『それは何よりよ、さつきちゃん。それにしたって、お歴々も無茶を言い出すもんなんだから。ロールアウト間際の《キュワン》でロストライフの地平を視察しろなんてね』
気安い様子で声にした通信先の南の声に、《キュワン》のコックピットに収まったさつきは、慣れない機体高度からの視野に戸惑っていた。
「……あの、《ナナツーライト》がこれでもう使われないとか、そういうわけじゃ、ないんですよね……?」
思わず不安に駆られた自分に南は言い置く。
『大丈夫よ。まだまだ《ナナツーライト》は現役だし、それにRフィールド磁場を安定生成できる《ナナツーライト》は応用も効くからね。だからこそ、《キュワン》の視座はどっちかって言うとトウジャに近いか。背丈が高い分、姿勢制御バランサーは複雑かも知れないけれど』
「あ、いえ……。この子、とても素直なので……今のところは大丈夫です」
血族専用の上操主席で、さつきは両腕を翳す真似をする。
それに呼応して《キュワン》が稼働したのを確認してから、呼吸一つで憂いを打ち消していた。
――ここはもう敵地。
それが嫌でも実感できるのは、真っ黒に沈んだ土壌と、そして生命の息吹をまるで感じさせない枯れ果てた風のせいだろう。
キョムの実質支配に沈んだ大地へと、さつきは《キュワン》を伴わせて歩みを進めていた。
「……どこから、《バーゴイル》が仕掛けてくるのかも、分からないんですよね……」
『安心してちょうだい、空は私が《ナナツーウェイ》で守っているから、不意打ちってのはさほど考えられないと思うわ』
《ナナツーウェイフライトタイプ》を操る南は、運搬ヘリによって上空を旋回している。
何も自分一人で敵陣に降り立ったわけではない、それは確認済みとは言え、まだ片手で数えるほどしか乗ったことのない人機と共に居れば一抹の不安にも駆り立てられる。
「……何だ、不安か? さつき」
下操主席に収まっていたシールはどうして今の今まで言葉を発しなかったのだろう、とさえ考えてしまう。
「……はい……ちょっとだけ」
「正直なほうが生き残る。オレはそう思うぜ。それにしたって……南とエルニィの奴も、ここまで無理強いをするもんでもねぇとは考えているがな。上の命令を通すのにも色々あるんだろ」
シールはしかし、振り向いて一瞥をくれることもない。
先ほどから彼女の視線は朽ち果てた漆黒の大地を見据えている。
その眼差しに宿った畏怖のようなものに、さつきは射竦められていた。
「……私が……ロストライフの地平を、視察しないと……でも、駄目なんだから……」
「――さつきちゃん、《キュワン》の感覚はどう?」
毎度定例の試作搭乗から降り立った際、月子から感想を求められてさつきは僅かに言葉を窮する。
「えっと……この子、《ナナツーライト》の発展機なんですよね? Rフィールドの自己生成と安定化を図った機体って言うのは、南さんから」
「おっ、何だー、さつき。結構勉強熱心じゃんか。感心感心、他の連中もそうならいいんだがな。ま、Rフィールド形成機って言うのは何かとクセが強くもある。オレらからしてみりゃこれでも未知の技術に等しい部分だってあるんだから、やっていけねぇよな」
月子に伴ってシールも《キュワン》を仰ぎ見ていた。
さつきもその視線に導かれるようにして《キュワン》の頭部形状を眺める。
円筒状に近い頭部形状はどちらかと言えば《ナナツーライト》の系譜と言うよりもトウジャタイプに近いものを感じていた。
加えて背丈も高い。
疾駆と言える機体特性は加速追従性も鑑みているのだとマニュアルに書いてあった。
「……その、《ナナツーライト》じゃ難しかったファントムの連続転用もできるって聞きましたけれど」
「うん、まぁなぁ……。どうしたって《ナナツーマイルド》と《ナナツーライト》はツーマンセルの特殊形状人機だったから、各機でファントムを連続使用するのには《モリビト2号》クラスのパワーが必須になって来るんだが」
「そのパワー不足を補うために、エルニィが《ブロッケントウジャ》の技術も運用視野に入れて開発したのが91式人機、通称《キュワン》ってわけ。Rフィールドの展開規模次第では、現状の人機戦術を塗り替える可能性だってあるんだよ?」
「……私の頑張り次第……ですよね」
頬を掻いて困惑した自分にシールが肩を組んで、何だぁ、と絡んでくる。
「ビビってんじゃ、操主として一流とは言えねぇな」
「いえ、それはそのぉ……」
「シールちゃん、スキンシップもほどほどにね。さつきちゃん、怖がってるよ」
「怖い? んなことねぇよな? さつき」
「い、いえ、その……はい」
何だかシールは妙に距離が近いような気がしてメカニックの中でも苦手な部類ではあった。
エルニィと月子はシールと当たり前のように接しているが、自分の人生の中ではなかなか遭遇しなかったタイプの人間だ。
当然のことながら、アンヘルメンバーといえども、少しおっかないところはある。
