座り込んだ拍子に振動でトランプピラミッドが瓦解し、エルニィはあー! と声を上げる。
「ボクのトランプピラミッドが……! もう、赤緒ってば、責任取ってよね!」
「責任って……。そもそも、遊んでるばっかりじゃないですか。立花さん、いけませんよ。一日中こうやってだらだらするのは」
「だらだらしてるんじゃないよ。これはボクなりの精神統一の方法なんだってそろそろ赤緒も学んで欲しいね、まったく」
言い返されてもそこいらに転がっているおもちゃやゲームの数々に、本当に目の前の相手はIQ300の天才なのか疑わしくなってくる。
「……これは?」
「あー、ベーゴマって奴? 駄菓子屋に通いつめたらさー、そこんところの子供たちと仲良くなってちょっとだけハマったんだよね。何気に奥深いよ? これ」
「……遊んでるばっかりじゃないですか」
「失礼だなぁ。あ、ははーん。さては赤緒ってば、ベーゴマの奥深さを知らないね?」
「奥深さって。これってあれでしょう? コマの一種じゃないんですか?」
「ふふーん、ベーゴマを含め遊びに関してじゃ、赤緒には後れは取らないんだから。まぁ、そもそも、ボクも物珍しさでちょっと気になっていたからってのもあるんだ」
赤緒は鉄の塊に見えるベーゴマを逆さにしたり、振ったりしてみるが、エルニィの言う奥深さと言うのが今一つ分からない。
「これがどう奥深いんですか?」
「まー、赤緒みたいなのに関して言えば、分かんないかなー。だって赤緒、マジメ腐ってばっかりで遊んできたことなんてないでしょ?」
その言葉にはさすがにむっとしてしまう。
自分とて、エルニィに言われっ放しではないのだ。
「わ、分かりますよ、少しくらいは……。ベーゴマだって言うのは知ってるんですから」
「ふぅーん、言うじゃん。じゃあ、これで勝負だ!」
エルニィが差し出したチラシを赤緒は凝視する。
「ベーゴマ大会……明日のベーゴマ王はキミだ! ……何なんです?」
「見ての通り、ベーゴマ大会。これに向かって腕を磨いていたってわけなんだよ、ボクは」
「……さっきのトランプピラミッドは?」
「集中力を養うための訓練だってば。ベーゴマ勝負ってのは一瞬で決まるんだ。だからこそ、一拍の油断が命取りになるってこと」
「……えっと、遊びですよね……?」
「そうだと思うんなら、実際に参加してみれば? 赤緒だって来週の日曜は時間あるでしょ?」
「ベーゴマ……ですか」
「そっ。ま、赤緒じゃ一回戦突破も怪しいかなぁ?」
何だかわけもなくけなされた気分で、赤緒は頬をむくれさせる。
「な、何ですか、そういうの……。でも……勝負だって言うのなら」
「受ける? よし! じゃあ来週の日曜は皆でねー」
ひらひらと手を振るエルニィに赤緒はその段になって違和感に気付く。
「……うん? みんなで……?」
『――さてさて、お立合い! 町内会ベーゴマ大会! 参加者はこちら!』
ノリノリでマイクを振るエルニィが目線を向けた先には、トーキョーアンヘルメンバーが揃い踏みしていた。
「……みんなってこういうことだったんだ……。立花さんに乗せられちゃったなぁ……」
そもそも、本質的にエルニィのペースのまま勝負に持ち込んでしまったことが失策だ。
付近の子供たちも参加しているが、こちらが大所帯であるせいなのだろう。彼らの関心はもっぱら、優勝の前に立ちふさがるエルニィと言う大きな壁にあるようであった。
「ねーちゃんたちには絶対に勝つんだからなー! エルニィは五十戦二十五勝なんだから、負けてらんねぇよ!」
そんな子供たちににこやかに手を振ったさつきをルイが肘で小突く。
「さつき、あの子たちだって結構やるわ。嘗めてかかると……死ぬわよ」
「死ぬんですか! ……いや、それは言い過ぎじゃ……」
「私と自称天才でも、何だかんだで半分は勝てても半分は負けているんだから、当たり前よ。あんたじゃ素人もいいところなんだから」
「し、素人って……。で、でもベーゴマ勝負ですよね?」
「……甘いわね、さつき。一時の気の緩みで血を見ることになるわよ」
