「大丈夫よ。三振で打ち取るから」
「いや、そういう問題でもなく……って言うか、人数揃っていないんですね」
キャッチャーにシール、審判に月子がついているだけで、守備に入っている人間が居ないのは単純に人数不足であった。
「仕方ねぇだろー。野球をやりたいって言い出したのはエルニィなんだからよ」
シールの言葉に赤緒はじとっとエルニィに視線を移す。
「……立花さん?」
「ボクは気晴らしにバッターをやりたいって言っただけだし」
「じゃあバッティングセンターに行ってくださいよ」
「今月のゲーム買っちゃったからお金ないもんねぇ……。アナログな遊びでもいいじゃんか。それに赤緒が口酸っぱくして言ってることでしょー。ゲームは一日一時間って」
「それはそうですけれど……。だからって境内で野球やらなくっても……。ボールが飛び込んで来たらどうするんです?」
「大丈夫だって。ボク、バッティングには自信あるから」
「行くわよ、自称天才。このまま……三振で打ち取るわ」
「やってみなよ。ルイの球なんて思いっきり打ってやるんだから」
自信満々なホームラン宣言にルイはむっとしてシールの指示に首を振る。
赤緒は軒先で同じようにじっと眺めているさつきに声をかけていた。
「さつきちゃんは……やらないんだ?」
「あ、私、野球って得意じゃなくって……。それに人数も足りないですし」
「それもそうだよね……。と言うか、いいのかなぁ……。人機の整備やら何やら放り出して野球なんて」
「少しくらいは息抜きになるんじゃないですか? ……まぁ私として見ればルイさんが宿題を放り出してピッチャーをやるって言ってのけちゃったので、困ってるんですけれど……」
曖昧に笑うさつきに赤緒は居間に置かれている宿題の数々に一瞥をくれていた。
なるほど、宿題から逃れるために野球に乗ったと言うわけか。
「……相変わらずなんだからなぁ、ルイさん」
ルイが指示に頷き、大きく振りかぶる。
直後に投げられたのはシンカーだが、エルニィはそれを見切っていた。
「嘗めないでよね……これでもIQ300の天才! その変化球、見切った!」
カツン、と小気味いい音が響き渡り、球は見事に柊神社のほうへと弧を描いて飛んでいく。
「あー……これ、ホームランなんじゃ――」
そこまで口にしたところで、何かが割れる音が耳朶を打っていた。
走り込もうとしていたエルニィが硬直し、赤緒は肩をびくつかせる。
「何の音……?」
大慌てで向かった先にあったのは、立派な枝葉をつける盆栽であった。
その器が真っ二つに割れており、傍にはボールが転がっている。
「な……何それ。盆栽……?」
追いついてきたエルニィに赤緒は困惑顔を浮かべていた。
「立花さん……物を壊しちゃ駄目ですよ……」
「ご、誤解じゃない? だってホラ! 元々割れていたとか……」
「このボールが動かぬ証拠じゃないですか。立花さんのホームランが割ったんですよ」
ボールに触れようとした瞬間、待った! の声がかかる。
「現場保存だよ、現場保存。もしかしたら、本当に、ボクのホームランのせいじゃないのかも……」
その言い草には赤緒も呆れ返ってしまう。
「……立花さん。逃げ口上は見苦しいですよ」
「分かんないじゃんか。そもそも……さ。この盆栽って誰の?」
そう尋ねられてしまえば、柊神社にそもそも盆栽などあったか、という疑問に行き当たる。
「……誰のって……五郎さん、かなぁ……」
「五郎さん、盆栽なんてしてるの? 多趣味と言うか、何と言うか」
改まって尋ねられると自信はない。しかし五郎くらいしか赤緒には思い浮かばなかった。
「じゃあ、誰のだって言うんですか? 私たちの中じゃ、ないですよね?」
「あの人じゃない? ウリマンの回し者」
ルイの意見にさつきがああ、と得心する。
「友次さんでしたっけ? 確かにあの人なら、盆栽をやっていてもおかしくないかもしれませんし……」
「友次さんの? じゃあよっぽどまずくねぇか? あの人、昼行灯気取ってるが、身につけているもんは高ぇぞ?」
シールの意見にエルニィは慌てて取り成していた。
「ま、待って! 待ってってば! 友次さんの盆栽? ……ボクのホームランで割っちゃったって言いたいの?」
「実際、そうじゃないですか。やっぱり、境内で野球なんてするから……」
「ちょっとタンマ。そもそも、さ。本当にボクが盆栽を割ったかどうかはさておき、何でこんなところに盆栽があるのさ。柊神社って何でもありなの?」
