「してないわよ。それで何? つまんないことなら後回しにしてちょうだい」
「ルイってば、気が早いなぁ。そんなんじゃ、ボクがせっかく手に入れた宝物もルイには見せられないねー」
「じゃあ見せたがっている今のあんたは何よ」
「分かんないかなぁ。ルイも絶対、興味あると思うんだけれど」
「ないわよ。今は猫のお腹を撫でるのに忙しいんだから」
「えー? ホント? じゃあこれ! びっくりしたでしょ?」
エルニィが差し出してきたのは弁当箱サイズの白い筐体であった。
その独特の形状とそして一日として忘れなかったそのパッケージにルイは思わず絶句する。
「あんたまさか……例の携帯ゲーム機を……」
「そっ。買ってもらっちゃったー!」
ルンルンと機嫌のいいエルニィは箱へと頬ずりする。その様子にルイもうずうずしていた。
「……まさかそれを買ってもらうなんてね……。赤緒が許さなかったでしょう?」
「赤緒を必死に説得したんだってば! 毎日毎日、来る日も来る日も手伝いをして、ようやく購入許可をもらえたんだから、感謝してよね」
「あんたも何で自分の金で買わないのよ。自称天才だって言うんなら、口座にはたっぷりと預金があるでしょうに」
「駄目なんだってば。プライベートな預金口座は南と赤緒に抑えられちゃってるし。アンヘルとしての公的な口座には確かに? 億単位のお金があるけれどもさ? だからってそれに手を付けたらボクの信用もなくなっちゃうわけじゃん?」
「……元々ないものは上がったりしないと思うけれど」
「失礼しちゃうなぁ。これでボクは貢献者だよ? ……ま、どっちにしたってこれを購入できたのはボクの日ごろの行いって奴だもんねー。……ルイ、やりたいんでしょ? 分かるよ。同じゲーマーだもんね」
こちらの不意打ちの一手を、エルニィは軽くかわして後退する。
「おっと! 渡すと思った? ボクの苦労の証」
「……その購入権は柊神社への奉仕活動で成り立つはずよ……。私にだってその権利はある」
「えーっ。じゃあルイだって赤緒を手伝いなよー。ボクばっか損してるじゃんかぁ」
言われてしまえば確かに、携帯ゲーム機の購入権は赤緒へと何度か直談判をしているものの、赤緒の言う「ゲームは一日一時間」を管理できなくなるという理由で却下され続けてきたのだ。
「……じゃあ教えなさいよ。何をやったら、赤緒がそれを許してくれたの」
「んー、そうだなぁ……。まぁ、ボクも対戦相手が欲しいのは確かだし? ルイにも教えてあげよっか。赤緒の攻略法」
「攻略法……?」
胡乱そうにする自分へとエルニィは囁きかける。
「なぁーに、簡単だってば。まずはね……」
――台所で夕飯の支度をしていたところ、ルイがそっと顔を出したので赤緒は応じる。
「あっ、ルイさん。ちょっと待ってくださいね。もうすぐ夕飯ができあがりますので、居間で時間を潰していただければ」
「……いや、その……そうじゃないのよ」
何だかいつになくそわそわしているように感じるルイに、赤緒は首を傾げる。
「どうしたんです? お腹でも痛いんですか?」
「いや、そうじゃなくって……。私にも手伝えることがあるでしょう? 夕飯の準備。手伝ってあげるわよ」
発せられた言葉がにわかには信じられず、赤緒はルイの額へと手を伸ばす。
「熱は……ないみたいですけれど」
「失礼ね。私が手伝うって言っているんだから」
手を払われ、伊達でも酔狂でもなくそう言っているのをようやく認識してから、赤緒はせり上がってくるぞわりとした違和感に声を上げていた。
「え……えーっ! ご、五郎さん! ルイさんがおおお、お手伝いをするって……!」
「そんなに驚くこと?」
「で、でもですよ、ルイさん。落ち着いて聞いてください……。一朝一夕じゃご飯は作れるようにならないんですよ……?」
