JINKI 186 世界で二人だけの夜に

「……ファンタジー? そんなのでもいいの?」

「読書には変わりませんから。それに、外国文学でも結構人気なんですよ?」

 ぺらり、とページを捲っていると、ルイと二人、世界で二人だけで夜に取り残されたような感覚に陥る。

「……さつき、半分くらい読んでみたけれど、よく分かんないわ」

「うーん、題材選びも読書感想文の一部ですから」

「じゃあさつきのを貸しなさいよ」

「だ、駄目ですよ……これ、私のですから」

「じゃあ半分読むから、半分こっちも読みなさい。そうすればお互いに作業がはかどるでしょう?」

「そ、それは読書感想文とは言わないんじゃ……」

「ケチなことを言わない。もしかしたらこっちのほうが私には合っているかも」

「そう……ですかね。『銀河鉄道の夜』は私は読んだことがあるので、別の本を探さないと……」

 そこでふわぁ、と欠伸を噛み殺す。

 時計に目をやると、もう十一時を回っていた。

「……寝ないの? いつもならば寝ている頃でしょう?」

「いえ、何だか今日は……夜更かししちゃってもいいかな、なんて。……だってルイさんと、こうして静かな夜を、ページを捲る音だけで過ごすのなんて、これまであまりなかったですから」

 たまには静かな夜に身を浸したっていいはずだ。

 さつきは読書しつつ、ルイがうつらうつらと夢の船を漕ぎ出しそうになっているのを目にしていた。

「ルイさん、寝ちゃ駄目ですよ」

 ハッとして、ルイが頭を振る。

「寝てないわよ」

「いえ、今のは思いっきり寝ていましたよ……。眠いなら無理をする必要はないんじゃ?」

「失礼ね、さつき。私が眠い程度で読書をやめると思ったの? 今、ちょうど十ページまで読んだわ。この感じなら夜明けまでに読み終わるんじゃないかしら」

「……ファンタジー、面白いですか?」

 そう尋ねると、ルイは眉根を寄せてうーんと呻る。

「よく……分からないわね。ホビットって言うのは何なのかしら……」

「それは『指輪物語』に登場する種族で……あっ、でもファンタジーってもしかして、読むの初めて……」

 窺ったこちらに、ルイは心外だとでも言うようにむっとする。

「……馬鹿にしたわね、さつき。これでも毎週発売のマンガ雑誌には目を通しているのよ」

「ま、マンガですか……」

「マンガを馬鹿にしないで。……って言うか、読書って言う観点ならマンガでも読めばいいんじゃないの? 何でわざわざ活字ばっかり……」

「そ、それはそういうものですから……としか、言いようがないですけれど……」

「さつき、泳ぎは上手かったの?」

 唐突に話題を戻されて、さつきは面食らう。

「え……あ、はい。まぁ……多分その時は一番とかじゃなかったでしょうか」

「ふぅーん、体力測定の時はまともな数値じゃなかったみたいだけれど」

「あれはあくまでも二十五メートルを泳ぎ切る数値でしたし……それにルイさんやヴァネットさんのほうが速くって……」

「でもさつきもまぁまぁ速かったじゃない。素質はあったわけなのね」

「……あの、何で私の話を?」

「さつきの日本での話のほうが、私にとってはホビットとかよりもよっぽどファンタジーだからよ」

 そうなってしまうのか、と少し肩透かしを食らったところで、ルイはぺらりとページを捲っていた。

 当初のように頭と最後だけ読むようなズルをすることもないのは、彼女なりに読書に没頭しているからだろうか。

 さつきも『銀河鉄道の夜』に集中する。

「……でも、日本にとってしてみれば、人機に乗る私たちも、きっとファンタジーなんでしょうね」

 不意に思いついて口にすると、ルイは冷たく応じていた。

「そうね。とは言え、私たちにとってはこの上ないリアルだけれど。別にいいんじゃない? 誰かにとってのファンタジーであったとしても、それで救えるものもあるんだし」

「……救えるもの、ですか」

「キョムと戦う、それだって私たちにしかできないことよ。なら、それをこなす準備を怠るべきじゃないし、もちろん鍛錬だってそう」

「……でも、ルイさんはこうして読書感想文を書こうとしてくれますよね? それって何でですか?」

「……分からない。ただ……日本で言うところの当たり前って言うのを、知りたかっただけなのかもしれないわね」

 自分たちは確かに当たり前のようにこうして宿題をこなしている。

 だが、それはどこかで切れてしまいかねないほどの細い糸の上に成り立っているのだ。

 人機で敵と戦うと言うファンタジー。

 しかしそれはこの上ないリアルとして、自分たちの生き様の延長線上にある。

 ともすれば、ルイが知りたいのは、消費されるばかりの当たり前ではなく――。

「……この先、日本で生きていくのなら、必須ですもんね。当たり前に生きるって言うのが」

 そうなのだ。きっとルイにとっては、これはただの面倒な宿題なのではなく、キョムを倒した後に待つ日常への訓練のようなものに違いない。

 キョムを倒しても、それで人生が終わるわけではない。

 その上に成り立つ人生の岐路を、彼女は探しているのかもしれなかった。

「……あの、ルイさん。私たち、この先もずっと……ツーマンセルですよね?」

 だからなのだろうか。

 この時、不意に不安に駆られたのは。

 一人でも戦えるように、強くならなければいけない。

 それがアンヘルメンバーに課せられた試練だと言うのに、ルイとのコンビ解消は避けたいだなんて。

 ルイはしかし、迷うことなく返答する。

「当然でしょ。……背中任せられる相手なんて、なかなか居ないんだから」

 その言葉に顔を上げると、ルイは本を翳して少し紅潮した顔を隠していた。

 くすっと微笑んで、自分も同じように本越しに視線を振る。

「……そうですね。私もこうして……任せられる人に出会えて、幸運だったんだと思います」

「さつきってば、恥ずかしいことを言わないで。読書の邪魔よ」

「ですね。じゃあ、夜明けまで読書、しちゃいましょうか」

 夜が明けるまで、まだまだ時間だけは有り余っているのだから。

「――ふわぁ……おはようございます、立花さ……」

 しーっ、と制されて、赤緒は居間のテーブルへと視線をやる。

 ルイとさつきが向かい合って、寝息を立てていた。

「寝ちゃったみたいだね。いやはや、ホントに、いいコンビだ」

 エルニィが布団を被せようとする。

 赤緒もその言葉に頷いていた。

「……ええ。ルイさんとさつきちゃんはきっと、世界一のコンビですね」

 そっと、布団を被せる。

 ――今朝は、ちょっとだけ二人の時間は長そうだ。

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