「赤緒さん、さつきちゃんも、もっと守らないと駄目よー。ルイにしてやられている場合じゃないんだから」
「と、とは言いましても……」
ぜいぜいと息を切らす赤緒に、さつきも滲んだ汗を拭っていた。
「ルイさん、速いんですから……」
「二人が遅過ぎるのよ、何がしたいのか丸分かりなんだから」
ドリブルしてこちらを余裕ありげに見返してくる体操服姿のルイに、赤緒はやっぱりとしゅんとしていた。
「……バスケットボールなんて向いていないんですってば」
「向いている向いていない以前に、赤緒は動けなさ過ぎだよ。もっと相手がどうしたいのかを見るようにしないと」
さつきと入れ替わって入って来たエルニィの苦言を聞きつつ、赤緒はそもそも、と周囲を見渡す。
簡素なコートが作られた自衛隊の訓練場で、バスケットに興じる自分たちはどう思われているのだろうか。
「遊んでいるんじゃ、とか思われている可能性もありますよね……」
「いつも協力してるじゃん。その代わりなんだからありがたいと思って欲しいよね。第一、赤緒が言い出したいんでしょ。バスケットボールが上手くなりたいって」
「そ、それはそうですけれどぉ……こうなるなんて思っていなかったって言うか……」
困惑気味に返すと、エルニィはやれやれと肩を竦める。
「あんな調子で試合に出るとか言い出すんだから、こっちが困惑するよ。そもそも、さ。赤緒って何が得意なんだっけ? 家事とか以外だと」
「えっと……それは……」
「運動系で得意なのってないの?」
「……ない、ですね……」
思案してみるも思い浮かぶ節はない。エルニィは大仰なため息をついていた。
「な、何ですか……。立花さんだってバスケは初めてでしょう?」
「うん? まぁね。ボクはサッカー一筋だったから。バスケって色々ルールあるんでしょ? 覚えながらやっていこうかな」
「そんな余裕は挟ませないと思いなさい、自称天才。南、今の点差は?」
ルイの言葉に南は点数表をぺらりと見やる。
「ゼロ対九ね。ルイのポイントがほとんど決まってる状態」
「ほら、赤緒なんかじゃ私を止められないでしょ?」
「で、でもですよ……? 練習するって決めたんですから」
「こんな調子じゃボールを奪うことだって難しいでしょうね。何なら、全員でかかってらっしゃいよ。私は負ける気なんてしないんだから」
「……言うなぁ……。赤緒! ルイの高慢ちきな鼻筋をへし折ってやろうよ!」
エルニィが臨戦態勢に移る中で、赤緒も構えつつ、まずは試合開始のホイッスルを聞いていた。
「……何で、こうなっちゃったんだっけ……」
「――うん? 赤緒、何やってんのさー」
「た、立花さん? ……見ました?」
「いや、見たけれど何? 何で境内で手鞠……じゃないの、それ」
「手鞠じゃないですよ。バスケットボールです」
「バスケ? 何で?」
「何でって……その、笑わないでくださいよ?」
「笑わないって。全然意味分かんないし」
「その……体育の授業で今度、バスケットボールが専攻になりまして……。それであまりにルールとか分かんないから、少しでも上手くなろうって練習していたんです」
「わざわざバスケのボールを借りて? ふぅーん、そんなにセンスないの? 見ているから、えっと……ドリブルだっけ? やってみなよ」
「ど、ドリブルですか……? いきなり……」
「いや、いきなりじゃないじゃん。さっきまでやってたんでしょ?」
エルニィの期待の眼差しに応えるために、赤緒は思い切ってドリブルに入ろうとして、やはり、反射力が足りずにボールを取りこぼしてしまう。
「わわ……っ! また失敗しちゃった……」
途端、エルニィは腹を抱えて笑い出していた。
「……わ、笑わないって言ったじゃないですかぁ……」
「あー、ごめんごめん! ……だって、あんまりにも、その……できてないからさ。えー、バスケってそんなんだっけ? ボク、サッカー一筋だからあんまりやったことなかったけれど、それでもボクのほうが上手いよ?」
「い、いいんですよ、別に。他人と比べるものじゃありません……から」
「でも試合じゃ足引っ張っちゃうでしょ。ははーん、さっきまで手鞠に見えたのはあまりにドリブルの速度が遅かったからなのか」
得心したエルニィに赤緒はダメージを受ける。
「い、言わないでくださいよぉ……自覚はあるんですから」
「いや、でもさ。あっちとかじゃバスケって結構メジャースポーツだけれど、赤緒みたいに鈍くさくやっている人間なんて居なかったよ? 何でこうなっちゃうのさ」
