JINKI 200 南米戦線 第九話 「誕生、黒髪のヴァルキリー」

「オイ! 待てって! ……ったく、身勝手な奴……!」

 桜花は地上へと向けて階段を駆け上がり、シェルターの隔壁を抜けて直上に出たところで座り込んでいた。

 地下シェルターがあるとは相手に気取らせないために、廃ビルが無数に乱立する都市の森で、両兵は桜花の隣へと歩み出す。

「……戻れよ。ここじゃ危ないだろうが」

「……いい。戻らない」

「アホ抜かせ。てめぇだって操主だろ。勝手に抜け出して死んじまわれたら寝覚めが悪い連中ばっかだ。とっとと帰んぞ、霜月」

 その手を引こうとして、両兵は逆に袖を握り返されたのを感じ、足を止める。

「……お兄ちゃん、守れなかったって……」

 桜花は座り込んで面を伏せている。両兵は致し方なしにその場で腰を下ろしていた。

「……てめぇの兄貴ってどんな奴だったんだ? てめぇに似て、無鉄砲だったのか?」

「……本当のお兄ちゃんじゃないの。ここに来た時に、私に人機の乗り方を教えてくれたから、お兄ちゃんって呼んでいただけで」

 どこかそれは――自分と青葉の関係性にも似たものを感じていた。

「……そうか。だがこのカラカスじゃ、生き死になんざ日常茶飯事だ。こういうことが起きるってことくらい、予想できなかったわけじゃねぇだろ」

「……それくらい分かってる。リョーヘイに言われるまでもないくらいに」

「……じゃあ何で……」

「分かんないの!」

 顔を上げた桜花は涙で濡れた頬でしゃくり上げる。

 両兵はその少女の面持ちに何も言えなくなっていた。

「……分かんない、分かんないよぉ……っ! これくらい、覚悟できてた、ちょっとくらい想像できていたはずなのに……! 何で! 何でこんなに苦しいの! 何でこんなに……辛い気持ちになるのぉ……っ」

「霜月……」

「……リョーヘイに迷惑かけるつもりはないから、今はそっとしておいて」

「……さっきオレの袖握ったのはてめぇだろうが。どっちなんだよ、そっとしておいて欲しいのか、ここに居ていいのか」

「分かんない。それがズルいんだってば、リョーヘイは」

「……そうかよ。じゃあこっちも勝手にやらせてもらうぜ」

 夜空を仰ぐ。

 満天の星空はしかし、いつ引き裂かれてもおかしくない脆い代物だ。

 掴めそうな星々はこの地上において安全な保障にはならない。

 この地は見離され、そしていずれ何もかもを消し去る脅威が降り立つのを待つばかり。

「……霜月。本当に強い奴ってのはな、どうやら人機に愛されているもんなんだと」

「……何、急に」

「オレは逆だ。人機に呪われているみてぇなもんなのさ。力に呑まれて取り返しのつかないこともやっちまった。……あの時の自分をぶん殴っても、どうしようもねぇだろうが、それでもオレは、愛した女一人を手にかけちまうところだった……」

 骨が浮くまで拳を握り締める。

 命の力――エクステンドの力に呑まれた自分は青葉を殺そうとした。

 それこそが正しい力の在り方なのだと信じて。

 だが、そうではない。

 そうではなかったのだ。

 青葉はそれを、力ではなく愛で示した。

 罪深い自分ごと抱き締めるような愛で――。

「……リョーヘイは後悔しているの」

「ああ、随分と遅い後悔だが、それでも、な。もしかしたら力の扱い方一つなのかもしれねぇ。人機に愛されるも、呪われるも、全てな。オレは呪いを受けた。だが、この世にゃ人機に愛される側の人間だって居ていいはずだ。……霜月、お前はどうなんだ? 人機が好きか?」

 唐突に問い返したからだろう。桜花は戸惑っているようであった。

「……わ、分かんない。分かんないよ、そんなの……。でも、この戦場に参戦してからはずっと、私は人機を、自分の道具としてしか思ってなかった。愛するだの、呪うだのそういうのとは違うって……」

