JINKI 214 思い出は春風に

「何だって今って……タンポポ、引き千切っちゃ駄目ですよ」

「分かんないのは、それも。……妙な風習もあるものね」

「風習?」

 言わんとしていることが分からずに首を傾げていると、テレビのニュースが漏れ聞こえて来ていた。

『今日は母の日! 感謝の気持ちをお母さんに伝えたらどうでしょう!』

「……ああ、そう言えばそうでしたっけ」

「さつきは? いいの、そういうのがうるさい家庭なんじゃなかった?」

「私は……先週買っておいたお茶のセットを実家には送っておきましたので……。でも、母の日だから、その……タンポポを?」

「母の日って言うのは、花を贈るものなんでしょう? テレビでやっていたわ」

 何だかルイの風習の覚え方は独特のようで、さつきはそれとなく教えておく。

「あの……タンポポじゃ……駄目なわけじゃないですけれど、そこいらに咲いているのを引き千切るのはよくないですよ。きちんとした、カーネーションってのがあるので」

「カーネーション? 初めて聞いたわね……」

「南米じゃ、なかったんですか?」

「そもそも、カナイマアンヘルにはそんな余裕もなかったのよ。明日の物資がどうのこうの言っている中で、のほほんと母の日なんて祝えるわけないでしょう」

 何度か聞かされてきた南米での戦いはかなり熾烈を極めていたのだろう。

 しかし、だからこそ日本に居る今ならば、憂いなく行えるはずだった。

「あの……ルイさん、じゃあ母の日、私と一緒にやってみます?」

「さつきはもう送ったんでしょう?」

「でも、あの、ルイさんって南さんに贈るんですよね? だったら、南さんってみんなにとってもお母さんみたいなものですし。一緒にお祝いしましょうよ」

「ふぅん、南がお母さん、ね。年食ったって言うと思うけれど」

「そんなことないですよ。きちんとした、まごころを込めれば喜んでくれるはずですから」

 ルイはタンポポを握り締めたまま、こちらへと鋭い一瞥を寄越す。

「じゃあどうするの? カーネーションとか、私にはよく分かんないわよ」

「それは……うーん、知っている人って言えば誰なんでしょうか。やっぱり、赤緒さんとか?」

「赤緒は贈られる側でしょ。赤緒にはできれば秘密にしたいわ」

 そういうものだろうか、と思いつつじゃあ、と次に思い浮かんだ人物を提案する。

「五郎さんとか? 多分、詳しいでしょうし」

「五郎さん……? けれどあの人だって、五人兄弟の末っ子でしょ? だったら、そんなになんじゃない?」

「いえ、きっと母の日には特別な想いがあるはずですよ。五郎さんに教わりましょうか」

「話は聞かせてもらったよ!」

 その時、縁側を寝転がって来たのはエルニィであった。

 仰向けで寝転がったまま、エルニィは高らかに声にする。

「いやー、ボクもそういうのは常々考えていてねー。今回は母の日、だっけ? せっかくだし、ボクも参加しよっかなー」

「立花さんも……?」

 しかしルイとエルニィの組み合わせと言えば悪いことを仕出かす前の準備段階のようなものである。

 悟ってうやむやにすべきか、と考えたが、さつきはとりあえず受け取っておいた。

