JINKI 215 自分の頼れる道

「何をだよ。ってか、境内で一人何してンだ? いつもみたいに射撃訓練……の前の、準備体操か、今の」

「いや、その……だな……」

 どうしてなのだか平時のような落ち着きを持っていないメルJへと、両兵は切り込んでいた。

「……何か悪いもんでも食べたのか? 浮き足調子っつーか……」

「いや、その……まぁ、少し……悪いものに中てられたと言えば、そうなのかもしれない」

「何だよ、ハッキリしねぇなぁ。困ったことがあるんなら、柊にせよ、誰にせよ相談しろよ。アンヘルメンバーだろ? てめぇら」

「……そ、その……その中には小河原は、入っているのだろうな?」

「あン? オレはまぁ……入っていると言えばそうなんだろうが、どっちなんだろうな。黄坂のヤツが勝手に言っているだけとも言えるし」

「そ、そのだな……! アンヘルメンバーには秘密で……いいだろうか?」

 内緒ごとを進めろと言うのならば、なるほど、確かに赤緒たちには言えないだろう。

「……何だよ。言っておくと、金はねぇぞ?」

「金の話ではない。……いや、うん、金でどうこうなる話ならばまだ……よかったんだが……」

 何やら深刻な様子で語られるので両兵も自ずと重い論調になる。

「……何かあったのか? あ、いや、あったから言ってンだよな?」

 こくり、と頷いたメルJに、両兵は後頭部を掻く。

「……何だよ、トラブルならお断り……って言いてぇところだが、如何せん、てめぇの相談事も案外誰彼構わず言えねぇことばっかだろ。……いいぜ、オレでいいんなら聞いてやる」

 人機操縦にしても何にしても、メルJほどの実力者を戸惑わせる出来事ならば、相当なはずだ。

 少しでも解決策になるのならば、と両兵は軒先に座り込んでいた。

「……聞いて……くれるんだな」

「おう。そこまで心が狭くできあがってもねぇよ。第一、柊とかに聞かせられねぇことってんなら、何かと要り用だろ? オレくらいじゃねぇの? アンヘル関係なく聞けるってのは」

 友次や勝世では思わぬ形で露見しかねない。

 赤緒たちではしかし、想定外のことに転がりかねないので言い出せないが心情だろうか。

 いずれにせよ、聞く姿勢に入っていた。

 どのような悩み事であったにせよ、自分のような人間でも役に立てるのならばそのほうがいい。

「……最初は立花に聞こうかと思ったんだが……明らかに馬鹿にされるのが目に見えていて……言い出せなかったんだ」

 なるほど、確かにエルニィに何かと相談すれば茶化されるのは火を見るまでもなく明らかだ。

「言い出せねぇってのは……あれか。オレに解決できることで頼むぜ。女子連中でどうのこうのって言うのは関知するところじゃねぇ」

「ああ、それはもちろん……分かっているつもりなんだ。ただ……少しばかり、困っていてな」

 メルJほどの人間が困窮しているのはなかなか見られないだろう。

 そういう点で言えばルイもまずいはずだ。

 こう言ったところで面白がる悪ガキの側面がある。

「……いつもの面子には言えねぇことなんだな? 分かった、聞いてやる。ただし、首を突っ込むかどうかは別の話だ。下手に首突っ込んで野暮な真似になるんなら、それは願い下げだかんな」

