こちらへと振り返るなり、エルニィがやれやれと肩を竦める。
「赤緒ってば、朝からたるんでるなぁ。そんなんじゃ、朝一の楽しみの資格もないってもんだよ」
「わ、私はいつも通りの時間に起きただけですよぅ……ルイさんと立花さんはいつになく早いじゃないですか。朝ご飯ができるまで絶対に起きてこないのに……」
どこか未練たらしくそう返すと、ルイがエルニィへと声を潜める。
「自称天才、赤緒に教えてやると面倒よ」
「おっ、そうだったそうだった。赤緒は朝ご飯でも作っておいてよ。ボクらはちょっと、野暮用、って奴」
そう言って二人して連れ立って柊神社の石段を駆け下りていくので、赤緒は訝しげにその背中を目で追っていた。
「……あっちの方角……確か、何かあったかな……」
台所に入るとさつきと五郎が既に朝食の準備を整えている。
「あっ、赤緒さん。おはようございます」
「おはよう、さつきちゃん。……ねぇ、ルイさんと立花さんって、何か用事でもあったの?」
「あっ、それはそのぉ……お二人から言わないように、と言付かっていますので……」
さつきの口からは言えない、というわけか。
しかし、そこまで隠し立てしたいとなれば逆に気になってしまう。
「……何なんだろ。自衛隊との共同演習だとか……なら別に隠す必要もないし……」
うーんと呻っていると、五郎が助け船を出していた。
「赤緒さん、それほど心配なさることはありませんよ。私も聞いていますが、この季節なら当然と言えるべきものですし」
「この季節……? 夏になりかけですよね、今……」
余計に疑問符が増える結果になったが、それでも五郎もさつきも示し合せたように口を噤んでいるのはルイとエルニィだけの秘密のようでやはり気にかかってしまう。
「……私には言えない……? 何なんだろ……」
「おっ、朝メシの時間か?」
「あっ、小河原さん。……小河原さん関係でも、ない?」
いつになく早めに台所に顔を出した両兵に対し、怪訝そうな面持ちでいたせいだろう。
その額にデコピンが見舞われる。
「なーに、難しい顔してんだ。柊のくせに」
「わ、私のくせにって何ですか……! ……でも、小河原さんは、心当たりとか、ないですよね?」
「誰の話してんのか知らんが、メシにありつきたくって朝早くに目ぇ覚ましたんだ。今日も頼むぜ」
「あっ、それははい……分かりましたけれど……でもやっぱり変……」
「変って? 誰の話だよ、だから」
「……小河原さん、頼めますか?」
「はぁ? ……ったく、たまーに人が朝早くに顔を出したと思ったら、使いっパシリにでもしようってのか?」
「そ、そうではなく……! その、ルイさんと立花さんが、変なんですよ。二人とも、絶対に朝早くに目を覚ますことなんてないのに、今日に限って……こんな時間に二人で示し合せたみたいに起きるなんて」
「……っても一応は朝の六時過ぎじゃねぇか。別に特段おかしな時間でもねぇだろ」
「おかしいですよ。あの二人が妙に絡んでいる時には、何かあるに決まってますっ」
「……あのなぁ、お前は黄坂のガキと立花のお守りじゃねぇンだから、別に気にするこたぁねぇだろ」
「大アリですよ! ……危ないことに巻き込まれていたら大変じゃないですか」
「危ないことねぇ……。こんな朝早くからキョムの侵攻があるとも思えんし、取り越し苦労って奴じゃねぇのか?」
「そ、それでも一大事ですよ! 二人して出るなんて……」
自分の論調が沈んでいたのを、両兵なりに察知して嘆息をつく。
「……要は何か隠し事をされているのが気に食わんって話だろうが」
「それは……そうなんですけれどぉ……」
「ったく。尾行でいいんだな?」
「……今日は多分、鉢合わせになっちゃいますから、明日からその……私も付いていきますっ!」
「何でだよ。第一、お前に尾行なんて務まるのか?」
「で、できますよぉ! ……私にだってできることくらいはあるはずですっ!」
両兵は心底納得がいっていない面持ちで後頭部を掻く。
「ンなこと言ってもよ、あいつらだってプライバシーってもんがあるだろうが。別に追求することでもねぇンじゃ?」
「そ、それでもその……気になっちゃったらどうしようもないじゃないですか……」
ルイとエルニィのことだ。
