「あー、何? 毎度のことよねぇ。何かやり残したんじゃないか? もしかして自分の今年の夏はこれで終わりなのか? って言う焦りみたいなの? まぁ、今年ももう残り三か月くらいだし、よくよく考えれば思うところもあるって言うのかしらね」
「……ナナ子。子供の頃ってさ、もっと自由じゃなかった? 夏が終わっても、だってまだ秋が来るって言う希望があったって言うかさぁ……」
「なに、小夜ってばいつまでもお子ちゃまな考えを持っているわけじゃないでしょ? 秋なんてすぐに過ぎ去っちゃうんだし、また寒くなるわねぇ」
洗濯物を畳みながら物思いにふけるナナ子の横顔を眺めていると、ふと気にかかって小夜はテレビを観ているカリクムに問いかけていた。
「ねぇ、カリクム。あんた、ずっとレイカルたちと一緒だったんでしょ?」
「失敬だなぁ。あいつらとずっと一緒なんて、私にだって一人になりたい時くらいはあるんだぞ」
「……でも、一緒だったんでしょ?」
「……一緒だったけれどさ。はぁー、何だよー。小夜ってば私に何を期待してるわけ?」
「……夏の思い出話。あんたの口から聞かせてよ」
「何だってそんな……さては小夜。暇潰しだとかそういうんだろ?」
「分かってるじゃないの。まぁそれ以上に、これでよかったのかな、っていう、清算って言うか……大人になると分かんないもんよ? 本当にこの夏、これでよかったのかなぁ、なんて」
「……ナナ子。小夜の暇潰しに付き合わされる私の目にもなってくれよ」
「うーん、まぁでも、創主とオリハルコンってつかず離れずってわけでもないし、いいんじゃない? カリクム、あんたたちだけのエピソードだってあるでしょ?」
「そんなこと言ってもなぁ……。基本は小夜たちと一緒に行動してるんだから目新しいことなんてほとんどないぞ?」
「とか言っちゃって、あんた、レイカルたちと遊んでいたじゃないの。その話を聞かせてって言ってるの」
「……何でだよ。と言うか、小夜の暇潰しになりたくないし」
「分かんないかなぁ、オリハルコンには。夏の思い出の清算よ? 私の思い出からは何もなくったって、あんたの思い出からは何かあるかもしれないじゃないの」
「……何だよ。レイカルの創主と進展がなかったからって、私にあてつけのつもりじゃないの?」
「作木君とは……まぁ確かにあるようでなかったような気がするけれど……。で、でもっ! 乙女の夏よ? どっかで何かがあったサムシングも……」
「……なかったから、私に話を聞こうって言うんだろ? 魂胆が見えているって言うんだからなぁ……」
「う、うっさいわね! あんたたちこそ、何かにつけて泥まみれで帰ってきたり、つまんないことで言い争いになったりしたでしょーが!」
「つまんないことじゃないわよ! レイカルとはこの夏も、最強の虫を決めたりだとか、最強の鳥を決めたりだとかで忙しい……」
「何だかカリクムの夏は小学生男子みたいな夏ね……。それでどうなったの? 私たちが見てないところで、レイカルたちと何かあったんでしょ?」
ナナ子の促しにカリクムは顎に手を添えて考え込む。
「そうだな……。あったにはあったんだけれど……」
――デザインカッターが蝉を捉え損ねてレイカルは嘆いているようであった。
「くっそー! 外した! すばしっこい奴だなぁ……!」
「レイカルお前……やめとけよ。蝉は可哀想なんだぞ? たった一週間しか外に出られないんだから」
自分の忠告にも、レイカルは譲る調子がない。
「何だカリクム。お前、獲物がないからってすねているのか?」
「すねるか! 馬鹿! ……ったく、もう小夜ー……は今は近くに居ないのか。はぁー……誰だよ、都会の喧騒を離れて田舎に行きたいなんて言い出したのは」
そもそも小夜の計画した二泊三日のプランは電車を乗り継いでの田舎への旅行であったのだが、最速の電車に当の小夜が乗り遅れて以降、予定が狂いっ放しである。
「小夜ってば、撮影が押すんなら押すって言っておくべきだと思うんだよなぁ……。こういうとこ抜けてるって言うか、何て言うか……」
「自分が傍に居てあげなくっちゃ、とか思うのよねぇ……」
「そうそう、私が居ないと小夜は何も――って、うわっ! ラクレス! いつから居たんだよ!」
「最初からよぉ……それにしたってカリクム、あなたってば本音では、創主にべったりなんじゃなくってぇ……?」
「な――っ! 何を言い出すかと思えば、そんなことないっ! 第一、そっちの創主だって鈍くさいから遅れてるんだろ?」
「何をぅ! カリクム! 創主様の悪口を言うなー!」
しかし、レイカル自身は木々を蹴って珍しい昆虫を仕留めるのに余念がないようで、先ほどからじわじわと森林の中に分け入りつつある。
「……あんまりこういうこと言うタイプじゃないつもりなんだけど、あいつ、創主の護りだとか完全に失念しているわよね……」
「レイカルがその辺抜けていても、私は余念がなくってよぉ……。今も作木様の位置は完璧に把握しているわぁ……」
「……お前らの関係性どうなってるんだよ……。あー、もう! 田舎だからってあんまり遠くまで行くと、夕食に間に合わなくなるでしょーが!」
まるで保護者のような立ち振る舞いになってしまったカリクムはレイカルを制する。
すると、レイカルは不意に立ち止まっていた。
