小首を傾げるさつきは自分のどこが変なのか理解できていない。
それよりも、昼休み終わりからようやく登校してきたルイのほうが随分と変だ。
「何て言うのかしら……パチモンみたいって言うか……」
「パチモンって……私の顔に何か付いてます?」
「何か……明言化できないのよね。ねぇ、自称天才。あんたも変だって思うでしょう?」
黒板を消している途中だったエルニィへと尋ねたルイに対し、彼女は疑問符を浮かべる。
「……さつきが変だって? うーん……看たところ、熱はないみたいだし……。それに顔色も悪くない。喉は……」
エルニィに喉を診察されるが、生憎のところどこも悪くない。
「違和感があるの。あんたも分からないのね」
「そんなこと言ったってさぁ……って言うか、ルイも変じゃん。今日は何で昼休みから登校? そんなんじゃ、内申点に響いて来るよ」
「何よ、教師みたいなこと言っちゃって」
「いや、ボク一応、二人の教師……って言うか、まだ認めてくれなかったわけ?」
「あんたなんかが担任教師なんて頭が痛くなってくるわよ。それよりも、天才だって言うんなら、さつきの違和感に気づきなさいよ」
エルニィが覗き込んでくるので、さつきは気圧されたように座ったまま後ずさる。
「うーん……あっ! リップ変えた?」
「いえ……リップは一応、禁止なので……」
「じゃあ、何だろ……。化粧水とか?」
「いえ……って言うか、そういうのはまだ私に早いかなって……」
すると、ルイがすんすんと鼻を利かせる。
「……ちょっと汗臭い」
さつきはそう言えば朝方に体育の授業があったことを思い返し、思わず頬が紅潮する。
「な――っ! 何言ってるんですか! ルイさんのえっち!」
「別にえっちなことないじゃんねぇ、ルイ」
「そうね。それに、汗臭いって言ってもそこまでじゃないわ。気にしないで、さつき」
安心していいんだか悪いんだか分からない結論に、さつきは項垂れる。
「何だって言うんですか。……もしかして、ケチつけてます?」
「ケチだなんて。私がさつきにケチをつけたことなんてあった?」
何だかたくさんあったような気がするが、ここでは言及はよしておく。
「でも、ルイの違和感って言うんだから、何かしらあるんでしょ? ……うーん、さつき、ちょっと立ってみてよ」
さつきはエルニィに促されるがままに立ち上がる。
すると、エルニィがスカートを捲ろうとして来たので思わず膝蹴りをその顔にめり込ませる。
「な――っ! 何をするんですか! 立花さんのえっち!」
「痛った……! いや、すごいパンツでも履いて来てるのかなって思っちゃって」
「そ、そんなの履いてくるわけないじゃないですか! ……って言うか、ここクラス! いつもの柊神社じゃないんですよ!」
「いつもの柊神社なら履いてるの?」
「履いてませんよ! ……大声で会話してると、目立っちゃうって話です……」
今になって自分たちの会話がクラス中に聞かれていることに気づいてさつきは声のトーンを落とす。
エルニィとルイは顔を見合わせて後頭部を掻く。
「……いや、別に気にしないし」
「さつきじゃないのよ。そんなの気にしてたら重役出勤なんてできないわ」
「……自覚あるんじゃないですか、もう」
はぁ、と肩を落とすと、不意にルイが肩を引っ掴む。
「な、何ですか……?」
「さつき……」
その麗しいかんばせが目前まで近づく。
大写しになったルイのエメラルドグリーンの瞳に吸い込まれそうになって、さつきはぶんぶんと頭を振る。
「だ、駄目ですってば! 女の子同士ですよ!」
「……さつき……いつもの“しっぽ”がない」
ルイの指先は自分の首筋を通り過ぎて、髪の毛を払っていた。
その言葉でようやくエルニィが得心する。
「そっか。そう言われてみればそうだ。いやー、後ろからさつきを見るなんて滅多にないから気付かなかったなぁ。いつもの“しっぽ”、ないじゃん」
「尻尾……えっ、私に尻尾なんて……」
お尻のあたりを気にすると、そっちじゃなくって、とエルニィが指差す。
「髪の毛の。いつもは後ろで一本に結ってるでしょ?」
あっ、とここまで何故思い至らなかったのだろうと、さつきは髪の毛を気にしていた。
「今日は……そう言えばしてない……」
「だからなのね。パチモンくさかったの」
「赤緒の髪留めみたいだねー。確かにないと違和感があるや」
ルイは空いている机に座り込んで、腕を組む。
「初めて会った時からやってるでしょう、あれ。さつきなりのオシャレなのかと思っていたけれど」
「あ、いや、別にあれは……その、おまじない、みたいな……」
「おまじない? 何かあったの?」
