その度に、音を上げてもおかしくはなかったはずだ。
「……ねぇ、両兵。モリビトが……ううん、人機で戦うのが嫌になったことはあるの?」
「何だ、その質問。オレがまるで戦闘狂みてぇな話だな。とは言え、人機で戦うのが、か。……逆質問になるが、てめぇはどうなんだよ」
「私? 私は……そうだなぁ。モリビトが戦闘の度に、どこか壊れたりするのは嫌かも。だって痛そうだし……それにモリビトはいつもピカピカで居て欲しいから。……変かな?」
「メカオタクの言い草だが、まぁ、悪いスタンスじゃねぇとは思うがな。愛機が壊れるのを何の感情もなく見つめられるような奴とは組みたかねぇからな」
そういう点では両兵もちゃんと、人機が好きだから乗ってくれているのだろう。
自分と同じく――いや、乗っている期間から鑑みれば、彼のほうがともすれば。
「……居たわ。南」
ルイが声をかけて懐中電灯を振ると、南が何回かスイッチをオンオフする。
「……あれは?」
「信号よ。モールス信号。“変わりない? 誰かに気づかれなかった?”って言う。こっちも返さないとね。“大丈夫。オマケも一緒だけれど”って」
パッパッとライトで返答すると、訝しげに南が歩み寄ってくる。
その手には包丁が握られており、青葉は思わずひっと短く悲鳴を上げていた。
「……何よ、オマケって青葉と両じゃないの。……あっ、さてはルイ。あんたバレちゃったわね?」
「勘違いしないで。青葉は共犯よ。厨房に忍び込んでいたわ」
「る、ルイ……それを言われちゃうと……」
「なに? お腹空いちゃったの? まぁ、夜中に小腹が空くこともあるわよねぇ」
その言葉の証明のようにきゅうと腹の虫が返答する。
今ばっかりは真っ暗な状況がありがたい。
平時ならば羞恥心でまともに顔を見られなかっただろう。
「……ははっ、腹の虫は正直でよろしい」
「……恥ずかしい……」
穴があったら入りたいほどであったが、何でもないようにルイは応じる。
「あんた、さっきチョコあげたのに、現金な奴」
「待てよ。チョコ食ったのか? ……しくったな。アンヘルじゃ甘味は貴重なんだぜ?」
両兵もチョコを食べることもあるのか、と少しだけ意外であった。
「まぁまぁ。今回は隠し味に使うし。あんたも別に青葉に食べられたからって卑しくってわけでもないでしょうに」
両兵がじとっとした視線でこちらを見据える。
「……な、なに……」
すると両兵は静かに耳打ちしていた。
「……どの棚にあったか、あとで教えろ。連中、隠してるつもりなんだよ、あれでも。ずっこいよな、オレら操主の貢献も知らねぇで」
どうやら両兵は板チョコを食べ損なったことを後悔しているらしい。
と言うか、隠されているとすればそれは両兵のような嗅覚の鋭い相手に対してだろう。
「……う、うん。いいよ。教えてあげる」
「頼むぜ? ……何でいっつもオレが探す時に限って見つかんねぇンだろうな……」
それは多分、両兵の行動パターンが読まれているからでは、と感じたが口には出さないでおく。
「さて、じゃあ早速野菜を細切れにしていくわよ。ルイ、あんたは玉ねぎを担当してちょうだい」
「任せなさい。南なんかよりよっぽど上手くやってみせるわ」
しかし、ルイは案の定と言うか、包丁さばきはかなり大雑把だ。
その上、玉ねぎの効果で涙が止まらない様子である。
「……その、ルイ。変わろうか?」
「……何よ。青葉のくせに、生意気」
しかし、さすがに作業が遅々として進まないのは気が引けるのか差し出された玉ねぎを青葉は手元の懐中電灯の明かりを頼りに切っていく。
「ほぉー、慣れてンだな」
両兵が感心した様子で覗き込んでくるので、青葉も少し得意げになっていた。
「おばあちゃんによく作ってあげていたから。カレーなら任せて」
「さぁーて、後は慎重な計量が求められるわ。一ミリの世界でカレーの完成度は変動するからねー」
南は何やら大仰な計量装置を使ってカレースパイスを調合していく。
本来ならば昼間にやってもおかしくない作業をこうして夜半にやるのはどこか心が躍るのは、自分でも背徳の感覚に高揚しているからだろうか。
「……どうしたよ。手ぇ止まってンぞ?」
「あのさ……両兵。今度はこれ、昼間にもやろうよ。カレーパーティー」
「昼間にぃ? ……整備班の連中が集まってくンぞ? あいつら遠慮知らねぇからな。どんだけでも食いやがる」
「……それもいいんじゃないかな。だって、たまにはこうして、だけれど」
夜のしじまに抱かれて、カレーの香辛料の香りが漂ってくる。
南特製のカレーは間もなく完成の時を迎えそうであった。
食欲をそそる香りに、青葉は自分も頑張らなければ、と作業を進める。
