JINKI200 南米戦線 第三話 「脅威と抵抗と」

 空気の壁を打ち破った砲弾が《ゴルシル・ハドゥ》の機体を打ち据えていた。

 これまで冷静に事の次第を見据えていた軍高官にとっての、初めてのイレギュラーに、周囲を見渡す。

「何奴……!」

 その問いに応じるかのように、二発目の砲弾が《ゴルシル・ハドゥ》の片腕を付け根から弾き飛ばしていた。

 自由になった《ナナツーウェイ》が飛翔し、不明な砲撃へと身構える。

『……これは……援軍……?』

「馬鹿な! カナイマアンヘルの統合はわたしに任されたはず……! 援軍など来るはずが……!」

「中佐! この砲撃は超長距離砲撃です! 今すぐに避難を……!」

 部下たちが喚き散らす頃には、既に三発目が食い込んでいる。

《ゴルシル・ハドゥ》が《トウジャCX》を抑えていた腕を払い、周辺警戒に移っていた。

「……あり得ん、あり得んはずだ……。今のアンヘルは孤立しているという情報が確かに……」

『その情報、少し古いのでは?』

 無線通信を震わせたのは男の声であった。

「どこからだ!」

「不明です! しかし……ジャミングの周波数が……!」

『いやー、中佐殿。あなたもお人が悪い。疲弊し切ったカナイマをここで封殺する、確かに戦法としては上々ですが、それは外道と言うものでしてね』

「な、何者だ……! 名乗れッ!」

『名乗るほどのものじゃあ、ございませんよ。旧知の友人の意志を次いだだけの、つまらない名無し……ははぁ、ではこれより“友次”とでも名乗らせて貰いましょうか』

「トモツグだと……! ふざけた名前を……! 周辺に機影は!」

「機影、一……ですが、これは……」

「報告しろ! 《ゴルシル・ハドゥ》にこれ以上の損耗は……!」

「で、では……たった一機、超長距離射撃装備の……黒いナナツーを目視で検知!」

「黒い……ナナツー……!」

 深いジャングルの木々の向こうで息を殺しているであろう狩人の存在に軍高官が絶句したその時には、通信網を男の声が震わせている。

『申し訳ありませんが中佐殿。あなたのつまらない野望はここでお終いにさせていただきますよ。彼らはまだ生き残るべきなんですからね』

「……ほ、ほざけ……貴様ぁ……ッ!」

 直後、砲撃がここまで来るのに使った輸送ヘリを射抜いていた。

 迷いのない砲撃は本物だ。

 ――本物の、狩人だ。

 軍高官はその衝撃波で吹き飛ばされ、装束を泥に塗れさせながら必死にもがこうとする。

「こ、こんなところで……わたしは黒将の部下だぞ……! 八将陣へと、命令することを、許されて……!」

『その認識が甘いって言っているんです。まぁ、あなたは欠けてもいいパーツなのでしょう。では、ごゆるりと』

 その言葉が全ての断絶のように放たれた瞬間、意識は爆撃の向こう側に消し去られていた。

「――何、が……」

 起こったのか。

 それを解する術はアーケイドにはない。

 ただ、目の前で粉みじんに爆発した軍高官の手首から先だけが煤けた大地に転がっていた。

 彼が居た証明は、もうない。

 アーケイドは《ゴルシル・ハドゥ》へと懇願するように視線を上げていた。

 しかし、その頼みの綱である《ゴルシル・ハドゥ》も何発か砲弾を食らってほとんど停止状態に陥りつつある。

「私は……私だけでも……!」

 再び、劈くような甲高い砲撃音。

《ゴルシル・ハドゥ》はこの場からの撤退を余儀なくされていた。

 そうでなくとも、上官である軍高官を欠いた今となっては、八将陣がここに出張り続ける意味はない。

 アーケイドは一転して、アンヘルの人機がこちらを見下ろす情勢に立たされていた。

『……おい、こいつ……』

「ひぃ……っ!」

 短い悲鳴を上げてアーケイドは地を這いつくばる。

 こんなことがあっていいのだろうか。

 こんな地獄があっていいのだろうか。

 自分は地位も名誉も、全て持っていた。

