『それは確かに……なんだがな。我々レジスタンスにとってみれば、都市圏での運用を前提とした《アサルト・ハシャ》であろうとも、友軍の可能性が高い、と言うのが見立てなんだ。それに、もし決死の信号なのだとすれば放ってはおけないだろう?』
フィリプスの意見も分かるが、《ギデオントウジャ》を駆る広世は最悪の想定を浮かべていた。
「……キョムのやり口は徹底している。レジスタンスを釣るための罠として、前線の《アサルト・ハシャ》を使ったのかもしれない」
『だが助けないわけにもいくまい。広世、当てにしているぞ。お前のギデオンなら、切り込みとしては一番だ』
「よしてくれって。縁起でもない……本当は何でもないって言うのが一番なんだからさ」
本当に、たまたま友軍機が打った電報をカナイマアンヘルが拾い上げた――そのシナリオが最善だが、気を張り詰めておかないわけもいかない。
『そう言えば、津崎青葉は? 今日は一緒じゃないんだな』
「青葉は一旦前線から帰って来たメカニックの川本さんと会うんだってさ。《モリビト雷号》を見てもらいたいのもあって、今日は留守番。いいんじゃないか、たまには。思い出の仲間と会うってのはさ」
『そうか。……広世、お前はどうだ?』
「俺? 俺は別に川本さんのこともそれなりに知ってるし、それに雷号のメンテナンスを挟むってのは何もおかしなことじゃないだろ」
『そうじゃなくってだな。日本に渡ったと言う、かつての操主の相棒が居たんだろう? 会いたいと思わないのか?』
ここで偶発的に勝世のことを思い出すとは考えていなかった。
だが、迷わず返す。
「あいつは日本で上手くやっているだろ。それに……もうお別れは済ましたんだ。なら、いちいち湿っぽいのなんてお呼びじゃないだろうし」
勝世のことはよく分かっている。
操主をやめて諜報員を選ぶと言った時も、きちんと道理を通した人間だ。
きっと、トーキョーアンヘルでも自分の道を貫いているに違いない。
『そうか、いい仲間を……待て。広世。目標を捕捉。……驚いたな、本当に一機だけか?』
話を途中で打ち切って、フィリプスは《マサムネ》を戦闘機形態のまま疾走させる。
広世は一度ジャングルに着地し、《ギデオントウジャ》の両腕に保持した機銃を照準していた。
照準器を覗き込むと、中破した《アサルト・ハシャ》が視界に大写しになる。
「……本当に単騎か? フィリプス隊長、気を付けたほうがいい。何かある」
『操主としての第六感か。私も同意見だ。……《マサムネ》で直上を観測する。その後に何かあれば《ギデオントウジャ》ですかさず迎撃に出て欲しい。地上部隊へ。広世の後について来ているな?』
『こちらナナツー地上部隊、了解。隊長、何でもなけりゃいいんですが……』
レジスタンスの《ナナツーウェイ》は大盾を保持し、いつでも応戦に入れるように重火器を構えている。
「……フィリプス隊長、敵が制空権を取っていないとも限らない。慎重に行って欲しい」
『分かっている……何だ、これは? ジャミング、か? 近づいた途端、計器が……』
フィリプスの操る《マサムネ》の進行方向で何かが空間を歪ませる。
広世はそれを視認するや否や、《ギデオントウジャ》の操縦桿を咄嗟に倒し、推進剤を噴かしていた。
「……危ない! フィリプス隊長!」
《アサルト・ハシャ》の後方の空間が不意に熱源を帯びる。
フィリプスは機首を上げ、急上昇でその一撃を凌いでいた。
『何だ……これは……!』
不可視の空間から放たれたのは無数の赤い網だ。
リバウンドエネルギーを細く編んだ光条が突っ切り、空域の《マサムネ》を断ち切ろうとする。
広世はすかさず駆け出し、地上から《アサルト・ハシャ》を疑似餌にする敵影を見据えていた。
「……こいつ! 新型機か……? キョムの!」
《ギデオントウジャ》の機銃掃射が突き刺さるも、その時には地上へと赤い網が奔っている。
習い性の感覚で広世は飛び退る。
直後、地表より放たれたのは真紅の火柱であった。
自分より後方の《ナナツーウェイ》部隊へとそれらが接触し、盾が誘爆して砕けていく。
『これは……! リバウンドエネルギーを無効化する……?』
「全機、下がれ! リバウンドフォールが効かないって言うんじゃ、前に出るだけ死に急ぐだけだ!」
広世の《ギデオントウジャ》が二挺拳銃をホルスターに入れ、それと同時に肩に装備されていたブレードへと持ち替える。
機体を沈ませ、敵機がこちらを照準する前に軋みを上げて加速する。
「……ファントム……!」
