「立花……お前まで何だそのカッコ。体育祭でもおっ始めようってのか?」
「まぁ、間違いじゃないかな。ほら、一回くらいは見ておかないと分かんないじゃん。人機を動かすに足る体力かどうかって」
赤緒たちは柔軟体操にいそしんでいる。
両兵はその様子を見やってから、陽光の下に晒されている《モリビト2号》を含む人機を見据えていた。
「……なるほどな。青葉とかは体力なかったのも問題だったから、こいつらの体力を見極めておくって意味もあるわけか」
「そういうこと。人機操主はただでさえも体力勝負なところあるし、もしもの時にもう動けませんってのだけは勘弁だからね」
「うぅ……届かない……」
爪先まで手を伸ばそうとして身体が硬いのか、赤緒は悲鳴を上げる。
「柔軟は駄目、と。赤緒だけ? 体操の時点で躓いてるのは」
「こっちもよ」
ルイが指差すとさつきがバランスを保とうとして、不意によろける。
「……何やってんのさ。これから体力測定だよ? 体操くらいきっちりクリアする!」
「……とは言いましても……」
「具体的に何をするんですか? 体力テストって言ったってやれることは限られていますけれど」
「なに、今回は自衛隊のお墨付き! プールも貸し切りでボクらのために開放してくれてるんだ。もちろん、水泳とか諸々のテストもするからねー」
「……なぁ、立花。やる意味は分かるんだが、何で今なんだ? もっと早くにやったっていいだろうに」
「まぁ、ちょっと情勢が落ち着いてきたからって言うのと、それに言ったでしょ? 全員分のデータが欲しいんだって」
その言葉に柊神社の柱の陰に隠れているメルJを視界に留める。
「……お、小河原……見るな」
「さすがにメルJの年齢で体操服にブルマはあれかなーって思ってねー。メルJだけ特製のジャージ姿」
それでも普段の姿ではないのが恥ずかしいのか、メルJは耳まで真っ赤になっている。
「……普段のほうがよっぽど露出多いだろうに……。で、まずは何をするんだ?」
「いいこと聞いてくれた! そうだねー、まずは走り込みからやろうか。百メートルのタイムを測るよー。さぁ、並んだ並んだ!」
クラウチングスタートを取るアンヘルメンバーに両兵は頬を掻きつつ、軒先の南へと歩み寄っていく。
「……黄坂、これ、いいのかよ」
「いいんじゃないの。エルニィが言い出した時にはびっくりしたもんだけれど、でも、確かにね。青葉だって最初からあそこまでの人機操縦技術を手に入れたわけじゃないわ。基礎的な体力の構築は何も無駄にならないし。おっ、茶柱」
湯飲みを覗き込んだ南に両兵は呆れ返る。
「……ある意味じゃ、落ち着いた証、か」
「そうね。前までならメルJだってこうも馴染んでくれなかっただろうし、それに今回はメカニックチームも参加してくれているのよ」
駆け出した一同の中にぐんぐんと突っ切っていくのは専属メカニックのシールとルイ、それにメルJであった。
タイムを取るエルニィは彼女らの競い合いを目にして、よし、と計測する。
「相変わらずシールはメカニックにしておくのには惜しいくらいに体力あるなぁ。で、ルイはやっぱり早いし、メルJも同じくらい。……さてさて、後続組はどうかな?」
息が上がり気味でも何とかゴールした赤緒とさつきは同じくらいで、その後ろに月子ともう一人のメカニックが続く。
「……おい、あいつは? 新顔だな」
「ああ、ルエパアンヘルの日向秋さんですって。月子とシールの後輩みたいね」
「へぇー……アンヘルにも知らん顔が出て来るもんだ」
「し、シールちゃん……早いってば……」
ぜいぜいと息を切らす月子にシールは得意顔になってタオルで汗を拭う。
「相変わらず遅ぇなー、月子。メカニックとは言え、トーキョーアンヘルの専属なんだ。それなりに体力はあったほうがいいと思うぜ」
「シールちゃんが早いんだってば……秋ちゃんも大丈夫?」
「せ、先輩方……早いですって……」
赤緒とさつきは百メートル走った程度でも充分に参っているようであった。
「つ、次はー……?」
「次は身長体重座高でも測ろうかな。一応、データは取っているけれど、まぁみんな育ち盛りだし、数値は変動するでしょ」
体重計などが並び立つ場所へと両兵が何の気もなしに視線を振り向けていると、赤緒がむっとして声を発する。
「……その、小河原さん、駄目ですよ。女の子の身長体重を知ろうなんて」
「ああ、そっか。じゃあ両兵は駄目じゃん。耳塞いどいて」
「……オレはメシを食いに来ただけなんだが、何で耳を塞がなきゃならんのだ」
「いいから。これでも全員女子なんだし。そこんところは満場一致でしょ?」
アンヘルメンバーからの眼差しに、両兵は耳を塞ぐ。
「あー、分かったよ、ったく。……柊、とっととメシ出してくれよ。そうしたら帰るんだからよ」
