レイカル44 4月 削里と花見酒

「いえ、そうではなく。……誰も居ない早朝に、こうして場所取りをしたことが、です」

 ウグイスが鳴く桜の木の下で、ブルーシートを広げて削里とヒヒイロは花見の場所取りを行っていた。

 時間がある上に、平日の早朝だ。

 ランニングや、散歩する人々が散見されるが、自分たちに意識を留めるような者はほとんど居ない。

「……無理しているように映るか?」

「相当に。そもそも、場所取りは小夜殿たちの領分だったでしょう。わざわざ引き受けるような義理もなかったのでは?」

「おいおい、それは言いっこなしだ。別に俺だって役立てることなら役立ちたいだけってことなんだからな」

「しかし……何もこのような早朝に場所を取らずとも。今日は平日ですよ」

「知っているって。何だ、俺がついに曜日感覚まで失ったかと思ったか?」

「ただでさえ引きこもりがちですので、疑いもします」

「参ったな、こりゃ……。創主が心配されてちゃあ、世話ないよ」

 とは言え、この一局の勝ちは譲るつもりもない。

 削里は攻勢に打って出ていたが、ヒヒイロの反撃の一手で途端に暗雲が垂れ込める。

「……参りました」

「……真次郎殿。やはり、もっと時間を決めてやるべきだったのではないでしょうか? 何時ごろに皆が集まるのか分からぬのですから」

「……とは言ってもな。俺も相応に暇だし、たまにはいいかなと思ったんだよ。作木君たちには何かと世話をかけているし、花見の場所取りくらいは俺でもできるんだってことを見せたかったと言うか。……って言うか、結構冷えるな」

「その自尊心が、こうして身体を壊しているのでは元も子もありません」

 言われてしまえばその通り。

 削里は肩を撫でつつ、どうしてこのようになったのだかを反芻していた。

「――ねぇ、小夜ー。結構最近、あったかくなってきたわよねぇ」

「……何? 天気の話し出すと途端に年食った気分になるからやめてくれない?」

 しかしながら、ナナ子の言わんとしていることは分かる。

 ちら、ちら、と何度も目配せするナナ子に、小夜は根負けしていた。

「……今年の花見もそろそろ時期ね」

「小夜ってば、分かってるぅ! そうよ、乙女にとっての戦場たるバレンタイン、そしてホワイトデーと言う戦線を潜り抜け、ついに報われる時! それこそがお花見!」

 芝居めいたナナ子の挙動に、小夜はげんなりとする。

「……あのねー、花見なんて大変よ? 場所取りから始まりー、お弁当作ったりとかして、それでもって、人混みもあるから、案外のんびりできないかも」

「そこはそういう催しだとして楽しむもんでしょうが」

 ナナ子は何かとイベントは最大限謳歌するタイプなのは、理解し切っているつもりであったが、小夜は別の理由でため息をついていた。

「……このままダウンオリハルコン退治が続けば、私たち、単位が怪しくなってくるんだけれど。高杉先生は何となく分かったような、分からないようなことしか言わないし。浪人なんてことになったら目も当てられないわ」