「そ、それはぁ……私の運動神経が鈍いからで……」
「操主やっておいてここまで? そこまで悪いわけがないと思うんだけれどなぁ」
エルニィはバスケットボールを手にするなり、頭上に放り投げてから足で蹴り上げ、ヘディングでバランスを取る。
「……立花さん? それってサッカーじゃ……」
「いや、分かってるんだけれど球技だとこうなっちゃう。うーん、アンヘルでまともに赤緒に対してバスケを教えられる人間なんて居たかなぁ……」
うーんと思案を巡らせるエルニィへと、居間にさつきが入ってくる。
「お茶の時間にしましょうか……って立花さん? どうしたんです、バスケなんて」
「あ、さつきも分かるんだ。まぁそりゃそうか。さつきは体育でやったりするの?」
「バスケットボールは……それほど得意じゃなくって……」
「でもま、まずはやってみようよ。はい、さつき」
唐突にボールを渡されたものだから、さつきは茶菓子を卓上に置いてボールを握り締めて、うーんと呻る。
「どうすればいいんですかね……」
「いや、聞かれても困るんだけれど。あれでしょ? バスケにもドリブルってのがあって、それでシュートすれば勝ちなんじゃなかったっけ?」
「……かなりざっくりしていますよ、立花さん」
「むっ、赤緒ってばできないくせに口だけは達者なんだから。さつき、ためしにドリブルとやらをしてみてよ」
「こ、こうですかね……」
さつきは意外にもドリブルを何回もこなしていく。
赤緒とエルニィは二人して、おーっと歓声を上げていた。
「すごい! さつきちゃん、ドリブルできるんだ!」
「意外だねぇ。さつきも運動は鈍くさいイメージだったけれど」
「体育の授業で小学校の時からやっていますから。ドリブルしながら走るのはちょっと難しいですけれど」
そのままボールをパスされたエルニィは、赤緒へと即座にパスを繋げるも、その連鎖を赤緒自身が絶ち切ってしまう。
境内を跳ねたボールを追いかけ回していると、エルニィは嘆息をついていた。
「赤緒……全然駄目じゃん。それで試合とか、できるの?」
「む、無理ですかね……やっぱり」
「って言うか、そもそも何で試合? 練習とかが先じゃないの?」
「えっと……私の友達……あ、マキちゃんって覚えてます?」」
「マンガの人でしょ? 覚えているよ。結構独特なセンスだった記憶があるけれど」
「そう、それで今度はどうやら編集さんにその……スポーツマンガを描いてみないかって言われたみたいなんです。でも、マキちゃん、自分は結構スポーツは得意な子なので、苦手なところからのスタートがどうしてもできなくって……。それで私が全くのバスケの知識なしからどこまでやれるのかを取材したいって言ってくれて……」
「なるほど。要は赤緒がずぶの素人からどこまで成長できるのかも含めての見聞ってわけか。でもさー、そんなの断っちゃえばいいじゃん」
「で、できないですよ……。だってマキちゃんが頼ってくれたんですから」
マキと泉は自分にとって唯一無二の日常の友人であり、彼女らの期待を裏切ることはできない。そうでなくとも、できることならば手伝いたいと願うのが自分の性分だ。
エルニィは中空を見据えて思案の間を浮かべる。
「うーん……でも今の赤緒じゃ、半年くらいあっても全然駄目そうだよねぇ」
「試合をしてみるのがいいんじゃないですか? スポーツマンガの成長を描きたいって言うのなら」
「試合……かぁ。えっと、バスケってそもそも何対何だっけ?」
エルニィはあらゆるスポーツの素養がある代わりにサッカー以外の常識はどこか抜けているのだろう。
「五人一チームですね。あ、でもそうなっちゃうとアンヘルで練習はできないのか……」
「んー、別にその辺はいい加減でもいいんじゃない? 赤緒のチーム対ボクのチームでやる?」
「いや、でもそれだと、私のほうが絶対負けちゃうじゃないですか」
「どうしたものかなぁ……」
エルニィの視線は自ずと、卓上の茶菓子を頬張っているルイへと向けられていた。
「……何よ。言っておくけれど、バスケなんてお子ちゃまの遊び、私が付き合うわけがないでしょう」
「あれー? ルイってば怖いんだ? だよねー。いくら慣れていないスポーツでも赤緒に負ける可能性が一ミリでもあるって言うのが――」
「……待ちなさい。誰が誰に負けるですって?」
このパターンは、と赤緒があわあわとしている間にもエルニィはルイを分かりやすく挑発する。
「いやー、でも勝てない勝負はしないんでしょ? ルイはそういう人間じゃん」