「まぁ、今日は我慢なさい。それか五郎さんに作ってもらったら?」
南の言葉に両兵は手で耳を塞ぐ。
「……聞こえねーな、そんなの」
「……あんたも意固地ねぇ」
それぞれの身長体重をエルニィが計測してから、じゃあ、と差し出されたのは握力計だ。
「一応、トレースシステムに握力はほとんど必要ないんだけれど、最低限度もないと困っちゃうから。人機の出力上、ファントムの時に手がすっぽ抜けたら大惨事でしょ? まずは赤緒とさつきからねー」
赤緒はふんと力を込めるがその針はほとんど振れない。
「……赤緒、真面目にやってる?」
「やってますよぉ……。それでも、こんなのなんです」
「……まぁ、赤緒は期待していなかったけれどさつきもなの? ……非力が過ぎるとどうしようもないよ、二人とも」
「とは言われましても……握力には自信がなくって……」
赤緒とさつきは困惑顔を互いに向け合って愛想笑いを浮かべる。
エルニィは計測をしつつ、ルイの目線に気づいたようであった。
「あれ? ルイは握力あるでしょ? 何でこんな数値なの?」
「……そこに小河原さんが居るじゃないの」
それに気づいたエルニィが、あっと声を上げる。
「じゃあ駄目だ。両兵、今度は眼を塞いで」
「……おいおい、耳塞げだの眼ぇ塞げだの、とんでもねぇじゃねぇか。何だってこんな目に遭わなくっちゃならんのだ」
「いいから。ルイにも乙女のプライドってもんがあるんでしょ」
「……何だか腑に落ちねぇ……」
「まぁまぁ。両、あんたも少しばかりは乙女心ってもんを理解する時があるってもんよ」
南にそう諭されるが、両兵本人は一ミリも理解できず、仕方なしに反対側を向いて耳を塞ぐ。
「これでいいのか? ……ったく面倒だな」
とは言え、全く聞こえないわけではないので、赤緒たちがキャッキャと声を上げるのが漏れ聞こえる。
「計測は……あれー? 赤緒、また大きくなったんじゃない? いやぁ、本当に要らないところばっかり肉が付くんだなぁ」
「ほ、放っておいてくださいよぉ……! 小河原さん、聞こえてないです……よね?」
「まぁ、いくら両兵の耳が地獄耳だって言ったって、赤緒のバストサイズを聞くほどじゃないでしょ。それにしたって、羨ましい体型してるんだから」
いっそのこと、全部聞こえていると言ったほうが楽そうだが、後が怖そうだ。
両兵は黙して、計測が全員分終わるまで口を噤んでいた。
「じゃあ今度は運動能力のテスト。自衛隊に協力してもらって、鉄棒を持ってきたから、まぁ軽ーく逆上がりでもしてもらえるかな。それくらいはできるでしょ?」
「……あの、立花さん……」
当惑気味に挙手した赤緒とさつきは鉄棒を前にして硬直する。
「……逆上がり、できません」
「同じく……」
「えーっ! 何言ってのさ、こんなの簡単じゃん! ……もしかしてボクのこと、おちょくってる?」
くるりと一回転して手本を見せてみせるエルニィだが、二人は戸惑うばかりだ。
「い、いえ……っ、本当にできないんです、その……すいません」
「やってみれば? 本当にできないのかどうかはそれで判断するし」
「じ、じゃあ……。その、えいっ……!」
地面を蹴り損なって見事に空回りする赤緒にエルニィは呆れ返っていた。
「……あのさー、真面目にやってる?」
「ま、真面目ですよぉ……! 真面目に……その、できないんです」
「じゃあ誰か介助してやってあげてよ。そうすればできるでしょ?」
「両、行ってあげなさいよ」
唐突に呼ばれて両兵は声を上げていた。
「オレがぁ? ……嫌な予感しかしねぇ。ってか、邪魔者扱いだったんじゃねぇのかよ」
「あんた、この場で唯一の男手なんだから。赤緒さーん、両を行かせるわ」
「お、小河原さんを……? そのぉー……それはちょっと……」
「いいからっ! ほら、両もとっとと行く!」
南に背中を蹴られる形で両兵は渋々赤緒の介助に入る。
「……ったく、何だってオレが……。柊、とにかくお前は地面を蹴って勢いをつけるのがヘタクソ過ぎて全然だ。ちゃんと地面を蹴れ、そんでもって鉄棒に身体をきっちり近づけろ。その基本ができてねぇ」
こちらの説明に赤緒はうぅーん、と呻る。
「……わ、分かっているつもりなんです……頭では」
「頭で分かってできるものでもねぇし、まずは身体で覚えろ。とにかく、地面を勢いよく蹴る。その後に身体持ち上げりゃ、どうにだってなる」
「こ、こうですか……っと!」
赤緒が地面を蹴った時にタイミングを合わせ、その背中を押し込んでやると何とか一回転を果たす。
「や、やった! ……小河原さん、できました!」
「だろ? そんなに難しくねぇンだよ。体力測定のメインどころでもねぇところで躓いてんじゃねぇ」
「あ、あの……お兄ちゃん……私も……」
