「……しもべって。まぁいいわ。ルイー、あとは任せたわよー。私はちょっとばっか仮眠取ってくるから。火を絶やしちゃ駄目なんだからねー」
「言われなくっても分かってる」
《ナナツーウェイ》の操縦席に戻り、仮眠を取る振りをして、南は下を覗き込んでいた。
ルイが周囲を見渡してから、そっと、その指先を鍵盤に沈みこませる。
ゆったりとした個別の音から、続いて旋律へと、その奏では紡がれていた。
「……ルイ。あんたはウィンドゥさんの子供だから、きっと物覚えもいいし、多分だけれど私なんかより絶対音感だってある。……だから、あんたには操主として身を立てるよりも別の……そういう生き方が……あったのかも、ね……」
ルイの音階は南の意識を眠りの淵に寄せるのには充分で、南はその音楽に身を任せて《ナナツーウェイ》の操縦席で瞼を閉じていた。
「――南さん! 直ったって、本当ですか?」
「うん、ばっちし! せっかくのグランドピアノなんだもの。私の手に掛かればちょちょいのちょいよ!」
「よく言うわよ、南。あれだけ苦戦していたくせに」
「あっ、こらー! ルイ! 言いっこなしでしょーが!」
いつも通りの追いかけっこが始まる中で、青葉はその音階を確かめていた。
「……うん、高い音程も出るようになったし、じゃあこれで……」
「そう言えば、このピアノ、どうしようか。アンヘルの宿舎に置いておくにせよ、誰も弾かないんじゃもったいないし」
川本の疑問に、青葉は食い下がっていた。
「それでも……、その、この子をもう一回、仕舞っちゃうのは……すごく嫌なんです。だって、せっかく音が出るようになったのに……」
こちらの不安を他所に、南が言葉を差し挟む。
「弾ける人間なら居るわよ。――ここにね」
その親指がくいっとルイを指し示したものだから、全員が困惑する。
「……ルイが? でも、南さんならともかくルイが弾けるのって……」
「……南、適当なこと言わないで」
「そうかしら。じゃあ弾いてみれば? ……あんたの実力、青葉に見せつけるチャンスでしょ」
ルイは南に背を押され、鋭い眼差しのまま椅子に座り込む。
そうして、その指先は滑らかに――旋律を奏でていた。
南が弾いていた時よりもずっと音階は自由で伸びやかだ。
まるでそういう風に作られたかのように、ルイの指に馴染んだピアノの音響が鳴り響き、一曲を終えたルイはふぅ、と息をつく。
途端、整備班から拍手喝采が飛んでいた。
「すごいじゃないか! ルイちゃん、ピアノが弾けるなんて!」
「すごいよ、ルイ! ……練習したの?」
「何言ってるの。南ならともかく私が練習なんてするわけないでしょう」
南へと視線を流すと、彼女はそっと唇の前で指を立てていた。
きっと、ルイと南にしか分からないものがあったのだろう。
ならば自分は下手に立ち入るまい。
鳴り止まない拍手の中で、割り込んできた影に青葉は瞠目していた。
「……何だよ、うっせぇな。こちとら寝ていたって言うのによ」
「り、両兵? もうっ! 真っ昼間から寝ちゃ駄目じゃない!」
「いいじゃねぇかよ、別に。……操主として半端な奴に言われる義理ぁねぇっての。……にしても、てめぇら雁首揃えて何だ? お祭り騒ぎか?」
「……何で人が集まっていたらお祭りだって思うの? ピアノが直ったんだよ?」
「ピアノぉ? ……おーおー、懐かしいな。これ、弾けンのか?」
「直したのよ。私が、ね」
胸を反らして自信満々な南を他所に、両兵は椅子に座ったまま硬直しているルイへと目線を振り向ける。
「……さっきの、お前か? 黄坂のガキ」
「……だったら何」