「あの……川本さん。Rスーツの伝導率はどうですか?」
背後からのじとっとした声にうわっ、と思わず悲鳴を上げてしまってから、さつきは帽子を目深に被った秋と視線を合わせる。
「あ……すいません、びっくりしちゃって……」
「い、いえ、いいんですよ……。どうせ私……暗いですから……」
「あー、ったく! 秋はいっつもそんなだよなぁ! そろそろ慣れればいいってのによ」
シールが肩を引き寄せると秋は、ひっ、と短く悲鳴を発する。
何だか自分とさほど変わらない反応が見られて安心している最中で、さつきは先ほどまで乗っていた《キュワン》のスペックをそらんじていた。
「Rフィールドプレッシャーの臨界発現と、それに伴う性能の発露……。その、大丈夫……なんですよね? これまで通り乗っていても」
「うん、さつきちゃんは元々、《ナナツーライト》って言うちょっと特殊な人機の操主だから。これまで通りの運用方針で上も行くって勧告が来ていたし」
「それにしたってよー、もったいないよなぁ。一応、トウジャタイプに近い基礎フレーム使ってるんだから、もっとバンバンファントムの試運転とかさせてやりたいのによ」
どこか不承気なシールに月子は諌める。
「それは仕方ないよ、シールちゃん。だって、そんなバンバンファントムを使うなんて環境とかになったら、私たちもそうだけれど自衛隊の野営地じゃ持たないよ」
「くっそー。思い切って敵陣に突っ込んで、それで運用できりゃあなぁ……。そうすればもっと性能の先の先が見えて来るってのにー」
シールからしてみれば手塩にかけた《キュワン》がその性能の片鱗さえも見せていない現状は不満なのだろうか。
自分にとっては物騒なことが起こらないほうが助かっているのだが、やはり操主とメカニックでは考えた方が違うのかもしれない。
「あっ、居た居た。おぅーい、シール、ツッキー。ちょーっとこっち来てー! とっておきのネタがあるんだけれど」
Rスーツ姿のエルニィが手を振って二人を呼び込む。
秋だけ取り残された形だが、いいのだろうか、と視線で窺うと、彼女は帽子の下でふふっ、と笑う。
「先輩方……立花さんとも仲がよろしいですから。これでいいんです、これで……」
本人としてはもしかするとエルニィと仲良くしたいのだろうか、と勘繰っていると不意に声が上がっていた。
「何だ、それ! それ……本当に上の決定かよ……」
「仕方ないじゃん。こればっかりは、さ。覆せないよ。一応、現地には南が同伴するって言っているけれど、もう一人くらいなら操主を乗せてってもいいってさ。で、ここで相談。どうする? ツッキーかシールか……どっちかって言われているんだけれど」
「両兵にやらせりゃいいだろ。あいつもどうせヒマなんだし」
「両兵はアンヘルの守りにつかせたいって思惑があるみたい。一時的とは言え、敵地に赴くってのだからリスク管理かな」
「って言ってもよー……いきなり過ぎやしないか? まだ試運転だぞ?」
「だから、南が同伴するってのと、操主もう一人の確約。で、どっちが行く? 何なら赤緒とかに任せてもいいんだけれど、下操主の経験がないともしもの時怖いしねぇ」
うーん、と何やら一行が迷っているのを観察していると、シールが挙手する。
「分かったよ。……オレが同行する。元々、《キュワン》の性能を見たいって言っていたのはオレだし……責任取んなきゃだろ」
「ツッキーはそれでいい?」
「うん……元々私、下操主経験しかないし、上もできるシールちゃんのほうが適任だと思う」
「じゃあ決まり。さつきー!」
「あっ、立花さん……何のお話で――」
「いやぁ、ちょっとまた、飛んでもらえるかな? 今度は……正確な場所は言えないけれど、まぁ着いてからのお楽しみで」
「……へっ?」
唐突に決まった出来事を反芻するよりも先に、シールが腕を組んで憮然とする。
「下操主席にはオレがつく。さつき、お前はいつも通り、《キュワン》を動かしてくれりゃいい。相手からしてみてもこれは試金石なんだろうぜ。これから先、新型人機が次々にロールアウトするって言う、前段階みたいなもんかな」
「えっと……一体どういう……」
「要は、さ。実戦段階にそろそろ進んでみない? ってこと。日本は狭いからねー。なかなか新型機が使えるからって十全にその性能を活かせる環境までは整わない。でも、これを呑めば、少しは土地を使わせてくれるって言う譲歩案でもあるんだ」
「……そ、そのぉ……つまり?」
エルニィは笑顔で応じる。
「ちょっと外国まで、シールと一緒に《キュワン》の慣らし運転に行こっか」
『――さつきちゃん。今のところ敵影はなし。ごめんね、急な話を持ってきちゃって』
「い、いえ……。で、では……行きます」
呼吸を整えていると下操主席でシールが肩を強張らせたのが窺えた。
思えばシールはメカニックであって操主ではない。
