「ごめんねー、赤緒さん。ったく、ルイにでも手伝わせようと思ったんだけれど、あの子は今日も河川敷まで猫を見に行っているでしょ? エルニィは自衛隊の駐屯地で新型人機のテストだし、さつきちゃんもそれに同行。メルJは用事があるって朝方から出ちゃったし、都合がつくのは赤緒さんだけだったから」
「いえ、いいんですけれど……。それにしたって、荷物が増えるばっかりですよね」
赤緒は棚に飾られている世界各地の調度品を眺めていた。
「あ、それ動かさないほうがいいわよ。なんか、そこいらの露天商で買ったんだけれど、祟りがあるとかないとか」
手を触れようとしていた赤緒は大慌てで引っ込めたので、南が面白そうに笑う。
「た、祟り……」
「いやいや、赤緒さん。神社で働いているのに祟りとか信じているの? まぁ、ゲン担ぎみたいなものだから」
見渡せば、細かい土産物が山積しており、赤緒はうず高く積み上がったそれを崩さぬようにと跨ぐ。
「……でも、東京に来て結構経つと思うんですけれど、何で今になって片付けなんですか?」
「あー、そりゃあね。私だってそろそろ片付けないと寝る場所がなくなっちゃうと思ったからなんだけれど……たまには片付けくらいはしてあげないと、どれがどこに行っちゃったのか分かんなくなっちゃうでしょ」
南らしい理由だと思う反面、赤緒はその片棒を担がされている自分の身を顧みる。
「……南さん? 整理整頓、片付けは基本ですよ?」
「分かっちゃいるんだけれどねぇ……。こうも海外を飛び回ると荷物が減るどころか増える一方で。おっ、これは中東に行った時に買ってきた幸運の御守りだとか言うの」
自分の掌に置かれた水晶の欠片を、赤緒は電気に翳す。
乱反射する輝きを視界に入れつつ、南が押し入れの中へと身を乗り出しているのを認めていた。
「うーん……こっちにあったと思うんだけれど……」
「南さん。探し物をする時は当たりを付けないと駄目ですよ。さっきから余計な物ばっかり見つかっているような気がしますし」
「書類とかねー。ここに纏めて置いておいたんだけれど、ちょっと増えちゃって。赤緒さん、サインがしてある書類の分別を手伝ってくれる?」
ここまで来れば手伝わないも何もないだろう。
赤緒は嘆息をついて南の差し出す書類の山を選り分けていた。
「えっとー……、南さん。これ英語ですよ」
「うん? ああ、基本的に英語で対応してあるから。私のサインがしてあるかどうかだけで判断していいわよ」
「じゃなくって……英語じゃ私、よく分かんないですよ」
「私の筆記でサインしてあるのはもう大丈夫な奴だし、それを目安にしてもらえる?」
「とは言いましても……あれ? これだけ日本語……」
小難しい英語の書類の中に挟まっていたのは、数枚の日本語の書類であった。
頭には「借用書」と書かれている。
「借用書……えっ? 小河原さんの名前が、書いてあるんですけれど……」
「うん? あっ、これここにあったんだ。へぇー、懐かしいわね」
借用書には南のサインと、それに付随する両兵のサインが施されている。
「えっと、借用書ってことは、何かを貸したっていうことですか?」
「うん、そうそう。カナイマじゃ、あいつとの貸し借りばっかりだったからねー。こうして残しておかないと、踏み倒されちゃ堪ったもんじゃないし」
赤緒は日本語で書かれた内容を精査する。
「これ……“えっと、甲は乙に……とか七面倒くさいことは放っておいて、甲は乙への借りを死んでも返すこと”……結構、物騒じゃありません?」
「まぁ、両のことだし、それくらいの気持ちで約束しないとそもそも忘れちゃうってのがあったからねー」
「でも、一体何を貸し借りしたんです? 小河原さん、今でもたまに貸し借りはしているみたいですけれど」
「まぁ、基本的にはお金だとか、物資だとかだけれど……形にならないものも、貸し借りした覚えがあるわね」
「形にならないもの……」
南は借用書の文字をなぞりつつ、そっと声にしていた。
「そうね……あの日も両は、私にお金を借りようとしていたから、これを書かせたんだったわ」
――青葉は《モリビト2号》の操縦訓練を終えてから、機体のインジケーターを調整する。
「それにしたって、もう一端の操主だね。機体のバランサーの制御までできるようになっちゃうんだから」
川本の評に青葉は照れ臭くなって頬を掻いていた。
「そう……ですかね。いや、でもまだまだで……」
「その通りだろ。ヒンシはこいつを甘やかし過ぎだろうに。ったく、機体の姿勢制御くれぇでデカイ顔されちゃ堪ったもんじゃねぇってンだ」
両兵は相変わらず水を差すのが得意で、上操主席で調整を終えてから席を立つ。
その挙動を恨めし気に青葉は睨んでいた。
「……何だ? 何か文句でもあるってのか?」