「……ああ、小河原には迷惑をかけないつもりなんだが……どうなんだろうな、これは」

 首をひねるメルJにそこまでの難問か、と両兵は明かされるであろう相談事を想定する。

 人機関連――ならばエルニィが適任のはず。

 新開発のトウジャタイプの操主候補での口利きならば、エルニィやメカニックの分野であろう。

 自分にわざわざ語ることではない、と想定すれば、操主としての話の可能性は薄い。

「言っておくと、解決できる問題なんだろうな?」

 将来的な話で言えば、なかなか難しい問題も山積している。

 トーキョーアンヘルの現状の扱いがどうのこうのであるのならば、然るべき窓口は南か赤緒のはずだろう。

 だとして、自分にこうして語るものでもない。

 その上、先ほどの体操も気にかかる。

「……何で、さっき体操していたんだ? それも関係してくるってのか?」

 こくり、とメルJは首肯していた。

 ならばより分からなくなってくる。

 操主としての寿命がどうのこうの、という深刻な問題だろうか。

 それとも、どこかを痛めてそれで体操に励むようにしているという相談だろうか。

 どっちにしたところで、自分で解決できる分野とも思えないが、聞くくらいはできるだろう。

 相談することで薬になると言うのならば、それもまた自分の役割だ。

「……オーケー、分かった。いいぜ、何でも話して来いよ。何となく想定される話ってのは限られてくるだろうし」

 身構えたが、メルJはどこか憔悴した様子でさえもある。

 プライベートな質問だろうか。

 そうだとして、自分に応えられる範囲だろうか。

 もし――想定外なところで彼女を傷つけるのならば、自分は適任ではないのかもしれない。

 そうだとして今さら逃げるほどの胆力のない身分でもなし。

 どんな質問や人生相談が来てもいなすつもりであった。

 メルJは懐から一枚の紙を取り出す。

 まさか筆談か? それほどの重要なことなのだろうか、と身を固くした瞬間――そこに書かれている名前と経歴に両兵は素っ頓狂な声を上げていた。

「……芸能事務所ぉ……?」

「……そう、なんだ……。街を歩いていたらたまたま……。いつもなら、突っぱねるところなんだが……妙にしつこくってな……」

 表裏を翳し、こほんと咳払いする。

「……あのな、もしかしてこれ、仕込みじゃねぇだろうな?」

「とんでもない……! いたって本気の悩みだ……!」

「っつってもよぉ……芸能事務所……モデル……?」

「そ、そうなんだ……。モデルをやらないか、と……声をかけられて……」

 いつになくもじもじとするメルJに、両兵は疑問を発する。

「そういう浮ついたことは嫌いだって、てめぇよく言っていただろうが」

「いつもは、な。へらへらした奴が来るもんだから、迎撃して来たんだが……今日のは初老の紳士でな。さすがにいつものように拳で叩きのめすわけにはいかなかったんだ」

「……それで?」

「それで……喫茶店に通されて……。案外、悪くない風体の紳士だったものだから、私は毒や薬を盛られていないかはきっちり確認しつつ、話を聞くことにした。それによると……モデル事務所の社長とのことだった」

「なるほど、いつものナンパ野郎とはちょっと違うアプローチだったってワケか」

「まぁ、その時点で若干怪しいとは思ってはいたんだが……断る空気でもなくってな。それなりに旨いコーヒーを振る舞ってもくれたし、親身に相談にも乗ってくれたんだ。悪い人間には……見えなかったんだ」

 その時点である意味ではメルJの厳しい審美眼を超えたということか。

 それだけでも一見の価値がありそうであった。

「……で、やるって言ったのかよ?」

「とんでもない。一旦考えさせてくれ、と答えたさ、もちろん。だが……雑誌をもらってな……」

 メルJが困惑顔のまま、地面に置いていた雑誌を差し出す。

 預かると、どうやらそこまで際どいモデル稼業と言うわけではなく、堅実なタイプの雑誌であった。

 チャラチャラもしておらず、今の流行を真剣に追っているような雑誌で、少し時代遅れにも感じる。

「……ふぅん。裸だとかそういうんじゃねぇんだな。出ているモデル連中も案外、お前とそこまで年かさが変わるような感じでもないし……本当に健全なファッション雑誌って感じの振る舞いって言うのか?」

「私は……最初、できないと答えたんだ。しかし、その紳士が結構話し上手で……何故できないと感じているのか、だとか、不安要素があるのならばきっちり解消しながら行こうと言ってくれて……」

 話し上手に掴まったわけか。

 しかも、聞いている限りメルJが振り切るのが得意とも思えない、紳士タイプ。

 いつもならば暴力で解決しているところを、その手札が出せないとなると唐突にメルJは弱くなってしまうのは知り得ている部分だ。

「お前……普段ならしつこいぞ、とか言ってぶん殴って終わりだろうが……」

「しつこいとは……思ったが、しっかり話を聞いてもらっている手前、言い出せなくってな……。しかも、暴力を振るえば何だか悪いような気がして……結局、流されるままに雑誌だけもらって……明後日には答えを出して欲しいとのことなんだ」

 猶予期間も長いようで短い。

 メルJ一人で判断するのにはあまりにも酷であろう。

 しかし、だとすれば――。

「お前、さっきの体操じゃ……なかったのか」

 声にするとメルJは羞恥に耳まで真っ赤にする。

「そ、その……小河原にはやはり……モデルの真似事にさえ見えなかった……か?」

 何と言うことだ。

 先ほどの奇妙なポーズは雑誌のモデルを真似ていたのだろう。

 それを体操と断言してしまった己の迂闊さに、両兵は遅まきながら当惑していた。

「……いや、悪ぃ、そんな……まさかお前がそういう……浮ついたこと、してるなんて思わなくってよ」

「いや、私もやはりどうかしていたな。モデルなんて、そんな……」

 何だかお互いにばつが悪い気分で顔を逸らしつつ、メルJが自分の手から雑誌を引っ手繰る。

「よくないな、こういうのは……。赤緒たちだって、今を必死に戦っているんだ。だって言うのに、私だけモデルだの何だの……浮ついたことを言っていたのでは示しがつかんだろうし……」