「勝てないなんて誰が決めたのよ。私が赤緒になんて負けるわけがないでしょう」
「ちょ、ちょっと、立花さん! 何か私が喧嘩売ったみたいになってるじゃないですか!」
「へぇー、負ける気しないんだ? じゃあやってみる? ルイ一人VSアンヘルメンバーで」
「……やってやろうじゃないの」
「よし! そうと決まれば自衛隊の演習場借りて早速バスケ勝負としゃれ込もう!」
エルニィに完全に乗せられた形になって赤緒はがっくりと肩を落とす。
「……立花さん。でも、さすがにルイさん一人じゃ……」
「えっ、でもそれくらいのハンデがないと赤緒だけじゃ絶対に勝てないでしょ。それに、いいチャンスじゃん。ルイ一人なら赤緒でも守りを抜けて一点くらいは決められる自信になるだろうし」
「で、でもですよ? ルイさん一人対アンヘルメンバーなんて何だかズルいですよ……」
「カタいこと言わない言わない! メルJもやるよね?」
庭先で銃を構えていたメルJはこちらの喧噪に歩み寄ってくる。
「何だ、立花。また騒ぎか?」
「メルJはさ、バスケってやったことある?」
パスされてボールを受け取ったメルJは、うーんと呻る。
「……知識だけならば……」
「じゃあちょうどいいや。メルJ、背丈は一番高いでしょ? バスケって背の高い人が有利だってことくらいは知ってるから、点数を稼げそうだし」
あれやあれやと言う間に決まっていく中で、茶菓子を頬張っている南へと赤緒は助けを求める。
「み、南さん! お茶菓子を食べてないで、何とか言ってくださいよぉ……」
「うーん、とは言っても別に喧嘩するってわけじゃないんだろうし、スポーツもいいかもねぇ……おっ、茶柱」
「南は審判ねー。さすがにその年齢でボクらと同じってのは無理でしょ」
「あんた……言ってくれるわね、まったく。……まぁ審判が楽ならそうさせてもらうわよ」
エルニィが腕を突き上げ、よしと意気込む。
「じゃあ決定ね! アンヘルバスケ大会、開幕!」
「――とはなりましたけれど、ここまで点差が開くとは思ってないですってば……」
とっくにへとへとになった赤緒は顎を伝う汗をタオルで拭いながら、点差を視野に入れる。
「……ルイさんだけでもう二十点……こっちは全然なのに……」
「何? もうへばったの、赤緒」
ルイは数人を相手取っているはずなのにまるでばてる様子もない。
それどころかわざと足を止めてドリブルしてこちらを挑発する。
「今だっ! いただき!」
割り込んだエルニィを華麗な足さばきで翻弄しながらすり抜け、ルイは次なるポイントを決めようとしていた。
すかさずメルJが防御に移ろうとするが、そんな彼女をルイは一笑に付す。
「……でくの坊なだけね。背が高いくらいで戦局は変わらないって言うのに」
メルJはそれなりに反応速度は速いはずだったが、それでもルイのフェイントを織り交ぜた動きには付いて行けないようで、その防衛網を潜り抜けられてしまう。
「しまった……! さつき!」
ゴール下のさつきが最終防衛ラインだったが、彼女はあたふたするばかりで、ルイの足止めにもならなかった。
一生懸命にルイからボールを奪おうとするが、その時には既にルイの手からボールは円弧を描いて放たれ、スリーポイントシュートが決まっている。
「ま、また点差が開いちゃった……」
「ムキーッ! 何で? 何でルイばっかなのさ!」
奇声を上げるエルニィの困惑も分かる。
ルイはまるで無限の体力とでも言うように涼しい顔をして汗一つ流さない。
「チームアンヘル、現在ゼロ点のままよー。ちょっとは頑張りなさいよ、あんたたち」
点数表を捲りながら口にする南に、エルニィが食ってかかっていた。
「おかしいじゃん! 何でルイはあんなに強いのさ! ……もしかして南、知ってて黙ってた?」
「いや、ルイがバスケ得意なのは私もあんまり知らなかったけれど、あの子はそれなりに一通りのスポーツは叩き込まれているはずだからねー。そりゃー、一筋縄じゃいかないわ」
「納得いかないー! タイム! 作戦会議!」
ホイッスルが吹かれ、ルイを除くアンヘルメンバーが円陣を組む。
「……で、誰かルイを突破する妙案が思いついた人は居る?」
「最初のボールを奪うところでは私に分があるのだがな……そこから先をどうしても巻き返されてしまう」
腕を組んで思案するメルJに、さつきも困惑気味に頬を掻く。
「その……私が割り込もうとするとルイさんはその時にはシュートに入ってるので、スリーポイントの圏内に入る前に何とかしないとじゃないですか?」