当のルイは、今度はじゃがいもを任せられていたが、ナイフで雑多に切るせいで実質的に使えるのは欠片程度になってしまう。
「あーあ、まぁーたやっちゃって。しょーがないから入れちゃいなさい」
南もこういう時は保護者めいている。
ルイは大きさもてんでばらばらの野菜を突っ込んでいた。
「……これでいいでしょ」
青葉が覗き込むととろみのあるカレーが出来上がっていた。
ほのかに香辛料が強い気がする。
「さて。完成したはいいけれど、食べる前に一つだけ」
「何ですか?」
「どうせ完成度の話でしょ。南ってば、いっつも味はてんでギャンブルだし」
「……まぁ、それもあるんだけれど。あんたたち、このことはヒミツでね? 特に整備班には絶対に! ……山野さんにどやされたくないのもあるけれど、この人数だから成り立っているんだから」
確かに三四人分ならば南でもどうにかなるだろうが、これが宿舎に住む人間全員分となれば相当な負荷のはずだ。
青葉はよそわれたカレーライスを食べる前に、南と両兵、それにルイがお酒を開けたのを目の当たりにしていたが、静かに食す。
「……いただきます……」
頬張った瞬間の味は辛みが強いが、それでも優しい味だった。
南のスパイスの調合の加減だろう。
恐らく二度三度の再現は不可能な緻密な味に、青葉は噛み締める。
「……美味しい……」
「でしょー? けれどレシピは門外不出でねー。あるのは私の頭の中だけってわけ」
「とんだ誇大妄想ね。大失敗することもあるって言うのに」
澄ました様子でカレーを頬張るルイは時折度数の高い日本酒を呷る。
「何をぅ……。でも、上手く行ってよかった。青葉、あんたにはいつかちゃんとこの味を継いで欲しい思いもあったのよ」
「私に……ルイじゃなくって……?」
疑問符を浮かべていると、南は快活に笑う。
「この子に料理はまぁ……三年は早いかな。けれどあんたってば手先も器用だし覚えも早いから。私がいつまでこの夜更けのカレーを作れるのかは全然分かんないけれど、けれど……そうね、長い間アンヘルでこの味が語り継がれるのならばきっと、それこそ作った甲斐があるって言うもんだわ」
「……でもレシピは南さんの頭の中で……」
「だから、私の技術を盗んで欲しいのよ。もちろん、全く同じは不可能でしょうけれど、こういうシチュエーション含めてって言うのかしらね。もしかしたら夜中に、ふとお腹が空いた人が居れば、青葉にはそれとなくカレーを作ってあげて欲しいの。それは……ちょっと私の押しつけもあるかな?」
はにかんだ南に青葉はカレーを食べながら、いずれ来たる未来のことに思いを馳せる。
自分もまた、こうして眠れない夜に誰かのためのレシピを作ることができたのならば――それはきっと、戦うよりももっと心強く。
「……頑張ります。今は……」
「今は、そうね。おかわりはどう? なんて」
――カナイマアンヘル付近に張り詰めてそろそろ三日目だ。
広世は腹の虫が鳴き始めるのを感じていた。
「……腹減ったぁ……。現地調達って言うの、こういう時に辛いよなぁ……」
ぼやいて時が過ぎるのを待っていると、不意に鼻孔を刺激する香りを察知する。
ぼんやりとそちらに向かうと、青葉が懐中電灯と《モリビト雷号》の電気を光源にして包丁を走らせている。
「……青葉? こんな夜更けに何やってるんだよ」
「あっ、広世も起きちゃった? ……小腹が空いたから、カレーでもどうかな、って。雷号の補給用の物資をちょっと使っちゃうけれど」
「それはいいんだけれど……青葉、カレー作れたんだな」
「ちょっとした味の師匠が居てね。えーっと、計量はこんな感じ」
あっという間にスパイスカレーが用意され、空腹が限界だった広世は齧り付く。
「……旨い……! 青葉、才能あるよ」
「そうかな? 私は記憶を基にその人の味を再現しているだけだし。……けれど、まだまだだなぁ……」
「まだまだって、その人は料理人か何かだったのか?」
「ううん。けれどとっても美味しい……夜更けのカレーを作るのにかけては、多分世界一。だから、私も追いつきたいんだ。だって、信じてくれたんだもん」
広世には詳しいことまでは分からないが、上質なスパイスカレーを頬張り、それから頷く。
「じゃあきっとその人は……青葉にこうして継承されたこと、嬉しかったんだろうな」
青葉は微笑んで、それからカレーの香りを嗅ぐ。
はふはふと熱いカレーを頬張ってから、ジャングルの湿っぽい空気を取り込んでいた。
「……うん。いずれは絶対に……お返しするんだ。それはそれとして、広世。おかわり、食べるよね?」
そう言って青葉は茶目っ気たっぷりにウインクしていた。