「……偽善めいているな」
「偽善でも、自らが良いと思える方向に生きていけるのなら、人は幸せなんでしょうね」
アイリスは提げたライフルの整備点検を行っていた。
ハザマもハンドガンの弾倉を確かめ、一つ息をつく。
「……こんな旅を、ずっと続けて来たのか。恨まれると分かっているのだとしても」
「青く塗ったって《バーゴイル》は《バーゴイル》でしょうし、これも一つの偽善行為だろうし。罪は消えない、か」
「……お前はよくやっているほうだと思う。私の見識も狭かったのかもしれない。世界にはこんな風に、戦い抜くことで命を燃やし切るだけの人間が居るのだと、分からせてくれた」
「過酷な道を歩んでいるだけかもしれないけれど。ハザマちゃんが頑なに《バーゴイル》に乗らないのは、自分を裏切りたくないからでしょうし」
「……分かっていても難しいんだ。敵だと睨んだ相手と同じ機体に乗ると言うのは……。理性の面だけじゃない部分で拒む」
すくっと立ち上がったハザマに合わせ、アイリスも立ち上がる。
先行部隊のサインはやはりと言うべきか、この基地で長居するべきではないとの判断であった。
「……やはり、そうか。また落ち着ける場所を探さなければいけないな」
「旅がらすの私たちからしてみれば、いつものことだけれど。今回は非戦闘員も抱えている。できるだけ、早期に落ち着ける場所を見つけないとね」
「……アンヘル基地の跡地を巡っていくしかないだろう。ここからならば、ルエパの駐屯地があったはずだ。そこで民を降ろす」
「彼らは抵抗しないと思うけれど、安全が保障されたわけじゃないでしょうし。私たちにも責任はあるわよ」
「それは分かっている。……《アサルトハシャ》と《バーゴイル》部隊で補給トラックの護衛と、それに……」
「ええ、隊長が帰ってくるのを待ちましょう」
「……言っておくが夜明けには出立する。これはお前のほうが副隊長だろうと全体指揮を考えた上での決定だ」
「分かっているわよ。……でも、隊長は、きっと……帰って来てくれるはず。それにしたって……こんな星の夜に、隊長はかつての想い人と再会する、のね」
――八将陣を離れてからの話を、まさかバルクスの口から聞く時が来るとは思っても見なかった。
「……それで、《O・ジャオーガ》を白く染め上げて、せめてもの償いを、って?」
「ああ。私の命で償えるものならそうしたいところだが、まだ生きていなければいけないらしい」
「……馬鹿ね。そんなことをしなくっても、充分に……ああ、でもこれは言わないほうがいいか」
「……淹れたコーヒーの味は、悪くなかったか」
「ええ、ちょっと上手くなったんじゃない? キョムの……シャンデリアで飲むコーヒーはあまり飲めたものじゃなかったけれど」
「……お前からしてみれば今も奴らは同朋だろう」
「そうね。世界の敵。星を闇で覆い尽くす虚無そのもの」
「ジュリ、お前は様々な世界を見てきたはずだ。その中にはどうしようもない悪もなければ、どうしようもない正義も居ないのだと言う、事実だけが歴然と転がっていたはず」
「そうね。……私も、まさか教育者としての活動が板に付いて来たとは思いも寄らなかったけれど、それでも、ね。死ななければならなかった命と、死ななくていい命、その境界線はどこなんだろうって、考えてしまう夜もあるわ」
「こんな風な星の見える夜か」
仰ぎ見た星空はほとんど黒く塗り潰されていた。
ここは世界の淵。闇の辺境。
安息の地なんて、どこに行ったってなかった。
「……離別を告げるのに、せめて星が見えれば、よかったのにね」
すっと拳銃をバルクスの額に向ける。
彼は動こうともしない。
静かにコーヒーに口をつけていた。
「別れは辛いな」
「キョムみたいな人でなし集団でも、それは同じこと。別れはいつだって唐突なものなのよ」
「一つ問う。ジュリ、私のようなろくでなしの戦士の成り損ないに、何故ついて来てくれた」
「あなたの瞳が息子に似ていたから」
その言葉に、バルクスはフッと苦笑する。
「……嘘でもマシなことを言って欲しかった」
「これでも大マジよ。私はいつだって、ね」
暫し、静寂が夜を満たす。
しかし、その時は訪れていた。
「バイバイ、バルちゃん」
引き金が絞られる。
しかしその銃弾は――ジュリの足元に転がったカップを撃ち抜いただけだ。
直後には全てが動き出している。
《O・ジャオーガ》の武装が奔るのと、《CO・シャパール》の刃が迸ったのは同時。
互いに大きく後退した形の機体へと、飛び退って乗り込む。
「分からないな。それでも信じてくれたのか」
「いつだって、女は男になんて理解されないものよ」
『……そうなのかも、しれないな』
眼窩に戦闘の灯火が宿り、《O・ジャオーガ》がオートタービンを大上段に振るい上げて飛びかかる。
機動性を活かして瞬時に回り込んだ《CO・シャパール》が背面を狙うが、それを予期したかのように相手は掻き消えていた。
「……ファントム、ね」
『悪いがまだ死ねんのでな』
「だからって愛した女を殺す? それがあなたの正義になったわけ?」
『……どうとでも言うがいい。お前にはその理由がある』
「そっ。でも、理由があれば殺されてもいいなんて、そういうところ、変わってないのね」
『……咎は受けるさ』
超加速度の中からでも襲いかかるのは一瞬の時。
それでも最大の好機には違いない。
《CO・シャパール》は打突の形で突き出されたオートタービンに手を添え、そのまま力を完全にいなしてから、刃を装甲に突き立てていた。
《O・ジャオーガ》の肩口に突き刺さった切っ先から青い血潮が舞い散る。
だが、相手は沈まない。
巨体の人機の特性を活かし、踏ん張った《O・ジャオーガ》の膂力に《CO・シャパール》は振り回されていた。
舌打ち混じりに応戦したのは同時。
弾かれ合った機体同士が睥睨した瞬間、勝負は決していた。
「……ここまでね」
天地を縫い止めるシャンデリアの光が自分共々《バーゴイル》の骸も回収する。
『……もう会えないのか』
「……別れの間際に、そんな弱音を男の側が吐くものでもないわよ」
『そうか。それもそうだな』
《O・ジャオーガ》は機体を翻す。
その双肩には、世界の行方と言うあまりにも背負うのには残酷なものを感じていた。
「でも、あなたは行くのよね、きっと。それがどれほど過酷な選択肢でもたとえ……星の見えない夜が待っているとしても」
ジュリはこんな時に頬を伝い落ちる弱さの熱を、今ばかりは拭えなかった。
「さよなら、バルクス・ウォーゲイル。私の焦がれた男……」
シャンデリアに回収され、次に会う時があれば、きっとそれは敵同士。
今宵のように言葉を交わすことさえもできないだろう。
それでも――せめて別れは、星が見える夜であって欲しかったのだけは、過去に残してきた弱さ一つだろう。
ジュリは次に面を上げた時には、もう涙は見せなかった。
「私はキョムの尖兵、八将陣のジュリ、ならば、ね」
だから、こんな星の夜にさえ――冷酷な別れを告げられるはずだ。