JINKI 179 風の歌

 そっと近づくと、どうやらイヤホンで音楽を楽しんでいるのが窺える。

 邪魔をしては悪いか、と踵を返そうとしてルイに肩を叩かれていた。

「わっ……! ルイ? どうしたの?」

 ちょいちょい、と南を指差したルイは唇の前で指を立て、それからそーっと、音量のつまみを最大に引き上げていた。

 南から悲鳴が劈き、大音響がイヤホンから漏れ聞こえる。

 こちらへと振り返った南は早速、ルイを認めるなり、例の如く追いかけっこが始まっていた。

「こんの、ルイー! 悪ガキがぁーっ! 鼓膜潰れるところだったでしょ!」

「そんなのにうつつを抜かして隙だらけなのが悪いのよ、南」

 ひょいひょいと南の手をかわしていくルイを尻目に、青葉はポータブル音楽機の音量を元に戻していた。

「これ、結構高かったんじゃないですか? 日本だとかなりの額のはずですよ」

 南はようやく調子を取り戻して、まぁね、と応じる。

「軍部からの流れものって奴よ。その中にまぁまぁ使えそうなのがあったから、半分壊れていたけれど、修繕してこれって感じに見繕ったわけ」

 その言葉に青葉は二重に驚く。

「これ、南さんが直したんですか?」

「そうよー。尊敬した?」

 ふふんと胸を反らした南にルイが吐き捨てる。

「馬鹿馬鹿しい。回収屋稼業サボって遊んでいただけでしょ」

「あーっ、ルイー! それは言いっこなしなんだからね!」

 再びじゃれ合いが始まる中で、青葉は携帯型のそれを手に取っていた。

 重さはさほどない、がためしに片耳だけ付けてみると、鮮やかで激しいリズムが流れている。

「ロックなんですね、南さん」

「そうそう。それも流行りって奴でさー。ホラ、こんなところに居ると下界で何が流行っているのかだとか、どういうのが人気なのかとか分からないじゃない。平気で二週間前の情報とかが最新になって来るから、私もそういうのには疎くってねー」

「南が疎いのは今に始まった話でもないでしょ」

「……こんの……。けれどまぁ、青葉。あんただって日本じゃ流行り物の一つや二つはあったでしょ。音楽とか、今は何が流行っているの?」

「日本で……ですか。そう言われてみると私……ほとんど知らないかも……」

「えっ、何で? だってあんた、まだ中学生じゃないの。そういうのには敏感な年頃でしょ」

「そ、それはその……私、部屋にこもってプラモばっかり作っていたから……。あっ! でもここに来る前に流行っていたロボットは全種類言えて――」

「要するに、ヲタクってことでしょ」

 うっ、とルイから手痛い一撃の言葉を受ける。

「あー、こらぁー、ルイー。あんた、言っていいことと悪いことがあるでしょうが。ヲタクなんて言葉を使っちゃ駄目よ?」

「い、いえでも……事実みたいなものですから……」

「にしてもなぁ……青葉も音楽の一つや二つは嗜みなさいよ。好きなジャンルは? 何でも聞かせて!」

「好きなジャンル……ですか……。ああ、でも私、アニメの主題歌とかばっかり聞いていたから……」

「アップテンポな曲とかってことね! 分かる分かる」

「とか言いつつ、それって結局、子供向けの話じゃない」

「……それを当の子供であるあんたが言うかしらね、まったく。でもアニメソングかぁー……こっちじゃなかなかに入手困難だわ」

「あれ……? でもプラモの材料とかは揃って……」

「いや、だって本邦のアニメソングって言えば、一応は輸入品ってことになるし、ちょーっと厳しいかなぁ。何だかんだで日本とここは地球の反対側だからねー」

 そうなのだ。南米と日本はちょうど地球の裏側――よって日本の流行歌がこっちへと届いてくるのには少しばかり時間を要するだろう。

「そう、ですよね……」

 目に見えてしょげていたせいだろう。南が取り成す言葉を発する。

「ああ、でも待って! ……一年二年前のアニメソングなら、手に入るかも。うーん、とは言いつつも二週間くらいはかかっちゃうかなー。それに、いざ届いたとしても、聴くための機械がないとねぇ」

