ぼやきながら青葉はタラップを駆け下りてエルニィの下へと歩み寄ると、彼女は背中に隠した何かをすっと目の前に向けてきた。
しゅっ、とかけられて青葉は思わず咳き込む。
「けほ……っ、何これ……って甘い匂い……」
「じゃーん! 香水! ツッキーが使ってるの見つけてくすねてきたんだー」
薔薇の匂いが立ち上る香水に青葉は少しばかり興味を注がれていた。
「へぇー……月子さん、香水とか使うんだ……」
「そりゃー、使うでしょ。あれでツッキーも乙女だからねぇ」
「でも、勝手に使っちゃ怒られちゃうよ、エルニィ」
「大丈夫だって。これ、安物だし。もっと高いの買ってあげれば文句もないでしょ?」
「そうかなぁ……。でも、香水かぁ……」
「青葉も一応、女子でしょ? 香水とか使ってこなかったんだ?」
そう言われてしまえばそこまでで、青葉は困惑してしまう。
「うん……クラスメイトとかはたまに使っているのは見たことあるけれど、私はあんまり……だって香水ってもっと大人になってから使うものだと思っていたし……」
こちらの言葉振りにエルニィは訳知り顔になって腕を組む。
「ふぅーん、なるほど。青葉、あんまり香水とか、興味ないでしょ?」
「な、何で分かるの……?」
「分かるよ、そりゃー。だって、さっきまでだってモリビトの装甲を鼻歌混じりに磨いたりとか、女子にあるまじき行動に意味を見出している感じだったし」
「え、エルニィに言われたくないってば……。そっちだって、メカニックじゃない」
「でも、メカニックの一人であるツッキーは確かにこういう香水とか使っているわけだし、全くの門外漢でもないわけじゃんか。それとも……青葉、もしかしてプラモと人機以外に、趣味とかない感じ?」
そう尋ねられてしまうと何だか認めるのも癪で言い返していた。
「し、趣味はあるよ。ロボット物の主題歌メドレーとか、歌ったりできるもん……」
「はぁー……それは趣味がないって言うんだってば。第一、青葉、そんな調子でこの先大丈夫? 香水くらいは嗜みってもんじゃないの?」
「そ、それはそうだけれど……。でも、何から始めればいいのか、全然だし……」
「じゃあこれ返すついでにツッキーとシールに聞いてこよう! どうせ、ボク一人で返すと盗人の疑惑をかけられちゃうけれど、青葉と一緒なら少しはマシになりそうだし」
どこまでも計算高いエルニィに辟易しつつ、青葉はその手に収まっていた香水の瓶を窺う。
「……でも、こういうのってお高いんでしょ? いいの? 勝手に使っちゃって」
「代わりならいくらでも買うし、ツッキーだってこの香水だけにこだわっているわけじゃないでしょ。薔薇の香りなんて、それにしたってベタだねぇ」
香水瓶を電灯に翳して中の液体を傾けるエルニィに、青葉はくんくんと香りを嗅ぐ。
「……でも、不思議……こういうのっていずれは……とは思ってたけれど、私まだ十三だし……」
「そんなことを言い出したら、青葉、一生香水とか付けなさそうだね」
何となくそのような未来も予想されて、笑うに笑えない。
「……で、でも、月子さんもこういうの使うんだ……ちょっと意外……」
「そりゃー、ツッキーだって女子だし。馬鹿にするもんでもないよ? いくら女っ気のないメカニック稼業ってったってね」
「……エルニィは、理想の香りとかあるの?」
「それもツッキーに聞けばいいかな。あ、そう言ってたら見つけた。おーい! ツッキーにシール」
手を振ったエルニィに、月子は大慌てで駆け寄るなり、所在を問い質していた。
「え、エルニィ! 私の香水知らない? 確かにあったはずなんだけれど……」
まさか、黙って持ち出したのだとは思っておらず、閉口した青葉に対し、エルニィは愛想笑いを浮かべつつ、それを取り出す。
「い、いやー、まさかそれほどに大事なものだとは思っていなくって。ちょっと使っちゃった」
てへ、と笑い話にしようとしたエルニィに、月子は涙ぐむ。
「よ、よかったぁ! なくしたかと思っちゃった……」