「うぉっ、危なっ! ……どうしたのよ?」
「……ハウルの気配がする」
「ハウルの気配? 敵だって言うの?」
「いや、これは……」
レイカルが前を務めて進む。
カリクムはハウル関知を張り巡らせつつ、後方はラクレスに任せていた。
やがて、うねる木々の合間で身を縮こまらせている影を目の当たりにしていた。
「……こいつは……! ダウンオリハルコンか?」
身構えるも、相手はダウンオリハルコンにしては少し色素が薄い。
レイカルがこちらを制して、ゆっくりと浮遊する。
「お前……怪我してるのか?」
ダウンオリハルコンはしかし、直後にはハウルの光弾を拡散させていた。
「言わんこっちゃない……!」
すぐさま防衛網を張るが、それらの弾道はしかし、読むまでもなく霧散する。
「まさか……それだけの力も残っていないって言うの?」
抵抗の力もないのか、とカリクムは仔細にそのダウンオリハルコンを観察する。
「……お前、ハウルがほとんどないんだな」
レイカルの言葉にダウンオリハルコンはその手を下げる。
目を凝らせば表皮はほとんど普通の素材へと還っており、このまま放置すれば長くは持たないのが窺えた。
「……こいつ、ダウンだが創主の腕が悪かったらしいな。半端なオリハルコンに命が宿ったのはいいものの、扱い切れない力に創主が捨てたか……あるいはハウルのパスを作れずにこのまま朽ちていくのか……」
その時、レイカルはダウンオリハルコンに接近していた。
「おい、危ないって! どれだけ力がないって言ったって、ダウンオリハルコンなんだ! 小夜たちを――!」
「呼ぶな! カリクム!」
レイカルの声にカリクムはハウル通話を躊躇う。
ダウンオリハルコンへと、そっと近づいたレイカルは相手に肩を貸していた。
「……動けないままなのは可哀想だ。お前がどう思っているのかは知らないが、私たちは旅行に来ている」
「け、けれどさ……そいつはダウンで……!」
「関係ない。……関係ない……はずだ。カリクム、創主様たちにはちょっと遅れると言っておいてくれ」
「ど、どうするつもりなんだよ……」
「私は……このダウンオリハルコンに少し……外の景色を……」
そこでレイカルはダウンオリハルコンの放射した敵意のハウルを浴びていた。
「レイカル……!」
瞬時に接近してハウルを叩き込めば、この程度のダウンオリハルコンはすぐに砕けるはず――そう確信した自分をレイカルは留めていた。
「……何でだよ。何でそいつに肩入れするんだ?」
「……分からない。分からないが……何か、放っておいちゃいけない気がする」
ダウンオリハルコンにはそれ以上の抵抗は不可能のようであった。
レイカルは肩を貸して、そのまま足裏にハウルのジェット噴射を充填して、空の彼方まで飛翔する。
「ああ、もうっ! あいつの身勝手さも本当、とことんだよな……! ラクレス、連絡は頼む」
「ええ、分かったわぁ」
ハウルの噴射で追いついたカリクムはレイカルの抱えるダウンオリハルコンが、戸惑ったように視線を右往左往させているのを発見していた。
「見ろ! あれが電車だ。あんなのは目じゃない、もっと速いのだってあるんだ。私たちはそれに乗って来たんだ」
指し示すレイカルに、ダウンオリハルコンは困惑し切ったようにこちらへと視線を振る。
「……それは本当。にしたって、あんた、ダウンなんだからあんな森の中でずっと居たら、ハウルが尽きて死んじゃうでしょ? 何で動こうとしなかったのよ」
ダウンオリハルコンは口を噤む。
創主に恵まれなかったのだろうとは予測できたが、カリクムは切り出せなかった。
「あそこに旅館がある! そこで私たちは泊まるんだ。今日は楽しい旅行なんだぞ! 創主様だって居るし、それにお前だって……」
レイカルも心の片隅では分かっているはずだ。
このダウンオリハルコンは長くはない。
恐らくは夕刻を超えることもできずに――。
「空の旅行をしよう! どこまでも空が広がってるのはすごいんだからな! 私たちにはハウルがあるし、何ならアーマーハウルだって居てくれる。どこまでも自由なんだ! だからお前にだって、どこかで待っている創主が……」
「……レイカル」
ダウンオリハルコンは何も返さない。
何も言わない代わりに、レイカルが空を舞う鳥を指し示す。
「ああいうのは渡り鳥なんだって、創主様に教わった。世界中を飛んでいるんだって。だから、私たちだってどこにだって行ける。お前も! あんなところで待つだけじゃなくて、もっとできることがあるはずだ! ハウルを持っているのなら私たちには翼があるんだからな!」
カリクムの眼にも、ダウンオリハルコンは限界が近いのだと知れた。
あそこで出くわさなければ――下手にハウル関知で見つけ出さなければ。
ともすればこのダウンオリハルコンには静かな終わりが待っていたのかもしれない。
喧噪の世界に飛び出させて、夢を見させるようなことはなく、静かに終焉へと。
だがレイカルは手を引く。
そんなダウンオリハルコンにも夢を見せる。
それがどれほどに残酷なのか、今の彼女には言えるものか。
レイカルの眼は真っ直ぐで、いつになく自由なハウルの色相を帯びている。
だからなのだろうか。
夕暮れ空に、少しずつその身を溶けさせていくダウンオリハルコンを、見ていられなくなったのは。