超加速度に至った機体が跳ね上がり、《アサルト・ハシャ》を上下から引き裂いていた。
だが、それでも相手は《アサルト・ハシャ》を盾にして、太陽光を浴びて歪んだ像を一定にさせない。
「……フィリプス隊長! 無事か?」
『……何とか……だな。広世! こいつ、新型機か?』
「……多分。だけれど、見たことのないリバウンド兵装だ。細く編んだ網みたいなプレッシャー光線でなかなかタイミングが読めない……。それに、こいつ自身、巨体なのかそれとも小型人機なのかも分からない。……視えない敵、か」
分かっているのは《アサルト・ハシャ》の救助信号は完全に罠であったことくらいだろう。
広世はボロボロに打ち砕かれた《アサルト・ハシャ》の痛々しさに一瞬だけ目を逸らす。
――だが、下がるわけにはいかない。
『広世……レジスタンス部隊はこいつを足止めする。お前は一旦、カナイマアンヘルに帰投して津崎青葉を呼んでくれ』
「フィリプス隊長? だが、こいつの戦力は……!」
『なに、レジスタンスにも少しはカッコつけさせてくれってことさ。……火力を見るに、未知のものがある。お前までやられてしまってからでは遅い』
フィリプスの判断は間違ってはいない。
間違ってはいないがゆえに、広世としては飲み込みづらかった。
「……隊長……! だが、俺のギデオンなら、少しは食らい付けるはず……!」
『間違えるな、広世。食らい付くんじゃない、こいつはここで倒すんだ。それ以外の選択肢はないはずだろう?』
その明瞭なる答えに広世は《ギデオントウジャ》の保持する信号弾を直上に撃っていた。
赤い信号弾は一時撤退の合図だ。
「……持ってくれよ、みんな!」
《ギデオントウジャ》の機体を翻し、広世は敵機から距離を取る。
『ああ……! レジスタンスの意地を見せてやろうぜ! 行くぞ!』
――久しぶりの再会が嬉しくないはずがない。
青葉は、けれど、と少しだけ言葉を濁していた。
「川本さんがまた帰ってくれたなんて、いいこと……なんですよね?」
川本は整備班と言葉を交わしてから、自分の部屋に訪れてくれていた。
「うん……。本当のことを言えば、またしばらくは前線に出るから、その前に悔いがないようにって言う判断なんだけれどね。新型人機の整備が単独でできる人間は貴重だから」
「私……雷号の調子を見て欲しいなんて……ちょっとワガママ言っちゃいましたけれど」
「いや、青葉さんの判断は正しいと思うよ。《モリビト雷号》はかなり使い込まれた様子だったし、あれからも戦闘がたくさんあったんだってことは分かる。親方もさすがに雷号の細かいところまでは意識が割けないって言うから、グレンや古屋谷には言っておいたんだけれどね。はい、これ。前線の人機のマニュアル」
差し出された人機のマニュアルに青葉は目を輝かせる。
「わぁ……っ! いいんですか? これ!」
「うん。……って言うか、前線の人機がどんな風に動いているかなんて青葉さんくらいしか欲しがらないしね」
「じゃあ、読ませていただきます……!」
川本の手からありがたく受け取った青葉はページに跨っている人機の設計図によだれが出そうになってしまう。
最新鋭の人機の技術の粋、あるいはこうとも言えるかもしれない。
――自分が望んだ人機の未来ではないが、まだ希望はあるのだと。
読みふけっていると川本が頬を掻いて尋ねる。
「……気に入ってもらえたかな?」
「あっ、はい……! やっぱり最前線の情報ってなかなか入って来ないですから! ……その、カラカス、なんですよね? 川本さんの所属している部隊って」
「まぁ、そうだね。あの日……重力崩壊って一般的にはなっているけれど、自国への核攻撃で失われたかつての都市、カラカスのありし姿ってのは、知っている人間のほうが稀だし。人機同士の大規模戦闘が行われたって言っても形跡が何もないんじゃ、物証もない。今でも大国同士が睨みを利かせている現場だよ」
「ロストライフの中心地……なんですよね、あの場所って」
さすがの自分でもページを捲る手が鈍る。
あの日を境にして、黒い波動が各地に出現し、人々の不安を贄にロストライフを巻き起こしてきた。
南米ではロストライフの出現地点を数えるほうが楽なほど、頻発している現象だ。
「……ロストライフ現象。それに伴って、キョムの進軍……。どれもこれも、正直なところで言えば、厄介極まりないんだけれど、それでも前線で戦っている東京のアンヘルもそうだし、青葉さんたちも希望になっていると思う」