 メルJが雑誌を破ろうと力を込めたところで、両兵は思わずそれを制していた。

「あっ、いや……何つーのかな……。オレもお前のこと、ちぃと誤解していたって言うか……。破るほどじゃねぇぜ、ヴァネット」

「……このまま焼き捨てろとでも?」

「そういう意味じゃねぇって。悪いほうに捉えんな。……オレみたいなのが言えた義理じゃねぇけれどよ……それって何だかんだでチャンスなんじゃねぇの?」

 こちらの放った言葉にメルJは放心する。

「……チャンス……?」

「お前、ただでさえ思い込むとそれに引っ張られがちだろ? 柊やさつきには学校があるがよ、お前にはねぇだろうが。そういう……はけ口みてぇなの。立花はメカニック連中とヨロシクやってるところもあるし、黄坂は何かとそういう部分じゃ色々伝手持ってるだろ。だがお前にはなさそうに見えてな」

「……小河原、私はそんなに……不器用に映るだろうか?」

「……まぁ、ハッキリ言えば、ぶきっちょだよ、お前も。オレみてぇにな。ま、だからこそ言ってるのもある。囚われて逃げられなくなってから困ったなんて言ったってなかなか助け船なんて出せねぇもんだ。だが、こういう時に何か……そうだな。いっちょ一つの道を持ってると違うんじゃねぇの?」

「……それは逃げ道……と言っているのか?」

「そうとも言うな。逃げ道、大いに結構じゃねぇの。逃げ道も退路も何もかもなくなっちまうよりかは、一個でも多く持っておいたほうがいい。それはメルJ・ヴァネットって言う……まぁ、大層な操主だとしても同じことだろ」

「私でも同じ……か。同じ……なのだろうか」

「同じだよ。何が違ぇってンだ。別にお前が遊んじゃ駄目だとか、ちょっと横道に逸れちゃ駄目だとか誰が決めたよ? モデル稼業、オレはいいと思うぜ。ま、ちと浮ついてるには違いねぇから、立花には言わねぇほうがマシだろうがな」

 そう言って肩を竦めてやると、メルJは微笑んでいた。

 きっと、本心ではモデル稼業の話も聞いてみたかったのだろう。

 だが彼女の立ち位置がそれを許さないのもある。

 他のトーキョーアンヘルのメンバーにも打ち明けられないのならば、ともすれば自然消滅していた道かもしれない。

 だが、自分のような人間に相談できるのならば少しは道を諭せると言うものだ。

「……すまんな、小河原。面倒なことを聞かせてしまっているのは分かってるんだ」

「別に、そうでもねぇんじゃねぇの。持ちつ持たれつ、って言うんだったか、こういう場合」

「何だ、それ。日本人のお前が分からないのなら、私に分かるわけがないだろう」

「……それもそうか」

 しかし、ここまで話を聞いた以上、責任を持たないわけにもいかないだろう。

「……どうすンだ? あ、いや、違ぇな。……お前はどうしたいんだよ?」

「私は……私は、少しばかり……変わりたいのかもしれない。臆病な自分から、少しだけでも……。どれだけ敵を駆逐する術を持っていたとしても、何か……この手で生み出せるのなら、生み出したいんだ。きっと、実になるものを……」