「言われなくっても分かっているわよ。炊飯器のボタンを押しておけばいいんでしょ?」
「あっ、それなら確かに……。い、いえいえっ! でも騙されません! ……何かあったんですか?」
「何もないわよ。ちょっとした気紛れ」
「えっと……柊神社のものをまた壊したとか……」
「私を誰だと思っているの? そんなつまらないことで協力なんてしないわ」
「じ、じゃあその……本当は私を担いでいるとか? カメラ……回ってないですよね……?」
こちらの狼狽に対して、五郎が微笑む。
「よいではありませんか、赤緒さん。ルイさんが手伝ってくださるんですから」
「ででで……でもでもっ! こういうのってあれじゃないですか。槍でも降るんじゃ……」
「赤緒って本当に失礼ね。……手伝うのやめようかしら」
「ああ、ルイさんってば。そんなこと言わないでくださいよぉ……」
取り成そうとする自分に割って入ったのはさつきであった。
「私も、その、五郎さんと同意見です。ルイさんが手伝おうとしてくださるんなら、無碍にすべきじゃないでしょうし」
「さ、さつきちゃんは大人だなぁ……。じゃあその……お米を洗ってもらいましょうか……?」
「何であんたが疑問形なのよ。コメを洗えばいいのよね?」
ルイが手伝い出すと言った時には心臓が飛び出すかと思ったが、いざ手伝いに入るとなると少しは大人しい。
自分の心配も杞憂だろうかと、胸をなでおろそうとしたその時、さつきがあわあわと困惑した声を出す。
「ルイさん! お米を洗剤で洗っちゃ駄目ですよ!」
「えっ、コメを洗うんでしょう? 洗剤以外でどう洗うってのよ」
「そうじゃなくって……研ぐんです」
「研ぐ……ああ、そういうこと。あいにく持ち合わせているのは人機用の合金だけだけれど」
「じゃなくって! 刃を研ぐとかそういう意味じゃなく! ……もしかしてルイさん、お米洗ったことない……?」
幸先が早速不安になる要素を持ち込まれ、赤緒はやんわりとその間に入っていた。
「お米を研ぐのはこうやってざるに上げて、それで洗うんです……。あれ? 何で不機嫌……」
ルイは目に見えてむっとしてこちらの様子を凝視する。
「……あの嘘つき。攻略法なんて言えるほど簡単じゃないじゃないの」
「ルイさん?」
「何でもないわ。とにかく、今度は私にでもできることにしてちょうだい。大体何でもできちゃうけれど」
「えっと……じゃあその、鍋を沸かしてもらえます? 沸くまで見てもらえでばいいので」
「分かったわよ。さつきも赤緒も私を舐め過ぎなのよ。これでもちゃんとカナイマじゃやってきたんだから」
少しばかり不安ではあったが、さすがに湯が沸くまで待てと言われれば待つだろうと、それぞれの持ち場に戻った赤緒とさつきは、直後に鍋が急激に噴きこぼれたのを察知して慌てて飛び込む。
「る、ルイさん? 何やってるんですか!」
「何って……沸くまで待つなんて時間の無駄でしょう? 強火にすれば……」
「駄目ー! 駄目なんですっ! お吸い物のコツは中火でゆっくり!」
慌てて噴き上がった鍋を元の火力に戻して、赤緒は嘆息をつく。
ルイは特に反省した様子もなく、今度は野菜を切っているさつきの肩を叩いていた。
「私がやるわ。野菜を切るのは大得意」
「えっと……本当ですか……?」
「任せて」
ルイに包丁を渡すのは不安であったのだろうが、手伝うと言われた手前、何でもかんでも断るわけにもいくまい。
包丁を握ったルイは平手で野菜を抑えて大上段に包丁を構えたところで、二人してストップをかけていた。
「ルイさんっ! 駄目ですってば! 包丁は猫の手!」
「それに、そんなに振りかぶったら危ないですよ!」
ルイは包丁を取り上げられて台所を見渡す。
「……じゃあ何が私にできるって言うの?」
