて欲しいことがあるんだ。ね? 猫たちの住処って知ってるでしょ?」

「お、おい、立花……マジに聞いてンのかよ」

 うろたえ気味に出てきた両兵にルイは警戒心を引き上げる。

「……何で小河原さん? やっぱりあんた、何か私をはめようと……」

「誤解だってば! ……両兵は最初は当てにしてたんだけれど、外れちゃって。それでお供みたいなもん」

「お供たぁ、随分な言い草だな」

 ルイは自分と両兵を見比べた後に、ふんと鼻を鳴らす。

「……嘘では、なさそうね」

「嘘ついてどうするのさ。で、教えてくれるの?」

「取引条件によるわ」

「取引?」

「高級猫缶、一か月分、それと交換条件よ」

 思わぬところでルイはえげつない要求をしてくるものだ。

 恐らくルイの言う猫缶とやらはそんじゃそこいらの値打ちではないだろう。

 自分の足元を見られているのはハッキリしていたが、ここはグッと堪える。

「……いいよ。住処さえ与えてもらえるんならね」

「なに、自称天才。あんた、家出でもしたの?」

「……みたいなもんかな。目下、新しい住処を探している最中。とは言え、人が住めるような場所なのが前提だけれど」

「まぁ、いいわ。付いて来なさい。猫の住処まで案内するから」

 そのまま後ろに追従すると、ルイが意外そうな声を出す。

「……小河原さんまで付いて来るの……?」

「あ、両兵居ちゃまずい?」

「……別にいいけれど。面白味なんてないわよ」

 ルイに案内されてきたのは廃工場の一角であった。

 確かに雨風は一時的に凌げるが――それ以前に。

「人が住む場所じゃ、なくない?」

「あら、自称天才、あんたが案内しろって言ったんでしょ」

「そりゃあ、そうだけれど……さびれた廃墟だなぁ。こんなところで一人で過ごせって言うの?」

「猫の住処としちゃ上出来だろ。じゃあな、立花。オレはもう帰るわ」

「待って! 待ってって、両兵! このままじゃボク、路頭に迷っちゃうー!」

 両兵の袖口を力一杯引いて何とかその場に押し留まらせる。

「……じゃあどうしろっつーんだ。言っておくが、高級マンションに住もうだとか、便利な場所に住もうだとか言い出すと時間かかるぞ? それに、柊たちにどうせ息巻いて来たんだろ。自分一人でも何とかできる、だとかな」

「……見透かしてるじゃんか。じゃあ手伝ってよ。ルイもね」

「……何で私まで……」

「立花……。言っとくがお前の満足するような物件は探し当てられそうにもねぇぜ? オレも黄坂のガキも、南米で鍛え上げたクチだ。都会に住んでいたお前とはちょっと違うんだよ」

「なに、もやしっ子って言いたいの?」

「いや、そうじゃねぇけれどよ……。ためしに聞いてみるが、どんな場所に住みたいんだ?」

「そりゃ、南米とまではいかなくっても、まぁまぁの建築物だよね。テラスが付いていて、それで色んな人を招いてパーティできるくらいには、かな。まぁー、それくらいが最低条件?」

 こちらの要望を聞いてルイと両兵は顔を見合わせて嘆息をついていた。

「……あのよぉ、立花。東京はとか言っていったって狭いんだ。お前の言うような場所は……ないわけじゃねぇが、随分と遠いぞ?」

「柊神社から離れ過ぎるとまずいんでしょう? 自称天才」

「あー、そっかぁ、その縛りがあった。……じゃあこの辺?」

「廃工場か」

「橋の下、くらいか」

 二人して頼りにならない物件ばかりなのでエルニィは心底うんざりしてしまう。

「……何だい、何だい。二人とも、まともなの知らないじゃないか」

「うっせぇな。そんなに頼りにならないって言うんなら、オレらは柊神社に帰るぜ」

「そうね。いつまでも自称天才の家出に付き合っているほど暇でもないもの」

 二人して踵を返してしまうので、エルニィは地団駄を踏んでいた。

「な、何だよ、二人とも……。い、いいもんね! ボクは天才なんだから、一人でだってどれだけでも……」

 しかし、廃工場に取り残されたエルニィは自前のパソコンの一つすら持っていないことに気づく。

 天性の発明を発揮しようにも材料も何もない。

「ブロッケンを呼んで……あー、駄目だ。それやっちゃうと何だか負けた気がするし……。何よりも、もうアンヘルには頼らないって決めたんだから!」

 とは言え――誰もこういう時に返してくれないのも一抹の寂しさを感じる。

 エルニィはおちゃらけて、なーんてね、と言いやる。

「そんなこと言っておいて、何だかんだで二人とも、どこかで観察して……ない。えっ、本当に二人とも帰っちゃったの? ……人でなしー!」

 喚いても一人。

 嘆いても一人だ。

 何だか抵抗そのものが空虚な気がして、エルニィはその場に座り込む。

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