「え、いやー、そんなにぼんやりしてた? ボク」
「してますよ。何かあったんですか?」
エルニィは口にしかけて、待てよ、と周囲を窺う。
「……あの、さ。赤緒って観てない映画の話とかされてもニコニコ笑えるタイプ?」
何だかエルニィらしからぬもじもじした様子で口火を切られたので、小首を傾げる。
「えっと……物によりますけれど……」
「だよねぇ……じゃあ駄目だ」
「だ、駄目って……何でですか」
「いやさー、赤緒ってそういう情緒? みたいなの分かってないところあるじゃん。だからあんまり言えないって言うか、こういうのに理解がないって言うか」
「な、何ですかぁ、その根拠のない私への風評被害……。別に私だって、映画とかドラマとかに対しての基本的な造詣くらいはありますよ」
「……うーん、でも、ねぇ……。ほら、できれば人に言いたくないっての、ない? いや、本心では言いたいんだけれどね? ただ……これから観る人の楽しみ奪っちゃうとなーみたいな、こっちの配慮って言うか……」
「ああ、言ってしまえばスポイラーって奴ね」
夕食の鮭の塩焼きを頬張りながら口を出した南に、赤緒は疑問符を浮かべる。
「スポイラー……? って何です?」
「そういう娯楽とかの肝心な部分を言っちゃうと、楽しみが削がれちゃうんじゃないかって言う、一種の懸念って言うか、日本語圏じゃ何て言うんだっけ……ネタがどうのこうの……」
「ネタバレ、って奴だね。そういうの大丈夫な人って話」
ネタバレという概念自体は知っているが、どうしてエルニィがそのようなことを気にかけるのかが謎であった。
「えっと……何でそれを立花さんが気にするんです?」
「そりゃー、赤緒ってば……。今年一番かも知れない映画だとか娯楽だとかに触れるとさ。ああ、記憶を消してこれを観る前の期待感にはもう戻れないな、ってなるわけ。だからなー、赤緒に言ったところでしょうがないんだけれど、でも赤緒だしなーっていう気持ちの狭間に居るってわけなんだよ」
「……よく分かんないですけれど馬鹿にされてます?」
何だか遠回しに馬鹿にされているような気がしたが、心外だ、とエルニィは憤る。
「赤緒にも気を遣っているんだよ? いやー、あの映画はもしかしたら今年一だったかも、ってなるとさ。赤緒みたいなのでも気にかかるかもしれないわけじゃん」
「私みたいなのって……南さんもそういうのあるんですか?」
南は既に夕食を食べ終えており、湯飲み片手に考え込む。
「そうねー。私もそういうの、案外、気にする性質かもしれないわ。思い出すわねー、カナイマじゃ娯楽も少なかったから、一か月に一回、映画上映みたいなのがあったのよ」
「映画上映……でも、アンヘルですよね?」
「馬鹿にしたもんじゃないわよ、赤緒さん。人間、どこかでガス抜きって言うか、戦闘の緊張状態にあるからこその娯楽ってのが必要になるもんなんだし。……おっ、茶柱」
そういうものなのだろうか、と赤緒はガラにもなく思案する。
「……でも、立花さんはその映画のこと、私に話す気はないってことなんですよね?」
「うーん……でもなー。言いたいのは山々なんだけれど、これってスポイラーになっちゃうから……言えないってのが……ここまでもどかしいとは思わなかったよ」
何だかそれは娯楽を知っている人間特有の大層な悩みのようで、赤緒は覚えず前のめりになっていた。
「どんな映画なんですか? それを教えてくれるだけでも……」
「あー、駄目駄目。赤緒も自分で映画を探しなよ。そうやって楽するんじゃなくってさ」
「じ、自分で、ですか……。でも私……映画とか詳しくないし……」
「赤緒ってば、そういうところなんだよねー。まぁ、日本語で言うネタバレ? してもいいんだけれど、いやぁー、あれは今年最高だったなぁ」
何だかそこまで評価されると、映画に詳しくない自分でも少しは気にかかってしまう。
「その……あらすじ……、そう。あらすじだけでも教えてくれません?」
「えー、しょうがないなぁ。前作……を赤緒が観ているわけないから、まぁざっと説明しちゃうと未来から殺人マシーンが送られてくる話なんだよね」
