困り果てた赤緒の傍でカメラを手にメルJの横顔を写真に収めつつ、脇に挟んだスケッチブックに筆を走らせるマキを視野に入れていた。
「いやはや……まさかお兄さんとこの金髪イギリス人さんが知り合いだったなんて……! 感激しちゃうなぁ……!」
マキは必死にスケッチを重ねている。
「……どうにかならんのか、赤緒」
「ど、どうって言っても……了承してくださったじゃないですか。ヴァネットさんも……」
「とは言ってもだな……私に一日中付いて来たっていいことなんて一個もないぞ」
「いえいえ! お供させてください、姐さん!」
深々と一礼するマキに、両兵はこれもまた面倒なことに巻き込まれたことを実感する。
「……何があったのか、聞かせてはもらえるんだろうな?」
浮きが水面で揺れる。
「あっ……やっぱり静かなほうがいいんですかね……小河原さんも」
「まぁ、釣りってのは静かな心地でやるもんだが……お前らがここまで来たってンなら邪険にゃしねぇよ。話してみろ。何か、突破口でも見つかるかもしれねぇだろ」
「……突破口、ですか。まぁ、喋れば何かしらマキちゃんも掴めるかもしれませんし……いいよね? マキちゃん」
「んー? いいよー。どうせ、今回の取材ではお兄さんも必要かもしれないしねぇ」
マキはスケッチブックから一秒たりとも視線を上げない。
その集中力と、かつて聞いていた漫画家と言う職業は深く結びついていそうだ、と両兵は直感する。
「そもそも……今回の原稿の話になっちゃうんですけれど――」
「――マキちゃん、やりましたね」
「うん! これも手伝ってくれる赤緒と泉のお陰だよー!」
マキが学校に持ち込んでいたのは漫画雑誌である。
骨太の少年誌には今月の奨励賞にマキの描いた漫画が掲載されていた。
「でも……マキちゃんってもうプロなんじゃなかったっけ?」
「赤緒もこれだけ手伝ってくれても、まだちょっと分かってないんだなぁ。この出版社ではまず賞レースを通ってくれって担当編集さんから言ってもらった経緯があるんだってば」
何だか漫画家と言うと毎週毎週締め切りに追われているイメージだったが、思ったよりも商業戦略と言うものがあるらしく、ほとんどがタイミングなのだと言う。
マキはと言うと、複数の出版社との兼ね合いであり、今回は念願の少年誌での奨励賞と言うことで嬉しい結果だ。
「けれど、この選評厳しいよね……。“もう少しクールなキャラで画面を〆て欲しい”って」
「そこなんだよねー……」
マキは大仰に呻る。
「マキちゃん、これまで結構色んなキャラクターを描いてきましたけれど、実はクールなキャラクターは苦手なんでしたよね?」
「えっ……そうなんだ……今まで色々描いてきたから何でも描けるんだと思ってた……」
「何でも描けるなんて漫画家は居ないってば。それはそう見えるだけで、得意不得意はあるもんだし。私はアクション方面だとかはまぁまぁだけれど、やっぱり恋愛だとかそういう人間同士の機微? そっちは全然。やっぱり経験なのかなーって思うもん。頭の中で分かっていないとどうしようもないってね」
マキはこれまで商業誌だけではなく、同人誌と呼ばれる分野に関しても活発であり、何度か手伝ったこともある。
その中で赤緒が思ったのは、ここまで色んな人物を描けるのだから相当な観察眼だと言うことだ。
普段、何てことない景色もマキにかかれば別次元になっているのだろうか。
「けれどなー……結構、この選評も的を射ていてさ。クールキャラって、私、昔っからよく分かってないのかも。熱血キャラはね? 分かるんだ。他と違って私自身が熱中してきたし、自分自身はそっち側なんだろうなって感じもするし。……けれどクールはなぁ……」
マキは鉛筆でノートの端っこにぐるぐると渦を描き出す。
「それこそ、マキちゃんの観察眼なら、知っている人をモデルにすればいいんじゃ……」