「文句じゃないけれど……両兵だって、最初はこんなのだったんでしょ? 何でそんなに偉そうなの?」
「へっ、そりゃあ、お前、実際にここまで来んのには時間もかかってらぁ。てめぇの一か月程度で追いつかれるわけもねぇからな」
「……でもファントムできないじゃない」
「……ンだと、コラ。ファントムができる程度で上操主まで登ってこられると思ってんじゃねぇよ。上操主にはもっと色んなテクが要るようになってくるんだぜ? お前じゃ、百年早いってもんだ」
「……いいもん。両兵のバーカ」
「ケッ、口ばっか達者になりやがる」
「でも両兵、実際、青葉さんの才覚はスゴイよ。そろそろ認めてあげたらどう?」
「ヒンシも整備班も見通しが甘いってもんだ。操主が一晩で仕上がるもんじゃねぇってのはよく分かっている身だろうが」
川本がうーんと中空を見据える。
「でも、実際青葉さんとルイちゃんの操主としての実力の差は伯仲しているし、いいライバル関係があるからこそ、操主としての成長はあるんじゃないかな」
青葉が視線を投じると、《ナナツーウェイ》が両腕を突き上げ、人間がそうするように柔軟体操をしている。
「人機で柔軟体操?」
「ああ、結構大事なんだ。人機の機体循環パイプを流れるブルブラッド……それが固まっちゃうと機能不全を起こしちゃうし、ああやってたまにでも人間の動きをトレースさせるのはもしもの時の訓練にもなるんだ」
「へぇー……モリビトはしなくっていいんですか?」
「アホ。《モリビト2号》は戦闘用人機だ。ナナツーとは物が違うのさ。もしもの時に備えるって点で言えば、リバウンドフォールと銃火器のテスト運用だろうよ」
「ナナツーはでも、ちょっと前までは前線で使われていたんですよね? この間資料で読みましたけれど」
「うん、そう。何ならテーブルマウンテンの渓谷にはまだまだ前時代に使用された単座のナナツーが埋まっているっていう話だし、軍部とかじゃあれが正式採用だった時代もあるから、モリビトのほうが特別かな。それにしても、よく勉強しているね、青葉さん」
「い、いえ……先生の教え方がいいからで」
「こいつをおだてるのはやめろっての。どうせロクなもんじゃねぇ、自分の興味のあることだけしか勉強する気だってねぇんだからよ」
「な――っ、しっかり勉強はしてるもん! ……何なら両兵よりも学はあるつもりだし」
「おうおう、言いやがるぜ。ヒンシ、後は任せるぜ」
調整を終えた両兵がタラップを駆け下りるのを、青葉はコックピットから視界に入れていた。
「べーっだ! 両兵の馬鹿」
「まぁ、両兵の言うことなんて気にしないでいいから。青葉さんが勉強熱心なのは間違いないし、モリビトだって応えてくれているのは本当なんだから」
「……ありがとうございます。でも、まだまだだなぁ、私。もっとモリビトを自在に……動かせるようにならないと」
しかし気ばかり急いても仕方ない。
今は着実な手を講じるだけでも精一杯だ。
調整を終えてコックピットから出ようとした青葉は、《ナナツーウェイ》の足元で南に詰め寄られた両兵を発見していた。
「あれ? 南さん? 何なんだろ……」
慌てて駆け寄ると南は書類を両兵へと突き付けていた。
「両! 今日こそ耳を揃えて返してもらうからね!」
「ンだよ、ちょっと借りただけだろうか。いちいち細けぇ奴だな、ったく」
「あの……何かトラブルですか?」
「ああ、青葉。聞いてよ! 両ってば人から借りたものをそのまんま!」
「うっせぇなぁ。たったの三千円だろ? 返すから待ってろよ」
「三千円でも今日までに返すって借用書に書いてあんのよ。いいからとっとと返す!」
南の腕力で首根っこを引っ張られた両兵に、青葉は突き付けられた借用書を見やる。
「えっと……“甲が乙に対して……とかはどうでもいいので、死んでも期日までに返すこと。金三千円なり”……これだけ?」
「これだけじゃないわよ。両が踏み倒そうとしているのは、もう三十枚超えているんだからね」
「返すから待ってろって。何なら利子も付けてやらぁ」
「この調子で借用書が溜まっていく一方。ねぇ、青葉からも言ってちょうだいよ。こいつ、どうせ返す気なんてないんだから」
「えっと……両兵、借りたものは返さないと駄目だよ」
しかし当の両兵は意に介さず、耳をほじくって明後日の方向を向く。
「てめぇなんかにご高説食らわなくったって分かってるっつーの。第一、借用書なんていちいち付けてるのはケチ臭ぇってもんだろ」
「ケチとかいう前に、一枚でも返して欲しいもんよね」
今回ばかりは南のほうが正しいだろう。青葉はためしに南の携えている借用書を読み取っていた。
「えっと、こっちはお金じゃなくって食べ物だし、こっちはコーヒー代。こっちは雑誌を借りっ放しの借用書……。両兵?」
「何だよ。何個かは返しただろうが」
「全部返さないと駄目だよ。第一、本当に返す当てはあるの?」
