「それはこっちの台詞よね、メルJ。言っておくけれど、あんたの言う通りに動くと思ったら大間違いなんだから。これは南に頼まれて仕方なく、よ」
そもそも、とルイは大仰にため息をついていた。
「《ナナツーウェイ》のフライトタイプじゃなく、こんな狭い《バーゴイルミラージュ》に押し込められる身分にもなりなさい。私の機体は万全だって言ったのに、あの自称天才が、今は整備中だから出せないって言うもんだから」
「それは……仕方なかろう。立花だって身分というのがあるんだ」
多少分かったようなことを言ったせいだろう。
ルイは一瞥を振り向けて、ふぅんと訳知り顔になる。
「あんたでも自称天才を擁護したりするのね」
「擁護も何も、立花はあれでメカニックだからな。私ではできない領域だって、あいつなら及びもつくだろう。私たちの人機は所詮、あいつの整備なしではどうにもならんだろうに」
「あの悪名轟くメルJ・ヴァネットの言葉とは思えないわね。ここ最近で丸くなったんじゃないの」
「……護衛目標から視線を外すな。如何に旅客機とはいえ、今回は物が物だ。私たちの任務に対する責任は大きいと思ったほうがいい」
話が来たのはつい数時間前である。
「――メルJ、あんたにちょっと頼みたいことがあるんだけれど」
南が歩み寄ってきたのでメルJは射撃訓練を切り上げて、その場を後にしようとした。
コートを引っ掴み、南が必死に押し留める。
「何で逃げるのよ、あんたは!」
「どうせロクなことじゃないのはお前の顔を見れば分かる」
「失礼ねー。これでもしっかり、上を通して得た案件。……ロストライフ現象、分からないわけじゃないでしょう」
「ロストライフ? ……何で今さら」
「まぁ、そういう反応になっちゃうか。……未確認に近いんだけれど、ロストライフ化した土地から生き延びた人たちが居るって聞いたのよ。今回はその人たちの亡命……と言うか避難ね。知っての通りだけれど、ロストライフ化した土地に長く居れば破壊衝動に呑まれてしまう。その前にこっちが手を打てたのは奇跡に近いのよ」
「……その者たちをどうしろと言うんだ?」
「護衛して欲しいの。無論、空戦人機による作戦になるわ」
「……なるほどな。私の《バーゴイルミラージュ》が適任というわけか」
「そういうこと。まぁ、今回ばっかりは、モデルケースとしての実地も兼ねているみたい」
「モデルケース?」
「ロストライフ化した土地から逃げて、正常な場所に落ち着けば、そういう人々は元の生活を取り戻せるのかって言う……まぁ趣味のいい話よ」
南の吐き捨てるような声音に、これは彼女の本意ではないのが窺い知れた。
「……実験への加担と言うわけか」
「あまり悪く思わないで。私たちがやるのはあくまでも、旅客機の護衛任務。それ以上は考えないほうが、多分精神衛生上いいわ」
「……引き受けるにして、私だけでは荷が重い。ロストライフ化した人々を実験に使いたいのは、何もこちら側だけの事情ではないのだからな」
「そうね。十中八九キョムは仕掛けてくる。問題なのは、そこもなのよ……。整備中で、《ナナツーウェイ》のフライトタイプは使えないし、空戦人機はあんたの《バーゴイルミラージュ》以外にめぼしい戦力もない。実際、ジリ貧みたいなものだからねー」
南は縁側に座り込んでお盆の上に置かれていた湯飲みを手に取っていた。
「だが必要な作戦なのだろう。請け負おう」
「そう言ってもらえると助かるわ。おっ、茶柱」
「しかし、私一人では作戦の達成度のためには少しばかり不安も残る。何か、対処法はないのか?」
「そうねー、対処法、対処法……」
南の視線がテレビゲームに興じている二人へと赴く。
エルニィがコントローラーを投げ、それを冷静にルイが見つめていた。
「ムキーッ! 何で? データは全部入っているのにー!」