「え……そもそも何で、殺人マシーンが未来から?」
そこまで血なまぐさい映画だと思っていなかった赤緒に、エルニィは目に見えて渋る。
「……洋画って、もしかして赤緒、ほとんど観たことない?」
「えっと……たまにテレビでやってますよね。その程度、かな……」
「うーん……じゃあSFとか言ってもピンと来ない?」
「SF……あ、あれ観たことあります! 宇宙人と友達になる奴!」
喜び勇んで話題に飛び込んだつもりであったが、当のエルニィの反応は冷ややかだった。
「あー、うん。あれね。……あれとはまた違うんだけれどなぁ……」
「えっ……洋画って大体、あんな感じじゃないんですか?」
「これは何て言うか……赤緒の洋画知識偏ってるなぁ。もっとさ、色々観なくっちゃ。そもそも、赤緒は映画館とかに足しげく通うタイプでもないし」
何だか評価を決めかねているエルニィにルイが小言を差し挟む。
「無駄よ、自称天才。赤緒にそういうの期待したって、どうせたかが知れているってものなんだから」
「な、何ですかぁ、ルイさんまで……。わ、私だって映画の一個や二個くらい……」
「甘ったるい恋愛映画だとか、特撮だとかじゃないんだよ? やっぱり本場は違うなぁって思わないと」
「……べ、別に恋愛映画でもいいじゃないですか。……あ、それと特撮も」
こちらの反応に、そういえば、とエルニィは訳知り顔になる。
「この間両兵と観に行ったのは何だっけ? 結局、恋愛映画じゃなくって、怪獣映画でしょ? はぁー……赤緒には本物の映画って奴を分かってもらうのは無理かな」
大仰にため息をつかれてしまって、さすがの自分でもエルニィがそこまで言う映画が気になってくる。
「……立花さんがそうまで仰る映画って……じゃあ結局何なんですか」
「馬鹿だなー、赤緒は。それも含めてさ、映画への意識が低いって言ってるんだから。ごちそうさまー」
素直に教えてももらえないので、赤緒は興味だけは尽きない状態で生殺しにされているようなものだ。
「……な、何ですか。私ってそんなに……映画観てない感じに見えちゃう……?」
とは言え、実際に映画をほとんど観てない自分にとって、やはり娯楽に触れているエルニィからしてみれば幼いように映るのかもしれない。
「あっ、映画のコマーシャル……」
さつきの発した小声に、赤緒も普段は観ないのだがテレビへと視線が向けられる。
「……今ってこういう映画がやってるんだ……。さつきちゃん、よければ映画を一緒に観に――」
「さつきは私と明日、一緒に観に行く約束でしょ。抜け駆けは許さないんだから」
ルイに釘を刺され、さつきは曖昧に微笑む。
「すいません、赤緒さん。……多分、立花さんの観たのと同じのを観に行くと思いますので……」
「うーん……じゃあその……ここだけの話でいいから、ネタバレしてもらえる? 何だか立花さんにあそこまで言われちゃうと気になっちゃって」
「あ、はい……でも私も映画って滅多に観に行かなかったから、正確に伝えられるかどうかは分かりませんけれど」
とは言え、これで当面の不安は晴れたことになるだろう。
さつきから教えてもらえば、それで映画を観たも同然のはずだからだ。
「……立花さん、私が映画を全然観てないからって、あんな言い草……。ちょっとくらいは教えてくれてもいいのに……」
勝手にむくれてしまった自分を持て余しつつ、赤緒は席を立っていた。
――帰って来るなり、さつきは興奮気味にルイと語り合っていた。
いつもの如く勉強会で卓を囲っているのだが、エルニィとルイ、それにさつきで盛り上がっている。
「やっぱりあのシーンでさ。“地獄で会おうぜ、ベイビー”って言うのが……!」
「そうそう! 私もびっくりしちゃって……! 映画ってあんなに面白かったんですね……! 前のも観ようかな……」
「あっ、ビデオ買ってあるよ。ビデオデッキがないからちょっと敷居が高いけれど……まぁ、ボクなら三日あれば作れるかな」
「すごい! じゃあ三日後に上映会しましょうよ!」
いつになく饒舌なさつきに、赤緒はお茶菓子を運び込んできた姿勢のまま、硬直していた。