「そう言われましても……。まぁ何でもありかと言われると……」
「それは赤緒の責任問題になって来るよね? ……まぁ、メルJが射撃訓練してるんだから、何でもありっちゃありなんだろうけれど、それにしたってさ。こんなところに盆栽が置いてあるなんて誰も想像しないでしょ」
「……それって、自分を正当化したいだけなんじゃ……」
「冷静に聞きなってば。盆栽なんて、そんなちょっと老人めいた趣味、なかなかないでしょ? 仮に友次さんの趣味だったとして、一個ってのもおかしくない?」
確かに言われてみれば盆栽は他にたくさんあるというわけではなく、この一個きりだ。
「……それはたまたまなんじゃ?」
「おかしな話じゃない? たまたまたった一個の盆栽にボクのホームランが突き刺さって割れちゃうなんて。なかなかお目に掛かれない確率だよ?」
「……あの、何を仰りたいんですか……」
「要は、さ。そんな偶然、起こりっこないわけ。そんな滅茶苦茶な確率の偶然が起こる事実よりも、そもそも盆栽なんてなかったって考えるほうが確実だと思うな」
エルニィの言わんとしていることは、つまり――。
「……えっと、自分が割ったのになかったことにしたいってことですか?」
「言い方悪いなぁ。もっと言っちゃうと、こんだけの人数が居たのに、止められなかったほうにも責任はない?」
相変わらず論法をすり替えるのだけは得意な様子であったが、しかし割れているものをなかったことにはできないだろう。
「……それは無理がありますよ、立花さん。だってみんな証人じゃないですか」
「同時に、これだけ居たのに、何で誰も止めなかったんだってのもあるけれどね」
どうやらエルニィは何としても不都合な事実を揉み消したいらしい。
赤緒はふと、盆栽の土の中に混じった器の欠片を拾い上げていた。
「これ……陶器じゃないですか? 結構お高いんじゃ……」
「盆栽ってかかった手間だとか、そもそもお値段の張る盆栽もあるって聞いたことがあります」
さつきの言葉にエルニィの顔から血の気が引いていく。
「えっ……盆栽ってただの園芸趣味じゃないの?」
「えっと……物によりますけれど、私が旅館で見たのは、一個四十万円とかの盆栽もあって……」
「四十万円? ……えーっと、嘘とか冗談の類じゃなく?」
「ええ、本当に。それと樹齢とかで決まるらしくって、この樹木はもしかしたら相当高いのかも……」
あわあわとたかが盆栽と舐めていたエルニィは赤緒へと助けを求める。
「さ、さすがに四十万円とか無理だってば! 赤緒、どうにかしてよ!」
「ど、どうにかって……! 立花さんのやったことじゃないですか」
肩を揺さぶってエルニィは必死に弁明する。
「悪気はなかったんだってば! ……それに四十万円なんて、ボクの個人的な口座じゃ何年かかるのか分からないじゃんかぁ!」
「それはそうよね。ゲーム一本買うのにも四苦八苦しているのに、盆栽の弁償まで言い出したらあんたは破滅よ」
澄ました様子のルイに、エルニィはむすっとする。
「ルイだって、全く責任がないとは言えないんじゃない? ピッチャーだったし」
「失礼ね。私はボールを投げただけで、打ったのはあんたでしょ? 私に責任はないわ」
「言うなぁ……。じゃあ、シールとツッキー。誰が悪いと思う?」
唐突に問いかけられて月子はまごつく。
「えっと……でも私もエルニィを止めなかったのは事実だし……誰が悪いって言い出したら、それはみんなかな……」
思わぬ事態に赤緒は声を発していた。
「え……いやいや! 私も見ていただけですし! 立花さんがやっぱり、割っちゃったのがいけないんじゃ……」
「赤緒ってば、こういう時にも助けちゃくれないんだねー。人柄が出るなぁ」
つんとしたエルニィに、赤緒はむぅとこの事態を解決するべく考えを巡らせる。
「じ、じゃあどうするんですか……。誰のか分からないですけれど、盆栽をその……弁償とか?」
「誰か一人のせいにするのはよくないよ。やっぱりこういうのは連帯責任じゃないと」
それをエルニィ本人が言ってしまえるのが太いところだなと思いつつ、赤緒は思案していた。
「うーん……じゃあその、謝る練習をしましょうか。責任が全くないと言えば、確かに嘘になっちゃいますし……」
何だかうまいことエルニィのペースに乗せられた気もするが、それでも誰かがこの盆栽の責任を取らなければいけないのだろう。