「携帯型の音楽聴ける機械って、やっぱり高いんでしょうか……」

「うーん、私ゃこれ、自分で直したから元手はタダみたいなもんだけれど、買うとなると……青葉、いくら持ってる?」

「えっと……五千円くらいですかね……この間もらった操主としてのお給料からお小遣い用にって」

「五千円かー。ちょーっと厳しいわねぇ」

「ですよね……すいません、何だか身の丈に合わないこと言っちゃって……」

「ああ、そう暗くならない! そうだ! 足りない分は私が出したげるから、青葉もこういうの持ちなさいよ。女の子なんだからオシャレの一環としてさ」

「でも、そんなの悪いですよ……」

「悪くないって! 青葉、日がな一日中、ずーっと操主としての勉強と訓練でしょ? ちょっとは気を紛らわせないと! それに、操主以外のことを知るのも充分に社会勉強よ」

「物は言いようね」

「お黙りなさい、悪ガキ。……って言うわけで、早速購買にゴーしましょ!」

 その背中に続きつつ、青葉は若干の迷いを浮かべる。

「でも……今の私は操主としても未熟だし、そんなのにうつつを抜かしてていいのかな」

「いいのよ、あのドケチの南がお金を出してくれるなんて滅多なことじゃないんだから。ここは絞れるだけ絞っておきなさい」

「聞こえているわよー、ルイ。あんたの分はないんだからね」

「いいわよ、別に。音楽なんて聴くような時間はないし。それに、そんなことをしているうちに私が《モリビト2号》の操主になってやるんだから」

「まぁ、口が減らないのがルイのいいところでもあるし、気にしないことよ、青葉。それに、私としてもあんたが着飾ってくれるのは願ったり叶ったりなんだから。こういう風に、誰かに物を買ってあげるってのは、まぁいいものよねぇ」

