パソコンの前に佇み、じっと画面を凝視しているのは赤緒であった。
一時間ほど前に補充しておいた菓子パンをもぐもぐと頬張り、微動だにしない。
否、微動だに、と言うのは少し違い、実際には彼女はマウスを動かして視線を忙しなく走らせている。
その眼差しの先には、画面上に表示された「美少女」の姿があった。
いわゆるアニメ調の絵柄で、赤緒に対して笑いかけている。
下部にメッセージが表示され、赤緒は素早くマウスで選択肢を精査するが、やはりと言うべきか、何度目か分からないバッドエンドを迎えていた。
「あー……やっぱり駄目ですね……。この子だけ攻略できないとかじゃ……」
「あ、あのさ! 赤緒! ……そろそろやめない? ほら、もう結構……って言うか、丸二日くらい? それに夢中になっているけれど……」
「いえ、でもこの子、攻略対象なんですよね? ……じゃあ、攻略しないと……」
あむあむ、と菓子パンを口の中に放り込んでは咀嚼し、何度もセーブデータをやり直す。
その模様は平時の彼女とはまるで異なっており、エルニィは困惑していた。
「……どうしよう……赤緒が二次元の女の子にしか興味がなくなっちゃった……」
「そもそも、自称天才。あれを赤緒に与えたのはあんたでしょうに」
台所に集っていたのは両兵とエルニィ、そしてルイと南である。
「だってぇ……こんな風になるなんて思わないじゃん。あれだけ言っておいて……まさか一番ハマっちゃいけない人だったなんて」
「そもそも……エルニィ。あんた今回のあのゲーム、何だって赤緒さんにやらせたのよ。なかなか手に入らない試作品だって聞いたけれど……」
南の詰問にエルニィはあたふたと応じる。
「わ、悪気があったわけじゃないんだってば。ただ……ゲーム仲間からもらった品を、誰よりも早く遊べるって言うんで、それでパソコンに入れたところで、赤緒が例のごとく……」
憔悴し切った様子でエルニィは口火を切っていた。
――近頃は雨の季節で、直近で言えばそろそろ衣替えが終わり、夏服になろうといったところで赤緒は夏服を取り出そうとして、そう言えばと思い返す。
「立花さんとか、ルイさんとか……夏服持っていたっけ?」
さつきはと言うと、数日前から夏服の準備はしておりさすがはこういうところではしっかりしていると感心していた。
「さつきちゃん、夏服可愛いよね」
部屋で夏服を干しているさつきと赤緒は顔を合わせる。
「あっ、赤緒さん。……ですね。けれど、赤緒さんもついこの間まで中学生だったんじゃないですか。赤緒さんだってこの服を着ていたんですから」
「うん。けれど私、何て言うのかな、着られているって言うか、うまく着こなしたことないかも」
「赤緒さんでも、ですか……?」
さつきの夏服は自分のサイズに比べれば随分と小さい。
元々小柄な彼女のサイズに合わせようとすれば必然的にそうなるのであったが、自分のお下がりをあげられなかったのは少しだけ心残りだ。
「私って結局、ファッションセンスとかないし……。それは色々と身に染みているって言うか。でも、さつきちゃんは夏服、似合っていると思うよ? いつもの割烹着も似合っているけれど」
「そう、ですかね……? 何だか実感ないなぁって思うんですけれどね。一応、赤緒さんの高校に附属って言うことで、安心はしていますし、ルイさんや立花さんも一緒だから嫌なこととかはないんですけれど」
そう言えばルイの夏服姿を見ていないな、と思っていると玄関が開いた気配がしたので赤緒は階段を降りていた。
果たして、ルイは夏服を着込んでちょうど帰ってきたところであった。
荒縄を巻いた歩間次郎を抱えているところを見るに、散歩帰りらしい。
「おかえりなさい、ルイさん。あれ……? でも衣替えはまだ……」
「慣らし運転よ。雨は降っているけれど、まぁ、小雨程度なら傘さえ差せば大したことにはならないでしょうし。それにしても、じめっとして湿気ばっかりなのね日本って」
「……悪いことばっかりじゃないですよ? こうして四季を楽しめるのが日本のいいところなんですから」