「実力不足よ。はぁー……弱い相手とやり合うと肩が凝るわ」
「ルイ! もう一戦! もう一戦だよ!」
「いいけれど、今度は夕食のコロッケを賭けることになるけれど?」
「うっ……こ、コロッケの一個くらい何だい! 今度は勝つんだから!」
再び向かい始めようとしたルイへと、南が声をかける。
「ルイー。あんた、暇でしょ?」
「暇じゃない」
「どう見たって暇にしか見えないわよ。ちょーっと頼まれてくれない?」
「面倒だから嫌よ」
「……じゃあもう一個! コロッケもう一個付けちゃうから」
そこで邪念が入ったのだろう。
エルニィの操るキャラクターのコンボがさく裂し、瞬く間に体力ゲージを奪われていく。
「やった! 今度はボクの勝ちぃー!」
「……納得いかない」
「まぁまぁ。実力だってば、ルイ」
余裕しゃくしゃくのエルニィを横目に、ルイは南へと向き直る。
「……で、用事って言うのは? コロッケは前払いよ」
「分かってるってば。あんたの《ナナツーマイルド》はまだ整備中だけれど、下操主席、乗れるでしょ?」
「まさか、黄坂南。黄坂ルイに頼むと言うのか」
「そうだけれど、何か不都合でもある? ルイはこれでも下操主としての経験は積んでいるし、空戦人機の訓練だってそれなりよね?」
「……私に、この女の下になれって?」
攻撃的なルイの物言いに南は諫める。
「まぁまぁ。帰ったらコロッケに……そうだ! カレーも付けちゃう! それでどう?」
そんな交渉、うまく行くものかと思っていたのだが、ルイは意外にも真剣に悩んでいる。
「……コロッケにカレー……確かに悪くない条件だわ。でも、納得行かないのが一つ。《バーゴイルミラージュ》の下操主席って確かデフォルトの設定よね? そんなんじゃ撃墜されるわよ」
「そこはルイの操りやすいように弄ってもらっていいからさ。頼まれてくれない?」
ルイは腕を組んでこちらへと顎をしゃくる。
「あんたは? そっちが頭を下げない限り、私はやらない主義よ」
どうやらあくまでも自分は頼まれたから渋々、と言った体を崩したくはないらしい。
南がこちらへと視線を配るので、メルJは当惑していた。
「……私は別に、一人でもできる……」
「無理言わないほうがいいわよ、メルJ。あんたの操主技術じゃ、一人での任務達成率なんてたかが知れているわ」
「何だと? それほど言うのなら、血続トレースシステムではない操縦くらいはできるんだろうな? できません、なんてのは効かないぞ」
売り言葉に買い言葉で互いに論調が荒くなっていく。
ルイは澄ました顔で応じていた。
「言ってくれるわね。そっちこそ、鹵獲機だから手を抜いた、なんてことは願い下げにして欲しいわね」
「まぁまぁ。ルイもメルJも、ここは私の顔を立てて――」
「黄坂南、これは私と黄坂ルイの問題だ」
「そうね、これはこの女と私の問題よ、南」
声を合わせて返したものだから、南はお茶をすすり上げて、双方に目線を配る。
「じゃあ、結果で示してみなさいよ、二人とも。無事帰還すれば、コロッケとカレーだけじゃない、きちんといいものを食べさせてあげるから」
「言ったわね? 南。なら、乗ろうじゃない」
「食べ物に釣られるほど安くなった覚えはない。……が、黄坂ルイがその条件でいいというのならば、それで行くとしよう」
「何よ、それじゃあ私が食べ物程度で揺らいだみたいじゃない」
「実際そうではないのか? 食い意地だけは張っているんだな」
互いに牽制の言葉を投げ合っていると、南が割って入る。
「いいからっ! 二人とも、作戦概要はこの書類の通りにね。頼むわよー。これ、結構重要な局面なんだからねー」
「――とは言われたものの、現状、空域には敵影はなし。少し意気込み過ぎたか」
「南はいつだって大げさだもの。そういうこともあるのよ」
下操主席のルイの後頭部を眺め、メルJは旅客機を観察する。
