JINKI 171 黒の女と荒地の少女

 自分たちの住む一区画へと暗礁の稲光が迸る。

そこから飛翔してきた翼を持つ巨人が、手に携えた武装の引き金を絞ろうとした瞬間だった。

 どこから現れたのか、そもそも何なのか。

 分からないまま、一人の黒の女が粉塵に長髪をなびかせ、機械の巨神を駆動させている。

 その腕が羽根を持つ巨人を引きずり下ろし、一気に躍り上がったかと思うと巨体を利用して相手を抑え込む。

 超重量が激震した衝撃波で砂礫が舞い上がったが、それさえも何でもないとでも言うように黒の女は笑みを釣り上げる。

「そいつを押さえつけて! ……それにしたって、あたしが来ているって分かっていてなのかしら。本当に、ツキのない連中!」

 黒の女が腕を払ったのと同期して漆黒の巨神は敵の腕を引き千切っていた。

 直後、四方八方より放たれる殺意の奔流。

 火線を潜り抜けた巨神はその手に刃を構え、転がると同時にワイヤー装備を放っていた。

 絡みついた飛翔する相手を地面へと叩き込み、両断の太刀が引き寄せて打ち下ろされる。

 何ていう――圧倒。

 黒の女は撤退を始める羽根つきの巨人たちを見据えて、あーあ、と心底残念そうに呟く。

「何だかなぁ。あたしとしてはもうちょっと、骨のある相手じゃないと敵にもならないかな。あ、あなたたち、大丈夫だった?」

 村人たちは当惑していた。

 当たり前だ。

 巨人の力を行使する黒の女はしかし、どこか人を食ったかのような笑いを浮かべる。

「そんなにビビらないでって。あたし、ちょっと立ち寄っただけだし。そんななのに、キョムに付け狙われて、あなたたちも運がないのね。けれどまぁ、今晩の宿くらいは提供してもらって――」

「ふ、ふざけるな! 魔女め!」

 大人の一人が石を投げる。

 黒の女はひょいと石をかわして、何で、と小首を傾げる。

「あたし、命の恩人だよね?」

「お前が来たから……! あの巨人たちも来たんだろう!」

「うーん、それは意見の相違だと思うけれど。キョムの制圧目標に入っちゃったんなら、もう逃げ場なんてないよ? 明日には地図が塗り替わっているかもなぁ」

「馬鹿を言え……! お前も巨人を使う……!」

「うーん、話が通じないなぁ。あたしの《モリビト1号》と《バーゴイル》を一緒にされてもねぇ……。けれどま、あなたたちからしてみれば同じか。いいよ、あたしは村はずれの洞窟で寝泊まりするから。その代わり、この村がどうなろうと保証しない。だってあたしの知ったこっちゃいないし」

 何でもないかのように、黒の女は踵を返していた。

 その背中に村人たちは毒気を抜かれた形である。

「何だって言うんだ……疫病神め……」

 言い捨てても、彼女は何も気に留めていないようであった。

 だから、どうしてなのだろうか。

 その背中を――知らず追っていたのは。

 黒の女はその言葉通り、村はずれの洞窟にて、雨風を凌げる場所を探しているようであった。

 その傍には漆黒の巨神が侍っている。

 まるで、一心同体とでも言うように。

「……ねぇ。さっきの村からずーっと追っかけて来てるけれど、もしかしてストーカーって奴なのかな?」

 こちらの気配に勘付いているとは思いも寄らない。

 自分は決意して彼女の前に姿を晒していた。

「あの……さっきのは……」

「ああ、《バーゴイル》のこと? あんなの、キョムの威力偵察任務でしょ。この辺の土地が使いたいから、まずは表立った反抗勢力……アンヘルだとかが居ないのを確認してから、そっから侵略を始めようって言う……まぁ常套手段よね」

 黒の女は石に腰掛けて自身の艶めいた長い髪を手櫛で梳いていく。

 不思議なことにあれほどの動乱にあっても、黒の女の麗しさ、誇るそのかんばせに一時の翳りさえもない。

「……あの、私……」

「どうしたの? あたしに興味でも? それとも、《モリビト1号》のほうなのかな。人機を見るのは、多分初めて?」

「ジンキ……」

「ああ、この巨人の名前。人機、《モリビト1号》。あたしの相棒みたいなものかな。けれど、あなた、ちょっと変わっているのね。村の人たちはあたしなんかに構わないほうがいいって言うはずだけれど」

「それは……せっかく助けてもらったのに……」

「それも認識の違い。あたしは宿を取るつもりで立ち寄っただけ。その村が潰されそうになれば、ちょっとした自衛手段を持ち合わせている。あなたたちはそれに巻き込まれたってわけ。だから……ちょっと不幸かな。キョムに今日潰されるはずだった村が明日になっちゃっただけだけれど、延命は時に不幸になり得るからね」