「日本人ってそういうところ、本当に何て言うのかしら。悠長って言うか、必要以上の余裕があるって言うか。南米じゃスコールが降った翌日にはまともに出撃なんてできなかったくらいなんだし。そう考えると、雨って言っても可愛いものね」
「でも、夏時分になると台風とかが来ちゃいますし、あまり油断はできませんよ?」
「台風……? そんなものもあるのね。ま、どうせ大したものじゃないでしょ。日本の気象現象って言うのは何て言うのか、みみっちい感じがするわ」
夏服の制服に身を包んだルイは同性でも見惚れてしまう着こなしだ。
カニバサミの髪留めを揺らし、軽装でいつもよりも三割増し程度の自由さを誇っている。
「それにしたって、雨は憂鬱よ。どれだけスコールよりかはマシだって言ったって、こんな季節、すっ飛ばしちゃえばいいのに」
「……そうはいかないのが日本なんですよ。えーっと、いわゆる侘び寂び、みたいって言うか」
「どうせ赤緒はその言葉の半分だって理解しちゃいないんでしょうけれど」
軽く侮られつつ、ルイはと言うと台所で冷蔵庫からアイスを取り出していた。
「あっ、ちょっとルイさん? アイス食べるのは別にいいですけれど、まだちょっとは涼しいんですから、食べ過ぎるとお腹壊しちゃいますよ?」
「ほーひふの、へんほう」
「食べながら喋らないでください。行儀悪いですっ」
ルイは致し方なしにアイスを頬張ってから、言い直す。
「そういうの、面倒よ。第一、あんたが買ってくるアイス、もうちょっとお高めのものを買い揃えなさい。安っぽいソーダ味には飽きたわ」
「それは……柊神社だって無限にお金があるわけじゃないんですよ。分かってください」
「無限にお金ねぇ……。そういう点で言えば、あの自称天才にでも頼ればいいじゃないの」
「何を言っているんですか。お二方の財布は私が、責任を持って握っているんですから」
ルイはその言葉に静かに舌打ちする。
「ちっ……そうだったわね。ぬかったわ」
「今、普通に舌打ちしましたよね?」
「してないわよ。それにしても、あの自称天才は? こういう時、やたらとうるさいのがあれでしょう」
そう言えば、と赤緒は今日、朝食後にエルニィの姿を見ていない。
格納庫でメカニック三人娘と一緒に遊んでいるのだろうか、と思っていると、居間で鎮座するエルニィの後ろ姿を発見していた。
「あっ、立花さん。そろそろ夏服を出したほうがいいですよ……って、何しているんです?」
エルニィはこちらの言葉が聞こえているのかいないのか、パソコンの画面を凝視していた。
さすがにディスプレイとの距離が近過ぎる。
「立花さーん! 眼が悪くなっちゃいますよー!」
そこまで呼びかけるとようやく気付いたのか、振り返った彼女の眼からはしかし、想定外の涙がこぼれていた。
赤緒は思わずうろたえて後ずさる。
「な……っ! どうしたんですか? もしかして……泣くようなことでもあったとか……!」
「あっ、いや……違うんだ、赤緒。いや、ある意味じゃ違わないか。泣くようなことはあったんだけれど、それは別にボクの問題点だとかそういう話じゃなくって、ちょっとね。感動しちゃって……」
「感動……って、何です? これ」
赤緒が指差したのはパソコンに描画されている絵であった。
いわゆるアニメ絵、とでも呼べばいいのだろうか。
見目麗しい少女らがタイトル画面に集い、桜の演出が舞う。
「あれ? 分かんない? ゲーム……って言うとまた怒られちゃうかな?」
後頭部を掻いて茶目っ気たっぷりに舌を出したエルニィに、赤緒は怒るよりも先にどういうゲームなのか気にかかっていた。
「立花さん、よくやってるのってその……暴力的なゲームだとか、そういうのばっかりじゃないですか」
「失礼しちゃうなぁ、赤緒ってば。暴力的って、言い草! あれは対戦格闘ゲームってジャンルで、きちんと意味があるんだってば」
エルニィが主にルイと遊んでいるゲームは大体三つくらいに大別されるだろう。
格闘ゲーム、シューティングゲーム、それにパズルゲームだ。