何か悪い企みでも起こしている可能性だってある。
「黄坂のガキと立花だろ? ……どうせ、大したことなんてねぇって。考え過ぎだろ」
「い、いえ……何かその……。私だけ仲間外れみたいで……嫌だなぁって」
ぼやいたのは所詮、その程度でしかない動機であったが、両兵はようやく承服したようだ。
「……わぁったよ。明日、二人の尾行をすっぞ。柊、てめぇはポカしねぇようにしっかりやれよな」
「お、小河原さんだって……二人に見つかったら終わりなんですからね」
「てめぇよかうまくやっよ。おっと、さつき、これは二人には……」
内密に、と口元で指を立てた両兵に、さつきは心得たように微笑む。
「はい! 赤緒さん、一つだけ言っておきますと、お二人とも悪いことじゃ、ないと思いますよ?」
それでもさつきが口を割る気配がないのは何故なのだろう。
五郎も同じようでただ微笑むばかりだ。
「……何だか納得いかない……」
――朝方になってエルニィとルイが互いに急かすように玄関先で靴を履く。
「早く早くってば! ルイっていつも遅いんだからなぁ」
「あんたがそれを言える? 自称天才。言っておくけれど、今日ばかりは私のほうが」
「何をぅ! ボクのほうが絶対に先なんだからね!」
互いに言い合いながら石段を駆け下りていく二人を、赤緒は息を殺して眺めつつ、よし、と呼気を詰める。
「小河原さん、行きましょう」
「……構わんが、あいつらどう考えたってまともなものを持ってないだろ。悪さの可能性は低いんじゃねぇのか?」
「い、いえっ! 分かんないじゃないですか。……尾行しますよ」
「あいよ。とは言え、柊。お前に尾行の心得なんてあるのかよ」
「それは……他人をつけたことなんてないですけれど……」
「だろうな。……ったく、しゃーねぇ。何歩までの距離ならバレんくらいはオレも分かってる。オレより前に出るんじゃねぇぞ」
「は、はい……っ」
赤緒は両兵の後ろを心得つつ、ルイとエルニィの後ろをつかず離れずの距離で追従する。
「……こっちって、商店街とは反対……」
「朝方からどっかでメシにありついている可能性は消えたな。まぁそうなると朝メシを食うと食い過ぎになっちまうんだろうが」
「……っていうことは、別の……」
「何だ、柊。お前、もしかして自分の朝メシに問題があるとか思っていたのかよ」
「だ、だってルイさんも立花さんもその……食べても太らない体質だから、どこかで朝食以外のその……間食だとか……」
こちらの懸念に両兵は心底呆れ切ったようであった。
「朝っぱらから腹に入れるにしちゃ、まだどこも開いてねぇ。酒を飲み歩くにしちゃ、逆に遅過ぎる」
「お、お酒……? だ、駄目ですよ! だって二人とも未成年じゃ……!」
「知らねぇのか? あいつら、結構なうわばみだぜ? まー、柊神社じゃちょっとは遠慮してンのかもしれねぇが」
「も、もうっ……お酒飲みに行くなんてだらしがないですよ……」
「言ってやンな。つーか、こっち方面だと住宅街だな。余計に分からんようになるぞ」
「住宅街……? 誰かの家に出入りしているとか?」
「だったら夜に出歩くだろ。何でこんな朝っぱらからわざわざ出歩くんだって話――っと、柊、頭下げろ!」
不意打ち気味の両兵の指示を聞く前に、無理やり頭部を抑えられてしまう。
「……気のせいかな? 誰かの視線があったような気がするんだけれど」
「気のせいでしょ。自称天才、早くしないと本当に遅れるわよ」
「そうだった、そうだった。ボクが先だもんねー!」
「……私が今日は先にもらうんだから」
二人して駆け出していくのを、赤緒は不思議そうに眺めていた。
「……先に、もらう? 何かを誰かからもらうってことですか?」
「ああ。そう考えりゃ、自ずと絞れてきそうなもんだが……。柊、いつの間にか増えていたもんだとかはねぇか? それで候補を絞ってくぞ」
「い、いつの間にか増えていたもの……南さんがよく現地のお土産物とかを買っては来ますけれど……」
「黄坂の奴の土産とかじゃなくって、もっと別のもんだろうな。しかも、二人とも軽装だ。荷物は……せいぜいポケットに入る程度のものだな」
「ポケットに入るものって……飴玉とか?」