「……分かりました。じゃあ五郎さんに聞いて――」

「えーっ! 五郎さんに聞くんじゃ正解来るじゃん。つまんないー!」

 じたばたして抵抗するエルニィにさつきは完全に困惑し切っていた。

「では、どうするんです?」

「ふっふっふー、甘いなー、さつきは。こういうのは秘密にやるから意味があるんじゃん」

 エルニィには妙案があるのだろうか。

 彼女は伊達眼鏡のブリッジを上げて自分とルイの手を引っ張る。

「まずは準備段階から! そっからでしょ、話ってのはさ!」

「た、立花さん! 力強いですってば!」

「……どうでもいいけれど、自称天才発祥なんてロクなことないわよ、さつき」

 ルイの呟きに返す余裕もなく、さつきはエルニィに引き連れられ、商店街を抜けて学校に飛び込んでいた。

「まずは、その道のプロに聞くのが一番だよね!」

「えっと……その道のプロって言うのは……?」

「馬鹿だなぁ、さつきは。母の日って言えば、そりゃあ、この人でしょ!」

 振り向いたのは確かアンヘルの関係者だと言う――。

「あ、……えーっと……お名前は……」

「なんだなんだ、三人揃って。言っておくが、オレはこれでもノータッチなんだからな。赤緒さんとかにも示しつかないし、何か頼るって言うんなら筋違いだぜ? あ、待てよ……もしかして愛の告白――」

「違うよ。キミ、勝世だったよね? 確か」

 半分ほど浮足立った勝世の淡い期待を打ち切り、エルニィが言ってのける。

「……だろうな。で、何だよ。こっちもこっちで忙しいんだからな。用務員ってのは案外ヒマでもねぇし」

「母の日には何をするものなのか、よく知ってるんじゃない?」

 勝世はエルニィに聞かれるなり目を白黒させていた。

「……何だって? 母の日……?」

「母の日に何かしたいから、知恵貸して」

「……あのなぁ、オレは何でもやる便利屋じゃねぇんだよ。そういうのは他当たったほうがいいと思うぜ」

「えーっ! せっかく美少女が三人揃って声かけているのに?」

「……本当の美少女は自分のことをそうは言わないもんなんだが……。ま、いいや。これもアンヘルの事業の一環だって言うんならな。何が聞きたいんだよ?」

「諜報員だよね? なら、何が喜ばれるのかは調べ済みって思ってさ」

「諜報員ってのは、他人の秘密を何でもかんでも掴む野暮なことをする役職って意味じゃねぇんだけれどな……」

 後頭部を掻いて困り果てた勝世にさつきは思わず言い放っていた。

「あ、あの……、迷惑ならそれで……。ほら、立花さんもルイさんも、勝世さんが困っているじゃないですか」

「困ってる? 本当に? ボクらをサポートするのが、諜報員とかでしょ?」

「まぁ、言われちまえばその通りなんだが……。友次のオッサンに聞けよ。あの人のほうが他人のホクロの位置まで知ってんぞ?」

「やだよ、友次さんには個人的な借りがあるんだ。それに、勝世なら、ボクらには逆らえない、違う?」

「……そうじゃないと断言できないのが、オレの困ったところだよ、ったく……。分かった、分かったっての。……ただし、オレが動いたってのは秘密な? 南の姉さんも怖ぇが、友次のオッサンも怖ぇ。敵に回したくねぇんだよな」