「自己満足なんだか、南は」

 呆れ調子のルイに青葉は懸念を浮かべる。

「でも……いざ聴くとなったら、何を聴こう……」

「――おっ、何やってんだ。購買で珍しい顔ぶれだな、オイ」

 先んじて購買で注文をしていた両兵と鉢合わせして、青葉は気まずい思いをしてしまう。

「両、あんたこそ何を買ったのよ」

「あー、ラジカセ壊れちまってよ。新しいのを買おうって思ってな」

「あんたってまぁーだあの古臭いの使ってたの?」

「うっせぇな、物持ちがいいんだ、オレは。どっかの誰かさんと違ってな」

 両兵の視線がこちらへと向く。

 青葉は当惑したように顔を伏せていた。

 別に今さら気負うことなんてないのに、何だか両兵の前で新品の音楽プレーヤーが欲しいとねだるのは少し気恥ずかしい。

「で、そっちは何の注文だい?」

「新品のポータブルプレーヤー一個! どれくらいの値段なら買い付けられる?」

 うーむ、とカタログを参照されページが差し出される。

「これなんてどうだね。完全な新品って言うわけにはいかないが、まぁまぁの性能を保証しているし」

「じゃあ、これで。……ねぇ、どれくらいまでなら値切れる?」

 早速値段交渉に入った南に両兵は嘆息をつく。

「ケチくせぇんだな、相変わらず」

「うっさいわね、これでも立派な節約術よ」

「節約ねぇ。……で、お前は何を買いに来たんだよ。あー、言わなくっていいぜ。どうせ、プラモのパーツとかだろ」

「なっ……! 両兵は私のことを何だと思ってるの!」

「あー、うっせぇし、聞こえねぇな。じゃあ何買いに来たんだよ」

「それは……」

 口ごもっていると南が声にする。

「青葉にも新しめな音楽プレーヤーを買ってあげようって思ってね。もちろん、折半だけれど青葉自身、かなり頑張っているから私からのプレゼントみたいなものよ」

「音楽プレーヤー? ……おいおい、ドケチの黄坂がそんなもんを他人に買うなんて、今日は雪でも降るのかよ」

「失っ礼ねー、あんたも……。まぁ、そう思われているだろうとは考えているけれど。それで、入荷までどれくらいかかりそう?」

「ざっと二週間くらいかねぇ。何だかんだでここは立地が悪いから」

「周り全部ジャングルだものね。いいわ、先払いでじゃあ、これをちょうだい」

 青葉が財布から紙幣を出そうとして南はウインクする。

「ここは私の奢りでいいわ」

「えっ……でも悪いですよ」

「いいの! 両、あんたも青葉にちょっとばかし、プレゼントしてあげるって言う気概はないの?」

「……何でオレが。もったいねぇだろ」

「出た、そういう発言、問題よ? ま、あんたは私よりもケチだから、期待するだけ損か」

「つーか、操主としても未熟な奴に何か買ってやったってつけ上がるだけだろ。オレが上操主のうちは何だ……目が黒いやら白いやら……」

「自分の目が黒いうちは、でしょ。はぁー、それにしたってあんた、ケチも過ぎるととんでもないことになるわよ? そのうち幻滅されたって知らないんだからね」

 やれやれと首を振る南に、両兵は居心地悪そうにする。

「……何だよ、ったく……。つか、色気づいてんじゃねぇよ、プレゼントがどうのこうのだとか。娯楽は一端の操主になってからにしやがれ」

「り、両兵に言われるまでもないもん! ……すぐに追い越すんだから。私だって上操主やれるようになれるから!」

「けっ、吼えるだけ吼えてろ。第一、上操主席をそう簡単に譲ると思ってンのかよ。千年早ぇぞ、馬ぁー鹿」

「また馬鹿って言った! もう、両兵のことなんて知らない!」

「あーあ、両ってば本当に乙女心の何とやらを分からないのねー。あんたって損していると思うわ」

「うっせぇ。乙女心とかそんなのに期待してるうちはまだまだケツが青いってもんだ」

 そう言い捨てて両兵は立ち去っていくので、青葉は思いっきり舌を出してやった。

「べーっだ! 両兵のことなんて知らないもん!」

「でも青葉ー、音楽の趣味ってアニメソング以外に何かないの? 例えばー、クラシックだとか!」

「南。自分でも分かんないことは言わないほうがいいわよ」

「何よ、ルイ! 私だって音楽には造詣くらいはあるんだからね!」

 とは言え、自分の中にこだわりがないと言えばその通りで、青葉は思い悩む。

「うーん……私、そう考えて音楽を聴いたことってないかもしれないです」

「じゃあまっさらな状態からのスタートね。南米のロックミュージックもいいもんよ。人機に乗りながら聴くとねー、風の歌が聞こえるの」

「風の歌……ですか?」

「うん、そう。まぁ、山野さんとかがうるさいから《モリビト2号》に乗りながら聴けるのはなかなかないかもしれないけれど、もし機会があれば試してみるといいわ。結構いいもんよー、人機の中で音楽を聴くのも」

「人機の中で、音楽を……」

「青葉、これって結局、南のサボりの常套句だからあまり真に受けないほうがいいわよ。音楽を聴いているとか言って、南はいつだってサボることばっかり覚えるんだから」

「何よぅ、ルイ! あんたにも伝わんない? 風の歌って言うのがさー……」

「馬鹿馬鹿しい。南の言うそれって酔っぱらった時に聞こえてくる自分の腹の虫でしょ?」

 また追いかけっこが勃発する中で青葉はうーんと思案して唇を押し上げていた。

「でも……モリビトの中で風の歌、か……」

「――届かないぃ? 何でよ!」

 ちょうど二週間ほど経ってから南が購買に詰め寄る。

「道を封鎖されてしまってね。古代人機ほどじゃないんだが、軍部のいざこざみたいだ」

「はぁー……これだからカナイマは……」

 ため息をついた南に青葉はやはり、と諦め調子になる。

「いいですよ、私別に……。モリビトと操主の訓練のほうが大事ですし……」

「いーえっ! こうなったら奥の手よ! ……ルイ、やれるわね?」

 示し合せた南にルイはふんと鼻を鳴らす。

「面白そうじゃない」

「悪ガキめぇー、でもこういう時は頼りになるんだから」

 格納庫へと勇み足で踏み出した南とルイに、青葉は戸惑いながら後を追う。

「あの……っ、私はいいんですけれど……」

「私がよくないのよ、青葉。それに、あんた、先客が居るみたいよ」

 ちょいちょい、と《モリビト2号》を指し示した南に青葉が振り仰ぐと、両兵がむすっとした顔でコックピット脇のタラップに座り込んでいる。

「り、両兵……? 何で?」

「何でってお前……オレのラジカセも届かないんだと。こうなりゃ実力行使以外にねぇだろ」

 何だかそれは、ある意味では納得でもあり、もう一つ言えばありがたくもあった。

「……モリビト、出していいの?」

「ヒンシにゃ許可出させた。山野のジジィのは知らん。ま、これでも物資を巡ってって言う大義名分があるンだ。嫌でも出撃許可くらいは取り付けさせるさ」

 早速上操主席に収まった両兵に、青葉は困惑の眼差しを向けていると、彼は顎をしゃくる。

「……何やってんだ。早く乗れよ。下操主が居ねぇと動けねぇだろ」

「……うん……っ!」

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