「いや、何か隠したじゃん。何、それ」
「えっと、その……わ、私のお弁当で……」
「さつきのー? さつきのお弁当はもうテーブルの上に仕上がってるけれど?」
しまった、とさつきが当惑した時にはエルニィは詰問の調子になっていた。
「……さつきー? なーんか、ボクにやましいことでもあるの?」
「い、いえ、やましいことなんか!」
「じゃあそれ見せてよ。背中に何を隠したのさ」
「そ、それはそのぉ……べ、別に立花さんが気になさることはないんですよ」
「ボクが気になるんだってば。いいから、見せて」
ひょい、と距離を詰めたエルニィにさつきは諦めて手を差し出していた。
「……何これ? おむすび?」
「その、おにいちゃ……小河原さんが小腹の空いた時に軽く食べられるものを用意してくれって言うから、おむすびなんてどうかな、って……」
「ふぅーん……抜け駆けしてたんだ?」
「ち、違いますよ……! 私が頼まれたんだから、しっかりやらないとって……」
「でもさー、不思議な文化だよねー。ボクもこっちに来てからたまーに見かけるけれど、これってどうなの? ライスボールって言うのかな。シンプルだけれど奥深いって言うか、色んな具を混ぜてそれで特色を出すって言うのが、ブラジルにはなかったかな」
「あ、えっと……立花さんも作ってみます? そうすれば、小河原さんも喜ぶと思うでしょうし」
「ホント? じゃあ手によりをかけて作っちゃおうかなぁ。さつき、基本を教えてよ」
そう言われてしまうと、さつきは面食らってきょとんとしてしまう。
「いえ、あの……基本も何も、ただご飯を握って、それで海苔を巻くだけですので、基本も何も……」
「それじゃー、つまんないでしょー。せっかくなんだ、両兵のお腹に収まるんだし、とっておきのおむすびを作りたいじゃんか」
「えっと……でもその……あんまり奇をてらうと、失敗しちゃうかもって言うか……」
さつきの言葉にエルニィはむっとしていた。
「馬鹿にしないでってば。ライスボールでしょ? これを流石に失敗するとか、それはもう料理のセンスだとかそれ以前の問題じゃんか」
「えっと……じゃあ作ってみます? 簡単なものでいいので」
「それじゃつまんないー! どうせ作るんだったら、特別なもののほうがいいでしょ? 冷蔵庫空けるよー」
こちらが止める前にエルニィは冷蔵庫の中から様々な調味料や食材を取り出していく。
「えっとー、これも、これも、これだって使える! よし、材料は揃ったね!」
「た、立花さん? その、私のちょっとした趣味みたいなものなので、あまり張り切られても……」
あわあわと戸惑う自分に、エルニィはニッと笑みを浮かべていた。
「まぁまぁ! ボクだってライスボールの一個や二個、何てことはないんだから。さつき直伝の美味しくなる方法でもあるんなら別だけれど」
とは言われても、とさつきもそういった方法には精通していない。
「おむすびですからね……美味しくなるも何も……シンプルに作るのが一番ですよ」
「でもさー、それじゃあ両兵の胃袋は掴めないよ。やるんならとことんだ! 景気づけにここにある材料全部使ってみてさ、とっておきのおむすびを作っちゃおう!」
「ぜ、全部ですか……? でも、さすがにこれは使えないとかあるんじゃ……」
その言葉にエルニィはチッチッと指を振る。
「甘いなぁ、さつきは。そういう既成概念に縛られているから、シンプルなおむすびの道を極められないんだってば。そうだねー、まずはこの辺から使っていこう。チョコレートをご飯の中に詰めて……」
板チョコを割って半分は自分の腹を満たしつつ、もう半分を白米に詰め込もうとして、エルニィは炊き立てのご飯相手に四苦八苦する。
「熱っ、熱っつい! 何これ、さつき、こんなの触って平気なの?」
「あっ、私は慣れていますので。立花さん、おむすびの基本って分かります?」
「何……まさか素手で触れないと基本が成ってないとか言わないよね?」
じとっとした目で睨んだエルニィに、さつきは視線を彷徨わせる。
「あ、いえ……そんなつもりは……」
「目が泳いでいるよ、さつき。……いいもんねー。ボクは文明の利器を使えばいいってだけの話だ。サランラップで握ったって美味しさは変わんないでしょ」