何故、志願したのだろうか、とさつきは南との通信を一時的に切って尋ねる。
「あの……シールさんって……何でその、操主もできるんですか?」
「……できちゃ悪いかよ」
「い、いえ、そんなことは……でもその……気になっちゃって……」
シールは癖の強い金髪を掻いてから、ため息交じりに返答する。
「……南米でな。元々はエルニィのチームで、ルエパアンヘルの整備班だったんだよ」
「あっ、それ、聞いたことあります。青葉さん……でしたっけ?」
「そっ、その青葉の《モリビト2号》をメンテしたり、先生からどやされたりもしたっけな。ま、あん時はあん時で充実したもんがあったってだけの話だが、その時に操主としての基本的なことは叩き込まれてよ。眼も悪くねぇから上操主下操主どっちもできるオールラウンダーになったってわけさ」
「でも、それって結構、大変だったんじゃ……。だって私、上を預かるだけでも精一杯なのに……」
「……まぁ、大変と言えばそうだったけれどよ。何つーのかな……オレもやっぱ、人機が好きなんだよな。そりゃ、青葉ほどじゃねぇけれどな。何て言うのかな……人機がどう動くのかって、自分の肉体で感じてみたいところもあるんだ。だから……今も日本くんだりまで来て、メカニックやってんだぜ?」
「あっ……ですよね。元々は南米の担当だったはずなのに……」
「ま、腐れ縁ってのもあるさ。エルニィに振り回されっ放しで、もう少し待遇良くしてくんねぇかな、っていうのはあるけれどよ」
文句を垂れつつもエルニィとの友情めいたものは感じさせてくれる、柔らかな口ぶりだった。
思えば、とさつきは声にする。
「……シールさんとこうして話すの……初めてかも」
「……そうか? ……まぁ、そっか。前線を行く操主といちいちメカニックは話しゃしねぇだろうし」
「でも、シールさん、人機が好きだから……ここまでしてくれてるんですよね?」
「ば……っ、勘違いすんなよな! これはあくまで仕事の一環だ! ……プライベートはまた別……そう、別のはずなんだがなぁ……」
どこか不器用な様に、さつきは自ずと両兵の背中に似たようなものを感じていた。
シールは距離感を掴みかねてはいるが、それでも自分たち操主のことを誰よりも慮ってくれている身分だ。
きっと彼女なりの戦いもあるに違いない――そう自分の中で結んださつきは、《キュワン》へと加速機動をかけさせようとする。
「じゃあ……ファントムに移ります。準備……大丈夫ですね? シールさん」
「……あたぼうよ。オレはいつだって大丈夫なんだからな」
その強がりの声も今は少し愛おしい。
姿勢を沈ませてファントムをかけさせようとして、不意打ち気味の熱源警告にうろたえる。
「……熱源……? この反応……」
「キョムか!」
「いえ、でも空からは何も……まさか……真下!」
瞬時に習い性の感覚で飛び退らせたのは結果としては正解だったのだろう。
地を割って飛び出した古代人機の触手が先ほどまで《キュワン》の居た空間を断ち割る。
「……古代人機か……! ってことは……南! 上からも来るんじゃねぇのか!」
シールの予感は最悪の形で実現していた。
『こっちも空中展開がやっと……! 《バーゴイル》ね……三機編隊……!』
「南さん……! 応援を……!」
『思ったけれど……やっぱりジャミングが使われているわ。この状態からじゃ、どうあっても突破しないと駄目みたい』
「そんな……!」
さつきは目線で古代人機の数を把握する。
古代人機は全部で五体――突破できない数ではないが、今、イレギュラーなのは――。
「……古代人機……!」
シールはその指先が震え出すのを止められていないようであった。
無理もない。
彼女にとってはほとんど初陣。
しかも、乗っているのは新型機。
よって、これまでの経験則が活きる戦いではない。
全く未知の領域で戦わなければいけないのは、自分も怖い。
しかし、それでもここを突破しなくては――《キュワン》の実戦投入は夢のまた夢だろう。
「……シールさん」
「な、何だよ……さつき。オレは……ビビってなんていねぇぞ、ビビってなんて……」
必死に強がりを発するシールへと、今助言できるのは自分だけだ。
だからこそ、己の恐怖は押し殺す。
今やるべきことは、いつもならば両兵が率先してやってくれていることだろう。
「シールさん……怖いのは、私も同じです。でも、私には信じられる……人機と下操主席のメカニックが居ます。だから、今は恐れない……っ! 絶対に古代人機を突破して、南さんも助けます!」
その言葉振りにシールは驚嘆したように肩越しの視線を振り向ける。
「……さつき……でも、お前も……震えて……」
「これは武者震い! ……だからシールさん、心配しないで。恐れは全部――私が受け止めますから!」
平時ならば両兵の言ってくれるような言葉を、まさか自分が言う側になるとは思ってもみなかった。