「だがよ、てめぇの兄貴とやらは少しは人機を愛していたから、てめぇを乗せてもいいと思えたんじゃねぇのか? こんな場所、地獄の淵みたいなもんだ。そんな、死にに行くような土地で、お前みたいなのを人機に乗せるのは、それは希望以外の何かじゃねぇとは言わせねぇよ」

「希望……お兄ちゃんは、私に希望を……」

「おう。第一、エースなんだろ? だったら、こういう時にビビってんじゃねぇ。エースってのはどんと構えてるもんだ。お前が恐れれば、それは人機に伝わる。人機がビビれば撃墜だ。もう後はねぇ」

「……それでも、リョーヘイは戦えるの……?」

「……オレにゃもう、それしかねぇからな。呪われちまったもんは、仕方がねぇ。恐れも何もかも、オレは飲み込んで生きていくしかねぇンだ」

 寝そべって両兵は星々に手を伸ばす。

 届きそうなほどの星屑は、しかしこの時ほど遠いこともなかった。

 ――ここは地獄の片隅。

 闇は、どこまで逃げても執念深く追いかけてくるのだろう。

 一度でも闇に降ればいやでも分かる。

 黒の男の執念が、この身体を覆い尽くす日も恐らくは遠い話でもない。

 そんな自分の手を、桜花はそっと握り締めていた。

「……何やってんだ」

「何って……何だろ。でも、今のリョーヘイ、放っておけなくって」

「自分一人でも持て余す奴に放っておけない呼ばわりされる身分だとも思ってねぇよ」

「でも……リョーヘイは人機が……好きなんでしょう?」

「呪われてるって言ったろ」

「呪われていてもだよ……! リョーヘイは人機が好きだから、愛することもあるし呪うこともあるって、そう言いたいんじゃないの?」

 分かった風な口を利くものだ。

 いや、そうなのかもしれない。

 人機を何の疑いもなく、好きだと言えるのはしかし――それは青葉のような人間の特権だろう。

「……そんな証なんてとっくの昔に失ってンのさ。それに人機が好きかどうかなんて誰かに問うまでもねぇよ」

 分かっている。

 自分だって人機が好きなのだ。

 だからこそ、苦しみ、だからこそ自分の運命が憎い。

 これまでのように何も考えずに古代人機討伐だけを考えておけばいい身分ならば、まだ救いはあったものを。

「……ねぇ、リョーヘイ。じゃあさ、一つ約束してよ」

「約束だぁ? ……何のだよ」

「リョーヘイは人機が好きだって言うのなら、私の前だけは無理しなくっていいからさ。人機が好きなだけのリョーヘイでいいじゃない」

「そんな無責任できるかよ。カラカスアンヘルの切り込み任されてんだぞ」

「だからだよ。……背負ったまんまで、戦って欲しくない」

「それはお前のワガママだろうが」

「でも……リョーヘイが戦った果てに人機を嫌いになっちゃうのは……嫌だよ」

「……そんなもんか」

 戦いの果てに人機が嫌になるのがそれほどまでに酷に思えるのだろうか。

 自分からしてみれば兄を失い、それでも戦おうとしている桜花のほうがよっぽど無理をしているように思えるが。

「リョーヘイ。約束して。嫌いにならないで、人機のことだけは」

「お前のことはどうだっていいってのか?」

「……カラカスアンヘルの兵士だもん。覚悟はできてる、よ……」

「そうかよ。オレからしてみりゃ、そういう在り方のほうが無理している気がするがな」

 立ち上がった両兵は桜花の相貌を眺めていた。

 彼女は涙の痕を拭い、それから口にする。

「……分かってる。もう……泣かない。泣くもんか」

 そう、かつて吼えた相手をどこか遠くに感じて両兵は今にも落ちてきそうな星空を仰ぐ。

「泣かない、か。だがその強さってもんは……」

 そこから先は答えにならなかった。

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