確かに基礎の基礎ならサランラップで握ったところで変わりはしないのだが、それにしたところでエルニィの握るおむすびは妙な形状をしていた。
「あの……立花さん。山型に握りましょうよ。そのほうが美味しそうに見えますから」
「やってるってば! でも第一にさ。白米を握っただけの料理って料理って呼べるの?」
「おむすびって歴史も古いですし、何よりも日本人に慣れ親しんだ料理ですので、これも立派な料理ですよ。……立花さん? 押し潰し過ぎですって。もっと優しくしないと」
「……でも、上手くいかないんだよ。さつきのそれ、素手だけれど、何でそんな風に綺麗に握れるの?」
「こうやって、掌の中で塩と一緒に転がしていくんです。そうすれば、均等に力が行き渡りますから」
おむすびを手の中で一定の期間を空けずにころころと転がすのがポイントであった。
あまり握る力が強過ぎると型崩れしてしまう上に、綺麗な三角形の山型にはなってくれない。
エルニィも努力はするものの、やはり形はいびつになってしまう。
「……納得いかないなぁ。何でさつきは上手くできるの?」
「これも慣れですので。でも、立花さん、具のほうがかなりその……特徴的と言いますか……」
「あー、これ? やっぱし甘いものが入ると違うよね。よぉーし! 今度はブルーベリーを突っ込んでっと!」
「ジャムはやめたほうがいいんじゃ……。それに、何時間か経ってから小河原さんは食べるので、できるだけ劣化しない食材がいいですよ」
「うーん、あれも駄目、これも駄目ってワガママだなぁ、さつきは。でもさ、パンに塗って美味しいんなら、ご飯でも似たようなもんでしょ。あ、それならマーガリンも塗っておーこおっと!」
どうやらとことん闇鍋状態になるのは避けられそうにない。
しかし、エルニィがおむすびの作り方を学びたいと言うのは素直に意外であった。
「……立花さん、ブラジルのほうでお弁当とか、作っていらしたんですか?」
「うん、じーちゃんがね。お弁当とはちょっと違うけれど、小腹満たしに何か作ってくれーって時折言っていたから。まぁ、大概家にある缶詰めとかを持たせておいたんだけれど。思い出しちゃうな……」
エルニィの横顔に浮かんだのは、平時とはまた違う微笑みでさつきはその思い出を想起する。
「……きっと、いい思い出だったんでしょうね」
「かなぁ? まぁ、でもじーちゃん、ほとんど手つかずで帰って来ることのほうが多かったんだよねー。何でだろ? ボクの作ったサバ缶のサンドイッチが気に入らなかったのかな?」
「さ、サバ缶ですか……」
「うん、ほら、魚は身体にいいんでしょ? だから、サバの缶詰めを挟んで突っ込んで、今にして思うと何で一回も食べずに持って帰っていたんだろうねー」
それは素直に食べられたものではなかったからなのでは、と思ったがさすがに言えないでいた。
「でも立花さん、マヨネーズもお好きですよね? あれは何で……」
「いや、だって効率のいい栄養補給源だし。それにマヨネーズってやっぱさ、結構クセになる味だと思うんだよねー。ジャパンのマヨネーズは特にかな。赤緒には悪いけれど、全部マヨネーズかけちゃえばいいのにって思うんだけれど」
それは赤緒に言わせれば相当に怒り心頭に違いないのだが、さつきは曖昧に微笑んで誤魔化す。
「と、ともかく! 今はおむすびを作りましょう! ……でも、立花さんだけでよかったですよ。これでもし、ルイさんやヴァネットさんまで来ていたら、大変なことに――」
「何が大変なことですって?」
不意に背後から発せられた声にさつきは、ひゃぁ! と悲鳴を上げてしまう。
「る、ルイさん……? いつから……」
「あんたがこの自称天才とおむすび作っている時からずっとよ。……朝ご飯がなかなか来ないから来てみれば、何をやっているの?」
「これさー、両兵におむすび作ってあげてるんだってー」
「立花さん! それ言っちゃ……!」
ルイは訳知り顔になって台所を覗き込んでいたメルJを手招いていた。
「ふぅーん。さつき、要は私たちを出し抜こうって魂胆なわけね」
「い、いえ、そんなつもりは……」
「メルJ、あんたもそう思うでしょう? 大人しい顔して、さつきは案外、一番厄介かも」
「ふぅーむ……しかし何だ? どうして白米を固定化するんだ? これで食いやすいのか?」