 黒の女は何てことはないように告げる。

 だが、彼女の双眸に宿ったのはどこか、この世界への展望めいたものであった。

 諦めの境地で抗ったわけではない、そう分かった時には自分は名乗っていた。

「あの……私は、ユズ。あの村で、ずっと……下働きしていて……。何であなたは、そんな力を持っているの……」

「ユズちゃんか。あなたは、戦場を見たのも初めて?」

「戦場……」

「ロストライフ現象。そうも呼ばれているけれど、この土地もそう遠からずロストライフ化する。その時にどうしたいの? 意識があったまま侵略されるか、意識なんて黒い波動に消し飛ばされてから、ただの残滓として居残るのか」

「……ロストライフ化……。そんなことが……」

「あれ? 知らなかったの? ……うーん、でもまぁ、説明してあげるのも何だかなぁ。あたしが別段、第一人者でもないし。あ、でもあたし、ロストライフ化した場所から来たから無関係でもない、か」

「……あなたは、そんな場所を渡り歩いてきたの?」

「そうね。あたしは、ちょっとばかし空を仰いで、それで一呼吸つければそれでいいんだけれど、案外この世界は黒に染まった場所が多くって、ちょっと難儀していたところ。久しぶりに人が住んでいる土地に来たから浮ついていたのかな」

「でも、助けてくれた……そうでしょ?」

「何言ってるの? 助けたなんて結果論。あなたたちは助かっただけで、あたしは今宵の宿が欲しかっただけ。ユズちゃん、あなたは運がいいのか悪いのか、今日死ぬはずだったのが明日になっただけだから、別に何でもない風を装えばいいじゃないの」

 黒の女は自分には本当に興味なんてないように言葉を継ぎ、火を熾していた。

 手荷物はどうやら少ないらしく、《モリビト1号》の頭部から運び出した水とレーションの食糧を食い繋ぐ。

 その様子を見て、自分でも想定外に腹の虫がきゅうと鳴っていた。

「……食べる?」

「いいの?」

「お腹空いている人間を放っておけないってば。でも、あたしの分は残しておいてね。いくら死なない身体でもお腹は空くから」

 彼女から食糧の一部を差し出されるが、それよりも気にかかったのはその発言だ。

「死なないって……」

「あ、うん。あたしはそういう風に設計されたみたいだから。餓死はしない。肉体を完全に滅ぼされる以外では死なないかな。でもまぁ、それもあたしからしてみれば何でもないことだから。それに、お腹が空くのは嫌だし、こうして食糧はモリビトの中に備蓄しているってわけなの」

 ユズは噛り付いたレーションの味気なさに、黒の女のこれまでの旅路を思っていた。

「……一人で旅をしているの?」

「そうね。でも、一人旅も悪くない。空は広いし、どこまでも続く大地は、ちょっとした希望にもなる。あたしは生まれてまだそんなに経っていないから、もしかしたらあなたのほうが人生の先輩かも」

「私が……? 私はまだ十二歳にもなっていなくって……」

「それで村では邪魔者扱い?」

 どこかで読み切ったような黒の女の発言に、ユズは目を見開く。

「どうして……」

「何となくだけれど、女子供を食わせるような余裕のある村には見えなかったから。でも、それじゃあ余計にあたしなんかに構っているとまずいんじゃないの? だって、あたしはあなたたちには到底及びもつかない力で《バーゴイル》を退けた。きっと、あんまり関わらないほうがいい性質だと思うけれど?」

 それはその通りなのだろう。

 だがユズからしてみれば、彼女は命の恩人だ。

「……村が滅びるとしても、それでも救ってくれたじゃない」

「あたしはどうだっていいと思っているし、さっきも言ったけれどそれは延命措置。明日死ぬか、今日死ぬかの選択肢の引き延ばしだから、関係ないわよ」

「……でも、助けてくれたのは事実でしょう?」

 こちらが食い下がらなかったからか、黒の女は首をひねる。

「……何だかなぁ。そこまで希望を見られるようなタイプじゃないって言うか。あたし相手に正義の味方だとかは思わないほうがいいよ?」

「じゃああなたは何なの?」

「……旅がらすの気紛れな女だと、そう思ってくれていい。だからさっきのも気紛れ」

 黒の女は身体を反らして身を起こし、薪を火にくべる。

「……ここじゃないどこかには……あなたみたいな自由な人たちが居るの?」

「そうね。あたしは多分、遠くから来たけれど、こんな場所ばっかりだとは思わないかな。明日滅びるような不均衡な世界だけれど、それでも抗っているような人間は知っているし、あたしは所詮、生かされているだけだから。だから余計に、自分の生き様には無頓着なのかもね」