どうやらルイもこの勝負には一家言ある様子で、めらめらと闘志の炎を燃やしているのが窺える。
「……ヴァネットさんも、参加されるんですね……」
「ん、ああ。このベーゴマと言う奴は銃弾に材料が似ているようなのでな。上手く操れればこれから先の戦いに運用できるかもしれない」
つまりそれは、ベーゴマを融かして銃弾を作ると言っているのだろうか。
何だか笑い話にできない言葉に赤緒は戸惑っていると、エルニィがマイクパフォーマンスを行う。
『おっと! ここで参加者の乱入だー!』
「邪魔するぜー、エルニィ」
「シールさんたち? 何で?」
「何でも何も、オレたちだって立派な参加者だからな」
シールと月子はそれぞれにベーゴマを携えている。この場で素人同然なのは自分とさつきくらいなものだろう。
「……みんな、何でこうも必死に……? だって遊びじゃないですか」
「遊びでも立派な競技……ということなのかもしれませんね。あっ、私も参加するので赤緒さん、お手柔らかに」
「あっ、さつきちゃん。……うん、何だか不安になってきちゃった……」
『さぁーて! 栄誉あるベーゴマ王の称号を得るのは誰だー! あ、ちなみにボクも普通に参加』
てへ、と茶目っ気たっぷりに舌を出すエルニィに赤緒は当惑していた。
「でも、珍しいですよね。こうやってみんな参加するなんて」
「それだけ優勝賞品が目玉って言うことなのかしらねー」
「ですね……何が優勝賞品なんだろ……って、南さんまで?」
南は両手にベーゴマを握り締めており、達人の気迫が窺えた。
「これでもカナイマじゃベーゴマで負けた節はないのよー、赤緒さん。この勝負、私がいただきね」
『えーっと、ちなみにステージは用意しておいたこちら! ルールは単純、二本先取で弾かれたほうが負けね!』
太鼓を思わせる形状の中央に向かって緩やかにへこんでおり、ステージはとてもではないが何度もぶつかり合って勝負するようには見えない。
一発一発が真剣なのだろう。
赤緒は予め買っておいたベーゴマへと紐を巻きつけていた。紐を巻くだけでも正直、この一週間を使い潰したほどだ。
「……うまく回せるかなぁ……これ」
「コツ要りますよね……私もいざ勝負となるとそれが心配で……」
さつきと自分以外は歴戦の構えでそれぞれフォームを確認している。
「ほんじゃまぁ、くじ引きでトーナメントを決めちゃおうか」
「あれ? 立花さん、マイクは……」
「あんなのもう思ったよか疲れたからやめちゃったってば。トーナメントくじはこのあみだくじねー」
何だか力を入れるべきなのか拍子抜けなのか分からないまま、赤緒はあみだくじを辿っていく。
その行く先は――。
「あっ、二回戦まではシードになっちゃった……」
「むぅ……運がいいなぁ。ま、赤緒なんて当たったらコテンパンなんだから。他の面々もとっととあみだ引いてねー」
その言葉振りに赤緒は少しむくれてしまう。
「……何だか今回の立花さん……ちょっとイジワル……」
「まぁー、エルニィなりの何かがあるんでしょうね」
「南さん、心当たりでも?」
「さぁね。私は関知するところでもないし、それにエルニィ自身、ちょっと楽しんでるじゃない。それでいいとは、思うんだけれどねー。おっ、私は一回戦でルイと、か。あんたにだけは負けないわよー」
「それはこっちの台詞。南、賭けでもしましょうか?」
「おっ、いいわねー。カナイマの時を思い出すわ。あんたのベーゴマのクセは見切ってるんだから、今さら私に勝てるなんて思わないことね、ルイ」
「じゃあ勝ったほうが今日のお昼を奢りね」
「いいわよ、別に。何円だって奢ってやるんだから」
「言ったわね? ……じゃあ自称天才、とっとと音頭を取りなさい」
「いや、ボクも選手だから、審判じゃないし。こういう時は……そうだ! ちょーっと待っててねー」
そう言うなり隣の立ち飲み屋へと入ったエルニィが引っ張り込んできたのは、昼間から飲み明かしている両兵であった。
「お、小河原さん……?