「その辺はモチロン。何なら、報酬も出すよ」

 何だか悪い囁きを聞いているようでさつきはいたたまれなくなってくるが、ルイはそうでもないのだろう。

「……で、どうするの? 学校でどうにでもなるんならそれでいいけれど」

「まぁ、待ちなよ、ルイちゃん。ここはまず、鉄板どころから攻めようじゃねぇの」

「鉄板どころって? ボクら、母の日のこと、全然分かんないよ」

「見てなって。まずは行くところって言えば、決まってるだろ?」

「――で、花屋?」

 エルニィは納得していないのか首をひねっているが、さつきからしてみれば思ったよりも順当なところである。

「おう、花屋。やっぱり想いを伝えるってのは花がちょうどいいからな」

「言っておくけれど、ボクら、すかんぴんだよ?」

「何……? エルニィちゃん、お金持ってるだろ?」

「えー、大の大人の男が女の子にお金持ってるだろ? なんて言うかなぁ?」

 エルニィのとぼけ方も板についているもので、勝世はこれ以上の言い分は情けないのだと悟ったようだ。

「……分かった、分かりましたよ、ったく。じゃあ代金は出すから、好きなのを選んでくれ」

「やった! じゃあボクは……これなんてどう?」

 鉢植えに咲いたチューリップを掲げたエルニィに、勝世は制する。

「鉢植えは重たいからやめておいたほうがいい。あげる側のことも考えないとな」

「じゃあ、これは?」

「白い花は不吉な意味もあるからな。できれば華やかな色合いのほうがいい」

 文句を投げられるせいか、エルニィはむくれる。

「むぅ……何だかメンドクサイなぁ……。あれがダメ、これがダメって……」

「鉄板があるんだよ、鉄板が。こういう時にはカーネーションが相場って決まってるの」

「カーネーション? ルイ、あげたことある?」

 ルイはふるふると首を横に振る。

「……マジか。案外、マイナーなのかもな。ただまぁ、余計なものにならないって点じゃ、これが一番いい。赤いカーネーションは“母への愛”、“純粋な愛”ってのがあって――」

「あのさぁ、もっといいのないの? 花なんて食べたって美味しくも何もないじゃん」

 完全にムードを逃したエルニィの言い分に勝世は肩を落とす。

「……そう言われちゃあ、な。何とも言えんのだが……」

「あ、あの……私は分かりますから……!」

「さつきちゃんは優しいなぁ……。それに比べてエルニィちゃんもルイちゃんも、もうちょっと真面目になってくれよ。もらう人間のことを考えて、喜ばせたいんだろ?」

「それは……まぁ、ねぇ?」

「自称天才だけでしょ。私は別に……」

「強がるのはいいからよ。今日ばっかりは素直に行こうぜ。母の日ってのは、普段は言えない本音みたいなのを言える記念日なんだからな」

「……とは言ってもなぁ。花だけじゃやっぱりさ。パンチが効いていないって言うか」

「……じゃあどうするって言うんだよ」

「他の店は? ほら! お菓子とかあげてもいいって聞くじゃん!」

「……それ、エルニィちゃんが食べたいだけだろ?」

「いいからっ! 花はどうせ見繕うから、お菓子のほうに行こうよ!」

 エルニィの興味は既に花から食べ物に移ったらしい。

 勝世は困惑しつつ、彼女らに続く。

「やっぱりギフトものだよね! こういう時はさ!」

「……できるだけ財布に優しいもので頼むぜ……。こういう時の出費ってかさむんだよな……」

「何ケチ臭いこと言ってんのさ。こういう時に奮発するもんでしょ?」

「……他人に金出させてそれ言えるの、もう立派なもんだと思うが……」

 エルニィは口笛を吹きつつ、ウィンドウ越しの菓子ギフトを見て目を輝かせる。

「たまにはいいチョコレートも食べたいよねぇ、ルイ。いつもの駄菓子もいいけれどさ。こういう時なんだし」

「そうね。高級チョコレートをいただくのも悪くないわ」

 完全に自分たちが食べる側に回っている発言であったが、勝世はため息をついて財布を覗き込む。

「……あ、あの……ご迷惑ならいいので……」

「さつきちゃんは本当に優しいよなぁ……天使かよ。けれどまぁ、男なら一度言ったことは実行するから、心配は要らないぜ。オレに任せとけ!」

 白い歯を輝かせて言い放った勝世に、さつきは曖昧に微笑み返してから問いかけられていた。

「そういや、さつきちゃんは? 確か……川本って言ったよな? あっちの、カナイマに兄貴が居るって言う」

「あ、お兄ちゃんと……お知り合いなんですか?」

「まぁ、知り合いっつーか……戦友? 結構大変な時期を乗り超えて来たからな。知り合いとかじゃ言い尽くせねーもんもあるって言うか」

 言い濁す勝世は深く考え込んでいるようでもあった。

 その立ち振る舞いが、何だか――。

「……羨ましいな……」

「さつきちゃん?」

「あっ、違って……。私、もう何年もお兄ちゃん……兄と会っていませんから。だから、思い出がある勝世さんがその……ちょっとだけ、羨ましくって……」

「思い出、ね。けれどまぁ、そういう点じゃ、さつきちゃんだってきっちり作ってると思うぜ。思い出ってもんは」

「でも、兄が大変な時に私は何もできずに……」

「違うだろ。さつきちゃんにしかできない戦いがあるはずだ。それは誰にも、肩代わりできないもんってはずさ。オレは裏方だから偉そうなことは言えないけれどよ、さつきちゃんがあの二人の心を開いたから、今の日々があるんだからな。それはきっと、さつきちゃんにしかできないことのはず、だろ?」