「しかし、分からんものだな……。ロストライフの地よりの帰還、か……」
「あんたには思うところがあるって言うの」
「……ないわけではない。全てが死に絶えた黒の土壌で生き永らえるのは、思ったよりもよっぽど辛いものがある……そういう状態だ」
「黒の土壌、ね。まぁいずれにせよ、あの旅客機にすし詰めされているのは、生き残るために別の土地に移り住むって言う、宿命を背負わされた人々なんだろうけれど」
「生きるために、か……」
脳裏を掠めたのはシャンデリアで目の当たりにしたコロニー区画であった。
あれも、「生きるため」という大義名分を前提としての科学の傲慢さ――グリムの者たちが暴いたパンドラの箱なのだろう。
「……人間は、生きるため、という言葉一つで宇宙に居城を築くことさえもできる……いや、自らに許している、と言うべきか。それはしかし……傲慢の一言だ」
「思うところがあるのなら、あの旅客機を守るのはやめる?」
「……いや、今の私はアンヘルの操主。任務は達成する」
それがどれほど清濁併せ呑む結果になろうとも、今は目の前の命を守ることに使命を傾けるべきなのだろう。
そう断じようとした、次の瞬間、接近警報が劈いていた。
《バーゴイルミラージュ》の横合いを突き抜けようとしたのは、三機編成のキョムの《バーゴイル》である。
「……来たか。だが、所詮はいつもの《バーゴイル》。私の敵ではない!」
機銃を構え、敵影をロックしたところで、うち二機が挟撃を仕掛けてきていた。
「生半可な策など……叩き潰す!」
狙い澄ました銃撃が《バーゴイル》の装甲を射抜いていた。
敵機の動きはどれもこれも読みやすい代物だ。
事ここに至っての自動機械による制御程度ならば、こちらの優位が揺らぐことはない。
挟撃を果たす前に火達磨に包まれた《バーゴイル》はしかし、直後に装甲をパージしていた。
居残ったのは最低限度の装甲を保持した先鋭的な機影である。
「《バーゴイル》のガワだけを用いた新型機……だと」
「気を付けなさい、メルJ。あれは《マサムネ》よ」
ルイの戦闘神経を研ぎ澄ました声に、メルJは瞠目する。
「《マサムネ》……? 聞いたことはある。確か、南米にてカナイマアンヘルが開発せしめた、可変型人機のフラッグシップなのだと……。だが、何故、キョムの《バーゴイル》の偽装装甲を用いて……」
「恐らくはここで試金石にするつもりでしょうね……。あの《マサムネ》……黒い《マサムネ》なんて扱うとはね」
漆黒のカラーに塗られた《マサムネ》は《バーゴイル》の速度を凌駕して、旅客機へと直行していく。
射撃の照準器がぶれ、その機影への弾丸が削がれていた。
「速い……! いや、《バーゴイル》をやるのとは違う神経が必要だということか……!」
「自動照準機能じゃ、咄嗟に追いつけないわ。こっちで照準補正はやる。メルJ、あんたは敵の撃墜に専念しなさい。姿勢制御バランサーは受け持つわ」
そう言うや否や、ルイはインジケーターを調整し、対《マサムネ》戦特化へと《バーゴイルミラージュ》の推進系を書き換えていく。
メルJは注意を飛ばす前に護衛目標へと迫る影を目で追っていた。
「……撃墜の憂き目にあえば、作戦失敗だけじゃない……。あの者たちはロストライフの……絶望の土地から希望へと赴こうとしているんだ。そんな人々の想いを、無碍にはできるものか……!」
挟撃を仕掛けようとしていた二機は装甲を排除して《マサムネ》の機影を晒しているが、隊長機らしき機体は《バーゴイル》のまま戦局を見据えている。
恐らくは《マサムネ》の実地試験においての有用性を観察しているのだろう。
ならば、撃墜すべきは――。
「敵にデータを持ち帰らせるわけにはいかない。だが、何よりも護衛対象を沈めさせては目的を達成できない。……黒い《マサムネ》二機を撃墜し、データ収集に移っている《バーゴイル》を迎撃する。それでいいな?」