「……何だよ、立花。まだオレはメシの途中……」
「いーから! 両兵が審判ねー」
「審判? ……おいおい、遊びの審判やらせようってのかよ」
「だって両兵くらいしかこの場に居て中立じゃないんだもん」
「……ったく、しょうがねぇなぁ。んじゃ、まずは黄坂と黄坂のガキか。えーっと、見合って見合って……」
「それじゃ相撲だってば」
「うっせぇな。適当でいいんだよ、こういうのは。じゃあ両者尋常に……」
「勝負!」
南がステージへとベーゴマを投擲する。
その振る舞いはまるで素人の自分たちとは一線を画していた。
鋭く入った南のベーゴマの回転軸に対し、ルイのベーゴマは一見すると静かに駆動しているだけに見える。
「……えっと、これってどっちが有利なんでしょう……?」
「赤緒ってば、本当に素人だなぁ。見れば分かるじゃん」
どうしてなのだか、今日のエルニィは少し自分を見下しがちだ。
仕方なしに両兵に尋ねてみる。
「その……どっちが有利とか分かります?」
「ああ、これは……」
そう言い終わる前に南のベーゴマが不意に失速する。
「あれ? 南さんのほうが強そうに回っていたのに……」
「それがこのベーゴマ勝負の肝だな。別に弾き合って対決する必要性はねぇンだ。要は最後まで回ってりゃ勝ちなんだよ。黄坂は勝負を焦ってできるだけ相手を弾こうと強く回したが、黄坂のガキのほうが上手だな。ステージの端っこで安定した回転を続けていれば、そのうちスタミナ切れを起こした相手は何もしなくても勝手に、って寸法だろうさ」
両兵の見積もった通りに、南のベーゴマは勢いをなくし、そのまま失速して転がってしまう。
比してルイのコマは安定していた。
「勝者、黄坂のガキのほう。……おい、黄坂。これじゃ勝負になンねぇぞ?」
「むっ……確かにまさか安全策を取るとはね。カナイマの時のルイのままじゃ、ないって思ったほうがよさそうね……」
「南に成長がなさ過ぎなのよ。猪突猛進なばっかりで」
「何をぅ……。今度こそ弾き落としてあげるわ!」
「それは南のほうでしょう」
互いにベーゴマを奔らせる。
その軌道は今度こそ、衝突していた。
カチン、と小気味いい音が響き渡り、ベーゴマが弾かれ合う。
ステージの外周を一周したベーゴマは再び中央へと導き出されるかのように衝突し、やがて雌雄が決していた。
「勝者、黄坂のガキ。これ、二本先取か? じゃあ黄坂、てめぇの負けだな」
「な、何でぇ? ……おかしいわね、ルイー。あんた仕込みとかないわよね?」
「そんなに気になるんならどうぞ。見てみれば?」
ルイのベーゴマを精査する南だが、どうやらイカサマの類はないらしい。
「……腕を上げたってことよね」
「当然でしょ。南みたいに食っちゃ寝しているばっかりじゃないのよ」
『さぁ、こっちも盛り上がってきたァ! シール対少年たち!』
「とっとと終わらせるぜ! オレのベーゴマの藻屑と消えな! ガキ共!」
「ねーちゃん、大人げねぇー! くっそ、でも強ぇー!」
子供たちとの集団戦闘であったが、最後に生き残ったのはシールのベーゴマだ。
よくよく目を凝らせばシールのベーゴマの淵にはギザギザの切れ込みが波打っている。
「し、シールさん……それってズルなんじゃ……」
「何言ってんだ、赤緒。これくらいは正当なカスタムだよ」
両兵へと審議を任せるが、彼も首肯する。
「あれくらいはイカサマにならねぇよ。まぁ、言う通り正当なカスタムだよな」
「な、納得いかない……って言うか、シールさん、大人げないんじゃ……」
「勝負に子供も大人も関係あるか? そぉーれ、ガキ共! 次もかかって来いよ!」
シールは一気に子供たちとの勝負を佳境に進めるつもりだ。
それをにこにこと見守る月子へと、赤緒はおずおずと尋ねていた。
「あの……月子さんはやらないんですか?」
「あ、うん。すぐ負けちゃうし、それにだってシールちゃんがこんなに楽しそうにしているのは見ているだけでお腹いっぱいになっちゃうもの。何だかんだでシールちゃんも日本に来てから張り詰めていたみたいだし、こういう機会を設けてくれたエルニィにはちょっと感謝もしているかもね」
「立花さんに……感謝、ですか……? でも遊んでばっかり……」