「私にしかできないこと……立花さんもルイさんも、楽しんで……いますよね」

「それはさつきちゃんが傍に居てあげられるからだろ? オレは所詮、もしもの時の見守りしかできないけれど、さつきちゃんはそうじゃない。二人の痛みや辛いことだって、何だって込み込みで思い出にできる。それってさ、案外難しいもんなんだよ。……あーあ、嫌だねぇ、操主を降りたってのに、こういう時に囚われてる感じってのはよ」

「あれ? 勝世さんって、操主だったんですか?」

 完全に想定外の言葉に勝世は、ああそうか、と思い直したようだった。

「元操主ってのは言わないようにしていたんだったか。ま、今操主としてトーキョーアンヘルを引っ張ってるのはさつきちゃんや赤緒さんたちだろ。オレは……まぁ両兵のバカもそうだが、見守ることが精一杯って感じだな。それ以上を求めるのも違うだろうし」

「……でも、私……その、それっぽいこと、一個だって……」

「それも違うんじゃないか? これから先、いくらだって思い出は作れる。その機会は何度だって訪れるんだ。なら、さつきちゃんのやりたいようにやるのが一番さ。オレはその背中を応援するだけだしよ」

「ねぇ! さつきはどれがいい? こっち来て見なよ!」

 エルニィに呼ばれてまごついていると、勝世は顎をしゃくっていた。

「……行ってやりな。さつきちゃんにしかできないこと、たくさんあるだろ」

 何だか背中を押された気分でさつきは二人へと駆け寄っていた。

「やっぱりさー、高級チョコレートって食べたことないんだし、ここはたくさん詰まってる奴がいいよねー」

「自称天才、そっちのほうが高くってよさそうよ」

「おっ! ルイってばいい眼してるぅ!」

 二人に翻弄されるものを感じつつも、さつきはこの瞬間を胸に刻んでいた。

「……私しかできないこと、か……」

 それはきっと、こうして二人と思い出を作ることもそうならば、ふざけ合って笑い合うことも含まれているのだろう。

「さつき! どれがいい?」

「さつき、早く決めなさい」

「あっ、はい……っ! 私は――!」

「――ってなわけで、赤緒。はいっ、母の日のギフトプレゼントしちゃう!」

 唐突に差し出された品に赤緒は訝しげな目線を振っていた。

「……その、危ないものとかじゃ……」

「ないない! 一応これでも高級品なんだから!」

 赤緒が慎重に箱を空けると、宝石を散りばめたような高級チョコレートセットが並んでいた。

「わっ……すごい高そう……。これ、本当に立花さんから?」

「うんっ! だって赤緒ってほら、オカンじゃん? だから母の日にはちょうどいいかなって」

「……誰がオカンですって?」

「あっ、ヤベっ。言ったらまずかったかな?」

 それでも撤回する様子もないエルニィに、赤緒は嘆息をついてそれを受け取っていた。

「じゃあ、お茶にしましょうか。せっかくの高級チョコレートですし、みんなで分けたほうが」

「えーっ! 赤緒のことを考えて選んだんだけれどなぁ……」

 むくれるエルニィに赤緒は微笑みかける。

「……じゃあ最初の一個はもらいますね。それで」

「……いいけれど」

 二人だけで交わされる了承もあって、赤緒は台所まで箱を運んで行った際に、さつきとかち合う。

「あっ、さつきちゃん、これ……立花さんってばひどいんだよ? オカンだって、私のこと。まだそんな年じゃないのになぁ……」

「きっと、それってみんなのお母さんって意味なんだと思います。あっ、悪い意味とかじゃなくって」

 そう答えたさつきは五郎へとカーネーションを差し出していた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です