「うーん……とは言え、問題なのはボクと赤緒だよ。ボクはともかく、赤緒は翻弄されっ放し。体力面じゃルイには敵わないからって言ったって、同じ操主なんだから分はあるはずだと思うんだけれどなぁ」
「その……すいません……何だか足を引っ張っちゃっているみたいで……」
とは言え、そもそもバスケをやりたいと言いだしっぺなのは自分である。
ここは是非とも一点は巻き返したいところだ。
作戦を練ろうとするエルニィにルイがドリブルをしながら急かす。
「どれだけ作戦を練ったところで、あんたたちの頭なんてたかが知れているでしょう? いいから、早くタイムを解きなさい。ボロ負けにしてあげるんだから」
「い、言われっ放しで……悔しくないの! チームアンヘルだよ?」
「いや、ルイさんもアンヘルメンバーですし……それに実際、一点も取れてないのは事実ですから」
「いいわ。ボンクラなあんたたちにいいルールを提示してあげる。一点でも取れたら勝ち、これでようやく対等でしょ?」
「い、言わせておけばぁー……! でもこれはチャンスだよ、みんな! 要は絶対に一点が取れれば勝ちなんだから!」
「でも……ここに至るまで一点も取れてないんですよ?」
「それを逆利用するんだってば! 相手は完全に舐め切っているでしょ? なら、そこを突くために全員でチームプレイを取る! メルJ、まずは最初の一手でボールをボクに渡して欲しい」
「……構わないが、バスケと言うのは一人では成り立たないはずだろう? よしんば立花にボールが渡ったところで、その先で黄坂ルイに取られてしまう可能性が高い」
「そこで、さ! さつきがこれまでゴール前の守りだったけれど、一気に攻めに転じる! これで何メートルかは持つはずだよ」
「……で、でも私……シュートを決める自信なんてないですよ……」
「うん、それはボクも考えてた。その間にルイの反対側にボクが回り込んで、って思ったけれどさ。ここでのポイントゲッターは、赤緒に任せようと思う」
想定外の言葉に赤緒は当惑してエルニィへと視線を投げる。
「えっ……何でです?」
「だって、そもそもこれは赤緒の始めた話じゃん。だったら、さ。ルイの鼻を明かすのは赤緒でしょ。そりゃ当然の話ってこと」
「で、でもですよ? 私もシュートの心得なんて……」
「あのさ、どれだけ弱気になってるのさ。ボクらが付いてるじゃん。赤緒、言ったでしょ? バスケは一人でやるもんじゃないって。なら、チームプレイだ」
「立花さん……」
「ここで重要なのは、一度さつきに渡すことでルイの注意をボクと赤緒から引き剥がすこと。さつき、頼むよ。ボクとメルJの役割は割れているから、ルイは絶対に警戒すると思う」
「は、はい……! 頑張ります……!」
「ある意味作戦で一番重要なの、赤緒なんだからね。どういう形でもいいから、とにかく一点だ。それだけで勝負は決まる」
「わ、私が……重要……」
「そろそろご自慢の作戦会議は終わったかしら?」
強気なルイの眼差しに、赤緒は頷き返していた。
「やりますっ! ……私が……ポイントを取るんだから……っ!」
「その調子! よぉーし、全員、作戦通りに!」
「……言っておくけれど、一点だってあんたたちじゃ無理なのは自明の理でしょう」
南がボールを頭上に投げる。
それをまず取ったのは作戦通りにメルJである。
彼女の伸長差は単純に武器となる。
弾んだボールをエルニィが受け止めるなり、この数十分程度とは言え、天性のスポーツの才能を持つドリブルさばきでルイを追い抜こうとするが、その時にはルイはエルニィへと割り込もうとしている。
「さつき! パス!」
まさかさつきが上がってきているとは思っていなかったのだろう。
ワンバウンドしたボールを手に取ったさつきは、ルイの剥き出しの敵意を前に、一瞬だけ硬直したが、直後にはエルニィの促しもあり、駆け出していた。
かと言ってさつきも決してバスケが上手いわけではない。
ドリブルもルイやエルニィに比べれば拙い代物だが、それでも繋ぐことはできるはずだ。
「赤緒さん……っ!」
ルイにボールを取られる一瞬前にパスしたボールを赤緒は手にしてから、身を翻してゴールを目指すも、その時にはルイが標的を変えて駆け出している。
思わず逃げ出してしまいそうになるが、それでもみんなが自分に託してくれたのだ。
ならば――それを繋ぐのが役割だろう。
「……えっと……ドリブル!」
一瞬の逡巡さえも惜しい。