「えっと……そんなに面白かったの? さつきちゃん……」
「凄かったですよ! あっ、でもちょっと怖かったかも……頭を打ち抜かれても動いているシーンって、どうやって撮ったんだろうってなりましたし」
「あ、頭を打ち抜かれて……? 立花さん、さつきちゃんに何を見せたんですか……」
「いやいや、それが言葉通りなんだな、これが。言ったでしょ? 今年一だって」
「それにしたって、観に行かないのは損をしていると思うわ。溶鉱炉のシーンとか特にね」
「あっ! やっぱりそこだよねー! でもボクとしては序盤のバイクのシーンとか特に響いたかな」
「バイク運転できませんけれど……ちょっと憧れちゃいましたね……」
さつきまでルイとエルニィの話題に同調しているのはちょっと意外で、赤緒は完全に置いてけぼりの空気であった。
「……えっと、結局どういう映画なんですか?」
「あ、いやこれは……その、観てもらったほうが、としか……。すいませんっ! 赤緒さん……ガラにもなく感動しちゃって……」
劇中のことを思い出してか、さつきが目元の涙を拭う。
「いやー、分かるよ。あのラストは感動的だったからね。さつきの涙も当たり前だろうし」
うんうん、と納得しているエルニィに、赤緒は恨めしげな視線を送る。
「……わ、私だけ仲間外れってことですか? そういうの……よくないと思いますけれど……」
「仲間外れじゃないってば。赤緒も観に行けばいいじゃん。そうしたら分かるよ」
「うーん……でも聞いた限り、頭を打ち抜かれるだとか、溶鉱炉だとか、バイク? ですか……。何だか私が観る感じの映画じゃないような気がするんですけれど……」
「あー、そういえば赤緒って、アクションとか苦手だっけ?」
「……その、ホラーとかじゃないですよね?」
「違うってば。ホラーならさつきが怖がっているはずでしょ」
そう言われてみれば、さつきも怖がりのはずである。
だと言うのに、今回ばかりは映画の話題に率先して乗っているということは、恐怖映画ではないのだろう。
「そ、その……でもですよ? 痛々しいシーンとかあると駄目ですからね?」
「赤緒ってば、映画に対してのハードルが高過ぎるんだよねぇ……。そんなんじゃ、子供向けアニメくらいしか観れないじゃんか」
「で、でも平和な作品のほうがその……びっくりしないって言うか……」
「はぁー……これだから日々の刺激を大事にしないタイプの人間って言うのは。赤緒って遊園地に行ってもお化け屋敷も嫌ならジェットコースターも嫌って言うでしょ?」
「い、言いますけれど……それが?」
ルイとエルニィが顔を見合わせて、やれやれとでも言うように肩を竦める。
「ちょっと赤緒にはこの映画は勿体ないかもねぇ」
「そうね。赤緒、それよりもお茶、冷めちゃうでしょ」
「あっ、そう言えば……って、駄目ですよ。勉強会をしているんだって思ってお茶を持ってきたのに、映画の話ばっかりじゃないですか」
「そりゃー、あれだけの大作を観ればその話ばっかりになっちゃうよ。さつきもそうでしょ?」
「あ、……はい。そうですね。私、アクションとか怖いの駄目なんですけれど、画面から目が離せなくなるって言うんですか? ああいうの初めてで……」
「いやー、さつきのほうがこういうのの素養はありそうだなぁ。……赤緒、何さ。ほっぺ膨らませて。どうしたの?」
思わずむくれた自分へのわざとらしい言葉に、赤緒はぷいっと視線を背ける。
「し、知りませんっ! ……立花さんのけちんぼ」
「ケチってのは違うと思うなぁ。できるだけ何も知らない状態で観て欲しいって思っただけだってば」
「お、お茶は置いておきますから……飲んだら台所まで持って来てくださいっ!」
居間を立ち去ってから、大人げない対応だったかもしれない、と思って窺うと、エルニィとさつきとルイはまだ映画の話をしている。
「……うーん、映画かぁ……。でも一人で行くのはちょっとなぁ……」
お盆を持って台所に戻ってくると、両兵が煎餅を頬張っていた。
「おう、ちょっと小腹が空いたからもらってるぜ」