メルJはおむすびそのものが物珍しいようで仔細に観察する。
「あ、あのその……」
「さつき。分かっているわよね? この隠し事は大きいわよ」
「べ、別に隠し事って言うつもりは……」
「じゃあ、私たちにも作らせなさい。さつきだけのおむすびなんてフェアじゃないでしょう」
「おっ、じゃあ開催しちゃう? トーキョーアンヘルおむすび戦争を!」
降って湧いた災難に、さつきはルイとメルJの顔を交互に見つつ、彼女らにも白米を差し出していた。
「……その、みんなで作るって言うんなら、えっと……」
「まぁ、対等に同じ個数で勝負しましょう。もう作ってあるのが、四つ、ね。じゃあ各四つずつ」
「……いいんだが、米が手にこびりつく。どうにかならんのか」
「ラップあるよ、メルJ。文明の利器は使っていかないと!」
めいめいにおむすびを作り始めるので、さつきは困惑しながらもルイの手際を横目に垣間見ていた。
ルイはエルニィのように熱がることはないものの、形を作るセンスは壊滅的で、三角にしたいのだか丸にしたいのだか分からない形状を生み出す。
「あのー……ルイさん? せっかくなんですし、形は整えましょうよ」
「今やってる。……なかなか難しいのよね、おむすびのクセに……」
「ラップを使えばどうだ? 結構楽だぞ、これ」
メルJは形を丸に絞ったのはいいものの、具なしのおむすびへと買い込んでおいたドライフルーツを突っ込んでいた。
「ヴァネットさん! さすがにドライフルーツは……」
「むっ、何故だ。サンドイッチには入れるだろう?」
「こ、これはおむすびなので……。サンドイッチとは違うんですよ……」
「分からんな、日本の文化と言うものは……これだから」
おむすびに差し込んだドライフルーツをじっと睨んだメルJに、エルニィは一日の長があるとでも言うようにアドバイスを投げる。
「メルJもルイも、基本がなってないなぁ。いい? おむすびって言うのは、きっちりどういう形にするのか、決めてから、こうして手の中で塩と一緒に転がして、一定の力を込めることで、しっかりとした山型になるんだってば」
「……それ、私がさっき言ったこと……」
とは言え、言及したところで仕方がないので、さつきは必要以上の助言はせずに、事の次第を見守っていた。
「さつき。これ、小河原さんに作るのよね? ……だったら、パワーの付くようなものを入れたほうがいいに決まっているわ」
不格好なおむすびへと、ルイは余っていたすき焼きの肉を突っ込んでいく。
「ルイさん! それじゃ、その……衛生的な意味でまずいですよ……」
「さつき、こっちは完成したが、これを小河原のところに持っていくんだな? ……しかし、米を固めただけの料理があるとは。日本も分からんな」
「メルJってば、見識が狭いなぁ。おむすびって言うのは日本人の魂に根付いた立派な料理なんだから、軽んじちゃ駄目だよ」
「……それもさっき私が言いましたけれど……」
とは言え、出揃ったおむすびは全員分で十六個以上だ。
これを両兵に差し出す役割が必要になってくるわけだが――と、全員が察知したらしい。
重箱に詰め込んで巾着袋を被せたところで、それをひょいっとエルニィが掠め取る。
「あっ! 立花さん!」
「ボクが両兵に渡すもんねー。一番乗りー!」
逃げ延びようとしたエルニィの頭上へと壁を蹴って肉薄したルイが先回りし、巾着を手にする。
「あー! ルイ、すばしっこいんだから!」
「これは私の役目よ」
廊下を駆け抜けていくルイにエルニィは必死に追い縋ろうとするのを、メルJが先んじて台所の裏側から抜け出て拳銃を照準する。
「止まれ!」
ルイの足元に銃撃されたのにたたらを踏んだ一瞬、巾着がずれ落ちそうになる。
全員が息を呑んだ一瞬――エルニィがルイの手から重箱を蹴って宙を舞わせる。
中天を一回転した巾着袋に対し、エルニィとルイが一目散に駆け抜け、着地までの時間を概算して突っ込んでいた。
エルニィが滑り込んだスライディングで着地コースに入る。
「ギリギリセーフ! ……ってあれ? 袋だけ?」
「詰めが甘いのよ。自称天才」
重箱を掲げたルイが勝利を確信したようだが、それをメルJが引っ手繰る。
「あっ、ズルい!」
「これも戦法だ。悪く思うな」