「当てのねぇことは約束しねぇ主義でな。何なら、全部いっぺんに返したっていいんだぜ?」
「よく言うわよ。この間の古代人機を倒した時のペンキ小屋の分だって、まだ返してもらってないんだからね」
「あれは戦闘中のもんだろ。……ったく、細けぇことばっかり覚えてやがるもんだ」
「でも……結構多いですよね。これ全部返すのは無理なんじゃ……?」
「ちょっとずつでもいいんだから、あんたも計画性ってもんを身につけなさいよ。そうじゃないといずれは借金地獄よ?」
南の忠言にも両兵は涼しげに返す。
「そうなった時にゃ、その時に考えるっつーの。しゃあねぇな……青葉! どうせ暇だろ? まずは雑誌から返してやるから、その手伝いに付き合えよ。その前に自販機でコーヒーでも……っと、手持ちが足りねぇな。黄坂、小銭……」
そこまで来て青葉も南も怪訝そうに眉根を寄せる。
「……まさか両兵、その調子でお金を借りてるの?」
「ね? これじゃあ一生かかっても返し切れないわよ」
「うっせぇなぁ……、じゃあ青葉。お前だって持ってんだろ。小銭くれぇは」
「持ってるけれど……」
「じゃあとっとと寄越せよ」
その間に南が割って入る。
「借用書!」
「……あー、ったく。百円ちょいくれぇで喧しいもんだ。しょうがねぇ奴だな」
青葉が百円を差し出すと、両兵は慣れた様子で借用書にサインする。
「で? 返してもらえるのよね?」
「へいへい、返す返す。青葉、ちょっと手伝え」
「いいけれど……両兵、このままじゃ駄目人間になっちゃうよ」
「てめぇも細かいことにうるせぇもんだ。まぁ、黄坂の借用書なんざ、いっぺんに返す当てくらいはあるんだよ」
「でも、借りたものはきっちり返さないと」
両兵の部屋はごちゃっとしており、物が山積していた。
思わずと言った様子で青葉は鼻をつまんで後ずさる。
「両兵! ホコリ臭い……!」
「あー、すまんな。窓開けら」
窓が開けられると少しはマシだが、それでも酸っぱい臭いが漂っている。
「……ゴミ部屋じゃないの?」
「プラモ部屋抱えている奴にだけは言われたかねぇよ。えーっと、ここんところだったか? 借りていた雑誌とやらは」
差し出された雑誌は擦り切れており、ぺったんこになっている。
「……両兵? これ、返すとさすがに南さんも怒るんじゃ……」
「何でだよ。借りたもんをきっちり返した。これで貸し借りなしだろ」
「……何て言うかな……。借りたものはしっかり大事に使わないと駄目じゃない」
「いちいち小うるせぇなぁ。返せれば問題ねぇはずだろ。あー、それと色んなもんを一緒に返しとくか。あいつもうっせぇしな」
両兵がポケットの中に入れておいたくしゃくしゃの紙幣と、引き出しに無造作に入れられた硬貨を数え出したのを目の当たりにして、青葉は呆れ返る。
「……両兵、そんなのじゃ駄目じゃない。きっと南さんもそうじゃないって言うと思うけれど」
「耳揃えて返すって言ったんだ。そりゃあ、お前、返せれば何だっていいだろうが」
「何だってはよくないと思うけれどなぁ……」
青葉は先ほど南から手渡された借用書の文面を眺める。
「“甲が乙に……とかはどうでもいいとして、しっかりと死んでも返すこと”って書かれているけれど……」
そこまで読み込んだところで、警報が鳴り響いたのを青葉は関知する。
「警報……! 古代人機?」
「野郎……来やがったか! ったく、こんな時に……。青葉!」
「うん……! モリビトで――!」
その言葉を劈いたのは砲撃の衝撃波であった。
宿舎を激震させる一撃の余波に青葉は悲鳴を上げる。
「……うっそだろ……超長距離射程だぞ……シューターか!」
両兵がよろめいた自分の手を引き、目線で尋ねる。
「立てるか?」
「あ、うん……。でも、今のって……」
「ああ、やってくれやがった……。オレらがここに住んでいるって認識しての奇襲ってわけかよ。……古代人機にそこまで頭があんのか?」
「いずれにしたって、急がないと……」
「分かってるよ、ンなこたぁ」
格納庫に押し入った時には、上へ下へとひっくり返したような騒ぎであった。
「馬鹿野郎! 相手の奇襲に遭ったんだ! とっとと出撃姿勢に移れ!」
山野が怒声を飛ばす中で、両兵が川本へと駆け寄る。
「状況は!」
「あ、両兵に青葉さん……。ちょっとまずいかもしれない。《モリビト2号》は不幸中の幸いで無傷だけれど、追撃が来ないとも限らない。今、南さんとルイちゃんの《ナナツーウェイ》が牽制のために出撃してもらったところだけれど……」
「ナナツーじゃたかが知れてる……。ヒンシ! とっととスクランブルかけろ!」
「無茶言わないでってば! これでも急いでいるんだ! 砲撃が来れば、操主が無事でもまともに対応できるかどうかは分からないんだから!」
「それでも……! 黄坂を見殺しにはできないだろうが!」