「その……昔の話になるんですけれど、お兄ちゃん……あっ、小河原さんじゃなくって……。兄にはじめて、結ってもらったことがあるんです。それからかな、ずっとなんですけれど」
「じゃあ、さつきにとってのルーティンワークみたいなものってわけ。けれど、そんな大事なもの、何で忘れたの?」
「……何で、ですかね……?」
自分でも分からない。
「分かった! 今朝が特別忙しかったとか?」
「うーん……別にそうでもなかったような……? 朝はいつも五時前に起きていますし」
「うへぇ……さつき、そんな時間に起きてるの? ボクならすぐにバテちゃうなぁ。赤緒のほうが遅いんでしょ?」
「あ、はい。赤緒さんは六時くらいに……あっ! でも赤緒さんも私が来る前は五時起きだったって聞きます」
「要は赤緒のほうもさつきが柊神社に来てから緩んでいるってことね」
自分なりのフォローをしたつもりだったが、余計なひと言だったらしい。
さつきは咳払いして、ともかく、と声にする。
「ま、まぁ……その! いつも通りですよ、今日も。別に忙しかったわけじゃないですし」
「じゃあ、何で? それする理由ってさつきのお兄さん……えーっと、川本宏だっけ?」
「あ、はい。お兄ちゃんによくやってもらって……ずっとですかね?」
「それは何で?」
心底疑問でしかないように、ルイは尋ね返す。
「何でって……うーん、子供の頃からの習慣が抜けない、とか……?」
「髪紐は柊神社にあるの?」
「あ、はい。……ずっと五本くらいは……」
その段になってエルニィがにやにやと笑ってルイへと目配せする。
ルイもそれを受けて頷いていた。
これは悪い流れだ、とさつきは逃げ出そうとしてルイとエルニィに手首を掴まれていた。
「じゃあさ! せっかくなんだし、帰りに寄ろうよ!」
「あ、あの……そもそも放課後にどっかに寄るのは校則違反……」
「カタいことを言わない。あんただって、いつまでもパチモンってわけにはいかないでしょ。そうね……まずは渋谷辺りを攻めようかしら」
こういう時に、赤緒が居ないと誰もストッパー役が居ないのだ。
エルニィとルイに引きずられるようにして、さつきは渋谷の街へと連れ出されていた。
――思っているよりも街並みは雑多で、それでいて同い年くらいの女子中学生もよく見る。
ルイはよく繰り出しているようだが、さつきにとってはあまり馴染みのない場所であった。
「……ここが、渋谷……」
「そっ。まぁ、ちょっとしたファッションストアにでも寄ってみよっか」
「……そもそも、二人ともよくないですよ……制服ですし」
「何か問題が?」
ルイは心底どうでもいいように返答するが、エルニィは白衣をつっかけたままだ。
「あっ、教師のカッコのままで来ちゃった。まぁ、いっか。引率ってことで」
「……もう。立花さんもよくないですよ……」
「まぁまぁ。そうだ! せっかくなんだし、これなんてどう?」
エルニィが手に取ったのはピンクのリボンであった。
幅広で主張の強いそれを自分の背中に据えられる。
何だかそれだけで首根っこを押さえつけられたような気分になって、さつきは息苦しさを感じていた。
「あの……そんなにおっきなリボン、私には似合わないって言うか……」
「まぁまぁ! 試してみようじゃんか。うーん……けれど、さつきっていつもの“しっぽ”も変だよね。ほとんど長いわけでもないじゃん。だって言うのに、あれだけは欠かさないんだね」
「私の尻尾って……あれは尻尾じゃなくって……」
とは言え、二人の認識ではあれは尻尾らしい。
ルイも色々と雑貨を探っている。
「……あの“しっぽ”って普段どうやってつけているの?」
「だから、尻尾じゃ……まぁ、普通に髪紐なんで軽く括ってるだけですけれど……」
「ほら! できた!」
鏡の前に引き出されると、エルニィの結ったリボンがいやに主張が激しく、何だか人機の背面に装備する兵装のようであった。
「……立花さん、これじゃミサイルポッドみたいですよ」
「あーっ、それか、既視感。なーんか、どっかで見たことあるなぁって思ったんだよねぇ」
「自称天才、これ。付けさせなさい」
ルイが掴んできたのはティアラのような豪奢なヘアアクセサリーだ。
「それって前に付ける奴じゃ……」
「まぁまぁ、試してみよっか!」
「……面白がってますよね?」
装着すると、おお、とエルニィから声が上がる。
「どっかの国のお姫様みたい」
「……でもこれ、全然代わりにならないって言うか……」
「今度はこれ」
「どれどれ……あっ、今度は日本人形」
赤いカチューシャを付けられると、一気に庶民に戻ってくる。