どれも赤緒も何度か触ったことはあったが、真っ当にできたためしがない。
格闘ゲームは言わずもがな、シューティングゲームでは一面で脱落するし、パズルゲームでは連鎖と言うシステムが理解できずに一方的に二人にカモにされてしまう。
その上、自分はゲームと言うものに対してあまり造詣の深いほうではなかった。
エルニィとルイはしょっちゅう遊んでいるが、どのゲームもあまり夢中になれるほどではなかったのである。
それは単に向いていないというだけの意識ではなく、そもそもどことなく、テレビゲームに対してのマイナス感情を抱いている部分もあるのだろう。
「……まぁ、格闘ゲームは置いておいて。パソコンでゲームなんてやるんですか?」
「ああ、うん。これねー、海外とかの開発仲間とか伝手とかを利用して手に入れた最新作! とは言え、ほとんどの開発陣は日本なんだけれど」
「……何です? これ。制服姿の女の子の絵の下に台詞……? がありますけれど」
「あっれー? 赤緒、もしかして気になっちゃう?」
「べ、別にそんなわけじゃ……。でも、この子が格闘ゲームみたいに戦うんですか?」
その問いかけにエルニィはがっくしと肩を落としていた。
「あのねぇ……さすがにいたいけな女の子がバイオレンスな戦いに身を投じるって言うのは……いや、待てよ? 一周回ってありかも……でも、これはそういうゲームじゃありませーん」
エルニィがパッケージを差し出す。
そこには普段エルニィたちがやっているゲームとは演出技法そのものが異なっているかのような美麗な絵が描かれている。
「……えーっと……“永遠の愛を誓い合う桜の木の下で、今、恋愛シミュレーションゲームの最先端が幕を開ける”……シミュレーションって……人機とかでよくやる、戦闘訓練と同じ言い回しですけれど」
「ま、大体の理解は間違っていないかな。要はさ、機械演算上でその様を予測して観測して、そしてその結果を概算するんだ。それを人機の戦闘ではなく、恋愛でやろうって言うわけ」
「……恋愛でやろうって言いますけれど、恋愛こそシミュレーションできないんじゃ?」
こちらの疑問にエルニィは甘いとでも言うように指を振る。
「ちっちっ……分かってないなぁ、赤緒は。これってさ、いわゆる疑似人格システム……まぁ、もっと分かりやすく言うとAIね。《バーゴイル》とかに積まれてる。それを発展させて、これから先、ボクたちが戦いやすいように無人専用の人機の試験に使えるんだよ。海外からの援助を得ているのはそれもあるってわけ。まぁ、カラカス防衛戦なんかじゃ、大量の《アサルト・ハシャ》を疑似的に無人で稼働させる術もあったらしいし目新しい技術ってわけでもないんだけれどね」
エルニィの言葉を咀嚼しつつ、赤緒はパッケージの文言を上から下へと読み直す。
「つまり……一応トーキョーアンヘルの業務ってことですか?」
「一応どころかかなり役立つ分野だと思うけれどねー。だって、みんながみんな、万全の姿勢で臨めるわけじゃないんだし。その時々で無人を使い分けるのも作戦の一つだとは思う」
それでも赤緒はパソコンの少女姿に人機の未来を重ねるのは難しかった。
「……立花さん、上手く私を言いくるめようとしてませんか?」
「心外だなぁ。第一、それならもっと上手い嘘をつくって。ゲームしてるだけって言ったほうがマシだし。これでも仕事なの! 赤緒は……まぁ、ゲーム苦手だろうし、黙認してよ」
「も、黙認はできませんよ……! 言いましたよね? ゲームは一日――」
「一時間、でしょ? ……いい加減耳タコだなぁ、それ……。じゃあさ、赤緒がやってみなよ」
唐突にそう提案されたので赤緒は困惑する。
「わ、私がですか……?」
「うん、そう。いくら赤緒がとんでもないゲーム音痴でも、さすがに選択肢を選ぶだけのゲームでゲームオーバーはないでしょ」
「そ、それは言い過ぎ……でも、私、やり方なんて分かんないし……」
「マウスで選択肢を選ぶだけ。簡単操作だよ。あー、でも、好感度とかは気に懸けないといけないかも」
エルニィの口から出た意味不明な言葉に赤緒は聞き返す。