「ボンドでくっ付けちまえば分からねぇんじゃねぇの? 月子ー、持って来いよ」
「だ、駄目だよ、シールちゃん……! そういう、その場凌ぎの誤魔化しはどうせ効かないんだから……」
「ちぇーっ、じゃあどうするんだよ、これ。四十万なんだろ?」
全員で盆栽を囲みつつ、渋面を突き合わせる。
「えっと……似たような陶器を買ってくるとか……?」
「今から? 現実的じゃないよ、それ」
せっかく出した意見を却下され、さつきがしゅんとする。
「そもそも、なかったことにしちゃ、いけないと思います。こういうのは真面目に、素直に謝罪しないと」
「とは言ってもなー。四十万でしょ? どうするの、そのお金」
「うっ……し、仕方ありません……。足りない分は柊神社のお金から捻出して……」
「それでも足りないんじゃない? こういうの、結局は割られた側の気持ちなんだから。四十万で済めばいいけれど」
ルイの冷静な言葉に、確かにその通りだと思い返す。
お金で解決したところで、相手からしてみればしこりが残るだろう。
「……そもそも、友次さんっていつの間にか居ますけれど、柊神社で寝泊まりしていないですよね?」
「言ったでしょ。ウリマンの管轄の人間だって。……私が居たのはカナイマアンヘルだから、軍との繋がりもあるウリマンの人間はそもそも信用してないのよ」
「えっと……じゃあその、友次さんに正面切って謝る方法はなかなかないってことですか?」
問いかけにルイは考えを浮かべる。
「そうね……。正面切って謝ったところで許してもらえるかどうかはともかく、盆栽は完全に趣味の代物でしょうから、どう謝るかにもよるでしょうね」
「それにしても友次さんの盆栽かぁ……。何だか老人くさいけれど」
赤緒は頭の中にパチンパチンと盆栽を剪定している友次を思い浮かべる。
確かに、そこまで隠居するような人間には見えなかったのだが。
「盆栽一つって言っても、それだけ愛情を込めていたんなら、謝るしかねぇよなぁ……」
「……こういう時にジャパンだとあれでしょ? ハラキリとかあるんじゃ?」
「は、ハラキリ……? そこまでですか?」
エルニィはテレビで得た謝罪方法を次々と並べ立てる。
「あとは……ジャパニーズ土下座かな? 頭を丸めるだとかもあったよね?」
「……それをやるのは誰なんですか」
エルニィはこちらの視線から顔を逸らして口笛を吹き、話題を変える。
「いや、でもさ。個人の所有物なんだから、やっぱり誠意ある謝罪だよ、謝罪」
「うーん……こういう時には菓子折りとかもありますよね」
「カシオリ? 何それ?」
小首を傾げたエルニィにさつきは説明する。
「ちょっとお高いお菓子の詰め合わせみたいなので謝罪の意を示すというのがあって……でもお財布次第な部分もありますから」
「値が張るって言っても四十万円じゃないでしょ? ……よし、こうなったら各々、考え得る謝罪の方法で何とか乗り切ろう!」
「言っておくけれど、実行犯はあんただってことはみんな分かってるんだからね」
ルイに言い含められ、エルニィは硬直する。
「……うーん……こうなったら、仕方ない。ボクも覚悟を決めよう」
「でも、本当に友次さんの盆栽なんでしょうか?」
さつきの疑念に全員が目線を交わす。
「でも、柊神社で他にこういう趣味の人間なんて……」
「居ない……ですよね……」
どこか承服し切れないものを感じていたが、それでもここはそれぞれの謝罪方式で誠意を見せるべきであろう。
「……よし、こうなったら全員で謝罪だ。誰か一人くらいは心に響く謝罪があるでしょ」
「……そもそも立花さんが境内で野球なんてしなければ、こんなことにはならなかった話ですけれど」
「なにー? 赤緒。まだ細かいこと言っちゃって。赤緒の管理責任だってあるでしょ?」
どうやらエルニィ自身は主犯格として謝る気は薄いようなので、赤緒は嘆息をついていた。
「……分かりました。じゃあみんなで謝りましょう。友次さんだって、全員で謝れば少しは誠意を分かってくださるでしょうし」
「そうと決まれば、三時間後にここに集合ね。赤緒の謝罪、楽しみにしているから」
各々解散し、赤緒は台所の財布の口を開けて、賠償金額を考える。
「……でも、本当に友次さんの? 盆栽なんて……誰がやっているのかなんて想像もつかないし」
「――持ち寄ったね? みんな」
ぴったり三時間後に柊神社に全員が集まったことだけは評価できるだろう。