「それに近いかもしれん。だが菓子程度なら神社にだってたくさんあるだろうが。……ひょっとしたら特段に旨い何かを恵んでもらっている可能性もあるぞ?」
「と、特段に美味しいって……私やさつきちゃんも頑張って朝ご飯作ってるのになぁ……」
何だかそれは自分たちの行動を裏切られているようで少し考えものだ。
そう思っていると、二人は不意に道を折れて入ったのは――。
「……うん? ここは何の変哲もねぇ、公園だが……」
気づいた瞬間、音声が木霊する。
『ラジオ体操第一~』
「……ラジオ体操……?」
怪訝そうにしつつ、二人の入った公園の生垣から覗き込む。
ルイとエルニィは二人して、近隣の人々と共にラジオ体操に励んでいた。
「いっちに、さんしー!」
「おっ、今日も偉いねぇ、エルニィちゃんにルイちゃんも」
近隣住民からの称賛を得つつ、二人はそれぞれ身体を伸ばしていく。
やがてラジオ体操が終わるなり、参加者にはスタンプが押されていった。
二人も当たり前だとでも言うように、スタンプカードを持って並んでいる。
「今日はボクが先ー! お先にー、ルイ」
「……言ってなさい。明日は私のほうが先なんだから」
「エルニィちゃんとルイちゃんは勤勉だなぁ。年寄りの道楽みたいなラジオ体操に参加してくれるんだから」
見渡せば本当に年齢の低い子供か、年配者しか参加していない。
規模も小さいラジオ体操に、何故二人が参加しているのかは疑問であった。
「あ、あの……」
「待て。柊、最後まで証拠見つけてから入るぞ」
両兵に制され、赤緒は二人がスタンプを貰ってから、子供たちと遊びに興じる間もなく手を振ったのを目にする。
「じゃあねー! 明日も来るから!」
「姉ちゃんたち、バイバーイ!」
エルニィが飛び跳ねて子供たちに手を振ったところで、両兵が歩み出ていた。
「……こいつぁ一体、どういう心掛けだ? 立花と黄坂のガキ」
「げっ、両兵……と、赤緒? ……はぁー、参ったな。さつきが言った?」
「い、いえっ、さつきちゃんは何も……って言うか、何でラジオ体操……?」
「うーん……どう説明するべきか……って言うか、赤緒にだけは絶対に秘密のつもりだったんだけれどね」
「どういう……」
「この自称天才があんたに渡そうと思っていたのよ。いわゆるサプライズプレゼントって奴をね」
「ば、馬鹿っ、ルイ……教えたらサプライズじゃないでしょ!」
しかし教えられてもよく分からないままだった。
「えっと……何を?」
観念したように、エルニィは顎をしゃくる。
「……ラジオ体操をやるのが夏の日本の風物詩じゃん。でもさ、それって小学生だけだって聞いたし、参加しても子供かお年寄りかだけだって聞いたんだ。それに、東京のど真ん中だから、そろそろ中止にしないかって話も出ていたらしくって……」
「えっと……それが私と何の繋がりが……」
「鈍いなぁ、赤緒は。……赤緒、三年間しか記憶ないってことは、小学生の時にこういう思い出とかなかったってことでしょ?」
あっ、とそこでエルニィの赴く先をようやく理解する。
ルイはその言葉に補足していた。
「もうすぐ取りやめになるから、ラジオ体操のテープとラジカセ、夏休みの間にスタンプを溜めた人間に譲るって話だったのよ。で、この自称天才に私は振り回されていたってわけ」
「し、心外だなぁ……! ルイだって乗り気だったじゃんかぁ……!」
紅潮した頬を掻くエルニィにルイは淡白に言い返す。
「あんたが、一人じゃ継続できる気がしないって私に泣きついたからでしょ。本当はさつきが候補だったんだけれど、さつきは赤緒に不自然に思わせないように朝食の準備をさせる必要性があったし」
「……さつきちゃんが悪いことじゃないって言っていたのは……これだったんですね」
「うぅ……明日でようやくスタンプが溜まるってところだったのにぃー……! ムキーッ! 悔しいなぁ、もうっ!」
「でも……何でどっちがもらうだとかもらわないとかって言うのは……?」
「テープだけじゃ何もできないでしょ。どっちかがテープを、どっちかがラジカセを譲り受ける算段だったのよ。ま、こうしてバレたとなるともう隠し立てする必要性もなさそうね」
赤緒はエルニィの横顔を窺う。
彼女は心底、今回の目論みが露見したことに羞恥の念を抱いているようであった。