「でも小夜は芸能人じゃない。最悪、芸能界に転職、ってのもあるでしょ?」

「……あのねー、芸能界って思ったよかいいもんでもないわよ?」

「うわっ、出たー。内部事情知っているからってそんなにいいものでもないとか言う奴ー。それって結構嫌味なんだけれどねー」

「嫌味のつもりで言ったんだから、間違いじゃないでしょうが。……って言っても花見ねぇ。どうするの? レイカルとか、カリクムとかは」

「逆に大丈夫じゃない? ほら、よくあるじゃないの。小さいオジサンの妖精が見えるとかって言うの。無礼講のお酒飲みばっかりなんだから、気にする人なんて居ないわよ」

 オリハルコンの存在をオジサンの妖精で済ませていいものか、と小夜が腕を組んで考え込んでいると不意に声が弾けていた。

「だから! やっぱり猫に乗るのが一番速いだろ! 奴ら、俊敏なんだぞ!」

「レイカルってば、分かってないなー。今の時代は犬! 人懐っこくって可愛いんだぞ?」

「あらあらぁ、二人とも分かってないわねぇ……。人間を手懐けるのが、一番愉しいのよぉ……」

 三者三様の言い合いを相変わらず聞かせられ、小夜はテーブルを叩いていた。

 レイカルとカリクムがびくつく。

「うわっ……何だよ、割佐美雷。別にお前の話はしてないぞ?」

「小夜ってば、最近ヒステリックなのよ。あったかくなってきたからかしらねー」

「……カリクム、今日の晩御飯は抜きね」

 小夜の言葉にカリクムは縋り付く。

「何でだよ! って言うか、私、何か気に障ることでも言ったか?」

「春めいてきたからって言って、誰しも気分ルンルンってわけでもないのよ。中には少し嫌な人間だって居るの」

「気分ルンルンって……昭和よね」

「えー、この季節私はちょうどよくって好きだけれどなぁ。過ごしやすいし、冬の間見かけなくなっていた虫とか動物見かけるし」

「……あんたらはいいわよねぇ。年ガラ年中暇で」

「失礼だな! 私たちだってダウンオリハルコン退治には貢献しているだろ! ……第一、小夜だってそんなに春先は嫌いじゃないはずじゃないか?」

「……そうねぇ。春って何だかそわそわするって言うか、何かに焚きつけられているような感覚もあるわね。何か新しいことやらないと、みたいな」

「強迫観念めいているわねぇ。けれど新生活だとか始まるのは大抵春だし、一区切りなのかもね」

 一区切りなのだから、少しはそれらしい浮いた話の一つや二つは欲しいものだ。

 しかし現実的に言えば、作木から毎日メールが来るわけでもないし、遊びの誘いには自分が率先しないと始まらない。

 小夜は陰鬱なため息とともに腰を上げていた。

「……仕方がないわねぇ。とりあえず必要そうなの揃えとく?」

「おっ、やる気になった? 私も食べ物関連なら手伝えるから……問題は人員よね? それなりに大きなブルーシートが必要になったり、後は場所取り要員だけれど」

 その時、暖簾を潜って来た人影と目線が合う。

「……高杉先生?」

「あら? 網森さんたちも一緒ってことは……レイカルたち、また何か仕出かした?」

「生憎ですけれど、今回はこっちの都合です。……そういえば、高杉先生って車出せましたっけ?」

「うん? まぁ普段から車だけれど。何? たかろうってんじゃないでしょうね?」

「そんなつもりないですってば……。ってことは、買い出し要員にぴったしってことかも」

 目線をかわし合った小夜とナナ子は、直後にはヒミコと向かい合っていた。

「高杉先生!」

「折り入ってお願いが!」

「ちょっ、ちょっと待って! 何それ、怖い怖い! 一体何だって言うのよー!」

「お花見……興味ありません?」

「お花見……? そりゃー、お酒が飲める席なら大歓迎だけれど」

 それならばこっちのものだ、と小夜とナナ子は視線を交わして頷く。

「せっかくなんですし、お花見しましょうよ。これでもダウンオリハルコン退治に貢献してるんですから」

「うーん……いいけれど、私も案外、暇でもないのよねー。場所取りとか大変でしょ? 誰かが担当してくれるんなら、いいんだけれど」

 やはりそこが難所か、とお互いに呻り合っていると、店の奥から削里が顔を出していた。

「何だ、来ていたのか、ヒミコ」

「何だってのは御挨拶ね。はい、これ、頼まれていた資料」

「毎回、悪いな」

「真次郎、いい加減、携帯の一つや二つくらい買いなさいよ」

「俺は物持ちがいいんだって。そっちみたいに何かと買い替えたりはしないんだよ」

 そう言って携帯を取り出した削里のモデルは十年ほど前のモデルであった。

「今どき検索もできないんじゃ、かなりローテクだと思うけれどね」

「検索なら漫喫とかでパソコンを使えばいい。いちいち買っているほうがコストもかかるんだし」

 そのやり取りを眺めているとナナ子が囁きかけていた。

「ねぇ、削里さんに頼むってのはどう?」

「削里さんに? ……うーん、でもこのお店の用事とかあるでしょうし……」

「ダメ元で、よ。一回聞いてみたら?」

「そうねぇ……削里さん。ちょっといいですか?」

「うん? どうした? ヒヒイロなら奥でテレビを観ているが」

「いえ、今回は削里さんに用があって。そのー、お花見の場所取りって、できます?」

「花見の場所取り? ……うーん」

「あ、無理ならいいんで」

 どうせ削里のことだ、何かと理由があるに違いないと取り下げかけて、直後の返答に目をぱちくりさせていた。

「いいよ。俺とヒヒイロで場所取りすればいいんだろ?」

 案外、簡単に事が運んだので、一応小夜は聞いておく。

「えっとその……特に報酬とかは出ないんですけれど……」

「別に構わないって。普段のダウンオリハルコン退治のお礼ってことで」

「その、でも削里さんってドケチ……こほん、倹約家ですよね? 無駄なこととか嫌いなんじゃ……?」

「今、ドケチって言ったか? ……うーん、まぁ確かに普段は無駄を嫌うが、別に花見は無駄でもないだろ。ヒミコ、そっち車持っているんだから、作木君とか呼んでやればいい。買い出しとかも任せる」

「ちょっと真次郎、簡単に言うけれど、私は大学の客員教授なのよ?」

「仕事があるってなら、終わってからでいいだろ? 俺はじゃあ、早朝から場所取りでもするか。ヒヒイロ、構わないな?」

「構いませんが、春とは言えまだ朝は冷え込みますぞ?」

「防寒着を着ておけば問題ないだろう。……っと、何だ、その意外そうな顔をして」

 こちらの面持ちを読まれて小夜は、いや、と応じる。

「削里さんって……何だかこういうの積極的にやらないイメージでしたから、ちょっと意外って言うか」

「催し物とかで店を貸し出したりすることだってあっただろ? 別に今さらだし、俺もたまには早朝の空気を吸いたい時もあるんだ。なぁ、ヒヒイロ」

「そうでなくとも、真次郎殿は引きこもりがちですからね。よい習慣になるかもしれませぬ」

「な? ヒヒイロもそう言っているんだから、任せてくれていいんだ」

「……ですけれど……」

 不安要素がまだ残っているとすれば、それは――。

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