「そう……なんですかね……。私、たまに分からなくなるんです。《モリビト2号》は確かに、東京を……たくさんの人たちを守ってくれているんだろうけれど、私は相応しい操主としていられているのかなって」
「青葉さんが相応しい操主じゃなくっちゃ、誰がそうなのさ。……きっと上手くやれているはずだよ。そう言えば、さつきから連絡があったって聞いたけれど」
青葉はその話をしようと思っていたのだ、と思い出す。
「あ、はい……! この間、少しだけチャットをして……トーキョーアンヘルに所属しているみたいで、エルニィたちとも仲がいいって」
「……初報を聞いた時には、まさかとも思ったけれど……。そっか。さつきがアンヘルに所属してくれているんなら、きっと僕の設計した《ナナツーライト》と《ナナツーマイルド》も役に立ってくれているんだろうと思えるかな」
川本の提唱した《ナナツーライト》と《ナナツーマイルド》の設計思想はこれまでの人機運用とは違い、二機で一機のツーマンセルを前提とした女性型の人機だ。
パワーで力押しするのではなく、操縦技術で敵を上回る――操主自身のスペックを最大限まで引き出し、敵との拮抗状態を打破するための機体であった。
「私、一回だけ《ナナツーライト》の試験操縦したんですけれど、あれはあれでちょっと難しいですね……。リバウンドフィールドの構築タイミングがずれちゃうとツーマンセルも崩れちゃうし……」
「僕もあれはモリビトよりもちょっと操縦性に柔軟さを加えたいと思って設計したのもあるし、何よりもキョムには技術面じゃ常に上を行かれているんだ。少し搦め手でも勝利できる機体が求められていると思ってね」
川本は前線でどれほどの地獄を見てきたのか知れない。
だがその度に、奮起してきたはずだ。
この状況を変えたい、この戦局を覆したいという願いは誰よりも強いはず。
「……川本さん。私、絶対に負けたくないです。キョムに……誰かの絶望を糧にして、それで世界を破壊するなんて間違っているってあの日……両兵と、それにモリビトと一緒に誓えたはずなんですから。だから、私……!」
そこから先を遮ったのは緊急警報であった。
まさか、と青葉は川本と目線を交わし合い、格納庫へと向かう。
「《ギデオントウジャ》……? 広世っ!」
《ギデオントウジャ》がいち早く辿り着いたと言うことは、事態が切迫している証明であろう。
「青葉……! あ、川本さんも……」
コックピットから昇降機で降りてきた広世へと青葉は駆け寄る。
「大丈夫? どこも……怪我してない?」
「俺は大丈夫……だが穏やかじゃない状況なんだ。川本さん、あなたが居るって言うんなら、もしかしたら状況を打開することができるかも……!」
メカニックの視線が川本へと集まる。
「……話を、聞かせてもらえるかな、広世君」
――パチン、と火にくべた薪が弾けて青葉は広世へと声をかけていた。
「……フィリプスさんたち、大丈夫かな……」
Rスーツを身に纏った青葉は厳戒態勢で出撃時刻を待つ。
対面に座った広世は暗い瞳を伏せていた。
「……川本さんに情報があって助かったけれど……俺も悠長なことは言えない。まさかキョムが完全なステルス性能を手に入れた人機を既に実戦投入しているなんて……」
「広世は、さ……。ギデオンで出るようになってそろそろ一か月だっけ」
「あ、ああ……元々空戦人機も扱えていたし、それにトウジャなら、な。俺にも一日の長があるって思って……」
どこか会話がぎこちないのは、敵の情報が分かったところで状況は何も好転していないせいだろう。
「……ねぇ、広世。この間、ね? トーキョーアンヘルのみんなと、チャットで話したことがあるんだ。その時に川本さんの妹さんの……さつきちゃんと話す機会があって」
「うん」
青葉はその時を回顧しつつ、自分と広世を隔てる焚火へと視線を落とす。
「……私、言い出せなかったの、ズルいのかな? さつきちゃんに、お兄さんはきっとすぐに帰ってくるだとか、元気だよ、だとか、言えなかったんだ。何だかそういう、場当たり的な希望を言えなくなっちゃって……。やっぱり、私ってズルいや……」
「ズルくなんてないだろ。実際、川本さんは忙しいし、技術顧問として本当の最前線にまで出ているんだから。こうして帰って来られたタイミングがあっただけでも奇跡みたいなもんなんだからさ。……キョムとの最前線なんて、俺はなかなか想像もできないよ」
「……私たちだって、キョムの人機と戦うことは多いけれど、本当に危ないのは八将陣が展開しているって言う日本のほうなんだもんね。……ロストライフの怖さは言うまでもないだろうし……」