 持っていたはずなのだ。

 持たざる者たちを先導し、その果てに栄光を得るはずだったのに。

「何でぇ……っ! 人機を操れた……! なのに、何でこの私がぁ……っ」

 その道を遮ったのは空戦仕様の《ナナツーウェイ》であった。

 槍持つ機体が静かな怨嗟を携えて、自分を見下ろす。

 その眼差しに絶対者の風格を漂わせて。

 だがそれは、自分が持つはずだったものだ。

 断じて、アンヘルの連中より注がれるものであったはずがない。

「何で……何で、何で……! 私は……アーケイド少尉だぞぉ……っ!」

『誰だろうと知ったこっちゃいないわよ。ここでとどめ――!』

《ナナツーウェイ》が槍を振り上げたその瞬間、アーケイドは死を予感していた。

 想定よりも潔い死になるだろうか、などと考えが脳裏を掠めた瞬間、光が――降り立っていた。

 比喩ではなくまさしく、光り輝く柱が天地を縫い止める。

「……ああ、神様ぁ……」

 祈った。

 ガラにもなく十字を切った。

 神などこの世に祈るに足らない存在だと分かっていたはずなのに、この時ばかりは、その存在を誰よりも雄弁に感じ取っていた。

 神は形を取る。

 ――鋼鉄の巨神の姿かたちを。

「……人機……?」

 真紅の痩躯であったが、その立ち振る舞いは間違いない。

『何者……? この光は……!』

『これはシャンデリアの光。まだ試作段階だけれど通用してよかったわ』

 女の声であった。

 女神なのか、と傅いた自分へと、真紅の巨神の駆り手は《ナナツーウェイ》と向かい合う。

 相手の判断はあまりに迅速だ。

 槍の穂を突き上げ、血塊炉を一撃――そうだと規定した動きの鮮やかさを、真紅の人機は撫でるようにその手でいなし、返す刀の刃を叩き込んでいる。

 手甲と同化した剣は何よりも鋭い。

『……あんた、八将陣ね』

『八将陣? おいおい! この場に二人も八将陣が来たってのか……!』

 滑り落ちていく人機操主たちの通信網を聞き留めつつ、アーケイドは膝を折って祈りを捧げていた。

 どうか、どうか、と――。

「まだ……死にたくない……」

『そう。それがあなたの答えね』

 真紅の機体がマニピュレーターを伸ばす。

『させねぇ!』

《トウジャCX》と《ナナツーウェイ》が同時に駆け出してそれを阻止せんとする。

 二機共にファントムの域に到達している操主だ。

 自分は消し炭になるであろうと感覚していたアーケイドは、二機を凌駕する速度で圧倒してみせた機体の挙動に瞠目する。

『悪いわね。ここで負けるほど、落ちぶれちゃいないのよ。私も、《CO・シャパール》もね』

「《CO・シャパール》……」

『この子の名前よ。さて、うまい具合に絡みついてくれたかしら?』

 視界の中ではいつの間に放ったのか、機体に内蔵されていた電磁鞭が《トウジャCX》と《ナナツーウェイ》を拘束している。

『言うまでもないけれど、今の私なら二機の血塊炉を狙ってダウンさせられる』

《CO・シャパール》の操主の神託のような声を聞きながらアーケイドはその瞳から涙を溢れさせていた。

『……私たちのほうが速いと言えば?』

『それは認識の差じゃないかしら? それに、強い操主なら自ずと分かるでしょう?』

 二機が後退していく。

《CO・シャパール》の電磁鞭は離脱領域になるまで解かれない。

『……交渉ってわけ。汚いやり口は相変わらずそっちの領分って感じね』

『どうとでも。今は生き残ることが先決よ。マージャ、その機体じゃ頭打ちが来る。シャンデリアの光の有効射程なら回収してあげられるわ』

《ゴルシル・ハドゥ》がその声を聞いて光の柱の射程へと歩み寄ってくる。

『そうそう、いい子ね。それにしたって、あなたたち、なかなかの操主じゃない。《モリビト2号》の追撃が私の目的だったんだけれど、これじゃ少し無理がありそうね。今は撤退させてもらうわ』