「……小河原さん? どうせ、お酒でも飲み歩いて、お昼まで寝ていたんでしょうけれど……」
「……何だよ。言いたいことでもあんのか?」
呆れ返る前に、赤緒はそれとなく尋ねていた。
「……小河原さんって、最近映画観に行きましたか?」
「映画ぁ? ……いや、ここんところはさっぱりだな。お前と一緒にこの間、映画観ただろうが」
「あ、あれはプランと違う怪獣映画で……。あの、その……」
「何だよ。ボソボソ言ってると聞こえねぇんだが」
「じ、じゃあ言いますけれど……っ! ……その、映画! 観に行きませんか……?」
最後のほうは尻すぼみになってしまったが、それでも自分から映画を観に行こうと言うのは何と言うのだろうか、まるで――デートを申し込んでいるようで気が引けてしまう。
「おう、いいぜ」
想定外に軽く返されたので赤緒は紅潮した面持ちのままで問い返す。
「そ、その……本当に?」
「最近、ヒマしてたからな。映画の一本でも観に行くのは悪くねぇだろ。それに、てめぇだって人機の操主ばっかやらされてンじゃ、割に合わないってもんだろ? 休暇を楽しむのに都合が必要か?」
「え、いえ、その……でも、いいのかなぁ、って。……また抜け駆けとか言われそう……」
両兵を独占するのは、他のメンバーの反感を買いそうだが、エルニィが頑として映画の内容を教えてくれないのがそもそもの発端なのだ。
「明日でもいいか? 今日はもう眠ぃ……」
台所から踵を返そうとした両兵の袖を、赤緒は思わず引いていた。
「そ、その……今からじゃ……駄目ですかね……? だって明日とかだとその……目立っちゃうし……」
自分でも矛盾することを言っている自覚はあったが、少しばかりの我儘も言いたくなる理由もあった。
それはエルニィの映画自慢が作用しているのもあったが、降って湧いたような幸運を逃したくないのもある。
「……よし、じゃあ行くか。レイトショーとか言う奴。いっぺん、行ってみたかったんだよな」
「れ、レイト……?」
「柊。――今日の八時過ぎに、誰にも気づかれないように出るのはできるか?」
「だ、誰にも気づかれないように……ですか?」
何だかそれは――逢引きと言うのではないのか。
しかし両兵の真剣な面持ちに赤緒は頭を振ってから頷く。
「は……はい……」
「よし、決まりな。にしても、柊。お前がこういうのに乗り気だとは思わなかったぜ」
「の、乗り気って私はただ……」
ただ何となく、エルニィのネタバレいじりを少し利用しているのもあって悪いような感覚もある。
「とは言え、だ。連中目聡いからな。そっとだぞ、そっと」
「は、はい……そっと、ですよね。今夜八時に……」
――エルニィたちは完全にテレビのバラエティ番組に釘付けのようで、この時間帯に抜け出すのはさほど難しくはない。
難しくはないものの――。
「……いいのかな、こういうの。……不良になっちゃったみたい」
両兵とは以前にも行った映画館で落ち合う約束だ。
とは言え、前回のようなドレスを着込めばバレてしまいかねないので、普段着の巫女服なのだが。
「……何でだろ。普段着なのに、すごい悪いことをしているような気がする……」
昼間しか着ない巫女服で夜の街を出歩くのは新鮮で、赤緒は少しばかり浮足立っている自分を発見する。
「変に見えないかな……。でも、映画を観るだけだし……大丈夫……だよね?」
両兵は一足早くに着いており、こっちだと手招く。
「あ、すいません……待ちましたか?」
「別に待ってねぇって。んで、何観るんだ?」
「あっ……そういえばタイトル……聞いてませんでした……」
「何やってンだ、ったく。……ま、一番ヒットしていそうなのを観りゃ間違いないだろ。このタイトルだろうな」
「洋画って言ってましたけれど……さつきちゃんでもワクワクしちゃうみたいな……」
「じゃあこれだろ。大人二枚」
夜の映画館に入るのは初めてで、そこいらかしこで観客が散見される。
そのほとんどがカップルで、赤緒は場違いなのでは、と両兵を窺っていた。
「ん? どうかしたかよ」
「い、いえっ……! 何でも……」