だからなのだろうか。
少しだけ今日の自分は塞ぎ込みがちだ。
かつて頼れるメカニックだった川本が一瞬とは言え帰って来てくれて、敵への打開策が見えたからこそ、不意に差した不安の影だったのかもしれない。
たとえ「黒髪のヴァルキリー」と渾名されていようとも、自分はあの頃より少しも変っちゃいない。
まだまだ――弱いままだ。
「青葉、俺はさ……青葉のそういうところ、あっていいと思ってる。不安になることも、怖くなっちまうことも、あって当たり前なんだよ。俺たちは所詮、人間なんだからさ。どれだけ人機を上手く操縦できても、そこが変わっちゃ駄目なんだ。だからこそ、青葉は黒将を倒せた、そうだろ?」
「そう……なのかな……」
空を仰ぐ。
冷たい風の吹き荒ぶ夜空に、白銀の月が浮かんでいる。
今はただ、明日勝利するためだけに――瞑目し、青葉は呼吸を整えていた。
「……そうだと……うん。そうだと私、いいなって思えるかもしれない。だって、まだ希望を捨てちゃ駄目なんだから」
人機がいずれ、車や飛行機のように人間の役に立てる未来、寄り添える希望を自分が捨ててしまえば、誰がその未来像を描けると言うのだ。
昼過ぎに川本からもらった前線のマニュアルを青葉は開いていた。
そこに刻まれている設計図も血と汗の結晶だ。
誰かの命の上に成り立っている技術なのだろう。
ならば自分は、少しでも役に立ちたい。
広世が微笑みかけて尋ねる。
「落ち着いたか? 青葉」
「……うん。広世もちょっと、大人になったよね」
「そう、か? 自分じゃ分かんないんだけれど」
「背も伸びたよ。……じゃあ、行こっか」
青葉は格納庫から出撃姿勢に整えられた《モリビト雷号》へと視線を向ける。
整備班がかつての日々を取り戻したように活気づき、声を響かせていた。
「各種機体調整、完了! 《モリビト雷号》、行けます!」
「……広世。戦おう」
踏み出したその足は、迷いを捨て去っていた。
――《マサムネ》の機動力が如何に通常人機のそれを凌駕しているとは言え、長期戦となれば違ってくる。
「……既に火力勝負のガンツウェポンも使い切った。後は、残っているのは標準装備のガトリングと、それに機銃くらいか。接近戦は挑まないほうがいいな……。敵の動きはまだ分からないんだから」
地上部隊は度重なる敵の攻撃によって損耗していたが、不幸中の幸いか今のところ死傷者は居ない。
だが限界が近いのは明白であった。
「こちら、フィリプス。……敵に隙を作る。それを逃さずに一時後退、津崎青葉と広世を待て」
『待ってください……隙? それって、無茶をするって言うんじゃないでしょうね、隊長』
「……無茶も無謀も承知だ。視えない敵を相手に、隙を作るんだからな。……行くぞ、《マサムネ》。せめて散り際くらいは、カッコつけさせてくれよ……!」
加速し《アサルト・ハシャ》を疑似餌とする敵へと特攻する。
部下たちの声をわざとシャットアウトし、フィリプスは満身から叫んでいた。
だが、その命を賭した特攻は直前で長距離砲撃によって遮られる。
『フィリプスさん!』
「津崎青葉……《モリビト雷号》か!」
直前で機首を引き上げ、敵の放つ赤い閃光から逃れる。
『フィリプス隊長! ……よかった、まだ生きていたな』
「広世……! ああ、まだまだ生き意地汚いレジスタンスだ、こんなところで終われるものか!」
『レジスタンスの皆さんは一旦、下がってください。《モリビト雷号》が戦局を押し上げます!』
青葉の操る《モリビト雷号》は砲撃を矢継ぎ早に敢行するが、それらが全部命中したかと言えばそうではない。
やはり、不可視の敵を相手にすれば青葉といえども苦戦するのか――浮かびかけた絶望の影に広世の声が響き渡る。
『心配しないでくれ! ……俺たちが、勝つ……!』
《ギデオントウジャ》と並び立った《モリビト雷号》には特殊装備が施されていた。
「両肩に……リバウンドシールド……」
リバウンドシールドを増設装備された《モリビト雷号》は敵が赤い網の光線を放った瞬間に駆け抜ける。
『……ファントム……!』
空間に掻き消えた《モリビト雷号》だが、平時よりも速力が落ちているのがフィリプスの眼にも明らかだった。
「盾二枚のせいか……! 重さでやられるぞ、津崎青葉……!」
両側から挟撃の構えを取った敵の放つ赤い閃光に対し、青葉は一歩も引かない。
それどころか果敢にも前進する。
細く編まれたプレッシャー兵装が盾を削り、一瞬きの間に纏ったリバウンドフィールドを粉砕していた。
「津崎青葉!」