「……ルイさんに立花さんも! 私で遊ばないでくださいよー!」
「じゃあこれとかは?」
今度はベージュ色の髪紐ではあったが、本数が多く、エルニィはメカニック仕込みの器用さで髪の毛を編み込んでいく。
「おっ、これをこうして……通していくと……できた!」
「……あの、これ、私じゃないですよね?」
髪の毛を複雑に編み込まれてしまい、自分でも解き方が分からない。
「もう、さつきってば我儘だなぁ……って言うか、これでもよくない? 明日っからこれで」
「……自分で編めないですし……似合いませんよ」
「そう? たまには気分転換にいいかなって思うんだけれど」
「い、いいから解いてくださいよ……。何だかむずむずしちゃいます……」
髪の毛を解きながら、エルニィは髪飾りをそれとなく付ける。
「おっ、今度は成人式だ」
花をあしらった髪飾りに、さつきは嘆息をつく。
「……あの、私で遊ぶのやめてくださいよ……。って言うか、色々あるんですね……」
「渋谷だからねー。若者の流行の発信地!」
さつきも少しだけ気になって、ワゴンの中に積まれている髪飾りをいくつか手に取る。
花かんざしを挿すと、いつもの印象とはまるで違ってくる。
「おっ、今度は海外の人みたい。……さつきさ、髪の毛も綺麗なんだから色々試せばいいのに。何であんなに地味な“しっぽ”なのさー」
「だから、尻尾じゃないんですってば……。って言うか、その点で言えばルイさんの……髪飾り? も特殊って言うか」
「何で疑問形だったのよ。……これはね、戦歴なのよ」
「戦歴……? カニの髪飾りが……?」
「まぁね。昔、死闘を演じた相手との約束の証よ」
それがカニの髪飾りと言うのがどうしても結びつかず、さつきは首をひねる。
「まぁ、ボクも髪飾りはしているけれどねー。ミサンガファッション!」
そう言えばエルニィもあまり着飾るタイプではないが、灰色の髪飾りをしていた。
「……立花さんのそれは?」
「んー……ボクのはじーちゃんがこれでも付けとけって言ってたのをそのままかなぁ。あっ、さつきのおまじない? みたいな。ずーっとやっていると習慣になっちゃうんだよねぇ」
思えば二人とも特殊なファッションセンスである。
それとも、南米ではそれが普通なのだろうか。
「けれど、私だけじゃないんですね……おまじないみたいにするのって」
「女子ってそういうもんじゃない? 子供の頃のファッションが、ずーっと抜けないって言うか。まぁ、どっかでこの好みも変わったりするのかなぁ? するんだとすれば……うん、ちょっと楽しみかも」
「楽しみ……ですか? でも、それって何だか……」
言い切れなかった言葉を、さつきは飲み込む。
――それは何だか、少し寂しくもないのだろうか。
エルニィとルイにそう言うのも憚られて、思わず口を噤む。
「そうだ! ルイのそのカニバサミ、さつきに付けたら似合うんじゃない?」
「や、よ。これは私のアイデンティティ。他の奴になんて付けさせるものですか」
そこだけは断固として拒否されたので、エルニィはむっとする。
「ちぇー、ケチー。でも、確かにそうかも。さつきにこの髪紐あげちゃう気にはなれないなぁ。それってボクもケチってことなのかな?」
「いや、ケチとかじゃないと思いますよ? ……だってそれって、立花さんだけの思い出じゃないですか。それに付け入るって言うか、便乗するのは悪いですよ」
「そう? ふぅーん、じゃあさつきの“しっぽ”のおまじないも、さつきだけのもの……って言うのは、ボクららしくないよね?」
どこか悪ガキの笑みを浮かべて、エルニィはルイへと確認を取る。
「ええ、そうね」
ルイが手にしたのはちょうど普段自分が付けているのと同じような赤い髪紐だ。
それを会計してから、二人は自分の背を叩く。
「さぁ! 行くよ、さつき!」
「えっ……ど、どこへ……?」
「どこって、言ったでしょ? ここは若者の流行の発信地、渋谷! それなら絶対、通うところがあるよね?」
次いで訪れたのは家電製品の量販店で、さつきが戸惑っている間にもエルニィは目的のものを買い揃える。
「それって……カメラですか?」
「そっ。最近知ったんだけれどさ、日本じゃフィルムカメラってこんなに小さいんだねー。小型化の象徴って言うところかな。それで思ったのが、どこでも撮れちゃうくらい軽いこのカメラなら、今を写すのに最適じゃんって話」
確かに値段帯も手が届かない、と言うほどではない。
その名の通り、「インスタント」に写真を楽しむことができる代物だろう。
エルニィは自分を引き連れてルイと共に渋谷の街を巡る。