「けれど、漫画みたいなクールさを持っている人なんて、そうそう居ないよ。赤緒は逆に居ると思う?」
そう言われてみれば返事に窮して、赤緒はパッと出た名前を言っていた。
「えっと……ジュリ先生、とか?」
「あれはだらしない大人タイプでしょ。漫画にするなら、そうだなぁ。主人公ポジションをたらし込む、アパートのお酒飲みの大家さんとか? そういうのがちょうどいいんじゃないの?」
確かにジュリはクールと言うよりも少し大人な魅力を持っているお姉さんキャラか。
「でも……うーん、そもそも私、あんまり漫画読まないんだけれど、クールってどんなの?」
「それこそ……何でもかんでも一発でござれみたいな、そつなくこなすタイプかな。後は普段は生活感がない! これも大事。生活感が出ちゃうと一気に違ってきちゃうんだよね」
「マキちゃんの漫画の弱点はクールキャラに設定したキャラに生活感が出ちゃうんですよ」
泉の評に、それはなぁーとマキが少年誌をじーっと見据える。
「私自身の弱点なのかも。……どうしても俗世間から離れている人物って描きづらいんだよねぇ……。地に足がついていないって感じでさ。読むのは好きなんだけれど……」
ここまで悩み抜いているマキも珍しいかもしれない。
何だか奨励賞を一緒に喜びたかっただけの自分がやけに幼く思えてしまう。
「でも、マキちゃんの漫画の腕はかなり上がっているんでしょ? 中学校の時からずっと公募してるの知ってるから」
「けれど奨励賞なんだよねぇ……いや、贅沢言うなって話なんだけれど……。担当さんは付いたんだけれど、やっぱそこを言われちゃうわけ」
「クールキャラ……のこと?」
マキは器用に鼻と唇の間で挟んだペンを揺らしながら、机に足を投げ出す。
「クールって……赤緒さ。クールって何だと思う?」
何だか人類の根本的な問いかけのようで赤緒はまごついてしまう。
「……えっと……それは私じゃ答えられないかな……」
「じゃあ泉。泉はクールって何だと思う?」
「……そうですねぇ。例えば……ご飯に一緒に行った時に、いつの間にかお会計を済ましてくれる殿方だとか。クールではありませんか?」
泉も模索しているようであったが、そのようなたとえが出る時点で少しだけ大人の階段を先に行かれている感覚だった。
「……そういや、泉はもうお見合いしてるもんねぇ。そりゃ、クールな大人の一人や二人には出会うか……」
「えっ? お見合い? 泉ちゃんが……? だ、駄目だよっ! 私たち、まだ未成年……!」
分かりやすく戸惑った自分に、泉は補足する。
「もうっ、マキちゃん、それは言わないでって言ったじゃないですか。赤緒さん、大丈夫ですよ。家も合意の上ですし、そういう経験を積んでおくのも大事とのことで」
「経験……そういう……」
想像するだけで赤緒はぼんやりとしてしまう。
「あーあ、赤緒があっち行っちゃった。……そういうのに一番興味あるんだからねぇ……むっつり」
直後には赤緒はボンと脳内が爆発したのを感じていた。
「な……何を言うの! マキちゃんっ! だってその……そういうのまだ早いって言うか……」
「お見合いだよ? 何かをしたってわけじゃないし、ねぇ?」
ニヤニヤとしているのを悟って、赤緒はようやくからかわれたことに気づく。
「も、もうっ! 怒るよっ!」
「悪い悪い。赤緒をからかうのは相変わらず面白いなぁ」
とは言え、問題は何も解決していない。
赤緒は咳払いして、自分のことは置いておいて、とマキへと話を戻す。
「……クールな人を知りたいんだよね……うーん」
「何か、そういう伝手でもある? 別に男の人じゃなくってもいいよ」
「男の人じゃなくっても……あっ、ヴァネットさん……とか?」
「それって前に赤緒が言っていた、カッコいいイギリス人?」
「うん……会ったことはあると思うけれど」