「えっと……配膳とか……?」
「それじゃ手伝ったうちに入れてくれないでしょ。もっと重要なことはないの?」
どうしてなのだか手伝いたがっているルイの厚意を無碍に扱うことはできない。
しかし、台所関係でルイにできることはまるでないような気がしてならなかった。
「えっとですね……大人しく居間で待っていただければ……」
自分の言葉が逆鱗に触れたのだろう。
ルイはぷいっと視線を背ける。
「知らない。あんたたち覚えてなさいよ」
何だかよく分からないところで恨みを買った感覚に、さつきと二人して肩を震わせる。
「な……何でなんでしょう……。怒られることやったつもりはないのになぁ……」
「まぁまぁ。赤緒さんもさつきさんも、ルイさんはちょっと不器用なだけですから」
フォローに回る五郎に、ちょっと? と二人とも疑問符を浮かべながら、赤緒は考えを巡らせる。
「でも、何で急に手伝い? ……よく分かんないんですけれど……」
「――自称天才。他の攻略法を教えなさい」
がっと部屋の扉を開いて押し入ってきたルイに、エルニィはなるほど、と得心の笑みを浮かべる。
「やっぱ駄目だったかぁ」
「やっぱって……あんた分かっていて言ったわね?」
「誤解があるなぁ。ボクはこれでも必死に手伝いをしたんだよ? お陰で、こいつが手に入ったわけだし」
エルニィはわざとらしく携帯ゲーム機を掲げて誇示するので、ルイはむかっ腹が立つのを感じつつ、冷静に尋ねていた。
「……台所関係は私には向いていないのよ。他のならできるわ」
「えーっ、ルイってばワガママだなぁ。じゃあ、これ。今度こそ攻略法だから」
「……本当よね? 当てにならないことを言って私を煙に巻こうとしてない?」
「心外だなぁ。ボクはこれでもきっちりノルマをこなしたから、こうして褒賞があるわけだよ? 当たり前じゃんか」
「……確かにあのどケチでオカン気質の赤緒があんたに携帯ゲーム機の購入を許したくらいだものね。何かしらやったのは間違いないと思うわ」
「でしょー? だったら、疑わずにゴー! だってば。それとも、ボクの言う赤緒の攻略法、信用できない?」
「……根本じゃ信用ならないけれど、同じゲーマーのよしみだものね。少しは信じるわ」
「言うじゃん。だったら、今度はルイにとっては辛いことかもなー」
そう言って攻略法をエルニィは述べるのだった。
「――うぅー……眠いなぁ。けれど、毎日やらないとゴミが増える一方だし」
早朝の柊神社の境内で、まだ涼しい時間帯に箒を構えた赤緒は生あくびを噛み殺していた。
「ふわぁぁ……今日も一日――」
「頑張りましょうか」
「うわっ!」
その言葉の穂を継いだ思わぬ人物に赤緒は驚嘆して後ずさる。
「る、ルイさん……?」
「毎朝掃除しているんでしょう? 境内を」
「そ、それはそうですけれど……何か?」
「私も手伝うわ。あんたばっかりやっているのも……不平等でしょ」
完全に想定外の言葉に赤緒は硬直する。
「えっと……今なんて仰いました? 手伝うって聞こえましたけれど……」
「そう言ったのよ。何度も言わせないで。本当、赤緒ってぐずなんだから」
「うぅー……そんなハッキリ言わないでもいいのに……」
とは言え、赤緒は少し考えてしまう。
ルイが昨日今日と手伝いたがる理由が不明のままで、暫し呻っている間に、彼女は箒を手にしていた。
「葉っぱとかを搔き集めればいいんでしょ。楽勝よ」
「あ、そうですね、確かに……。台所仕事に比べれば……」
こちらの言葉振りに、ルイが胡乱そうにする。
「言っておくけれど、昨日の台所のことは本気じゃなかったんだからね。私が本気を出せば、さつきも赤緒も目を回すわ」
「そ、そうですか……?」
「そうよ。掃除なら、カナイマで何度か経験が……」