「今さらのことを聞かないで。……《マサムネ》の機動性能に最適化、これで……!」
《バーゴイルミラージュ》の推進性能を頼りに、メルJは空中を駆け抜けさせていた。
「逃しはしない。――ファントム!」
機体を仰け反らせ、一瞬のうちに掻き消えた《バーゴイルミラージュ》の加速度で《マサムネ》を迎撃しようとするが、敵機は制動用の推進剤でこちらの予測地点より上昇し、可変を果たしていた。
バイザー型の頭部を誇る《マサムネ》に、《バーゴイルミラージュ》が照準を向けようとして後方からの熱源警告に振り返る。
「……《マサムネ》二機による挟撃はまだ実行中というわけか……!」
「メルJ、あんたは銃撃に専念しなさい。機体の動きは私が請け負うわ」
「……しかし、黄坂ルイ。お前は《バーゴイルミラージュ》での戦線は初めてに近いはず……」
「自惚れないで。自分だけ空戦人機の素養があるとは思わないことね」
問い質す前に、《マサムネ》の携えたブレードの一閃が叩き込まれる。
回避運動に神経を走らせる前に、《バーゴイルミラージュ》は下方へと逃れていた。
背後に展開したもう一機の《マサムネ》が銃撃網を照準し、弾丸が突き抜けていく。
「あんたは迎撃だけ考えなさい。動きはこっちで受け持つ。……悔しいけれど、トーキョーアンヘルで遠距離攻撃に一日の長があるのはあんたなんだから、それくらいは自分で示しなさいよね」
ルイの言葉を受け、メルJは空中展開した二機の《マサムネ》を睨み据える。
「……ああ。動きは、では任せるぞ。私は三機編成を――迎撃する!」
「誰に言っているのよ」
その言葉の直後には、上昇機動に移った《バーゴイルミラージュ》へと銃弾が叩き込まれようとするが、半身になってかわした機体は横ロールし様に反撃の弾丸を撃ち返していた。
近接格闘に秀でた《マサムネ》が加速度を上げて仕掛けてくるのを予期したように、制動用の推進剤で距離を稼ぎ、相手の刃を紙一重でかわす。
大振りの、その一瞬の好機。
それを逃さず、メルJは相手の頭部へとゼロ距離の銃口を打ち付けていた。
火線が迸り、《マサムネ》の機体が頭部を爆ぜさせて直下の海面へと機体を跳ねさせていく。
即座に反転し、こちらへと銃口を向けていたもう一機へと、応戦の銃撃網を走らせ、相手の肩口を射抜いていた。
僅かに機体追従性が下がった隙を、ルイは見逃さない。
腰部にマウントしていた格闘兵装へと持ち替えさせ、躍り上がった機体が射程距離へと肉薄する。
「スプリガンハンズ!」
格闘兵装の刃が《マサムネ》を斜に切り裂き、スパーク光が焼き付く前に、もう片方の腕で握り締めていた拳銃を横合いから叩き込む。
銃弾が跳ね、《マサムネ》は黒煙に包まれていた。
海面に没した機体に息を切らしているような暇はない。
「データ収集機を逃がせば、ここでの戦いに意味はないわよ」
「それくらい分かって……いる!」
反転しようとした《バーゴイル》へと、メルJは丹田に力を込めて、叫んでいた。
「逃しはしない、アルベリッヒレイン!」
直下より放たれた弾丸の雨嵐が《バーゴイル》の装甲を融かしていく。
動きを止めた敵影へと、スプリガンハンズを基点にしてエネルギーの皮膜を流転させていた。
黄昏色のエネルギー波が翼を纏って一点に凝縮される。
「穿て! 銀翼の――アンシーリー、コートッ!」
突き進んだ《バーゴイルミラージュ》の勢いに敵機が射竦められたかのように硬直した。
その機体の中心軸を貫き、《バーゴイル》は沈黙する。
薙ぎ払い、胴体を引き裂いて敵影は爆発の光輪を広げさせていた。
「データ収集機はこれで……撃墜……」
荒い息を整えつつ、メルJは護衛対象へと視線を振り向けていた。
「旅客機は……?」
視線の先にはこれまで通りの空路を取る旅客機の姿が大写しになっていた。