「だったら、やるべきことは決まってンな」

 両兵は立ち上がり、メルJの手にある雑誌を掴む。

「……手伝ってやるよ。お前のモデル稼業」

「……小河原、言えることじゃないかもしれないが、できるのか? お前だってそういうことには疎いだろう?」

「うっせぇ。これでも少しはマシに生きる術ってのを考えてるところだよ。第一、銃振り回して暴力だとか思っていたヤツにだけは言われたかねぇな」

「……それもそうか」

 互いに笑いをこぼして、それから向かい合う。

「……頼りにしろよ。オレだって何も、役立たずってワケじゃねぇし。戦闘以外だって役に立ってみせるンだからよ」

「……そうか。頼りにして……いいんだな、こういう時に誰かを」

「当たり前だろ? ま、おかしなことにはならないとは思ってるぜ」

 しかし、と両兵は考え込む。

 ある意味ではこれは身内代表のようなもので、何だか面映ゆいのも感じる。

「では……連絡してみるとするか……。どう対応されるのか……まるで分からんが……」

「少しはマシなカッコしてみっか……お前の一大事だからよ。勝世にでもスーツ借りりゃいいだろ」

 自分の平時の服装ではまともに取り合ってもらえるかも分からない。

 くんくんと嗅いでから、やはり異臭がするのでは話にならないだろう。

「……何だか、変な感じだぞ、小河原。お前は私の親でも何でもないのに」

「うっせぇな、いいだろ、別に。気にかかるんだよ、そういうのは」

「……だが、頼りがいがある……そう思っていいのだろうかな」

「……落胆はさせねぇよ。そのつもりだ」

 ――とは言え、と両兵は勝世から借り受けたスーツと、そして慣れない香水を身に纏って早速むずがゆさを感じていた。

「小河原……何だその格好は……」

「ちゃんとしたカッコにしてくれってあいつにオーダーしたらこうなったんだよ。……文句なら勝世のヤツに言え」

「……妙な感じだな。私の用事なのにお前がちゃんとしてくれるなんて」

「こういう気分なのかもな。親子参観みてぇなの」

「……まぁ、私は普段の格好でいいと言われてきているのだが」

 いつも通りのコートに袖を通したメルJに比して、自分は少し肩に力が入っているか、と疑う。

 大通りに面した喫茶店で、両兵はその例の紳士とやらと対面していた。

 相手は柔らかな物腰で名刺を差し出す。

「あっと……こりゃご丁寧に……だっけか」

「いえいえ。それにしてもまさかお兄様が日本人だとは思いませんでしたよ」

「……オレが兄貴?」

 肘で小突かれ、なるほど、そういう「設定」で通したか、と理解する。

「あっ……どうも、兄……っす」

「メルJ・ヴァネットさん、でしたね? 本当にうちの事務所で活動していただくことに前向きになってもらったと解釈しても?」

「ああ、じゃなくって……はい」

「それはよかったです。前に差し上げた雑誌に載っているのはうちの事務所でもまだ売り出し中のモデルでして……新進気鋭とは言え、それなりに発行部数を伸ばしていますので、きっとヴァネットさんとお兄さんもご理解頂けると思っています」

「あんた……じゃない、えっと、社長……さんはヴァネット……妹のことを街角で見てスカウトってことだったが……」

「ええ。長身ですし、すらっとしていらっしゃる。モデルに非常に向いていらっしゃると感じます」

「……っと。そのモデル事務所への所属とかってのは、一応、血筋の人間を通さないと……駄目ってこと、なんすよね?」

「もちろん。いくらヴァネットさんが成人女性だからと言って、無理強いは致しません。きっちり契約の下にモデル稼業をやっていただきたいと」

 何だか拍子抜けであったのは、もっとモデル業界と言うのは汚い業種だと思っていたのもある。

 それこそ抜け駆け、追い打ち何でもありの業界なのだと思い込んでいたせいか、相手の紳士の言い分には毒気を抜かれた気分であった。

「その……一個だけ、いいっすか。……ヴァネット……妹がそっちの業界で……うまくやっていけるって言う、確証があれば欲しいんすけれど……」

 自分でも妙なことを聞いているとは思う。

 だが、一応は芸能人ということになるのだろう。

 だとすれば、胡乱な道にメルJを誘い込むのは間違っているはずだ。

 自ずと鋭い眼差しになっていたのだろう。

「小河原……何を言って……」

「下手な業界ってんなら願い下げって言ってんですよ、こっちは」

 その声音が真剣であったためであろう、メルJは口を噤んでいた。

「……確かに、浮き沈みの激しい業界ではあるでしょう。お兄様が仰っている懸念も分かります。ですがそれ以上に、やりがいのある職業だとも思っているのです。だからこそ、メルJ・ヴァネットさんをスカウトしたのですから」

 暫時、睨み合いの間が流れる。

 こちらの双眸に竦むようならそこまでのチンピラだと考えていた両兵は、真っ直ぐに見返してくる紳士に、一つ頷いていた。

「……分かりました。じゃあ、妹を……ヴァネットを頼みます」

 契約書が差し出され、押印する。

「マネージャーを付けますので、それまでの間はお兄様に同伴願えますでしょうか? もちろん、無理ならば大丈夫ですので」

「いや、小河原……兄にそこまでさせるわけには――」

「やらせてください。オレだって、引き受けた義理があるってンだ」

 こちらのハッキリとした物言いに、紳士は満足げに応じていた。

「――それにしたところで、驚いたよ。小河原。お前がまさか、あそこまでその……必死に食い下がってくれるなんて」

 帰り道にメルJと肩を並べて両兵は後頭部を掻く。

「……何つーのかな。こういうの、半端が一番駄目だって思っただけだっての。それに、お前の兄名乗るのもな、悪い気分じゃなかったって言うか」

 どうにも明言化しづらかったが、それでもメルJを守れる職務につけるのならばそれでよかったのだろう。

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