「さっ! 撮ろっか!」
背景を絞り、エルニィとルイはそれぞれに赤い髪紐でオシャレする。
自分にも差し出されて、さつきは一瞬だけ戸惑ってしまった。
「わ、私も……?」
「当たり前でしょ。せっかくなんだ、渋谷で三人、いいんじゃない?」
ウインクされてさつきは困惑しながらもいつものように髪紐を結ぼうとして、エルニィに諭されてしまう。
「さつきさー、せっかくの渋谷なんだし、もっといつもと違うことしないと! ほら、サイドで留めてあげる!」
エルニィに髪を預けていると、さつきはかつて兄に留めてもらった時のことを思い返す。
――さつきは髪が綺麗だね。きっと将来は――。
不意に脳裏を掠めた記憶に、ぽつりぽつりと涙がこぼれていた。
それに勘付いたルイがエルニィを肘で小突く。
「……自称天才、さつき、泣いてるわよ」
「えっ、ウソ! ごめん、痛かった?」
「あっ、いえ、そうじゃなくって……! ……何だか、思い出しちゃうなぁってだけなんで。……大丈夫です」
「それ、大丈夫じゃない人の言い分だけれど……いい、んだよね?」
あたふたとするエルニィへと、安心させようと笑顔を作る。
「……はい。私、渋谷とかほとんど初めてですけれど……どこを歩くんですか?」
「よ、よかったぁ……。渋谷の歩き方ね! こっちこっち!」
エルニィに手を引かれて、さつきはルイと共に渋谷のスクランブル交差点を歩む。
そこいらかしこで写真を撮り、その度に自分はどう写っているのだろうと気にかかる。
「……立花さん。これってどれくらい現像までにかかるんですか?」
「まぁ、最短で一時間くらいかな。何ならギリギリまで撮って、それで帰り際にカメラ屋さんに行って明日には登校の時にでももらっておこっか?」
「……もう。登下校時に寄り道は厳禁ですよ」
「カタいこと言わない。赤緒じゃないんだから」
「そうそう。“立花さんっ! そういうところでルールを破ると後で痛い目を見ますよっ!”とか言い出すに決まってるんだから」
ルイの赤緒の物真似が思ったよりも堂に入っていたからか、エルニィがツボった様子で笑い転げる。
「ルイ、今のすっごい似てた。赤緒のアホ面が見えてくるくらいには」
「そうでしょう。赤緒の怒り方は最近、簡単にコピーできちゃうのよ。私の十八番ね」
何だかそれは見えないところで赤緒の怒りを買っているのではないかとは思いつつも、さつきはエルニィのシャッターに目線を振り向ける。
「ほら! さつき、目線こっち! じゃあ、せーのっ!」
シャッターが切られ、さつきは笑顔を向ける。
今は、難しいことを考えなくってもいいのかもしれない。
ちょっとした楽しさに、身を任せるのもきっと、彼女らと同じ道を歩むのならば。
「――うん? 何だか違和感あンな」
台所でこちらへと振り向いた両兵の声に、さつきは味噌汁の仕込みを終えて視線を合わせる。
「あっ……それは」
「分かった。“しっぽ”がねぇ」
何だか両兵にもあれは尻尾だと認識されているのだな、とさつきは項垂れる。
「……どうしたんだよ。いつもしてるだろ? あの“しっぽ”」
「だから、尻尾じゃないんだってば……。でも……お兄ちゃん、気付いてくれたんだ」
「あン? 当たり前だろ。違うところがあれば気付くっての」
当然のように返されたその言葉が、今は胸に沁みていた。
「……昔ね、お兄ちゃん……あっ、本当のお兄ちゃんに結ってもらってからずっとしてるの」
「へぇ、あのヒンシが。あいつに女子の髪を結うなんて洒落たことができたとはな」
「……お兄ちゃんはいつも、さつきの髪を結いながら言ってくれたの。“さつきは髪が綺麗だね”って。“きっと将来はいいお嫁さんになるよ”……とか」
思い出してしまったからかもしれない。
あるいは、夕刻に押し殺した感情が堰を切ったのか。
涙が自ずと溢れていた。
「……さつき」
「ううん、これは違うの……。寂しいとか、そういうんじゃなくって……うん。懐かしいおまじないだったな、って。そう思えるからなのかな」
「懐かしいおまじない、ね」
「うん。さつきね、お兄ちゃんに髪の毛を結ってもらった、その日から、あまり泣き虫じゃなくなったって言うか……お兄ちゃんの勇気を分けてもらったみたいな気分になっていたのかな。今もそれは同じなの。あの赤い髪紐で、いつでもお兄ちゃんとは繋がっているんだって」
「どれだけ遠く離れても、か。……さつき、立派な心がけだと思うが、それは一個だけ違ぇよ」
「……えっ、一個だけって……」
「分けてもらった勇気はもう、てめぇ本人のもんになってンじゃねぇの? 誰かさんからもらっただけの代物じゃねぇよ」
すとん、と胸の内に落ちた気分であった。
そうか、もう自分は、誰かに勇気を分けてもらうだけではなく――。
「さつきちゃーん、お腹空いちゃった、お菓子……って! な、何で泣いてるの? あっ、両! あんた、さつきちゃん泣かせたわね!」
台所へとやってきた南が両兵の耳を引っ張る。
「痛ってて! 何にもやってねぇよ!」
「嘘おっしゃい! あんたってば、いっつもいっつも……さつきちゃん。こいつは私がどうにか片づけておくわ」
「片づけておくって何だよ! てめぇに言われるとロクなこととは思えねぇんだが!」
「お黙り! さぁ、折檻の時間よ!」
「た、助けてくれよ……さつきぃ……」
引きずられていく両兵へと、さつきは笑顔を振り向けてからいつも髪紐で留めている部分をさする。
「……ありがとう、お兄ちゃん。……さつき、気付けたんだ……」
――翌日には現像できているとのことだったので、珍しく早起きしたエルニィとルイが居間で朝からゲームに興じている。
「あっ! 立花さんにルイさんも! 今日は平日ですよ! それも朝から……ゲームは一日――!」
「一時間、でしょ。もう聞き飽きたわよ、それ」
「って言うか、早起きしてるの褒めてよねー」
「あっ、そう言えば二人とも早起き……何で?」
そのやり取りを視界に留めてから、さつきは洗面所に向かっていた。
「……よし、今日も……頑張るから。だから」
赤い髪紐をぱちんと素早く装着する。
身に馴染んだ所作。
そして自分の一部である、勇気の証。
柊神社の面々には「しっぽ」だと言われてしまうけれど、それでも。
「だから、私のこと、ずっと見ていてね。お兄ちゃん」
赤い髪紐は、決して切れない絆の象徴。
そして――運命の人と自分を繋いでくれる、そういう色でもある。
かつて兄が自分をいいお嫁さんになると言ってくれた意味が少しだけ分かった気がした。
「さーつきー、赤緒がうるさいー」
「うるさいとは何ですか!」
早朝に流れていく喧噪を聞き留めつつ、さつきは急ぐ。
得難い二人の友人と共に、目いっぱいのオシャレをした写真を取りに行くために。
赤い糸の約束する縁を、信じながら。
「はいはーい! 今行きますよー!」
駆け出した足並みは、いつもより軽く感じられた。