まさかそこまで大事なものだとはエルニィも思っていなかったらしく、香水を手渡すなり狼狽していた。
「つ、ツッキーってば大げさ……。そんなに高くない奴でしょ?」
「で、でもこれ……古屋谷君がくれた、その……プレゼントだったから……なくしちゃったらどうしようって……」
泣きじゃくりかけた月子をエルニィは取り成そうとする。
「わ、分かった! 分かったってば! ……今回はボクが悪い」
「……エルニィ。そもそも他人のものを勝手に取ってきちゃ駄目だよ」
「むぅ……青葉も分かった風なことを言う……。いいもんねー。ボクはどうせ香水なんて似合わないだろうし」
「そんなことないってば。これは……ちょっと私にとって大切なものだったけれど、香水くらいなら選んであげる。もちろん、青葉ちゃんもね」
「わ、私もですか……。えと……あのでも、まだ早いかなって言うか……」
「そんなことないよ。小河原君だって香水付けたらきっと気づくだろうし」
「り、両兵が……? いやいや、ないです。ないですってば」
「デリカシーゼロの両兵が香水なんかに気づくかなぁ?」
自分の中でも疑問だったとはいえ、いざエルニィに言われると少しへこんでしまう。
「女の子の特権なんだから。じゃあ、青葉ちゃんとエルニィの香水でも買いに行こっか」
「ぼ、ボクも? ……なに、ツッキー、当てつけのつもり?」
「そんなつもりはないんだけれどなぁ。どうせだし、エルニィだって女子なんだからね」
女子だと面と向かって言われてしまえばエルニィも照れ臭いのか、そっぽを向いて頬を紅潮させる。
「……似合わないと思うんだけれどなぁ」
「じゃあ、まずは街に出よ? そうすればきっと、いい出会いに恵まれるはずだから」
「――って言っておいて、何でシールまで付いて来んのさ」
エルニィの疑念に、シールはふんと鼻を鳴らす。
「誤解すんなよ、エルニィ。オレは月子がどうしてもって言うからであってだな――」
「シールちゃん、香水とかに詳しいから。私も自分で持っている香水の種類とかよく教えてもらっているし」
思わぬ一側面にシールは慌てて取り繕う。
「おいおい! 待てってば、月子! そいつはオレのイメージがだな!」
「イメージも何も、詳しいのは本当じゃない。青葉ちゃん、もし困ったらシールちゃんに聞けば一発だから!」
青葉がシールへと視線を向けると、彼女は当惑し切って後頭部を掻く。
「参ったよな……オレ、そんな風には見えてないだろ……。幻滅したか? 青葉」
「ううん、そんなことないです。私、全然詳しくないですから、それだけでも憧れですし」
「憧れ……? う、うん……悪い気分じゃねぇ……か?」
素直ではないのはシールも同じのようで、目線を逸らした彼女へとエルニィは言いやる。
「で、どこまで行くって言うの? シールが詳しいって言うんなら、それに付いて行くけれど」
「へっ、任しとけ。これでもオレの庭みたいなもんだ」
「あっれー? そんなのに詳しいのはイメージじゃないんじゃなかったっけー?」
「う、うっせ! エルニィ、てめぇはいつだって一言多いんだよ!」
とは言え、シールも頼りにされて嫌な気分ではないようで、自分たちを先導して街中へと繰り出す。
「それにしても……案外、そういうお店って多いって言うか」
軒を連ねる高級専門店を眺めていると、月子が補足する。
「市街地だと結構多いし、ブランドの香水のお店とかはシールちゃんが詳しいから、いつも買ってきてもらっているの」
「……おい、月子。オレのイメージをこれ以上崩すなよ」
「とか言っちゃってー、シールもまんざらではなかったり?」
「エルニィ……後で覚えてろよ、ったく。ここだ、ここ」
シールが指差したのは想定外に佇まいのしっかりとした店構えで、青葉は戸惑ってしまう。
「えっと、シールさん。ここ……とか言い出しませんよね?」
「何言ってんだ、青葉。ここだよ、ここ」
「む、無理ですよ……! 無理……だって、こんないかにもな女の子らしいところ、入れませんよ……」