『させると思っているの』

『そうだぜ! 八将陣をここで逃がす意味はねぇ!』

『……何か、勘違いをしていないかしら? 逃げるじゃないの、これは戦略的撤退よ』

 光が集束していく。

 次の瞬間には光の柱が細分化され、一瞬のうちに距離を飛び越えていた。

 アーケイドは《CO・シャパール》の手の中で呼気を詰める。

「こ、ここは……」

『八将陣のためのコロニー、と言ったところかしらね。あなた、配属されていた操主のはず。確か、アーケイド少尉』

 コックピットが開く。《CO・シャパール》の操主は本人も紅が似合う眉目秀麗な女性であった。

「……女性操主……」

「あら? あなたも女でしょう? それとも、なのかしらね?」

 相手が翳したのはアルファーであった。

 しかし、自分には全く反応しない。

「……血続ではない、か。それでも、回収しなければあそこで無用に死んでいたことになる」

「死んで……い、いや! 私は死んでなんて……!」

「直属の軍高官が砲撃で塵も残らずに殺されてもまだのたまえる?」

 その声に貫かれたように動けなくなっていた。

 顔の筋一つでさえも自由ではない。

「理解が早い子は好きよ。私はジュリ。八将陣の一人」

「八将陣……それは確か、黒将が進めていた独自の戦力で……」

「あら、基礎知識くらいはあるのね。なら、八将陣が生き延びている意味、分かるでしょう?」

 まさか、とアーケイドは目を戦慄かせる。

「黒将が……負けた?」

「正確にはその生存反応が限りなくゼロにロストされた、とも言うべきなのでしょうけれど。元々、黒将は揺らぐ蜃気楼のようなもの。人界の存在が掴もうとしても、それは叶わぬ幻」

「だ、だが……誰が黒将を……まさか、《モリビト2号》が帰還したのは……」

 忘れるわけもない。

 あの少女操主だ。

 彼女が黒将を――自分たちの希望を挫いたのだ。

「……モリビトが憎い?」

 問われて、アーケイドは頬を爪で引っ掻いていた。血が滲み上がり、爪が皮膚に食い込む。

「……憎、い……私から全てを奪った……! モリビトは一機残らず殲滅する……!」

「そう、いい子」

 ジュリは不意に視線を合わせて来たかと思うと、そっと自分の唇を奪っていた。

 その流麗ささえも、見惚れるほどの。

「ちょうど数埋めが必要だったのよね。あなた、八将陣に興味はない?」

「私、が……?」

「別に飛躍した勧誘でもないでしょう? 人機の操主であるのなら、資格はある」

「八将陣に……しかし八将陣は滅びたはず……」

「滅んじゃいない。まだ、黒将は生きている」

 先ほどの言葉とは正反対の回答に、アーケイドはうろたえていた。

「わ、わけが分からない……! 黒将は死んだのだと……!」

「生命波長がゼロに近い値になっただけよ。まだ、私たちの黒将は死んじゃいない。少し時間はかかるかもしれないけれど、そうね。二年、三年ほどすれば彼の思念エネルギーである“黒い波動”は完成を見るでしょう。その時に、この世の勝利者の視点が欲しくないか、と聞いているのよ」

「黒い波動……? 一体何を……何をしようとしているんだ……!」

「この世の全てを。盤面からひっくり返す。どうせなら、壊される側じゃなく、世界を壊す側に居たいと思わない? それがどんな形であったとしても」

 それは甘美なる闇への誘惑であった。

 アーケイドはその耳触りの良さに、自分の理性を手離すのに時間はかからなかった。

 ジュリの指先が服の内側に潜り込む。

 愛撫するその手先から伝わる熱に浮かされたように、アーケイドは熱い吐息を漏らしていた。

「――この世界を破壊する軍勢に。歓迎するわ、八将陣、アーケイド」

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