箒をかけ始めるルイであったが、赤緒からしてみればその手つきは危うい。
「あ、ルイさん。竹箒なのでコツが要るんですよ。力の方向性を間違っちゃうと――」
言い切る前に、竹箒を盛大に転がし、せっかく集めた葉っぱが舞い上がってしまう。
どうやらルイは力に任せた掃除をしようとしていた様子だが、それでは境内の掃除はいつまで経っても終わらないだろう。
赤緒はルイの隣で竹箒をしっかりと握って教鞭を振るう。
「えっとですね……ちょっとコツがありまして……」
「……眠い……」
「へっ……? ルイさん?」
ふわぁ、と欠伸を噛み殺したルイは今にも眠りに落ちそうであった。
「えっと、お手伝いしてくださるんですよね?」
「……こんなに眠いなんて聞いてない」
「ま、まぁまぁ! 掃除をすれば少しは目が冴えますよ! で、竹箒の使い方ですけれど……」
「ちょっと寝てくるわ」
「えっ……ちょっと、ルイさん……」
こっちが制止する前に、その背中を猫のように丸まらせて、居間で寝っ転がったルイに、赤緒は肩を揺する。
「ルイさん? ルイさんってばー!」
寝息を立て始めたルイに、これは駄目だと赤緒は一人で竹箒で掃除を再開していた。
「でも……何でルイさん、急にお手伝いする気なんて? 分かんないなぁ……」
「――で、また失敗したと。ルイ、ほっぺに寝癖ついてるよ」
むすっとしてエルニィの下に現れると、頬を指摘されたのでルイは無理やり拭う。
「……自称天才。あんた、攻略法とか言って私を馬鹿にしているんじゃないでしょうね……?」
「してないってば! これが何よりの証でしょ?」
携帯ゲーム機をずっとプレイしているのだろう。エルニィは明らかに寝不足の様子であった。
「……あんた、天才なんでしょう? 何で他人の作ったたかが知れている携帯ゲームで徹夜なんてするのよ」
「そりゃー、ルイ。ボクはプレイヤーであってクリエイターじゃないから。まぁ、違いなんて些末なもののような気もするけれど、言っちゃえばそこに集約されちゃうし。だからプログラムでは理解できていても、プレイするのはまた違うって言うかさ」
「……何でもいいわ。次の攻略法も聞くだけ無駄そうね」
「待ちなってば。決め手になった攻略法、聞きたくない?」
こういう論法の時のエルニィは他人を転がすのが趣味になっている節があるのは理解できつつも、ルイはそれに乗ることでしか携帯ゲーム機の購入権を得ることはできないのだ。
「……教えなさい」
「態度がなー。教えてもらう側じゃないって言うかー」
「……攻略法なんでしょうね? 今度こそ」
「そりゃもちろん。赤緒なんて一発だよ」
「……なら最初からそれを教えてくれればよかったんじゃないの」
「ルイも急ぐなぁ。ゲームと同じ。最初からラスボス倒せて楽しい?」
「それは……違うと思うけれど……」
「でしょー? 今度こそとっておき。ルイも学校行ってるんだから、赤緒にとっては見逃せない要素のはずだし」
「……さっさと教えなさい。それが重要だって言うのならば余計にね」
「いいけれど、ルイって勉強得意だっけ?」
「……何でそんなことを聞くの」
「いや、不得意なほうが効果あるからさ。どうだっけ?」
「……体育は五段階評価で5よ」
「……なるほどね。それ以外はてんで、か」
「……で、何が必要だって言うの?」
「まぁまぁ。まずは謙虚さだね。それから――」
「――今日の勉強も終わりー……この辺で寝ないと、明日起きられなくなっちゃう……」
ペンを置いて宿題を収めようとしたその時、扉をノックする音が耳朶を打つ。
「はいはーい。誰ですかーって……ルイさん?」
ルイはじとっとした視線でこちらを睨んでくる。
何かしてしまっただろうかとうろたえた赤緒に、差し出されたのは教科書であった。