「いや、いい音楽だったンじゃねぇの。眠りを削がれたとはいえ、気分が悪いもんじゃなかった。えーっと、ヒンシ。こういうの何て言うんだ? 二人でピアノ弾くって言うの」
「えーっと……確か、連弾かな? 詳しくないけれど」
「よし、そこのパイプ椅子貸せ。黄坂のガキ、さっきの腕前あるんなら、弾けるよな?」
「り、両兵が弾くの?」
何だかあまりにも遊離していて、青葉には信じられなかった。
「うっせぇな、行くぞ。呼吸合わせろよ」
そう言うや否や、両兵の指先は鍵盤を叩いていた。
青葉が想像していたのはもっと荒々しいものであったが、両兵の長い指先は思った以上にピアノに調和しており、ルイの爪弾く音階を相乗させる。
「おっ、上手ぇじゃんか。よっしゃ、じゃあこれでどうよ?」
両兵の鍵盤さばきが先ほどまでよりオクターブを上げて早くなっていく。
想定外の事態にも関わらず、ルイは落ち着いてその音叉を追いかけていた。
やがて一曲終わった後に、ふぅと額に浮いた汗を拭う。
青葉だけではない、整備班も呆気に取られていた。
「……り、両兵が音楽を……」
「ん? 何だ、てめぇら。そんなに可笑しいかよ」
「いや。可笑しいも何も……両兵、ピアノなんて弾けたんだ……」
「失礼な奴だな、ヒンシ、てめぇ。こんなもん、さっき黄坂のガキが弾いていたのをちょっと聴いていれば弾けるもんだろ」
「り、両兵も絶対音感持ち……?」
「ん? 何だその絶対ナントかってのは。まぁいいや。ちぃーとばかし、気は紛れたぜ。これ、どっかに仕舞うのか?」
完全に呆然としている川本は、そこでようやく我に返る。
「あっ……うん、誰も弾かないんなら……」
「なら、オレが弾くから、余っていたスペースにでも置いとけよ。操主やってっと肩が凝るからな。こういう娯楽も悪くねぇし」
肩を回しながら宿舎に戻っていく両兵に完全にお株を取られた形であったが、ルイは呆然とピアノの前で佇む。
「る、ルイ……? 大丈夫?」
そこでようやくルイも我に返ったのか、ハッとしてこちらへと振り向く。
「……い、今私……小河原さんと……」
「うん、連弾、すごく上手かったけれど……びっくりだよね。両兵みたいなのが弾けちゃうなんて」
「……青葉。私も弾くんだから、このピアノは残しておきなさいよ」
それだけ言い捨ててルイは南のほうへと戻っていく。
「あっ、こら、ルイー。……まったく、素直じゃないんだから、もう。ってことで、青葉っ、ピアノに関してはよろしくねー」
ステップを踏んで戻っていく南とルイを眺めていた青葉は、再びグランドピアノに視線を振り向けて、ふと呟く。
「……でも、よかった。居場所がないのはだって寂しいもんね」
「――おにい……小河原さんもピアノを?」
話を聞き終えてから、さつきは余りに意外であった事実に目を見開く。
「そうよ。まぁ、野生の勘だとかそういうものでしょうけれど」
そう言ってルイは指先で鍵盤を爪弾く。
その言葉には何か特別なものが宿っているように思われた。
「あの……ルイさん。じゃあ私もその、連弾してもいいでしょうか?」
「さつきが? ……できるの?」
「で、できますよ……! それに、今のルイさんにとって、隣に居るのは私じゃ……駄目ですかね?」
頬を掻いて困り調子に言うと、ルイは僅かに紅潮した頬を逸らしていた。
「……さつきがどうしてもって言うのなら、いいけれど」
ルイと共に一つの椅子に座り込み、指先を鍵盤に沿わせていく。
音楽は、共に奏でるイメージ。
音階はどこまでも自由に、それでいて、彼女の理由に寄り添うだけの――魂の二重奏に成れれば、それでよかった。