「ああ、さつきもできねぇんだったか。じゃあ、とにかく柊と同じだ。蹴る力が足りてねぇし、さつきは身体も小せぇんだから、ビビらずに鉄棒に身体を近づけるところから……ん? 何だお前ら。何見てるんだよ」
こちらの目線とかち合ったルイとメルJがどこか不承気に視線を逸らす。
「いや……その、私もできないな、と思ってな」
「……私も。急に逆上がりのコツが掴めなくなっちゃった」
「いや、お前らさっき大回転してただろうが。サボること覚えンじゃねぇよ」
さつきの介助をする自分へと何やら殺意めいた眼差しが向けられてくる。
メルJとルイが唇を尖らせて、静かに抗議していた。
「……立花、あれは狡いんじゃないのか?」
「そうよ、自称天才。さつきも赤緒も、本当はできるんじゃないの?」
「……そういうところで敵意を剥き出しにしないでよ、二人とも。まぁ、いいんじゃない? 本当にできないんだから助けてもらってるんだろうし」
「……納得いかない。私もできないのに」
「……わ、私だって、鉄棒は不得手だぞ」
「はいはい、二人とも嘘は駄目だよー、嘘は。二人の運動能力がずば抜けて高いのはバレバレなんだからねー」
計測するエルニィへと、恨めしい視線を据えるメルJとさつきを視界の隅に留めて両兵は身震いする。
「……何だアイツら……。何つー眼でこっちを睨みやがる……」
「お兄ちゃん! できた、できました!」
「お、おお……よかったな、さつき。じゃあオレはここんところで撤退……」
「ほんじゃー、次は水泳実習、行ってみよっか! 何も人機で活動するのは空や大地ばかりじゃないからねー。もし海上戦闘になった場合、泳げないなんてそもそも論外なんだから」
エルニィがホイッスルを吹いて一同を導く傍ら、両兵は腹の虫が鳴き始めるのを感じていた。
「……そろそろメシにありつきたいんだが」
「まぁ、我慢よ、我慢。それにしたって、あんたも一端に操主のサポートができるようにはなってきたじゃない」
「サポートなんて大層なもんじゃねぇよ。オレができンのはあいつらの足を引っ張らないことくれぇだろ」
「いい心がけじゃない? あの子たちも血続って言ったって、身体能力自体は普通の女の子なんだからね。もしもの時にあんたが居てくれるだけで心強いわ」
「……おい、それは言いっこなしだろ。お前だって操主としちゃ、決して腕は錆びついたってわけでもねぇはずだが?」
「あら、私は責任者だもの。あんたとは違う領域で戦わないといけないのよ。癪だけれどね」
「……いいご身分だこって。その責任者とやらの身分もまぁ、想像するに余りあるっつーか、お偉方連中相手にやらかすんだろ? そっちもそっちでまぁまぁしんどそうだな」
「あんたはあの子たちを支える役割に立ちなさいよ。案外、できないんだからねー、こういうこと、素直に頼める人間って言うのはね」
南の評に両兵は不承気味に頬を掻く。
「……俺が居なくなってあいつらはやるさ。それがアンヘルの操主ってもんだろ」
「それはあの子たちの前で言うんじゃないわよ、あんたもねぇ……自分の存在の大きさってものを理解しなくっちゃいけなさそうなんだから」
「……存在の大きさ、か。ンなもん、とっくの昔に失ったもんだと思い込んでいたがな。何せオレは、一個分デケェ借りを……永久に返せねぇみたいなもんだ」
「……青葉はあんたを恨んじゃいないわよ。あの子だって、南米で今も戦っている。あんたがどれだけ、笑顔で別れられなかったって悔やんだって、青葉は前を向き続けているのよ」
「……前を、か。それはオレからしてみりゃ、一個辛いようなもんだっつー……」
青葉が今も戦い抜いているのは知っている。
南米で、自分が愛した人機も居ないのに、それでも抵抗を続けていることも。
その一端の責任は自分にあることも重々承知しているつもりだ。
「……でもよ、だからってオレは……あいつにもう顔向けできねぇンだ。モリビトがここに居るってことは、あいつは一人っきりだってことだからな」
「どうかしらね。あの子だって、強くなった。もう泣かないって息巻いていたはずよ。それは、トーキョーアンヘルの子たちだって同じ。どれだけ辛く苦しい戦いだって、もう泣かない、泣くもんかって自分を奮い立たせている。……でも、ほんのちょっと辛い時に、傍に居てあげられる人間が居るだけで違ってくるのよ」
「オレはそこまで責任取れるほど、何つーんだ……カイショーって奴か。あるとは思えねぇンだよ。オレは前を行くあいつらの足を、少しばかり助けてやれるだけだ。その背中に、無責任でも戦えって、そんな言葉を吐くくらいしか能はねぇよ」
「どうかしらね。あんたも私も、隠居するのには少しばかり早いでしょ。人機で戦い抜くって言うのはそういうことも示しているはずだし」
「……今日は随分とお喋りじゃねぇか、黄坂。……思うところがあると、そう考えていいのかねぇ」