「……その割には、あなたは希望を捨てていないように見える……」

「それはそう。だってあたし、生きるのなら楽しいほうがいいって思っているし。だからあなたは、狭い生き方をしているなって思う。世界は、あなたが思うよりもずっと広いから、小さな村で死んで行くのか、それとも見果てぬ明日を目指して踏み出すのかは、その人間次第かな」

「見果てぬ……明日……」

 どうしてなのだろう。

 黒の女にはきっと、誰かを勇気づけるようなそんな気は皆無だと言うのに。

 自分にはどこまでも自由な生き方として映るのだ。

 彼女は終わりの淵に至っているこの世界を、自由自在に飛び回れるだけの翼が付いているかのような。

「……あたしはもう寝るけれど、ユズちゃんは村に帰ったほうがいいわ。あたしなんかに構って村から迫害されたら、今日の食い扶持も失うでしょ?」

 自分は手の中に残ったレーションへと視線を落とす。

 黒の女はどこまでも冷徹に、自分など視界に入っていないかのように振る舞う。

「……明日の朝には旅立っちゃうの?」

「そうね。そのほうがきっといいから。一ところに居場所を作らないのがあたしの生き方」

「……でも、もし……あなたが村を守り続けてくれればきっと、みんなも感謝すると思う。そんな風になれるんなら――」

「勘違いしないで。あたしはどこかに縛られるような生き方を選ぶつもりはない。あたしの世界を狭めないで。たとえ地表が黒く染まっても、あたしの居場所はあたしが決める。それがきっとあたしらしく生きていくってことだし」

 その言葉だけは彼女の雄弁なる論拠であった。

 黒の女は無防備に寝転がって空を仰ぐ。

 満天の星空に彼女は何を思っているのだろう。

「……私には、付いて行けない生き方なのかもしれない……」

 だが彼女の瞳に映るのは。

 それはきっと際限のない自由の証であろう。

 ――朝を告げたのは衝撃音であった。

 村を包み込んだ喧騒に身を起こし、外を駆け抜けていく大人たちをくびり殺していくのは、白い異質な人体である。

 人間のそれと同じように設計されていると言うのに、その存在はあまりにも異形。

 村人たちに襲いかかり、一人また一人と手足を、首をもがれていく。

 それはまるで果実が砕けるように容易く。

 ユズは腰が抜けてその場から動き出せなくなってしまっていた。

 空を仰ぐと、漆黒の稲光が迸り、昨日よりもなお色濃い漆黒の巨人が展開している。

 放たれた火線が村々の建築物を焼き切り、一瞬にして灼熱地獄に陥っていた。

 ――分からない。分からないが、一つだけ分かるのは……。

「昨日死ぬのが、今日死ぬことになっただけ……」

 黒の女が反芻してきた言葉が今になって現実味を帯びてくる。

 ユズは蹂躙する羽根つきの巨人がこちらへと照準するのを、何も出来ずに視野に入れていた。

 戦く視界の中で、最後の時が訪れる。

 彼の者はきっと、この土地を滅ぼし尽くし、その果てに彼らの王国を打ち立てるのだろう。

 ロストライフ――死の玉座を。

 その光条が全てを射抜くかに思われた瞬間であった。

 横合いから巨大なる拳が放たれ、羽根つきの巨人を叩きのめす。

 それは黒の女が操りし、鋼鉄の巨神――。

「……《モリビト1号》……?」

『ああ、もうっ! あたしも本当に、お人好しっ!』

 黒の女の声が残響し、羽根つきの巨人の頭部を打ち砕く。足元に縋りつく異形の人型を蹴散らし、刃が奔る。

放たれた火線を潜り抜け、姿勢を沈めていた。

『自動操縦の機体が、嘗めるな! ファントム!』

 瞬間、空間から掻き消えたようにしか見えない《モリビト1号》が中空の巨人へと取り付き、羽根をもいで盾を有した掌を押し広げる。

『リバウンド、プレッシャー!』

 黒の電磁がのたうち、巨人の躯体に穴が空く。

 弾け飛んだスパーク光が網膜に焼き付き、ユズはその時になってようやく、ひっと短く悲鳴を発していた。

《モリビト1号》は空中展開する敵影の背を蹴って次なる敵へと肉薄し、巨大なる太刀で相手の武装を引き裂いていく。

 着地の瞬間に一挙に敵影が包囲し、《モリビト1号》を狙い澄まそうとした。

「……危ない……っ!」

『この程度っ!』

 盾の周囲の空間が歪み、《モリビト1号》が瞬時に加速度を帯びて包囲陣を敷いた敵を蹴り上げる。

 砕かれて舞い上がる装甲。

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