しかし、赤緒自身メルJがクールなキャラかと言うとよく分からない。
そもそも他人をキャラ付けして普段は見ていないので、マキの言う漫画的な表現に合致するかどうかも不明なのだ。
「けれど、お綺麗な方でしたよね。ヴァネットさんと仰るのですか?」
「あ、うん。メルJ・ヴァネットさん」
「へぇー、すっごい。海外の人ってそんなに通りのいい名前とかあるんだ?」
「あ、でもこれ、確か偽名だったかも……」
そう言えばメルJの本名はメシェイル・イ・ハーンだったか。
だがこちらの名前は因縁がある。
それを理解して赤緒はあえて言わなかった。
「何それ、偽名? 赤緒、よくそんな人と一緒に過ごしていて、面白いなぁとか思わなかったんだ?」
「……だって人の事情だし、面白いとかはないよ」
「いや、だってなかなかないよ? 偽名で長身金髪のイギリス人でしょ? それでロボットのパイロットだって言うんだから、うん……! 決めた!」
机の上で立ち上がったマキに赤緒はあたふたと慌てる。
「ま、マキちゃん……目立っちゃう……!」
「赤緒! その人、柊神社に住んでるんだよね?」
「……まぁ、一応……」
「普段は何してる人なの?」
「最近はモデルって言っていたっけ……」
「すごいなぁ、てんこ盛りじゃん! モデルさんで、なおかつクールキャラの筆頭だって言うんなら、やっぱりこの溢れ出したパッションは誰にも止められない! 赤緒! お願いがあるんだけれど……!」
何か厄介ごとなのは頼まれる前に分かっていたが、ここまで話した手前、無碍にはできないだろう。
「……けれど、大丈夫かなぁ……」
「――と言うわけで、マキちゃんを連れて来たんですけれど……」
マキはずっとメルJのスケッチに躍起の様子で、話している自分と両兵はもう眼に入っていないようであった。
「……それであの絵描き女子高生は、あんなにヴァネットに付き纏ってるわけか。それにしたってよくあいつが許したな」
「いやその……許したって言うか半ば押しかけで……。南さんにも後が怖いわよって言われたんですけれど」
「……まぁ、間違っちゃいないわな。んで、ヴァネット。何だってお前はモデルに選ばれたってのに、オレらと雁首並べて釣りなんざしてンだよ」
当のメルJは普段通りに行動するようにマキから言われていたのだが、すぐに落ち着かないと言い出して河川敷まで自分の同行を求めたのである。
「……あのその……ヴァネットさんにも考えがあってのことだと思うので……」
「……オレは構わんが、普段はこんなことせんだろうが。いいのか? あの絵描き女子高生が求めてるのは、普段のお前だろ?」
「……とは言われてもだな。普段……私は何をしていただろうか……?」
あたふたする自分にメルJは心底、困り切った声を発していた。
「……まぁ、そうなるだろうなとは今の話を聞いていて思ったがよ。普段通り、って言われちまうと肩肘張っちまうタイプだろ? ……どうすンだ、これ」
「えっと……どうしましょう……?」
マキは少し遠くから自分たちを眺めているので今の会話も意味ありげに映ったのかもしれないが、単に困り果てているだけである。
「あー、こっちは気にしないで。赤緒たちはいつも通り、で頼むよー」
振り返った自分にマキは鉛筆を手に距離を測っている。
「……そもそもだな。私は漫画で言うところのクールキャラなのか……?」
本人が無自覚なのは少しだけ拍子抜けで、赤緒は目が点になっていた。
「……えっと、ヴァネットさんは別にクールキャラじゃない、と?」
「……そうだろう。自分のことをクールだなんて思ったことはない。それに、随分と理想が詰まっているような気がするがな」
確かにマキの求めるクールさとは、本人から醸し出されるもの以上だろう。
それを意図して出そうとしても不可能なのは目に見えている。