「普段のエルニィはそう見えちゃうかもしれないけれど、赤緒さんにはできるだけ、エルニィには色眼鏡なしの姿を見て欲しいかな。だって、ずっとキョムと戦ってばっかりじゃ、みんな疲れちゃうし、エルニィも気を遣っているんだと思うよ?」
「……立花さんが、他人に気を?」
『よぉーし! 今度はさつきが相手だね? ボクは手加減しないよー!』
「た、立花さん……マイク切ってくださいよ、恥ずかしい……」
「あ、忘れてた。じゃあ、両兵! 審判お願い」
「あいよ。……柊、てめぇも気ぃ張り過ぎなんじゃねぇのか? たまにはこういうのもいいんだろって思ってやれよ」
「わ、私はただ……その……」
さつきとエルニィのベーゴマがぶつかり合う。
大きく弾かれ合ったものの、ステージの上で踊る二つのベーゴマはやがて引かれ合って交錯していた。
「――それにしたって、ちょっと大人げないんじゃ……」
トーナメントの仕様上、シールとエルニィの対決が控える中で、赤緒は南から駄菓子のラーメンを差し出されていた。
「これ、安っぽいはずなのに美味しいのよねぇ。赤緒さんも、ほら。せっかくのシード権を得たんだから、勝負に備えないと」
「……いえ、でも……子供たちがこういうのはメインじゃないんですか? 立花さんもシールさんも、全力で戦うから……」
「大人げなく見える? でもそれも結構、子供たちからしてみれば全力で向かってくれる大人ってのは眩しく映るものなのよ?」
南は安っぽいラーメンをすすりつつ、戦局を眺めていた。
赤緒もまさか昼食が駄菓子になるとは想定してもいない。
しかし、既に敗退したさつきはどこか物珍しく駄菓子を見やる。それをルイが選別している形だ。
「さつき、せっかくの南の奢りなのよ。何でもじゃんじゃん買いなさい」
「いえ、でも私……駄菓子ってあまり分からなくって……」
「ノリでいいのよ、ノリで。駄菓子なんて後に残らないから面白いんだから。私はカルパスを食べるから」
「あっ、これっておつまみじゃないんですか?」
「駄菓子よ、駄菓子。南、百円」
「はいはい、ったく金がかかるんだかかからないんだか」
呆れ返る南はラムネを飲み干していた。
赤緒はラムネのビー玉を視界に入れつつ、今も戦いが繰り広げられるベーゴマ勝負を脇目にする。
「やっぱエルニィは強いなー。ねーちゃんたちの中で断トツだ」
赤緒はそれとなく、子供たちに問いかけていた。
「立花さんは、いつもこうやって勝負を?」
「うん? ああ、エルニィはおれたち相手にも全力だからなー。それが面白いんだけれど」
「手を抜かずに遊んでくれるのって何気に嬉しいもんだし、大人だからってえばらないからそんけーだよな」
「尊敬……。でも、そっか。立花さんって元々、外国に居たから……」
日本の文化にこうして馴染んでくれていることそのものが、ある意味では奇跡のようなものなのかもしれない。
「壁がないのかもね、エルニィには」
そう呟いた南は、遊びに全力になるエルニィの様子を見守っていた。
「壁、ですか……?」
「そっ、私たちが考える前に作っちゃっているようなつまんない壁を、エルニィは取っ払っているのかもね。それこそ、下手な立場だとかそういうのを抜きにして。だって、あの子は一応、IQ300の天才なのよ? あれでもね。でも、偉ぶったり、誰かに対して威厳を出したりとか、そういう道じゃなくってあの子が選んだのはあくまでも“対等な相手”なのよ。そりゃ、だって人機開発の第一人者、立花博士だもの。学会に行けば大喝采の人物でも、こんな下町の駄菓子屋じゃ、ただの女の子なんだし。お歴々の嫉妬だの何だの入り混じった拍手が欲しいんじゃなくって、こういうほんの些細な場所の、些細な幸せが、あの子の欲しいものなのかもね」
「……些細な、幸せ……」
「っと、分かった風なこと言っちゃったわ。年は取るもんじゃないわね、反省反省っと」
そう言いつつ南は駄菓子を頬張っている。
「さつき、この駄菓子は結構食べごたえがあるな」
「あっ、ヴァネットさん、こぼしていますよ」
「きなこ棒一つまともに食べられないなんて、相変わらずぶきっちょね」
メルJは当初の目的を忘れて駄菓子屋の前できなこ棒をルイとさつきと共に並んで口にしていた。