「で、でもですよ……! マキちゃん、必死に勉強してるんですからっ!」
「まぁ、そこは買うがよ。ヴァネットの奴がクールかと言えば……オレも言い切れんぞ?」
「も、もうっ! 小河原さんまで何を言い出すんですかっ。大体、そんなことを言い出したら、クールな人なんてアンヘルに居ました?」
「……そうだなぁ……。そう思われたい奴なら心当たりがあるが……」
「そう思われたい人……ですか? あれ? そんな人居ましたっけ?」
「……ちょうどいい。そろそろあいつが顔出す頃合いだ。今日は上物の酒が入っているからな」
「小河原さん! お酒ばっかり飲んでると、駄目人間になっちゃいますよ……って、うん? ここにわざわざ来る人なんて……」
「おっ、今日は赤緒さんも一緒か。それに、ヴァネットも」
上着を肩に担いで現れたのは勝世であり、赤緒は目をぱちくりさせる。
「えっと……勝世さん、でしたよね?」
「何で疑問系なんです? ……んなにオレ、印象なかったかなぁ」
「いえ、そうじゃなくって……クールに思われたい人……?」
「何です? クール……?」
頬を掻く勝世に両兵は顎でしゃくる。
「ちょうどいい。あそこに女子高生が居るだろ?」
「おう、居るな。って、あの子、確か赤緒さんのクラスメイトだろ? 何だってこんな辺ぴなところに……」
「勝世、てめぇ友次のオッサンから情報もらってんだろうが。あいつ、漫画家志望なんだと」
「ほぉー、そりゃーいい夢を持ってんな。で、オレに何をしろと?」
「……その、クールな人を演じて欲しいんです」
赤緒が率先して口にすると勝世は素っ頓狂な声を上げていた。
「オレがぁ? ……あのな、両兵。お前が何を勘違いしてるか知らねぇが、クールな奴ってのは普段の振る舞いから出るもんで……って、ちょうどいいのが居るじゃねぇの。何でヴァネットに頼まねぇんだよ」
「ヴァネットは自分なんかはクールじゃねぇと言い出す始末だ。柊もよく分かってねぇ。……勝世、てめぇがクールキャラの見本、あの絵描き女子高生に見せて来い」
「何だってそんな罰ゲームみてぇな役回り……。第一、オレは一応、これでもちゃんとしてんだ。いたいけな女子高生に言い寄るなんざ……」
「柊、お前の同級生、お見合いしてるんだったな?」
「あ、はい。泉ちゃんはそうだって――」
「何ぃ! 世の中にはそんな羨ましい輩が居んのか……! オレなんてどんだけ頑張ったって合コン一つセッティングすんのに苦労するって言うのに、現役女子高生とお見合いだと? ……くっ、けしからん……負けた……」
何だか勝手に負けた気分になっている勝世に赤緒は当惑してしまう。
「な? こういう奴だ。馬鹿演じさせンのはちょうどいいだろうさ」
赤緒も勝世とはあまり関わって来なかったので、こういう一面があったのかと言葉もない。
「馬鹿とは何だ! ……ったく、要はクールに演じればいいんだろ? あの女子高生に? ……なぁ、両兵。世の中にゃ、道理ってもんがあってだな」
「道理ってもんがあってもモテてぇんだろ?」
「モテたい……! そりゃあ、そうさ! 悔しいほどにド正論だぜ……!」
何故なのだか涙を流して苦渋を噛み締める勝世に、赤緒は困惑していた。
「……あの、別に無理にとかじゃないんで」
「いえいえ、赤緒さん! オレにできることならやりますよ! ……よぉーし、クールだな、クール……」
頬を叩いて気合を入れ直す勝世に赤緒は両兵へと視線を流す。
「そ、その! いいんですか? 勝世さん、困ってますよっ」
「いーんだよ、ああいう馬鹿は使える時に使ってやンねぇとな。後で酒をくれてやるって言えば、少しは協力的にもなンだろ」
不安に駆られていると勝世は必死にスケッチするマキへと呼びかけていた。
「お嬢さん! 夕映えの河川敷でスケッチとは、なかなかいい趣味をしていますね」
「……ん? 誰?」